12月8日 突然のことだったが、仔犬を買った。
娘に先日せがまれてハムスターを飼った。
そのハムスターにかじり棒を与えてやるためにペットショップへ行ったのがきっかけだ。
ハムスターを買う前に、私が「欲しいなら、いっそ犬を飼う?」と聞いたのだが、娘は『飼う自信が無い』と言って、ハムスターにした。
その時、私はインターネットで犬を飼うメリットとデメリットを調べた。
慢性疲労症候群と犬の飼育について書かれた記事が丁度見つかり、読むとそれは必ずしも今言われている『癒し』ばかりではない、その飼育の負担の大きさが書かれていた。
私は幼い頃から様々な動物に囲まれて育ち、特に犬に関しては多くの経験を持っている。
その記事を読んで、とても納得できるほど、毎日の世話がどれ程自分の病状に負担が掛かるか書かれており、一度は諦めた。
今までにも、子供たちが動物を飼いたがっても無理だと言ってきた。
自分がろくに食事の用意も買い物も入浴も日常生活が送れないほど困難な上に、私は子育てを抱え、そして私の立場は母子家庭という悪条件、そして何より障害者介護手帳を所有するほどの状態だからだ。
いま現在は生活環境の条件が障害者介護との折り合いが中々着けられないために、支援を受けてはいない。
そんな解りきった状態であるにも関わらず、何故長生きする犬を飼ったのか?
店で娘に店員が『宜しければ抱っこできますよ』のその一言で、どうしても欲しくなってしまった事と店員のどうしても売れるものなら売りたいの気持ちに根負けしてしまったのが理由だ。
私は親であり、大人なのだから結局最終的に自分が「いいよ」とさえ言わなければ良かったのだ。
とても後悔している。
すべて解っていたのに、ひとつの命を受け容れた責任の重さ。
今日で3日目になるが、子供と動物に待ったは効かない。
最初の躾が一生を左右するのは当たり前であり、生涯その生き物が死に逝くまでの責任があるのは子供を育てて一番よく解っている。
案の定、休む間もない。
体が痛んでも、横になりたいほど疲れても、やらなければいけない。
そして最大の問題はアレルギーである、この特異体質だ。
いつ、何で異変が起こるか解らない。
そもそもハムスターを飼った理由は、私の中で自分に何が起こるのか自分の体を使って人体実験をする覚悟で決断したことだ。
主治医には本当に診療拒否をされても仕方の無いことを敢えて起こしたのだ。
それは悪意ではなく、この埒の明かない状態に嫌気が差していたのと、何より誰もが普通にしている楽しいことがしたかったからだ。
子供たちの同級生の家でも、このペットブームで犬や猫、ハムスターが飼われている。
当然、欲しがるのも無理は無い。
この記事を誰かが読めば、単なる『軽率な行動』や『エゴ』と誰もが思う。
私は前回の通院時に認知行動療法として『楽しみを見つけるために、次の受診までに書いて来て下さい』と宿題を出されていた。
何回もリストを作ろうとしたが、やりたいことを考えても不可能なことばかりで答えは解っていた。
それでも無理やり書き出してみた。
答えは、『当たり前のことを当たり前に出来るようになりたい』だった。
そんな死ぬまでにやってみたいことリストを暴露的な思いの中で書き上げたとき、憂鬱な思いは更にどん底へとなった。
それを書き上げた翌日の出来事だったのだ。
はっきりとした思考力も決断力もない状態で、流された結果なのだ。
しかし、もう迎え入れてしまった以上、覚悟するしかない。
どんなに後悔しても、だから無理で不可能だったことが解っても、命を粗末にはしない。
一般的な可愛いと思って飼ってみたものの、無理だと放棄する人が沢山増える中、それが何故いけないのかを知っている。
人間の子供と同じように生まれてきた命を粗末に扱ってはいけない。
命は尊いもの。
生まれるべくしてこの世に生まれ、望まれ、そして預けられ、そこに在るのだから。
私は何もかもが不可能な状態で生きるのが嫌だ。
だから、これは賭けだ。
自分の命と引き換えにするほど愛し、育て、生かす。
娘に命の尊さ、その命を生かすも殺すもすべて自分次第なのだということを教えたい。
それも親の役目だと思う。
本当に残念だが、癒されるよりも苦痛の方が大きい。
