2021年9月22日水曜日

ハブに噛まれた毒の作用と類似する疾患症状:2017/3/30

 テレビでハブに噛まれた時の症状と、その毒性を観た。

ハブ毒は、血液や血管を破壊し、筋肉組織を破壊するそうだ。
実際に噛まれた人が言っていたのは、入院中、兎に角全身倦怠感と全身痛に苦しんで、その痛み方は『まるで火鉢の火箸を全身に刺されたような熱感と激痛だった』、『電気の光も痛い、話し声も痛い、窓から吹く風も痛い、廊下の靴音も痛く感じた』という事だった。

私は、ええ⁉と思った。
その痛み方は、ある疾患とよく似ているからだ。

末期癌患者の疼痛レベルと同等の痛み、とも言われているが、ハブ毒の症状の方がより近いと思った。

それを毎日、何十年と強いられて居たら、到底堪えられる筈がない。
それで精神的に正常で居られる訳がない。
悶絶する堪えがたい痛み。
通常の日常生活が送れる訳がなくて当然だ。

死ぬかもしれない程の痛みと苦痛。

原因なんか、どうでも良いから対処方法を見つけて欲しい。
そう思った。
私は、その病気を患っている。
ハブ毒にやられた症状と、自分の病気の症状が同じだなんて…
それは苦しむ訳だ。
それは堪えられない訳だ。
そう思って、自分の置かれている状況に驚いた。

そのハブに噛まれた事のある人は、こう言っていた。
『だから、誰かが噛まれたら自分は3日間は見舞いに行かない。解毒されるまで痛みで苦しんでいるし、何もかもが痛く感じるから』

神経毒と同じ作用を起こす病気って一体、何なのだろう。
自分がそんな最悪な病気を人生の半分以上、患ってきたとは。
この病気の怖さを知った。

そして、正月にうつされた風邪が未だに治らず、ずっと寝たきりの状態で居ることや何日かに1度は頭痛と全身痛や発熱で悶絶しているのが、異常な状況なのだ、と思うだけだ。

病気が苦しいとは思わない。
この状態で生きているのが、とてもとても苦しいと思うばかりで、生きているのが辛い。


ヘビに噛まれたのと一緒だなんて、信じられない。

一日の終わりに:2021/6/27

 

持病のために、ひどい不眠症の症状で長年、面倒な思いをさせられている。

ひどい不眠症と書いたが、ただの所謂 ”眠れないひと” ではない。
脳が起きっぱなしで、強制的に薬でも使って寝かせないと全く睡魔が来ない。
精神医学では、人間4日も不眠で居ると幻覚や妄想が起きてきて正常な状態では居られなくなると言われているが、困ったことにそういった症状もなく、ただただ目が覚めていて、難や勘弥と集中力が途切れてはくれない。

身体が起き上がっていられない、と反応して、
身体中の筋肉が次々につりだす。
脚がつる。
背中がつる。
指が、顔が、首が…と、兎に角猛烈に引きちぎれそうなくらいにつる。

そうまでなっても尚、一旦横になっても、目を瞑っても眠りはしない。


これが夢中になって何かをやっている、やっていないに限らずだから始末が悪い。

非24時間睡眠覚醒症候群 というものがあるらしい。
この文章中に、慢性疲労症候群と書かれた部分がある。
同一ではないと書かれてるが、私の場合どちらかと言えば、毎日時間がズレて行って挙げ句には夕方になったら入眠する事態まで狂って行くのを繰り返している。
それはまるで、月が出る沈む周期のようだと感じてきた。


この先、何が起こるのか

待っているのは、脳過労死状態。

身体が悲鳴を挙げても脳は(あくまで脳機能)狂ったままで、自分の身に起きていることを正常に認識出来ず、脳がどうなっているかなんて解りもしない訳で、脳自体が過労死に陥って行く。


脳が壊れてしまうことは、精神を崩壊させることよりも最悪な事態になる。
それは、言うなれば脳の破滅を防ぐために精神崩壊を敢えて肉体(脳神経)がさせているもので、逆に精神崩壊が起こらなければ脳と肉体の両方が一遍に壊れてしまう仕組みがある。

故に精神的不調や肉体的不調は脳が悲鳴を挙げている状態だから、その時点で強制的に安静にするよう自制や周囲が対処すべきなくらい危険が迫っていると考えた方が良い。


現に私は何回も過労死寸前を経験してきた。

だから薬で強制的にシャットダウンさせるのも仕方ないと、よく理解している。


何故そうなるのか?

中枢神経に神経障害を引き起こす持病は、正にこれだ。
睡眠訓練をいくらしても、朝陽を浴びるような高度照射療法を訓練しても、何をしても無駄だった。

非24h睡眠覚醒症候群に書いてある通り、何時間周期の睡眠覚醒リズムの体内時計なのか全く分からない。
48hを超えて覚醒したままなのは異常だ。

15h寝て、15h起きていると多少体調は良いこともある。
よく自覚しているのは、15h起きていないと、いくら睡眠薬を飲んでも眠くはならないという点。

30h周期ということか?

だとしたら、6時間もオーバーして1日を生きている。
この辺の計算を昔、徹底的にして頭がパンクしそうになった。

それでも最低6時間は寝て、最低15時間は起きているのは間違いない。


有り難いのは、犬の存在

うちの犬は2回食で育てた。
朝5時と夕方5時がゴハン。
夜中2時か3時に小腹が空いて、ボーロのオヤツ。
元々オヤツをどのタイミングであげれば良いのか分からず、胆泥症の薬のウルソをあげるのに、苦くて飲むのが辛そうだったから口直しに『褒美』と言ってあげだした。
私が忘れるから、寝る前に。そうしたのがきっかけだった。


12時間
それが私のひとつの覚醒リズムを作っている。

ただ、朝5時にゴハンをあげてから私は寝る。
夕方は自然と目が覚められるからゴハンをあげられる。

ゴハンをあげてからじゃないと眠れない、薬を飲めない。
それが本当はつらい。

疲れて眠りたいと思っても、それが夜の2時や3時となると、2時間後には起きなければならず、薬を飲んでしまっては中途覚醒でまた眠れなくなって朦朧としてしまう。

本当なら10時頃に薬を飲んで眠れたら、ちょうど良いのにと思うが、どうやっても ”今日中に” は寝られない。

結局、今日眠って、今日起きる。
この生活がずっと続いてる。

周りからの批難を浴びないように、朝起きている。
そして夕方も起きている。
その途中で12時間寝ているのに、私を知らない人間は「なんだ、昼間起きてるんだ」と思い込んで、無意味な安心感と妙な納得をしている。


馬鹿げた工作をしてまで欺くような睡眠の仕方を何故しなきゃいけないんだろう。

それだけ世の中と同じリズムで生きられない事を批難されてきた証拠。

誰に心配される訳でもなく、誰かの邪魔になるでもなく、この世に存在していることすら無意味な生活をしているのに、外面を気にしなければならないのがもっと無意味だと思う。

具合が悪くて寝込んでいたとしても誰も知らない。
激痛で苦しんで15時間を七転八倒していても、単に寝るタイミングがズレただけであっても、カーテンが閉まっている理由を誰も聞きはしないのに、素知らぬ振りで生活する。


一日の終わりに思うこと

犬とベッドに横になる。
添い寝をしてくれる犬に、
「嗚呼、今日も何もない平和な一日で良かったねぇ」
そう言う。

本当に私にとって何もない一日というのは、
痛みで苦しまなかった日という意味。


それだけしかない。

痛いか、痛くないか

ただ、それだけで一日が終わってしまう。

それがなければ平和な何もない一日。


生きにくさ
人間関係
仕事
家庭


そのどれも私にとっては大したことではない。
病気の苦痛
それだけが私の人生を縛り付けている。


起きたのは昨日の夕方5時頃
今は朝の9時半頃

一体、何時間起きているのだろう
一体、昨日起きてから何をして今の時間まで起きていたのだろう

この人生いつまで続くのだろう…

私は決して可能性を諦めない:2021/4/21

 低気圧や寒暖差、季節の変わり目があると、ぐうっと体調がかなり落ち込む。

まだ、もう少し若かった10年くらい前まで、つい最近までは抗って
「何とかしよう」と、今考えれば無駄な抵抗をしていた。


この三年くらいになって

ようやく、コテンパンな思いをさせられたせいか、”調子に合わせて”その時やれることを少しだけやるようにして、随分と自分を大切にいたわる方法を習得出来るようになってきた。


