この病名を知らない人は、未だに沢山居る。
逆に聞き覚えのある人も居るだろう。
私は生まれつき、慢性疲労症候群と線維筋痛症を合併していた。
日本が認知して研究班を立ち上げた1990年に発症し、1991年に確定診断された。病気は生まれつき発症していたものだ、と専門医に告げられた。
残念なことに難病状態であっても指定難病にはなっていない。
それが身体障害者にまでなってしまっている実態は、専門医にも世間にも、もっと知られていない。
ずっと家の中で生活している。
世間とも断絶状態になっている。
食事もまともに食べられない。
着替えも入浴も、何もかも、人間らしい生活を送れずに人生をリタイアしたような生活だ。
仕事をしたい、と常に思っている。
けれど、単なる身体障害者ではないために、車椅子ひとつ自分では操作出来ず、かと言って障害者枠も狭い判定をされているが故に何の援助支援の対象にも当てはまらないので、すべての福祉用具は自腹で用意するしかなく、電動車椅子も持てず、そもそも起き上がれない身体では出社も不可能だ。
在宅ワークといっても不可能。
QOL(生活の質向上)とは言うけれど、手の施しようのなくなった重症の私には宛がう物すら無くなってしまって、生きているだけがやっと、という状態なのが実態だ。
質も何もない。
東京五輪の盛り上げのために、パラリンピックも多くとりあげられ、障害者に関心を持って貰おうと世間では盛んになっている。
お陰で、筋ジストロフィーやALSなどの認知度は上がっているが、この病名、この身体障害者、それは誰も知らない、解らない。
自律神経系の狂いから生じる免疫障害といって分かる人が居るだろうか。
それが身体障害者にまでなっている意味を理解出来る人が居るだろうか。
内部障害者であっても、全身の機能が障害されているなんて、どう想像すれば良いのだろうか。
自分ですら理解出来ない。
それくらい、自分の身体に怖い出来事が起きているなど、想像も理解も出来ない。
たまに、自分の症状を話してみると、怖がられる。
怖がられて初めて、私って、そんなに危ない状態なの?と思う。
それくらい当たり前のように年月が経過し過ぎて、驚く程の問題ではなくなってしまっている。
初めて体調不良を自覚してから、もう35年経っている。
先進医療が目覚ましい発展を遂げているかのように誰もが思い込んでいるだろう。
けれど、実際の医療現場は未発達で未解明の疾患で溢れて、原因が特定出来ない病気や症候群は解っていて治療出来る病気よりも数十倍あるのだ。
新薬にジェネリック医薬品。それも同じだ。
この慢性疲労症候群に有効な治療薬や治療法はない。
対処療法だけしかない。
痛みが強ければ鎮痛剤、アレルギー反応があれば抗アレルギー剤。
激痛による全身倦怠感を解消出来る薬は何もない。
ずっと疲れている。
どれだけ眠っても、起き抜けから「嗚呼、疲れた」と、ずっと寝ていたくなる。
寝ても覚めても疲れは取れない、痛みも取れない。
激痛で1日が終わってしまう。
生きているのが本当に苦痛としか言いようがない。
買い物にも行けず食糧の調達も出来ない、そこへ財政難もあって、結局最低限の食事も摂れなくなっていた。それをずっと疑問に感じながら、2ヶ月に一度の通院費を必死で工面して、気力を持ち上げるための高い薬価を支払って飲んで、何も変わらず、何年も疑念を抱いてきた。
9年間通った大学病院の通院を先日やめた。
腹を括った。
もう、いい。
食べる物も食べずに、気力なんか薬で着けようとしても無駄だ。
何をさて置いても食べる事を優先しなければ、治療処ではない!
そう思って医者に頼るのを絶った。
服薬を止めても体調不良も何も変わらなかった。
既に手の施しようがない、そう言われていたのだから、何が起きても、何も出来ない。
随分と無駄なお金と時間を費やしてしまったものだ。
今更ながらだが、何のために食べもせず通院していたのだろう。
きっと、家庭があるから、守るものがあったから、何とか維持しておきたい、そういった想いが医者に足を運ばせていたのだろう。
もう失うものは何もない。
もう、いい。
ただ、毎日が病人なりの平和と平凡であって、何の浮き沈みもない、くだらない一日で終わって、日々が通り過ぎて行く。それだけが安心。
私にとってのしあわせは、そんな事だけなのだ。
慢性疲労症候群という身体障害者
この意図するものが何なのか、理解出来ない振りをしているだけ。
生きる屍
それは15年以上前に、まだ戦っていた私が抱いた真実だ。
いまは、屍だったとしても楽しむ事、笑う事、怒る事、悲しむ事、きちんと精神活動だけは正常に保って生きていられる。
ただ、もう無駄な戦いをやめただけ。
流れに委せて、いつ、何が起きてもいいよ。
これは本当の自分の想いを留めておこうと思って書いた手記のようなものです。
今まで助けてくれて、自分たちだけは解っていてあげようとしてくれた、娘二人に有難う。
勇気付けようと認知行動療法を生活の中で最後まで与えてくれ、鬼になって支えてくれた、母にも有難う。
私は今まで家族を支えなければ、という使命感があって、ここまで強く生きて来れました。
この記事は、2017/12/5に作成したものです。
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