遊んでやっても、躾の一環。
そんな気持ちしかない。
家族がバラバラの毎日で、私のせいでやりたいことも出来ない、やって欲しいことも思うようにしてもらえないと責める娘。
自分の気持ちを考えた。
私は破滅しようとしているのかもしれない。
きっと生きる屍の何十年の末に、自分の気づかない思いの中で破滅する方向に知らず知らず向かおうとした結果なのかもしれない。
本音を言えば、もうどうなっても構わないと心のどこかで思っているのだ。
慢性疲労症候群(CFS)線維筋痛症(FMS)ケース1としての実態。日々感じる出来事の日記のようなもの このブログは白色バックライトの視覚刺激に配慮し白黒反転のデザインを施しています
2011年12月11日日曜日
2011年11月17日木曜日
やけになりつつも
うんざりと、やけになりつつも私は思う。
いつまで待っても治りもせず、悪化する一方の生活を送ってきたが、今やれることを精一杯やろうとしてきた。
長女はとても臆病な性格から、私のことが心配で気が休まっていない。
次女は同じように気が休まらないながらも、とても前向きで私に不可能なことを自分がひとつでも実現しようと努力している。
私の望むことは、私に叶わなかった事を子供たちを代替者として叶えていくことではない。
次女のように、自分なりの道を見つけながら、『お母さんとは違って自分にはこんな可能性がある』ことを見つけて欲しいのだ。
作業の難しいことに対して、ちょっと手を貸して欲しいと思うことはあるが、手足になってまるでクローンのようになって欲しいとは決して思っていない。
それは、私自身が自力でやれる実感(達成感)を望んでいるからだ。
だから、やけになればなるほど、私は当たり前のことを当たり前にやろうとする。
世間の誰もが躊躇することなく、当然のようにやっている日常生活を目指す。
病人を過保護にしてはいけない。
生きる気力や自信をなくさせてしまうから。
ただ、無理をさせてもいけないし、放置してしまえば孤独感を味あわせる結果になる。
だから厄介なんだ。
やけになると、日常会話もどことなく刺々しくなって、些細なことで気持ちがすれ違い、傷つけ合ってしまう。
そんな時、悪い言葉を吐かないように努力する。
たとえば、「嫌い」とか「悪い」といった言葉を「好きじゃない」や「よくない」という言い方に替える。
そうやって優しい言葉で会話することによって、尖る気持ちが和らぐものだ。
言っている内容が同じだったとしても、相手に伝わる印象が柔らかい形になる。
喧嘩なんて、言葉の暴力であって、それはただ物を投げつけていないだけで心には突き刺さるものが多い。
具合の悪い時に、突き刺すような言葉や一方的な言い分を自分の思いに任せて言われると、憂鬱な気持ちや体調に追い討ちを掛ける。
結局、それでも頑張ろうと思い起こした気持ちは、一瞬で消え去り、何もかもどうでもいいと思ってしまう。
努力はいつでも一瞬で水の泡になる。
仕方ないじゃん、どうして病気になったのか解らないんだから。
仕方ないじゃん、こんなことになるなんて解らないんだから。
責めないで。
満足に親の義務を真っ当して来られなかったかもしれないけど。
私さえ、こんな結果が待っていると知っていたら、生まなかったし、結婚もしなかったし。
私は生まれてこなければ良かったと母に言ったことがある。
こんなに苦しい人生が運命なら、その運命を自分で止めたいと言った。
責められるのも、うんざり。
もっと他の友達のお母さんみたいにとか、普通の家ならとか、他と比較されると何も言えない。
だって、私はフツーじゃないから。
『今度の連休、どっか行く?』とか
『ディズニーランド行こうか?』とか
『夏休みになったら何しようか?』
そんな会話出来ないもん。
『死ぬまでにやってみたいことリスト』ねえ。
私は当たり前のことを当たり前にやれる人になりたい。
たった、それだけ。
自分のことを自分できちんと出来る人になりなさい。
私はこどもたちに小さい時から、そう教えてきた。
それは、もし病気になって、誰かが居なければ生きていけないようでは困るし、
伴侶が倒れたり、死んだり、別れたりして居なくなってしまっても、自立した精神で生きられる人になって欲しいから。