元々やる気満々、人一倍の努力、これでもか!という挑戦者気質と貧乏性だったから、果てるまで加減をしなかった。

それがダメなんだよねぇ。

勉強も仕事も好きだから苦にならない。
そのコントロールが難しかった。

やる気があるから動いてしまう。


だけど、工夫することを覚えた。


ベッドの上に居ても出来ること
それを探して、編み物をしていた。


そして出会った編み機の挑戦

以前から、いつかはやってみたいという、その気持ちを忘れなかった。

いま記事をマガジンにして書き始めているが、これが結構、頭を使う。

一工程できては、写真を録り、また次の工程をする。

あれ?どこまで、いま何をやってたんだっけ?
記憶を辿る。
短期記憶障害もどこへやら……

ゆっくりと辿れば思い出して、編みながら
「この工程が出来たら写真撮るの忘れないようにしなきゃ」


編んでいるだけでも記憶しつつ、やって行かなきゃならないのに、あれもこれも忘れちゃいけない。

お陰で頭の使い方までリハビリになっている。


疲れたら、キリの良いところで休む

ここで無理をして深追いすると必ず記憶が混乱して失敗する。


一種の作業療法と認知行動療法を自分で実践している訳だ。


長年の自分を思うように動かせない悔しさから習得した実績とも言える。


やりたい!と思う好奇心や思いから、やれるようにするための知恵と工夫だ。
こういう事を本来なら、報酬を得ている ”専門家” が指導や支援をしてするものなのに、未だに解っていない医者と療法士が多い。


だから決して可能性を自分で諦めないことが大切

よく『自分で限界を決めるな』なんて聞くけれど、それは、訓練を宛がおうとする他者が言うものじゃなくて、自分が望んで課すことば。


どんなに苦しくてもツラくても、必ず自分が諦めなければ

道は開ける。


頑張らんで良い、やれることだけやって寝てろ

そう言った医者は、私のQOLを阻害し、可能性を否定や不可能にしてきただけ。


どんな人でも、頑張らなきゃ何も得られない。


鉛のようにのし掛かる激痛と全身の疲労困憊があっても、
頑張って歩いて、わざわざ犬とお散歩バッグを持って毎週行くゴミ捨てでも、夜空の星がキラキラ見れたり、暑さ寒さの風で世の中の空気に触れられる。

「楽しいねぇ~」
「ゴミぽいぽい、行けたねぇ」
と、世間一般の行動が味わえるのだから、ガンバる価値がある。


編み機の挑戦
毎日毎日、寝ても覚めても、夢も見て、コツコツと楽しい。


自分が挑戦者で良かった
そう改めて、また実感出来た。


握力低下、全身筋肉痛、全身倦怠感、硬直、頭痛の激痛、、、
手が震えて動かせない

そんな 『不定愁訴』も相変わらず。


それでも、いまの私は多少なり

時間稼ぎの生きる屍ではない

太陽のちから2020/4

 睡眠障害の私は、常に体内時計が狂っている。

単純に、昼夜逆転といった具合ではなく、クルクルと潮の満ち引きのように毎日少しづつズレて一定の時間に眠れない目覚められない。

医者も他人も信じないだろうが、それでも私は太陽と共に生きている。
陽が昇れば「ああ朝だ」と意識し、夕暮れになれば「もうすぐ夜になっちゃうから」と用事を済まそうと無意識に意識している。

太陽には明度、彩度がある。
光の加減が自然とあるお陰で、私たちは『何時頃』を意識出来る。
しかし、月には多少の明度があっても、残念ながら日没から夜明けまで約10時間 ”暗い” だけだ。
約14時間、”明るい” 時間が毎日ある。


その通りに、私は10時間睡眠を取ると割と充電出来て体調がましだ。
自分の中で『夜は寝る』習慣は残っている。


10年20年、睡眠訓練を実践しても…

起きる時間を決めるのではなく、寝る時間を決める訓練を自分で考えて実践した事がある。
1時間づつ早めて行く訓練。
スタートは夜中4時だった。
そこから1時間づつ早めるのに一週間掛けて、1ヶ月で夜12時に眠るところまで出来て、あと30分早めるのに更に一週間訓練をした。
結果夜11時30分には眠れるようになった。

それでも10時間も起きない私の身体は、朝9時過ぎまで眠ったきりだったが、世の中と同じリズムで生活出来るようにはなった。

その次の課題は、15時間起きていないと寝付けないという問題だった。

そうやって問題の1時間のズレで、次第にまた眠る時間と起きている時間の調整が難しくなって行って、無理なんだ…と悟った。

その時思ったのが「そもそも何のために睡眠訓練をする必要があると思うのか?」という疑問だった。
世の中が朝9時~夕方5時までの営業時間で動いて、皆がそうやって生活と仕事をしているから。
たった、それだけの理由で、自分も同じようにならなくてはいけない、漠然と思い込んで一生懸命、早く寝なきゃ早く起きなきゃと訓練していた。
持病があるのに、その根本的な事が治療出来ないのに、”寝ること” だけを治そうとしても無駄なのは当然だし、睡眠障害を良くすれば持病も良くなるという医者の言い分もおかしいと気付くまで20年も費やした。


眠ることの大切さは、臓器を休めさせ回復させることにある。
そう理解してからは、時間に拘らなくなった。


陽当たりの良い家

西向きの家に住んで居た。
昼過ぎにならないと窓から太陽の光が入って来ず、半日しか明るい部屋に居なかった。
でも西陽は強くて結局カーテンを閉めて部屋の照明を着けないと明るい家にはならなかったから、せっかくの太陽の明かりも役に立たない。

今居る家は、一日中陽の当たる家で、カーテンで遮光しないと眩しいくらい明るい。
逆に夜は街灯があっても真っ暗。
ちょっと暗いどころではなく、足元も見えないくらい「本当の暗闇って、こういう状態なんだ」と初めて感じ、怖いと思った。

お陰で、夜に何かをしようとしても暗くて見えないから…とやる気をなくして、コンビニがあっても真っ暗で歩けないし誰も歩いてなくて怖いから行きたくないと思うようになって、自然と「明るい内に」と行動するようになった。


昼間寝ていてしまって、起きたら夜になっててしまうと、勿体ないと感じる。

日中は煌々と太陽が当たるから、湿度の高い土地柄で部屋の中に湿気が籠りやすく、布団やラグを干すのに丁度良い。
あまり陽が高くなり過ぎたり、夕方前は陽射しが強過ぎて外に出られない。
だから自然と、朝の涼しい内に、夕方涼しくなってから、そういう生活が出来るようになった。


これが陽当たりの良い家の素晴らしい処だ。


太陽のちからの素晴らしさ

土地柄も影響力はあるだろう。
窓を開けて、良い空気と良い景色なら居心地の良い家になる。

ここは、銀座のど真ん中のような場所。
決して窓を開けて良い景色が見える訳でもなく、国道沿いにあるから車や大型トラックの通りが多い。

それでも多少の山や空が見える。

朝方寝ても、窓から射し込む太陽のキラキラした光と熱風が入って、目覚めるしかない。

睡眠障害の外来で言われているように、日光には脳覚醒リズムのリセットをする作用があるというのが、これだ。
否が応でも脳が起きる。

日中に太陽に当たれば、脳は昼と夜を認識する。


何年間も訓練しても治らない睡眠障害を多少でも改善させたのは、やっぱり日光だった。
15,000ルクスの朝陽の光を人工的に照射しなくても、陽当たりの良い家に居れば人間の身体はきちんと反応し、同じ時間に目覚めるようになれる。

ただし、そこには本人が日中に起きたいと思う意思と夜間は寝て居たいと思う気持ちがきちんとなければ無用の長物になってしまう。


私は、病気で生きていたくない。
だから、晴れた日に太陽をいっぱいかんじながら何が出来るも出来ないもなく、ベッドから出て、モーニングコーヒーを味わい、昼時のワイドショーを見て、夕方のニュースを見ながら人並みに夕食を食べて、11時のニュースの前には入浴をして、つまらない夜中のテレビショッピングが始まったらベッドで論文を眠くなるまで読んで、『寝落ち』したい、と思う。

熱中症の元になるから嫌がられる太陽だけど、すべての生物に欠かせないのが光合成。
そんなことを半世紀経って改めて実感した。

2020/9/13『止まれない脳』の、その後、過労死寸前を実体験した記録

 ※これは実際に起こった脳過労死しそうになった体験です※


この記事を公開することで、何の意味があるのか?