一生に一度やってみたいことは、ほとんどやった。
アメ車で娘に運転してもらって通院するのが夢だ。
くだらないかもしれなくても、つらい生活の中でも、そんなゆったりした通院がしてみたい。
儚い。
いつまで待っても治りもせず、悪化する一方の生活を送ってきたが、今やれることを精一杯やろうとしてきた。
長女はとても臆病な性格から、私のことが心配で気が休まっていない。
次女は同じように気が休まらないながらも、とても前向きで私に不可能なことを自分がひとつでも実現しようと努力している。
私の望むことは、私に叶わなかった事を子供たちを代替者として叶えていくことではない。
次女のように、自分なりの道を見つけながら、『お母さんとは違って自分にはこんな可能性がある』ことを見つけて欲しいのだ。
作業の難しいことに対して、ちょっと手を貸して欲しいと思うことはあるが、手足になってまるでクローンのようになって欲しいとは決して思っていない。
それは、私自身が自力でやれる実感(達成感)を望んでいるからだ。
だから、やけになればなるほど、私は当たり前のことを当たり前にやろうとする。
世間の誰もが躊躇することなく、当然のようにやっている日常生活を目指す。
病人を過保護にしてはいけない。
生きる気力や自信をなくさせてしまうから。
ただ、無理をさせてもいけないし、放置してしまえば孤独感を味あわせる結果になる。
だから厄介なんだ。
やけになると、日常会話もどことなく刺々しくなって、些細なことで気持ちがすれ違い、傷つけ合ってしまう。
そんな時、悪い言葉を吐かないように努力する。
たとえば、「嫌い」とか「悪い」といった言葉を「好きじゃない」や「よくない」という言い方に替える。
そうやって優しい言葉で会話することによって、尖る気持ちが和らぐものだ。
言っている内容が同じだったとしても、相手に伝わる印象が柔らかい形になる。
喧嘩なんて、言葉の暴力であって、それはただ物を投げつけていないだけで心には突き刺さるものが多い。
具合の悪い時に、突き刺すような言葉や一方的な言い分を自分の思いに任せて言われると、憂鬱な気持ちや体調に追い討ちを掛ける。
結局、それでも頑張ろうと思い起こした気持ちは、一瞬で消え去り、何もかもどうでもいいと思ってしまう。
努力はいつでも一瞬で水の泡になる。
仕方ないじゃん、どうして病気になったのか解らないんだから。
仕方ないじゃん、こんなことになるなんて解らないんだから。
責めないで。
満足に親の義務を真っ当して来られなかったかもしれないけど。
私さえ、こんな結果が待っていると知っていたら、生まなかったし、結婚もしなかったし。
私は生まれてこなければ良かったと母に言ったことがある。
こんなに苦しい人生が運命なら、その運命を自分で止めたいと言った。
責められるのも、うんざり。
もっと他の友達のお母さんみたいにとか、普通の家ならとか、他と比較されると何も言えない。
だって、私はフツーじゃないから。
『今度の連休、どっか行く?』とか
『ディズニーランド行こうか?』とか
『夏休みになったら何しようか?』
そんな会話出来ないもん。
『死ぬまでにやってみたいことリスト』ねえ。
私は当たり前のことを当たり前にやれる人になりたい。
たった、それだけ。
自分のことを自分できちんと出来る人になりなさい。
私はこどもたちに小さい時から、そう教えてきた。
それは、もし病気になって、誰かが居なければ生きていけないようでは困るし、
伴侶が倒れたり、死んだり、別れたりして居なくなってしまっても、自立した精神で生きられる人になって欲しいから。
一生に一度やってみたいことは、ほとんどやった。
アメ車で娘に運転してもらって通院するのが夢だ。
くだらないかもしれなくても、つらい生活の中でも、そんなゆったりした通院がしてみたい。
儚い。
うんざり
小さい頃からアレルギー体質だった。
2009年に重症薬疹DIHSを患ってから、色々な薬に当たる率が高くなってしまった。
よくよく考えると、それ以来治療→完治→発症→治療→完治→発症で一年中薬疹を起こしている。
ある程度の原因薬剤は特定できたものの、何が原因でアレルギー反応が起きているのか不明。
稀にみる特異体質ということで、次に重症化した場合、確実に命に関わることになるそうだ。
今現在、まさに薬疹中だが治療は出来ない。
結局、毒素が抜けるまで抗アレルギー剤(これで薬疹は起きていない)と各種塗り薬で対処療法をしているだけだ。
慢性疲労症候群では、抵抗力や免疫力の低下が言われているが、風邪を引きやすい体質とは限らない。
私は小さい頃から家族も季節性風邪はあまり引かない。
インフルエンザの経験が引き金で慢性疲労症候群になった。
2年くらい前に新型インフルエンザで、もれなく家族全員リレンザを使用した。
ニュースでリレンザの副作用が問題視されたが、ふと長女が「お母さん、すっごいイライラする!」と言ってきて、私もほぼ同時期に「やっぱり?そうだよねぇ、理由もないのにイライラするよね!」という症状で服用中止になった。
その時は薬疹は起きなかったが、私はアセトアミノフェンでひどい薬疹になる。なっている最中だ。
風邪薬や一般で売られているドリンク剤の殆どにアセトアミノフェンが含まれているため使用できない。
たった5mgでひどい症状が起きるのだが、市販薬では300mgも含まれている。
こんなに薬疹で体調の浮き沈みを強いられて、訳の解らないだるさや痛み、動きにくい手足、線維筋痛症の痛み、それで憂鬱にならない訳がない。
前向きにって考えろと言われても、年がら年中対処ばっかさせられて、いい加減うんざりだ。
何も、事が先に進まず、発展的で建設的な生活が出来ず、闘病ばっかり。
「これが治ったら」
それはいつなんだろう。
こんなに通院ばっかりで、新しい症状が出て、寝込んで、動けるようになったと思ったら、また薬疹が出て、それで痛くなって、だるくなって、また寝込んで、病気に振り回されてばっかり。
そんな、うんざりする思いで10代から今まで生きてきてる想いが誰に想像できるだろうか。
見た目が元気そうだから?
もう、うんざり。
自分にも病気にも何もかも、うんざり。
精神的なものと疑っている医者は多いのだが、死にもしない、生きてるとも言えない、そんな思いをずっとさせられて、精神的にまいらない訳がない。
医者はもっと、よく考えるべきだ。
科学的に直接的な死因にはならないからと言っていないで、慢性疲労症候群や線維筋痛症の症状に永く晒されて、二次的な死因になるということを。
病気なのに特異体質で命と引き換えに薬を使う訳にいかず、苦しみに一人、毎日耐える患者の苦痛。
寝るのも座るのも歩くのも、痛みや麻痺でどうしようもないこの状態に、気の休まる日はない。
私が、この頃感じるのは、
「気が休まらない」 ことだ。
抗うつ剤も使えず、気が楽になることがない。
おまけに、アルコールも飲めなくなって、気を紛らわす手段はぼーっと天井を見ることだけ。
だから、前にがん患者が使う麻薬パッチが欲しいって言ったのに。
ようやくトラムセットという薬が承認されて、使ったら薬疹になった。
せっかく効いたのに、アセトアミノフェンに当たったから使えなくなった。
トラマドール単体では、診断名が対象外で使えないんだろう。
次こそは、と開発を待っている専門医も患者も多い中、次々と当たる私は…。
絶望
失望
時間稼ぎ
こどものために居てあげなきゃ。
老後どうなっているのかなんて、夢みたいな話で想像するのも嫌だ。
どうせ、同じことの繰り返しをしているだけだから。
それにしても、こどもたちは、いつ、どうなるのか解らない私と一緒に居て、それこそ気の休まらない日常を過ごしている。
その心理はひどい不安感だろう。
私みたいな持病持ちは家族を不幸にする。
2009年に重症薬疹DIHSを患ってから、色々な薬に当たる率が高くなってしまった。
よくよく考えると、それ以来治療→完治→発症→治療→完治→発症で一年中薬疹を起こしている。
ある程度の原因薬剤は特定できたものの、何が原因でアレルギー反応が起きているのか不明。
稀にみる特異体質ということで、次に重症化した場合、確実に命に関わることになるそうだ。
今現在、まさに薬疹中だが治療は出来ない。
結局、毒素が抜けるまで抗アレルギー剤(これで薬疹は起きていない)と各種塗り薬で対処療法をしているだけだ。