何の役に立つのか?
自分を暴露する事で何が得られて、何を失うのか?
何もよく理解は出来ていないが、過労死で家族を失った人や、自分が同じような体験をしたという誰かに、この告白のような記事で、『過労死』を招く実態の成り行きを少しでも知って頂けたら、救いになるのではないかと思った。


まず、これは間違いだった。これが間違いの元だった。

過労死を防ぐために

仕事以外の人間関係を作る方が良い。
無駄な用事を作った方が良い。
サボることをわざとした方が良い。
誰かに仕事するのを嫌がられた方が良い。

それがストッパーになる。

承認欲求よりも大切なのは、あなたと遊ぶと楽しいと思われる重要感だ。

止まれない脳の持ち主は、すべてに於いて全力投球してしまう。
遊ぶことすら暴飲暴食のようにしてしまう。

その気質を自覚しておくこと
それが一番、自分や周りの人間を守ることになるのを決して忘れてはいけないと感じた。


2020/9/13以降に起きた状態

恐らく自分でも過労死を予感していたから、その記事を書いたのだろうと思う。
第一段階9/20:パーンと脳がキレた。
決して感情がキレたのではない。
起こるべくして起きた『もう耐えきれない』事態が起きたのは確かだが、普段通りの思考なら行動の仕方が、まず違っていただろう。

全ての物事を排除したくて、でも排除出来ない社会的立場や体裁がある後先を考えて、じっと部屋に籠った。
何とか堪えよう、やり過ごそう、考えないようにしよう。
そう思って、思考停止させるために呑めなくなっていた酒を頑張って飲んだ。
煽るように飲もうとしても、今更入って行かず、たった3杯の焼酎の生(き:ストレート)しか飲めなかった。
飲んでも正気は狂わず、消えて行かない。
ドンドンと冴えてきて、余計に思考力が働く。

これは一種のアルコールによるアセトアルデヒド覚醒だ。

時間が経てば効いて来て眠くなるだろうと待っていた。
回って来た途端に、ふーーっと、
「よし、もう死んでしまおう!」と行動に出た。

ところが、思考の感覚が鈍って居らず、敏感になっていて、
「嗚呼これじゃ無理だ」
そう察して、1時間もすれば眠ってしまうから、もう寝てしまおうと布団に潜った。
眠れた。

そこへ家族の歩く物音がして、朝7時ガバッと突然目が覚めた。

そこでパーン!と、脳内破裂音がしたような感覚でキレた。
根本的解決
根元、動機を絶てば良いんだ。
それが引き金になって昨晩のような事にまでなったんだ。

そうして、根元を絶つ行動を起こした。
それはそれで、まあ良かろう。

問題は、ここから脳の過労死までの道のりが始まってしまった。

それから何故か、一つ断ち切った筈なのに、隙間を埋めるかのように、もう一方の継続的になっていた無理を上塗りする状態が更に倍増して、連日連夜、怒濤のような毎日が始まってしまった。

それが冒頭に間違ってると引用マーカーで記した部分のことだ。

全てが逆効果だった。
全てが裏目に出た。
全てが、過労死へと導いてしまう行動に繋がっていた。


9/29:一旦距離を置きたい

そう申し出て発展した悪循環を断ち切ろうとした。
……が、相手には歯止めが効かず、ドンドン押し迫られてしまった。
それは思い当たる節があれど、『何もそこまでしなくても』という、フツーの人、健康な人が考えることなのは理解できる。
相手には相手の思いやペースがあって、だった。

それに付き合える状態ではないくらいの異常事態が解っているのは自分だけだった。
それを説明して聞いて理解してもらえる余裕は、相手には無かった。


迫る過労死までのカウントダウン

一旦は、『分かりました』と返事が来たものの、納得がどうしても行かないのか、翌日から送られてくるメールのラッシュ。
相手して返信しても、しても、相手の言い分は押し付けて来る一方、キリが付かない。
いつまでも止まらない受信。

とうとう、相手の気に入るセリフで「分かったよ」の雰囲気を伝えたら、ようやく止まった。

そこで私の疲れ果てた脳は、逃れる準備へと向かった。


10/4:その時が来た日

朝から、いつも通りの習慣の時を過ごしつつ、日暮れどきを待っていた。

必要な最後の荷物をカバンに入れて、手紙を書いて、準備して、
「じゃあね。ちょっと出てくる」と家族に声を掛け、何事もないかのように犬と家を出た。


行きたい場所に真っ直ぐ向かった。
一人、犬とボーッと静かな誰の目にも止まらない場所で、空を眺めていた。

独り言で、ある人に向かって話しかけていた。

実行する手段は決まっている。


ただ、あの世とこの世
この世の未練
後先

色々と考えては居ても心は決まっていて、待っていた考えていたのは、自分を踏み留まらせる方法だった。


たった一言を待っていた。
もう良いんだよ
それが聞きたかっただけ。

でも逆の展開へ。
留まらせる処か、背中を押してしまう一言を投げ掛けられ、
それがトリガーになってしまった。

あれよあれよという間に、
一瞬にして、正に ”土壇場” に立たされた


その後

土壇場からの経緯は書かない。

人生で初めて『ドクターストップ』をされた。
一連の事情を淡々と説明し、兎に角仕事と実験だけでも時間が足りないくらいに、寝ても覚めても、ずっと3ヶ月間不眠不休だったこと。
そこへ親密に迫って来られた他人との問題、生活上のこと。
すべてが24時間、私を休ませてはくれない状況に押し迫られていたこと。

盆休みでありながら、取引先はカレンダー通りだから…と、自分が早く聞きたいだけでメールの返信をくれという催促。

盆明けから一体どれだけの他人の言い分に振り回されてしまったのか。

一言「オーバーワークなんです」
「兎に角、ラッシュ。それで脳が思考の疲労の果てに過労死を引き起こした」
「自分で、このままだと過労死する危機感を持っていたけど、周りが止まらせてはくれなかった」

それで、つじつまが合って、ドクターストップになった。
強制入院もなければ、処方もしない。
家でゆっくり休んで下さいね。
もし次にこういう事があったら、あなたが死んでしまうか、入院になりますから注意して下さい。
ご自分が一番よく解ってらっしゃる。
仰る通り、持病だけでも動くのが大変なのに、その持病が引き金で脳が疲れ果ててしまった結果ですから、精神科的問題ではありません。


そう言われた。


いつも疑われてきた。

躁鬱で躁転してるんじゃないか?

精神病気質があるんじゃないか?

パーソナリティー障害なんじゃないか?

自閉症スペクトラムの方向があるんじゃないか?
うつ病じゃないか?

初対面の医者が、私を決めつけ、間違った診断や間違った処方をどれだけして来ただろう。
でも、この時の初対面の医者が、私は『精神病ではない』事を全員の前でハッキリと証明してくれた。


解放された疑いの目

私のしている勉強や研究、仕事は高い専門性のある物で、少しかじった程度では語れない。
ましてや説明しても、相手に理解するだけの知識がなければ通じない。
それは専門用語も業界用語も一切使わなかったとしても、まず”理屈”が解らず、仕組みも全く分からないくらいに、ほとんどの人にはチンプンカンプンなのは、私自身が解っている。

ともすれば『妄想と虚言』と受け取られたりもする。

要するに、肩書きと名刺がモノを言う社会だからだ。

でも、この時の医者には、私の説明する理論立った ”プレゼン” のような会話が理解出来たようだった。
全く根拠のない絵空事ではない、『志』それを理解してもらえたのだろう。


周りが ”信じる” 色眼鏡に変わった。


でも、身体と脳、精神がボロボロ。
かろうじて救いは、精神が崩壊しなかったことだ。


だからこそ、尚更まだ止まれない脳を止めようと自分でコントロールする訓練をしている。
『止まれない脳』の持ち主は、一人で居るのが良い。
一切を遮断してしまっている、世間で言うなれば ”変人” で居る方が身のためだ。

視覚から入ってくる情報が、聴覚と連動して、3D、4D映画館のように360℃方向、すべてのものが頭に入って来てしまう。
疎かに出来ない、取捨選択が出来ない。


記憶の神殿

それを何かしらで見聞きした事がある人も居るだろう。
私の脳には、それがある。

すべての記憶が蓄積、積算型で消せない。
短期記憶障害があっても、何故か長期記憶は必要なときに引き出して来れてしまう。まるで整然とファイリングされた辞書のように。
短期記憶障害もぜんぶという訳ではない。
それを取捨選択しているだけで、振り分けて適度に消去したかのようにして、誰か他者やデバイス、メモに記憶(メモリー)しておく事でそれを ”しおり” の代わりにしているに過ぎない。

そうやって脳過労死を防止して来た。

何も特殊能力な訳ではなく、これは誰でも持っている脳だと私は思う。
よく『その事は私の辞書にはない』と言うでしょう。


過労死し掛かったら、通常の活動に戻るには相当な時間が掛かる

それを忘れない方が良い。

薬で鎮静化させるのも良いだろう。
しかし、それも逆効果だと経験上アドバイスしておく。

鎮静剤は、もっと『考えたい衝動』を呼び起こし、悪化する。

脳過労死の治療は、

何もしないこと。
それに限る。

テレビも消す。
電気も不快感を感じたら消す。
生活雑音を減らす。

そして、家族との会話すら減らしてしまう。
家族の何気ない声や会話すら、記憶して分析しなければいけない物事のように過敏・過剰反応してしまう。

要するに、死にそうになった脳は、そういう反応をしてしまう。


沈黙の世界を適度に、外界のストレスと共存しながら保持する訓練しか解決する手立てはない。

犬と私の生活その後

 今うちのトイプードルのコロンは10歳になりました。

この記事の前の6歳の時に、ヒヅメをかじっていて歯が折れてしまいました。

それがきっかけで獣医さんに行ったら、この田舎には1件しかないというのに抜歯は大学病院に行って下さいと紹介され、行ったこともない60km以上離れた高速道路を使わないと行けない獣医大学附属病院まで飛ばされてしまいました。