慢性疲労症候群では、抵抗力や免疫力の低下が言われているが、風邪を引きやすい体質とは限らない。
私は小さい頃から家族も季節性風邪はあまり引かない。
インフルエンザの経験が引き金で慢性疲労症候群になった。
2年くらい前に新型インフルエンザで、もれなく家族全員リレンザを使用した。
ニュースでリレンザの副作用が問題視されたが、ふと長女が「お母さん、すっごいイライラする!」と言ってきて、私もほぼ同時期に「やっぱり?そうだよねぇ、理由もないのにイライラするよね!」という症状で服用中止になった。
その時は薬疹は起きなかったが、私はアセトアミノフェンでひどい薬疹になる。なっている最中だ。
風邪薬や一般で売られているドリンク剤の殆どにアセトアミノフェンが含まれているため使用できない。
たった5mgでひどい症状が起きるのだが、市販薬では300mgも含まれている。
こんなに薬疹で体調の浮き沈みを強いられて、訳の解らないだるさや痛み、動きにくい手足、線維筋痛症の痛み、それで憂鬱にならない訳がない。
前向きにって考えろと言われても、年がら年中対処ばっかさせられて、いい加減うんざりだ。
何も、事が先に進まず、発展的で建設的な生活が出来ず、闘病ばっかり。
「これが治ったら」
それはいつなんだろう。
こんなに通院ばっかりで、新しい症状が出て、寝込んで、動けるようになったと思ったら、また薬疹が出て、それで痛くなって、だるくなって、また寝込んで、病気に振り回されてばっかり。
そんな、うんざりする思いで10代から今まで生きてきてる想いが誰に想像できるだろうか。
見た目が元気そうだから?
もう、うんざり。
自分にも病気にも何もかも、うんざり。
精神的なものと疑っている医者は多いのだが、死にもしない、生きてるとも言えない、そんな思いをずっとさせられて、精神的にまいらない訳がない。
医者はもっと、よく考えるべきだ。
科学的に直接的な死因にはならないからと言っていないで、慢性疲労症候群や線維筋痛症の症状に永く晒されて、二次的な死因になるということを。
病気なのに特異体質で命と引き換えに薬を使う訳にいかず、苦しみに一人、毎日耐える患者の苦痛。
寝るのも座るのも歩くのも、痛みや麻痺でどうしようもないこの状態に、気の休まる日はない。
私が、この頃感じるのは、
「気が休まらない」 ことだ。
抗うつ剤も使えず、気が楽になることがない。
おまけに、アルコールも飲めなくなって、気を紛らわす手段はぼーっと天井を見ることだけ。
だから、前にがん患者が使う麻薬パッチが欲しいって言ったのに。
ようやくトラムセットという薬が承認されて、使ったら薬疹になった。
せっかく効いたのに、アセトアミノフェンに当たったから使えなくなった。
トラマドール単体では、診断名が対象外で使えないんだろう。
次こそは、と開発を待っている専門医も患者も多い中、次々と当たる私は…。
絶望
失望
時間稼ぎ
こどものために居てあげなきゃ。
老後どうなっているのかなんて、夢みたいな話で想像するのも嫌だ。
どうせ、同じことの繰り返しをしているだけだから。
それにしても、こどもたちは、いつ、どうなるのか解らない私と一緒に居て、それこそ気の休まらない日常を過ごしている。
その心理はひどい不安感だろう。
私みたいな持病持ちは家族を不幸にする。
2011年7月23日土曜日
まだ、やりたいことがあるのに
この前、通院してきた。
これまでの薬疹の経緯と治療について説明しながら、症状を観察した。
私の身体の中で何が起こっているのか何も解らない。
使える薬がないことが一番嫌だと伝えると、使える薬を探すことを考えた方が良いとの返事。
そして、最終的に「本当に私は病気なんですか?」と改めて聞くと、
「病気です」と答えが帰って来た。
しかし、当分はステロイドを止めてどんな変化が出てくるのか解らないから、処方できないとのこと。
一体、どうしろと…。
まだ、やりたいことが沢山ある。
急激に負荷を加えたり、生活を変化させるのは危険だと言われた。
よし、これからと思っていた矢先、何もせず温存するかのような生活を強いられる。
『健康に努めてね』 と言われても、病気なんだよね?
混乱してるのではなく、本当に混乱する状況なだけだ。
私は何も不安になんかなっていない。
具体的に、何をどうすれば良いのか解らないだけだ。
せっかく、やろうとしていた大きな事があるのに、やっちゃいけない。
前しか向いていないのに、足を引っ張られる思いだ。
憂鬱だ。
これまでの薬疹の経緯と治療について説明しながら、症状を観察した。
私の身体の中で何が起こっているのか何も解らない。
使える薬がないことが一番嫌だと伝えると、使える薬を探すことを考えた方が良いとの返事。
そして、最終的に「本当に私は病気なんですか?」と改めて聞くと、
「病気です」と答えが帰って来た。
しかし、当分はステロイドを止めてどんな変化が出てくるのか解らないから、処方できないとのこと。
一体、どうしろと…。
まだ、やりたいことが沢山ある。
急激に負荷を加えたり、生活を変化させるのは危険だと言われた。
よし、これからと思っていた矢先、何もせず温存するかのような生活を強いられる。
『健康に努めてね』 と言われても、病気なんだよね?
混乱してるのではなく、本当に混乱する状況なだけだ。
私は何も不安になんかなっていない。
具体的に、何をどうすれば良いのか解らないだけだ。
せっかく、やろうとしていた大きな事があるのに、やっちゃいけない。
前しか向いていないのに、足を引っ張られる思いだ。
憂鬱だ。
2011年7月19日火曜日
受け止めがたい現実
約一年前から、あまりにも周りが環境を変えろと容易く言い、その時の感情のままに行動しようとした結果
環境の変化に順応出来ず、大混乱になった。
私にしてみれば、この生活状況や家族関係で、出来る訳がないことは百も承知だったし、
一時の寂しさや不自由と引き換えに出来る程、容易くないのが解っていたが誰にも見えないのだからやってみるしかないと思っていただけだ。
結果的に何か効果的な得るものがあったかと言えば、精神的な疲労が増しただけにしか思えない。
それでも人間は経験してみなければ、結果を知ることは出来ない。
今、5月からの湿疹が悪化して、皮膚科に4日おきの通院をしている。
結論は薬疹。
お陰でまたステロイドを飲むことになり、併せてたった一種類の睡眠薬以外の薬を全部止める事になってしまった。
CFS(慢性疲労症候群)では抗うつ剤が必要でありながら逆効果になるとも言われている。
結局こうして全部の薬を止めなければいけなくなって、どうすればいいのかと言えば
自分でコントロールするしかなく、生きようと思えばどんな状態にも対応するしかないものだ。
ステロイドのせいでまるで病気が治ったかのような錯覚を起こす程、元気になるのも頭が回るのも、筋肉が動くのも経験済みだが、これは本来の能力でないのも解っている。
だから体が痛む。
痛み止めも全滅しているから、痛くて我慢できなくても、我慢するしかない。
こんなのは普通じゃない。
ある程度までは人間は我慢できても、限界を超えるほどの問題を耐えるのは、拷問。
私は毎日、正常ではないこの状況の中で麻痺もしない、意識も鈍感にならないような、拷問とも言うべき状況で生きている。
それでいて社会生活ではあたかも正常であるかのように振る舞い、健常者と変わらない生活を演じているに過ぎない。
それは、なにもかも自分が拷問を受けているとは絶対に実感したくないからだ。
もし、現実を誤魔化さずに実感したら自殺するだろう。
こんな思いをCFS(慢性疲労症候群)やFMS(線維筋痛症)の人たちは皆している。
医者の無理解が自殺を招き、世間の安易な同情がまた傷つける。
どんな薬も使えないような人間は、正常なのだろうか?