多分、先生の出身大学で、別の民間獣医との連携や親交がないから、そんな所に行かされたんでしょうね。

全身麻酔をしないと抜歯出来ないので、血液検査をしてから検討しましょう とのこと。

この血液検査で、脾臓腫瘍と胆泥症が見つかりました。

脾腫はまだ最近出来たばかりのものかもしれない。

ということで、抜歯どころではなく、脾腫の摘出手術をしないと命が危険な状況になると言われ、呆然としました。

『犬の脾腫と胆泥症』については検索して調べてみて下さい。


説明があやふやで、危険だの、様子見をしても良いかもしれないだの、すぐに手術した方が良いだのとはっきりしませんでした。

悪性であろうと良性であろうと摘出しなきゃいけなかったのが解ったのは、元々のかかりつけの獣医さんの所に行って理解したことでした。

肝障害を起こしていたので食事療法も薦められ、療法食の高価なドッグフードに変更しました。

元々、ずっと食べてきたドッグフードは体質にも合わず、よく吐き戻しや嘔吐をしたりしていて、あまり好んではいませんでした。

このドッグフードの蓄積が原因とも考えられるといった感想。

そんなに悪いメーカーのものではありません。

ごく普通のよくある”良い”メーカーの物を与えていたんですがね…


先生の計らいで、シニアになると子宮蓄膿症という病気にもなりやすいから避妊手術を併せてやりましょう、そうすれば医療点数が避妊手術代のついでという形で全部の手術が出来るから。という訳で避妊手術もすることに。

すると、眼力すごし!

子宮蓄膿症にもなり始めて居たところでした。


そんなこんなの大手術と2年間の治療をして今では、胆泥症の症状も和らぎ健康なおばちゃん犬で、のんびり過ごしています。


生まれた時から沢山の動物と犬と過ごして来ましたが、コロンは本当に病気をしない丈夫な犬です。

耳が垂れている犬種によくある『あめ耳』の外耳炎やただれ、垢などの症状もなく、トイプードルにある膝関節の弱さと目ヤニくらいでしょうか。

皮膚病もなく、風邪も引かず元気です。

最近はシニア犬特有の乳頭腫といういわゆる”年いぼ”が胴体にボチボチ出来ています。


最近、私が寝ている時にやたらとバタバタと音を立てて一定の時間に私を起こします。

何でだろう?と思って居たのですが、どうも私は寝ている時に呼吸が止まったり、仮死気味になっているみたいです。

体温がすごく下がって34.5℃くらいになって、真夏なのに寒さで布団にグルグル包まったり、びっしょり汗をかいて飛び起きたり、かなり乱高下しながら失神しています。

血圧も低血圧と高血圧の158以上など乱高下。

脈も飛ぶ、弱い、遅い、少ない

そんな状況なので、おちおち寝て居られないのでしょうね。


多分、毎晩死にそうな状態の中で寝ているのかもしれません。

大抵、目覚めるタイミングは頭痛の大激痛が起きて覚醒といった具合です。

それがなければ覚醒しないのかもしれないなあと気付きました。


コロンが看病しているようなもので、可哀相な思いをさせています。

私が起きると、飛んで跳ねてコロンは喜びます。

「お母さんおきたー!!!」という感じで、横になったまましばらく居ると、顔の上だろうが胸の上だろうがドカーンと体ごと乗っかって来て、ゴロンゴロンして本当に喜びます。

その後は、私が起き上がって具合悪そうじゃないか確認したら、適当に自分のお気に入りの場所で、私の近くに寝転がっています。


犬は勘が良いと言います。

飼い主に危険が迫るとジタバタして、騒ぎます。

それが毎晩毎朝のことですから、気が休まらないでしょう。


それでも、これが私との生活。

私との生き方。

それ以外の世界を知らないから、隣の芝生が青くは見えない。


こんな私との生活が嫌で離れていった家族や人たち。

今は、犬と二人暮らしの平和と平凡と孤独な生活を満喫しています。


慢性疲労症候群の神経障害の怖さ:2018/6/24

 私がこの病気が判明した時、細菌学に最も詳しい母は、とても驚いていた。

すぐ様に、この慢性疲労症候群に関する本を私に買ってきてくれた。
それから数十年、私がWHOの研究成果で読んだシガテラ毒の事を話したら、
うっ、と一瞬黙り込んだ母の姿を覚えている。

料理人の人なら、フグのシガテラ毒といえば、どれ程恐ろしい物なのか理解出来るのだろう。

母は料理人でもあった。
中枢神経が障害されるものの中に、シガテラ毒に類似したものが神経障害を引き起こしている可能性があるんだってよ?
と、何気なく言うと、
『 アンタ!もしそれが本当なら、とんでもない事だよ!?』と言われたが、何もピンと来なかった。

それから更にいま9年近く経って、理論生物学が解ってきた私には、その時の母の反応がどういう事を意味しているのか理解出来るような気がする。

『 どうしようもないから、病気と上手く付き合う事を勉強しなさい』
『 あなたには何も出来ないから諦めなさい』
『 医者にもどうする事も出来ないよ』

そう言って、私が悲しむから言わなかったということばかりだった。

菌は、抗菌剤や殺菌剤で死滅させて排除する事が出来る。
毒は、抜き取るか解毒剤で排泄させて、全身に回らないように対処すれば助かる。
ウィルスは、ワクチンで予防出来るが、基本的には抗ウィルス剤がないために自然と体内から排泄されるか高熱で自分自身の身体で死滅させるしか対処法はない。

大抵の場合、猛毒には全身に回るスピードが早い物が多くて、発見や対処が遅れると死に至るのは並の知識でも分かる。
神経毒となれば、真っ先に侵されるのは脳だ。
脳が侵された場合には、全身と精神の機能に相当なダメージを受け、そこから回復するのは、かなり難しく何かしらの後遺障害を発症するのも当たり前だ。
脳は再生できない。

毒を排除出来たとしても、一度損傷を受けた脳機能が再生する方法がなく、次々と起こる後遺症に対処療法で対処していくしかないのは、水俣病などの神経障害の記録から理解することが出来る。

化学的な神経毒は、排除できない。
身体に沈殿して生涯その毒素を体内で排出し続けてしまうからだ。
水銀、ヒ素、アルキル酸化合物、六価クロム……
私は子供の頃から、それらの環境基準を大幅に超えた物質に触れて、曝露され続けて来た。

ある種の公害病だ。

私が化学物質過敏症なのも、シックハウス症候群が強烈な反応をするのも、薬剤過敏ですぐに重症化したり重症薬疹で死にかけてしまうのも、すべて脳が長年をかけて学習した生体防御反応なのだ。

猛毒の残存と共存しながら生きる

だから、母が『 もうおしまいだ』そんな顔をして、今日一日を精一杯生きることを考えなさい、そんな事ばかりを私に言って、好奇心と向上心の強い私に「よしなさい、やめときなさい」しか言わず、何もさせようとしなかったんだ。
人一倍、あーしろ、こーしろとうるさかった母なのに、何もやろう!と思うな、ばかり。
医者にも他人にも「分かって貰おうと思うな」ばかり。


初めから無理だったんだ。
生きているだけでも、不思議なくらいの状態なんだ。

実感がまったくない私には、へえ~そうなんだ……くらいにしか分からない。
それくらい、この神経障害は脳を麻痺させてしまい、疼痛緩和の薬は鈍感にさせてしまうんだ。

毒と麻薬
毒を盛って毒が制さず、毒を増殖させるだけの悪循環

そうやってしか僅かな平穏な日常生活が送れない。
まるで他人事みたいな感覚だ。
正に、これが神経毒による神経障害だろう、と思う。
慢性疲労症候群の神経障害の怖さは、身体的な問題だけではないのが、
少しだけ解ったような気がした。

癌性疼痛の緩和ケアを勉強した:2017/4

 事の発端は、自分に処方された薬の飲み方がよく理解出来ないことから始まった。

国立がんセンターのホームページをじっくり読んだ。
主にモルヒネの投与に関して書かれてあったが、そもそも癌性疼痛とはどういう状態なのか?と思い、次にそれを調べて読んだ。
そして、その治療薬にも段階があり、投与する薬剤の性質や種類、併用する種類など組み合わせ等々をじっくり読んだ。
最後に自分が処方された薬剤そのものを読んだ。

文献なので、とても難しい部分もあるが、理屈と理論がきちんと整理されて書かれてあるので、私には、その疼痛緩和ケアの実践テクがよく理解出来た。
しかし肝心な処方薬の飲み方や扱い方が、どうにも府に落ちず、いまの私にどう使用するべきなのか解らなかった。

それは、その薬の使用承認が厚生労働省から中々降りずに来たことであったり、長年痛みを我慢するしかなかった状況下で、痛みに対して鈍感(マヒ)になっていたからだ。

主治医は文献通りに定期的服用をきちんと説明している。

痛みがない時でも飲むの?
そこが引っ掛かっていた。

丸二日間、文献を読んで、やっと理解出来た。

それは『日常茶飯事、四六時中痛みがあって動けないで苦しんでいるのに何故痛み止の使用をためらうのですか?』という文章と、その痛み止は1日に4回使用しなければ疼痛緩和ケアにならない薬剤という文章だった。

1回飲めば痛みがなくなって、嘘のように動けるようになった。
だから、前のように一日中悶絶する痛みに襲われなくて済んだ。
それなのに、1日に3回とレスキューで1回飲みなさい、と言われても「そんなに飲む必要あるの?」と疑問があった。

子どもの頃から、この身体で生きてきた私には自分の置かれた状況を今更ながら理解出来ない。
これが当たり前、仕方がないと言い聞かせて諦めて、もう抗う想いも消え失せた。

有難いことに、私の主治医は専門医だ。
日本で初めて研究が始まった時に出会った先生。
その時に残念だが私は既に手遅れだったのだが、時代と共に新薬も進み、それなりの段階的な治療を受けて来た。
しかし、ある投薬がきっかけで次々と使えない薬剤が出てきてしまい、治療の限界と現代医学の限界に陥ってしまっていた。
それから9年経って、この薬剤の緩和ケアが始まった。

恐らく、これが最後の有効手段になるだろう。
それも現状維持を苦しまずに出来るようにするためのもの。

癌性疼痛の緩和ケアを勉強して、主治医が施したい本来の緩和ケアを知った。
それさえ出来たら、もっと改善されて社会復帰も可能かもしれないのに。
それが主治医の憂うつそうな表情の理由だったのだ、と理解出来た。

納得出来るまで勉強してみて、沢山の事が理解出来て良かった、と本当に思った。

痛み止を使っても:2017/4/17

 使ってみて、とても楽になった。

今日は一日、起きてから色々と動けた。

それでもベッドに入った時、
嗚呼、やっぱり楽だ。
そう感じた。

こんなにも横になっている方が楽だと感じるなんて。

改めて、自分の具合の悪さや重症度を認識した。
そういうものなんだ。


今まで病気の存在すら知らなかった時代があった。
治療法すら判らなかった時代があった。
薬すら無かった時代があった。

35年以上、こんな我慢ばかりをして生きてきて、もう治らない、良くならないと言われてきた中で、新型の治療法を試しても所詮この程度の回復率しかない。

仕方がない。
悶絶しないで済むだけマシ。
そう思うより外なく、どこまで、何が出来るようになるか?なんて目標を立てるのは止めようと思った。

散々、誰にも教えられず自分で勉強して実践してきた認知行動療法も効果はそれほど、もうないのだし、新たな課題にチャレンジするのは酷だと思う。

何にもなく、無事に苦しまずに一日が終われば、それだけで十分だ。

嗚呼、楽。

疼痛管理を一週間実行して:2017/4/17

面倒だなあと思いつつも、服薬記録を付けて、効果と服薬時間をメモとグラフにして一週間やってみた。

薬の効果は確実にあるようで、身の回りの細々とした家事が少しこなせた。
昨日、就寝前に寝床で「これなら少しは働けるのではないかなあ」と思い寝付いた。
今日、目覚めて、それは無理だと感じた。

よく寝たはずなのに、疲れ果てたような状態。
まだ起き上がるのもしんどい状態。
いつも通りだった。

2回の服薬を1回でも足りるのではないだろうか?
2回飲めば、働けるようになるのではないだろうか?

その想いは勘違いの期待だった。

昨日、洗髪をしたから疲れてしまったんだ。
洗っている最中から、何度も休み休み、疲れと痛みがあった。
終わるとどっと疲れ果てていた。
そして目覚めると、全身倦怠感のベールにまとわりつかれている。

医者の言う通りにしてみよう。
最低限、不快症状を取り除けるよう生活しよう。

ありのまま
と、記事を書く私自身が抗って、何か不可能が可能になるのではないか?という期待感を抱いて、ありのままの自分を分かっているつもりに、たった一週間でなってしまっていた。

やっぱり、ほんの少しだけでも誰もがしている生活を当たり前にしたいと思う。
仕事をするのが元々好きだから、どんな仕事でも良い、やりたい、稼ぎたい、そう思う。
こんな身体になっても、私はまだ諦めてなんか居ない。
それに気が付いた。

こんな生活や人生のままで良いなんて、ちっとも思わない。
やる気を失っていない自分が此処に生きている。

投稿再開のお知らせ

 2017年に、ふとしたきっかけで noteつくる届ける というエディターサイトを見つけました。

そこで、Google+やGoogle bloggerを一旦離れて記事を書いてみようと思いました。

note は、当初始まったばかりのライター向けサイトで、デザインや投稿のシンプルさがとても便利な感じがしました。

ところが、投稿記事はSNSのようにフォロー&フォロワーの数がないと誰の目にも留まらない仕組みがあり、Twitterなどで読者を獲得しなければ投稿しても読まれない。

ただの独り言のようでした。

ブログとは性質がそもそも違います。

自主制作ウェブマガジン そういったスタンスのサイトでした。

5年間、思うことや考えていることを綴って来ましたが、ある記事が無断で転載される事態がこの度発生して、考えが変わりました。

それは、このコロナウィルス蔓延の世の中になって、『コロナ後遺症に悩む人々へ』という記事を投稿したものを社会保険労務士が ”障害年金申請” を謳い、顧客獲得のために運営している方が私の記事を「うまく書けている記事」と思ったのか、

『気になる』というタイトルのマガジンへ追加されました。

Twitterで云うところの”リスト”機能のような使い方のつもりなのでしょうが、色々な人の困っていることや解決した体験談、病気に悩む吐露のような記事など沢山を『気になる』という帯でまとめて自分のサイトに転載していました。

目的は、そういった漁夫の利行為をするためのまとめ。

フォロワーは、フォローした数だけ増えて・・・

そういった非常に不愉快な扱われ方に不愉快な思いがしました。

自分の記事を読んで欲しければ、フォロワーの多い人と繋がれば有利に働く。

そういう目的で私は投稿をしていません。

運営側も営利を目的に運営するサイトであるのを趣旨としていますから、非営利の他人の記事を転載し宣伝目的の利用をすることに規約を設けていません。


こうした問題点と記事の読まれにくさ、目に留まる地域や人々の範囲の狭さ等を考え、元々綴って来た長年のGoogle bloggerへ投稿を戻そうという考えに至りました。


元々、私がbloggerを利用しようと思ったのは、世界中の人に読んで欲しいと思ったからです。

アメブロやヤフブロ、今でもブログサイトは沢山の老舗があります。

その中からGoogleを選んだのは、日本国内だけの狭い情報交換ではなく世界でどのような動きがあり、どのように感じているのか双方向でのコミュニケーションをしたいと思ったからです。


設定がややこしく、ツリー表示がうまく出来ずに、それこそ”気になる”記事表示をハイライト表示することが出来ていませんが、いずれにしても病気に関して日々感じることや実際に遭った出来事などをありのままに綴って来ましたので、宜しければ読んでお役に立てて下さい。

翻訳ボタンを設定していますので、文章がなるべく翻訳しやすいように(翻訳機はニュアンスを間違える)単調な文面になりやすい時もあります。


私の願いは、同じ病気で苦しみ悩む他の皆さんの何かヒントになったら…

そのような思いです。

これからも続けられる限り投稿して行きます。

どうぞ宜しくお願い致します。


この先は、noteからの記事の引っ越しによる投稿が少し増えます。

日付を文末に記載しますので、その時の心情を感じ取って頂けると有難いです。

慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎)という身体障害者

 この病名を知らない人は、未だに沢山居る。

逆に聞き覚えのある人も居るだろう。

私は生まれつき、慢性疲労症候群と線維筋痛症を合併していた。
日本が認知して研究班を立ち上げた1990年に発症し、1991年に確定診断された。病気は生まれつき発症していたものだ、と専門医に告げられた。

残念なことに難病状態であっても指定難病にはなっていない。
それが身体障害者にまでなってしまっている実態は、専門医にも世間にも、もっと知られていない。

ずっと家の中で生活している。
世間とも断絶状態になっている。
食事もまともに食べられない。
着替えも入浴も、何もかも、人間らしい生活を送れずに人生をリタイアしたような生活だ。

仕事をしたい、と常に思っている。
けれど、単なる身体障害者ではないために、車椅子ひとつ自分では操作出来ず、かと言って障害者枠も狭い判定をされているが故に何の援助支援の対象にも当てはまらないので、すべての福祉用具は自腹で用意するしかなく、電動車椅子も持てず、そもそも起き上がれない身体では出社も不可能だ。
在宅ワークといっても不可能。

QOL(生活の質向上)とは言うけれど、手の施しようのなくなった重症の私には宛がう物すら無くなってしまって、生きているだけがやっと、という状態なのが実態だ。
質も何もない。

東京五輪の盛り上げのために、パラリンピックも多くとりあげられ、障害者に関心を持って貰おうと世間では盛んになっている。
お陰で、筋ジストロフィーやALSなどの認知度は上がっているが、この病名、この身体障害者、それは誰も知らない、解らない。

自律神経系の狂いから生じる免疫障害といって分かる人が居るだろうか。
それが身体障害者にまでなっている意味を理解出来る人が居るだろうか。
内部障害者であっても、全身の機能が障害されているなんて、どう想像すれば良いのだろうか。
自分ですら理解出来ない。
それくらい、自分の身体に怖い出来事が起きているなど、想像も理解も出来ない。

たまに、自分の症状を話してみると、怖がられる。
怖がられて初めて、私って、そんなに危ない状態なの?と思う。
それくらい当たり前のように年月が経過し過ぎて、驚く程の問題ではなくなってしまっている。
初めて体調不良を自覚してから、もう35年経っている。

先進医療が目覚ましい発展を遂げているかのように誰もが思い込んでいるだろう。
けれど、実際の医療現場は未発達で未解明の疾患で溢れて、原因が特定出来ない病気や症候群は解っていて治療出来る病気よりも数十倍あるのだ。
新薬にジェネリック医薬品。それも同じだ。

この慢性疲労症候群に有効な治療薬や治療法はない。
対処療法だけしかない。
痛みが強ければ鎮痛剤、アレルギー反応があれば抗アレルギー剤。
激痛による全身倦怠感を解消出来る薬は何もない。

ずっと疲れている。
どれだけ眠っても、起き抜けから「嗚呼、疲れた」と、ずっと寝ていたくなる。
寝ても覚めても疲れは取れない、痛みも取れない。
激痛で1日が終わってしまう。

生きているのが本当に苦痛としか言いようがない。

買い物にも行けず食糧の調達も出来ない、そこへ財政難もあって、結局最低限の食事も摂れなくなっていた。それをずっと疑問に感じながら、2ヶ月に一度の通院費を必死で工面して、気力を持ち上げるための高い薬価を支払って飲んで、何も変わらず、何年も疑念を抱いてきた。
9年間通った大学病院の通院を先日やめた。

腹を括った。
もう、いい。

食べる物も食べずに、気力なんか薬で着けようとしても無駄だ。
何をさて置いても食べる事を優先しなければ、治療処ではない!
そう思って医者に頼るのを絶った。
服薬を止めても体調不良も何も変わらなかった。

既に手の施しようがない、そう言われていたのだから、何が起きても、何も出来ない。

随分と無駄なお金と時間を費やしてしまったものだ。
今更ながらだが、何のために食べもせず通院していたのだろう。
きっと、家庭があるから、守るものがあったから、何とか維持しておきたい、そういった想いが医者に足を運ばせていたのだろう。

もう失うものは何もない。
もう、いい。
ただ、毎日が病人なりの平和と平凡であって、何の浮き沈みもない、くだらない一日で終わって、日々が通り過ぎて行く。それだけが安心。

私にとってのしあわせは、そんな事だけなのだ。

慢性疲労症候群という身体障害者
この意図するものが何なのか、理解出来ない振りをしているだけ。
生きる屍
それは15年以上前に、まだ戦っていた私が抱いた真実だ。

いまは、屍だったとしても楽しむ事、笑う事、怒る事、悲しむ事、きちんと精神活動だけは正常に保って生きていられる。
ただ、もう無駄な戦いをやめただけ。
流れに委せて、いつ、何が起きてもいいよ。


これは本当の自分の想いを留めておこうと思って書いた手記のようなものです。
今まで助けてくれて、自分たちだけは解っていてあげようとしてくれた、娘二人に有難う。
勇気付けようと認知行動療法を生活の中で最後まで与えてくれ、鬼になって支えてくれた、母にも有難う。

私は今まで家族を支えなければ、という使命感があって、ここまで強く生きて来れました。


この記事は、2017/12/5に作成したものです。

コロナ後遺症に悩む人々へ

 私は筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)と線維筋痛症の確定診断を平成4年に受けて、既に30年経過している重症患者です。

長年の診察の中で、発症は生まれつきであったものと宣告され、娘も亡くなった母も同じ症状があり、娘は遺伝性の発症と診断されて同じように患って闘病しています。

今回、新型コロナウィルス後遺症に悩まれる患者さんの実態をテレビや新聞で多数拝見し、筋痛性脳脊髄炎や線維筋痛症と同じような症状に苦しんでみえるのを知り、私の経験がお役に立てれば幸いと思い記事にしようと思いました。

執筆に当たり、私の想いをはじめに書きます。


本当は自己体験談を語るのは好きではありません

この疾患は患者の症状に大きなばらつきがあり、一律に具合を測れません。
出ている症状、自覚している症状、医師が診る症状など各々に客観的指標がまだ未解明の部分があり、診断基準のどのクラスに相当しているか?といった具合でしか判断出来ないのが実情だからです。
ただし、患者の訴える自覚症状は本物の症状であり、作為的なものでは決してありません。

しかしながら診察に当たる医師によっての受け止め方や地域的優位性によって、すべての患者の取り扱いが公平になされているとは言えない現状も実際に存在しています。
ある地域では、明らかに重度の障害を負っていると思われる状態にある患者の身体障害者手帳の認定が却下や低位の認定に留まる事態や医師の認識の差による重症度(例えばPS値)の客観性などの差が存在しています。

このような事から、私の方がよっぽどひどいというようなヘイトや患者同士の差別に直面するような事態が度々ありました。

ネット上では洗いざらい自分の状況を詳細に公表することは不可能であると同時に非常なリスクを負うため、すべての人に公開は出来ません。
また患者各々に応じた診療を提供する医師の対応に支障があるのは患者にとって有益ではないため、自分の診療病院や主治医の公表は避けた方が良いと思って来ました。

実際に私自身が医師から受けたドクターハラスメントや受診拒否など、とても辛い経験が山ほどありますが、それはある患者さんにとっては神様のような存在の医師であるかもしれません。

そのような観点から、自身についてあまり公表するのが好きではありません。
この点を何卒ご理解頂き、ご参考になさって下されば幸いです。



今まで経験したことのない異常な倦怠感とは?

病気もあまり経験したことがない人にとっては『倦怠感』と言っても、それがどんなものなのか分からないことでしょう。
一言で、 インフルエンザの真っ最中 これが一番解りやすいのではないでしょうか?

発熱が37.0℃や36.8℃程度の微熱でしかないのに、何でこんなにだるいの?と自分を疑うと思います。

微熱なのに高熱でうなされている真っ最中のようなだるさ。


体温の高い低い、と倦怠感の度合いは正比例ではありませんから、体温計の数字で判断しない方が良いと思います。
人間は置かれている状況を頭で把握するために目で見たものに理由付けをしようとするのだそうです。
ただ、微熱というのは『なんだ微熱か』ではなく、身体が異常を知らせるために出す信号ですので、微熱が長く続く方がじわじわと体力を消耗させるのではないかと思います。
故に、高熱や感染中で戦った後にきれいさっぱり回復とはいかない『長患い状態』では100m走を走り切った!というよりも、ダッシュを何10本も続けた後のような強烈な疲労感が続いている最中と想像してみると良いかもしれません。

今まで自分がやったことのないような重労働をずっと続けている状態にあると思った方が良いです。
どっとした疲れが、寝ても覚めても 文字通り続きます。

微熱の方が辛いです。
また、低体温である34.8℃以下も度々起こり、平熱が35.0℃のような場合には、37.0℃は2℃も上がっていることになりますので、38.0℃の発熱と同じ状態であるのも倦怠感の原因なのがお分かり頂けるのではないでしょうか。

画像1

これは私が具合悪いなあと思って測った時の画像です。
こんな数字は日常茶飯事で、一年中です。



盛んに言われる酸素飽和度(SpO2)の数字


画像2


上の画像を見て頂けばお分かりのように、血中酸素飽和度(SpO2)は安静時でもいつも95%を下回っています。
絶不調の時には、88%に陥ることも度々あります。

テレビで酸素飽和度が○○%を下回って人工呼吸器の必要な状態…と毎日、報道がされていますが、パルスオキシメーターの数字だけで状態がすべて分かる訳ではありません。

呼吸器科ガイドラインにあります通り、95%を下回ると”酸欠”状態になり呼吸困難を引き起こすので酸素供給を施す必要があります。
ただ、その酸素療法を施すにも『呼吸機能障害』が起きていることが前提ですので、肺機能障害があるかないか?やその他の所見を複合的に観察した結果でなければ、数値が低いというだけでは酸素療法は受けられません。
それは肺が二酸化炭素を十分に吐き出せる状態にないと逆に酸素が充満して『逆の酸欠』に陥って窒息してしまうからだ、と肺気腫を患っていた母の主治医から教えて貰ったことがあります。

私は慢性気管支炎(喘息)もありますが、肺活量が弱く吸うのも吐くのも十分に出来ず喘息治療が逆に呼吸困難を引き起こして治療中止になりました。
酸素を吸えばとても楽になれたのですが、治療の適応にはなりませんでした。

日々の生活で呼吸苦があります。
トイレに行くだけで、台所に立つだけで、着替えをするだけで、内服薬を飲むだけで、何かをするだけで苦しいです。
もちろん入浴するのは重労働でほとんど出来ません。せいぜい2週間に1度が精一杯です。
酸素が身体に十分行き渡っていないから何をするにも酸欠状態で苦しくて、そしてとてもだるいです。

いつも首を絞められているような窒息感があります。

酸欠のせいなのか、手足が冷えて痺れて強張って、うまく動かせません。
ハサミや包丁を持つ手が固まってゴワゴワになり、脳梗塞のように麻痺して動かなくなります
文字を書くのにボールペンを持つ手が固まって字が書けません
宛名書きにとても時間が掛かります。

歩く時に足がうまく上がらず、筋肉痛が起きて長距離が歩けません

心拍数が遅いです。
平均は60回/分くらいで、体調悪化の時には大抵の場合45回/分のような非常に遅いことが一年中あります。

起立性低血圧


循環調節障害


心筋症

そのように心臓に関する症状が起きている、と中学生の時に循環器科で診断されたことがあります。
しかし治療できるくすりはありません。
先日まで アデホスコーワ という、うっ血性心不全改善薬を服用していましたが効果なしとのことで中止になりました。

酸素が少ない事と体温が安定しない事で、体温調節がうまく出来ません。
暑くなったり寒くなったり、悪心という症状が一日中あります。
寝ていても布団や寝間着の調節がうまく出来ないので、一晩中被って剥いでの繰り返しをします。


酸欠で一番つらいのは強烈な頭痛

毎日、強烈な頭痛が起きます。
以前は日中に普通の頭痛が起きていたので、バファリンなどのNSAIDsという鎮痛剤を服用していました。
1日4回ロキソニンやボルタレンを処方されていたこともありました。

今はそれらに重症薬疹や喘息を起こすようになり、薬剤過敏症のため使用できなくなりました。
それで冬に喘息が悪化して出して貰ったせき止めシロップが何故か身体の痛みと頭痛を抑えたので、成分を調べて『コデイン』が抑咳薬の成分で、これはモルヒネ類の鎮痛剤と同じであるのを発見して医師に話すと、『分かった。じゃあこれを使って』と言われて出されたのが、トラマールという痛み止でした。

非オピオイド系鎮痛剤がトラマール。
オピオイド系鎮痛剤がコデイン。

頭痛にトラマールは使いません。
1年以上トラマールを使用しても頭痛が治まらなかったので、また、せき止めを出して欲しいと話すと、アマージという片頭痛治療薬をやっと処方してくれました。

これが一発で効いて驚くほど今まで自分がどれだけ痛みに縛られて不自由で来たのだろう!という効き目でした。

ところが飲み始めて3年、決して乱用も常用もしていないのに寝ている間に突如バーン!という頭を撃ち抜かれたような強烈な頭痛に襲われるようになりました。
睡眠薬を飲んで完全にシャットダウンしてしまっている状態で突然の激痛発作で起こされても、身体や意識が起き上がれず薬を飲んで抑えたくても飲めない。
ううー、ううー、と唸りながらやっと起き上がって薬を飲んで、また唸りながら、いつの間にか意識がなくなって目が覚めたら悶絶から6時間後です。
これが2日に1回起きます。

頭痛が起きるから怖くて眠れない。
だけど身体は辛いし疲れているから寝たい。
こんな痛みに悶絶する6時間では休まりようもなく、目が覚めたら 疲労困憊 して居ます。
その状態は、心臓発作で目覚めた時とよく似ています。



味覚障害や摂食障害があります

よく味や臭いが分からない、食欲がなくなるとコロナの人の証言がありますが、筋痛性脳脊髄炎や線維筋痛症でも味覚障害や摂食障害が起きます。

自己免疫異常があると言われているので、口腔感染症によくなります。
唾液の殺菌力や歯周炎の症状があり口の中の状態が悪く、虫歯になりやすくて、顎の筋力低下もあり咀嚼力が弱く食べ物がうまく噛めません。

嚥下障害もあるため、飲み水を口に含んだだけでむせ込んでしまうことも注意しなければなりません。

食事の塩気や食べ物の味がほとんどよく分からないこともあり、調理の際には塩や砂糖の分量をメジャーで視覚化して注意したりしています。
美味しいと感じて食べることは、あまりありません。

食糧の買い出しにスーパーマーケットへ行って、入口でいきなり食欲が失せて買い物が出来なくなることも暑中あります。

お米がプラスチックの粒みたいに感じたり、うどんがゴムの紐みたいに感じたり、自分が何を食べているのか感覚がおかしくなることもあります。

そういう時には無理に食べないようにしています。
何とか味覚を取り戻そうと「これは自分がいつも好きだと思って食べてきた物だから」とか「本当はこういう味の筈なのに」などと思わないようにしています。
何だったら、これだと分かる食べ物だろう?と考えたり、カロリーメイトのようなバランスフードで栄養補助食品に代替したり、多分、本当は美味しい焼き肉なんだろうな?と思いながら「身体の栄養のため」と頭と切り離したりして毎日の食事をしています。

まったく美味しい食事ではありません。
ひたすら食べるリハビリです。

それは極度の栄養失調や栄養不良に陥った経験があるからです。
食べたくないから、食べられないから、と食べずに過ごしてしまい気がついた時には自力で水すら飲めない程に衰弱してしまったことが何度かあります。
そうなると点滴では追い付かず、流動食の経口摂取を必死でやらないといけません。この流動食が美味しい不味いではなく、身体自体が受け付けなくなっているのと消化吸収するエネルギーや基礎代謝が落ちているためにとても苦しい思いをします。
入っていかないんです。
水が飲めるようになるまで1ヶ月訓練をしました。

これが自力で出来ないとなると入院して、鼻からチューブを挿管して胃に流動食を直接流し込む治療をすることになってしまいます。
ベッドの上でたった二週間寝たきりで居るだけで、身体の筋力はあっという間に衰えて立てなくなり、肺は身体の重みで押されて小さくなり呼吸が不自由になります。

そういう経験から必死で毎日訓練したので、味が分からなくても食べるしかありません。

実は今、コーヒーが好きで毎日飲んでいても、風味も味もよく分かりません。
折角ドリップ式のコーヒーをたてて、牛乳と砂糖を入れるラテなのに出来た時の一瞬しかコーヒーの良い香りは感じられません。

なのに水の味は感じます。


脱毛症の問題

コロナ後遺症の人やがん患者さんのようなごっそりと抜け落ちる脱毛症はありませんが、抜け毛がひどい症状があります。
枕や布団、リビングなど至る所に抜け毛が落ちていて、ブラシに絡まる髪の毛の量も多いです。

また全身の産毛などは若い時よりも、はるかに薄くなり、更年期障害の症状はわりと早い年齢から始まると医師に言われていました。

恐らくホルモンのバランスが崩れているせいで、そういった老化現象が早まっているのではないか?という事です。

ある人は、服用している痛み止が影響しているのではないか?など言いますが、薬剤師の話では脱毛症になるような影響力の強い薬ではないとの事ですので気にしない方が良いと思います。

抗がん剤などホルモンに影響する一部の薬剤はありますが、私の考え方は日々の症状を良くしたり維持するために服用する方が生活は楽に送れるので、健常者のように生きようとは思わない方が自分のためだという思いで居ます。
でも辛いですよ、髪の毛が無くなったりするのは。



ここまで書きましたがキリがないのがこの症状

不定愁訴と言われる自覚症状。
ありとあらゆる症状が毎日、ずっと襲って30年です。
あれもこれも、とありますが、一番辛いのは痛みと疲れです。

全身筋肉痛と全身関節痛
これが一番ひどい症状で、これに伴って内蔵の疲労と思考の疲労が起きます。

思考の疲労ってなに?
と思われるでしょう。

読んで字の如く、考えると全身が疲労困憊して、脳も疲労困憊するんです。
例えば、この記事を書くという作業も思考の疲労があり、この集中力が後になって100mダッシュをした後のように、どっと疲れてしまい寝込みます。
起き上がれるようになるのは明日の夕方近くです。
そういうリズムでずっと生きてきました。

ですからスマホでSNSをずっと追いかけるとか、LINEに一喜一憂するとか、思考が疲労するようなことや心労になることは出来ません。

具合が悪くなるから、というより、その作業自体が体力がなくて出来ません。


バッテリーに例えるなら

初診の時に医師に伝えられた言葉をアドバイスとして皆さんに送ります。

この病気はバッテリーに例えるなら、健康な人の3分の1しか自分は充電出来ないと思って生活して下さい

そう言われました。
実際にその通りです。

自分の記憶は元気だった時の記憶で止まってしまっているので、自分が動けない状態だと自覚は全く出来ません。
その通りに健常者と同じように働いたり、遊びに出掛けたり、食事に行ったりして、こっ酷い思いを何度も何度もして来ました。

行った先で突然具合が悪くなる。

いま、その瞬間まで元気だったのに突然の脱力発作で顔面蒼白になって冷や汗を流して倒れ込む。

仕事を度々休まなければならない。

今日こそは頑張るぞと出勤して、直ぐに早退。翌日から休職になってしまい、ずっと寝込んで2年経過してしまう。
その後も社会復帰を何度も挑戦するが、ただただ悪化させるだけでしかない。



私から言えること

  • 具合悪い時に動こうとしない方が良いです。

  • 少し調子が良さそうだと思っても、やりたいことや、やらなければいけないことは1日に1つだけで終わらせた方が良いです。

  • 目の前のテーブルの一角を雑巾で拭くのも仕事1つをやったと思って下さい。

  • 今までの健康志向は通用しないと思ってやらないようにした方が良いです。気晴らしや散歩をしたり太陽に当たった方が良い

  • そういう考えは症状を悪化させます。

  • 臆病になって萎縮しない方が良いです。

  • 何でもやれる、やってみようという意欲を失わないように。

  • 症状を抱えた自分に合った出来ることをなるべくやろうと思って下さい。

  • そして、もう無理かな?と感じたら、あと少しと深追いせずに直ぐに止める勇気も持って下さい。

  • 自分を追い詰めますから、追い詰めないように注意して下さい。

    怠け者なんじゃないか?

    やる気がないだけなんじゃないのか?

    こんな筈じゃない

    そんなことが頭を駆け巡ったら、「あ、自責だ!」と言い聞かせて、「お前の脳が勘違いしてるだけだぞ」と何度でも自分に言って聞かせてやり過ごして下さい。

  • 引きこもりのように感じても真に受けない方が良いです。

  • 出られないから、動けないから、じっと我慢しているだけです。

  • 決してニートでも引きこもりでもない!と自分を励ましてあげて下さい。

  • 誰から何を言われても、いま自分が感じている感覚は決して嘘ではないんだ!と自分だけは自分を信じてあげて下さい。

  • みんなやってる
    それはぼんやりとした、どこかの健康な誰かであって、自分とは違う人のことなんだと思った方が良いです。

  • こんな症状に四六時中襲われているのは、みんなではないのです。

  • 何かを頑張ったら自分を褒めてあげて下さい。

  • 何にも出来なかったら、仕方ない今日はね、と慰めてあげて下さい。

  • 決して励まされないで下さい。
    それはプレッシャーになって辛くなるだけです。


最後に、解って貰おうと期待しない方が良いです。
気のせい や 気分が落ち込んでるだけ とか 大袈裟なんじゃないの など、そんな風にしか受け止めてくれない人に何を訴えても無駄です。

もっと前向きに、そんな事を言ってくる人も居ますし、良かれと思って温泉や旅行に連れ出して元気付けようとしたり、一緒に楽しもうと誘ってくれる人も居ますが、そのどれもが負担でしかありません。
あなたに出来る、あなたがこれなら楽に楽しめる
そう思えるイベントと環境で一緒に楽しんでくれる人と楽しんで下さい。

私は、ちょっとの距離しか歩けないので娘が一緒にお洒落する物や映画などを見に行って欲しいと言われた時に、車椅子を押して貰って出掛けます。
それでも3時間くらいが限界です。

カラオケなら座ってたり寝転がってたり出来るので、未成年の内は同伴という形で一緒に行きました。

横になれる空間が必ず必要です。
身体を起こしているのは、とても体力が要りますし、横になっているのもまた体力が非常に必要なのを学習して下さい。


抑うつ症状が自分を苦しめます。


それは脳が疲労して起こす症状の一つですから、決して病気になったことや社会生活が思うように送れないことをくよくよしているからではないのを知って下さい。
確かに今まで社会の一員として、毎日外へ行き、何の不自由もなく仕事や学校に行って活動して来たのに、何日休もうが何ヵ月経とうが一向に社会生活が出来ないで居るのは情けなく思うでしょう。

だけど、それほどまでに大変な病気を患った後遺症だから仕方ないと私は思います。

とかく風邪を軽視しやすい日本ですし、たかが微熱くらいや、38.5℃の高熱でも頑張ったというような根性論であまり重大な意識がなかったと思います。

この新型コロナウィルスの恐ろしい所は、それまで健康だった人が年齢に関わらず感染して、何が原因なのかも解らずに(直接的死因ではなくコロナウィルスがどのように関係したからなのか)死亡してしまうケースがある点だと思います。

そういった重大な感染症の後遺症となれば、相応の症状に襲われて苦しむのだろうと想像します。

私に出来るようなことはありませんが、感染症後遺症の症状や予後の生き方、生活の工夫でしたら長年の闘病生活から得たものが沢山ありますので、お役に立てたら幸いです。

寄り添って、そう簡単に言うのを聞きますが、本当の意味で寄り添うことは難しいと思います。


混乱する身体と頭が少しでも落ち着いて、一晩だけでも安眠出来る日がありますようにお祈りします。

2021年9月16日木曜日

走馬灯

 前に体験したことがある。

自分では制御出来ない記憶の蘇り


改めて、私はここで『脳』を知った。

脳を臓器と考えるか否かが議論になって居るが、臓器だと私は思う。

自分ではコントロール出来ない。


頭の中に次から次へと、過去のあらゆる場面が蘇る。

その時の風景、情景、状況、居合わせた人間の言葉、態度、そして自分の感情。

すべての情況が鮮明に切り取りで浮かんでくる。


時系列は無作為に飛び廻り、何の関連性もなく、『支離滅裂』のように勝手に頭の中に思い浮かんでくる。


初めは、それが何なのか全く理解出来なかった。


私は沈黙しボーっとしているように傍からは見えているのを自覚している。

戸惑い、一生懸命何が起きているのか理解しようと自分の脳を分析しようとしていた。

けれど分からない。

何故、そんなことが毎日毎日一日中続くのか。


唯一の理解者である母に

「どう言えば良いのか分からないんだけど、スパーク!スパークが脳の中で起きてるの」

慌てふためいて必死で伝えると母は一言

『それが脳でしょ』と言った。

私は「あ、そうか・・・」と一発で納得した。


ふと一息ついて、それが脳でしょと言われて、何故自分が納得出来たのか、腑に落ちたのか考えた。


それからしばらくスパークは続き3年くらい経って起こらなくなった。


今また『走馬灯』が毎日起きるようになった。

古い記憶が蘇る。

きっかけはない。

よくある、ふと考え事をしていたら…や、何かをしている拍子に…そういった状況ではない。

完全に脳がリラックスした言わば”催眠”状態の時に起こる。

それは大抵の場合、目覚めた瞬間だ。


何年間の出来事だろう

脳は何故そんなことを思い出させるのだろう

精神分析学、脳神経細胞学、心理学を長年研究してきたが分からない。

走馬灯に関する文献を見たことがない。


色々あるから仕方ない

そんな”ストレス”に、かこつけられるような理由付けや動機付けになる材料はない。


ただ昔、死ぬ間際に何を考えるのか?という論文を読んだことがある。

皆口々に「走馬灯のようなものを見た」「体験した」と言う。

交通事故に遭遇した瞬間を”走馬灯”と表現する。


一体、自分の身に何が起きているのだろう

2021年9月11日土曜日

Star light : New morning2021/9/11

折角、買って貰ったPCだから、使わないとね。
使いたいって思ってきたんだけど、今じゃタブレットの方がSSD入ってんの?ってくらい早くて、手軽で何でも出来ちゃう。
しかも、何処でもね。


そんな気持ちで動かしてみた。
PCが圧倒的に優れているのは、文字打ち。
スマホやタブレットの携帯予測変換は嫌い。
字が書けない人が『何となく、この字かな?』の印象で使えるように、パズルを探すみたいに象形で見るだけ。
だから、本当に打ち込みたい文字が ”一覧” から探さなきゃならないのと、無ければ結局自分で言葉を打ち込まなきゃ出てこない。
キーボードもタイプライター式で、ポチポチ押さなきゃならないから、遅い。


って、感想と愚痴から始め。
前置き...っと。



あのね、聞いて欲しいことを書こうと思ったからなんだよ。
会いたくて、会いたくて仕方ないんだ。

ゲームを初めて1か月ずっと観察、考察した。
訳の分かんない、あんな文章が『人々に感動を与えた超傑作!』ってさ、だから何でも書けば良いのかもなあって思ったんだよ。

要はさ、
誰かに見てもらいたい、誰かに伝わるように、誰かに分って欲しい、
そんなもの考え過ぎなくて良いって、ちょっと解った。


今までの自分がようく観えて来てね。
とても親切な人だったんだなあ。
とても一生懸命な人だったんだなあ。
自己主義が叩き込まれて来たんだなあ。

そうは言っても、結局WEB公開するんだから、思うままに…とは行かないね。
だって、どこかの、誰かの目に必ず留まるんだから。

まあ、いいや。

会いたい。