この先、風邪や何かの大病をした時、私はどうなるのだろう。
無関心にされるCFSやFMSでありながら、この現実は大病ではないのだろうか?
医者は怖がって、命取りだからと必要なのを知りつつも薬が使えず、手の施しようがない状況を私に説明できない。
でも、生活の仕方や今後の人生設計のアドバイスくらいしてもらえなければ、私はどう生きたら良いのか解らない。
世間が騒ぐ、生きづらさって何?
自分の居場所がないとか、生きにくい世の中とか、対人関係の悩みとかって何?
何が起こるか解らない、この予測不可能な私の体の方が怖いんじゃないの?
これを絶望と言わず、何だと言うのか。
混乱するなって言う方が無理なんじゃないのか。
本当にこれから私はどうやって生きていくのだろう。
何を目標に、何のために、私はこの世の中に存在しているのか解らない。
CFS診断当初、精神科医に対して「どうして人は生きていなきゃいけないの?」と聞いた。
今はっきり思う。
どうして私はこんな絶望的な現実の中でも、まだ生きていなきゃいけないのか。
本当に手の施しようがない状態は、終末期だと思う。
末期がん患者と同じ人生でしょ?
悲しむな、悔やむな、うらやむな、うつになるなと言われても無理でしょ。
命の時計を見てみたい。
医者の解る範囲で良いから、それが主観的でも良いから、本当のことを教えてほしい。
それが無理なことだと解っていても、何か現実的な意見をはっきり言って欲しい。
そうでないと、どうしたら良いのか訳が解らないから。
あなたは、ありのままの自分を受け入れるとはどういう意味なのか解りますか?
環境の変化に順応出来ず、大混乱になった。
私にしてみれば、この生活状況や家族関係で、出来る訳がないことは百も承知だったし、
一時の寂しさや不自由と引き換えに出来る程、容易くないのが解っていたが誰にも見えないのだからやってみるしかないと思っていただけだ。
結果的に何か効果的な得るものがあったかと言えば、精神的な疲労が増しただけにしか思えない。
それでも人間は経験してみなければ、結果を知ることは出来ない。
今、5月からの湿疹が悪化して、皮膚科に4日おきの通院をしている。
結論は薬疹。
お陰でまたステロイドを飲むことになり、併せてたった一種類の睡眠薬以外の薬を全部止める事になってしまった。
CFS(慢性疲労症候群)では抗うつ剤が必要でありながら逆効果になるとも言われている。
結局こうして全部の薬を止めなければいけなくなって、どうすればいいのかと言えば
自分でコントロールするしかなく、生きようと思えばどんな状態にも対応するしかないものだ。
ステロイドのせいでまるで病気が治ったかのような錯覚を起こす程、元気になるのも頭が回るのも、筋肉が動くのも経験済みだが、これは本来の能力でないのも解っている。
だから体が痛む。
痛み止めも全滅しているから、痛くて我慢できなくても、我慢するしかない。
こんなのは普通じゃない。
ある程度までは人間は我慢できても、限界を超えるほどの問題を耐えるのは、拷問。
私は毎日、正常ではないこの状況の中で麻痺もしない、意識も鈍感にならないような、拷問とも言うべき状況で生きている。
それでいて社会生活ではあたかも正常であるかのように振る舞い、健常者と変わらない生活を演じているに過ぎない。
それは、なにもかも自分が拷問を受けているとは絶対に実感したくないからだ。
もし、現実を誤魔化さずに実感したら自殺するだろう。
こんな思いをCFS(慢性疲労症候群)やFMS(線維筋痛症)の人たちは皆している。
医者の無理解が自殺を招き、世間の安易な同情がまた傷つける。
どんな薬も使えないような人間は、正常なのだろうか?
この先、風邪や何かの大病をした時、私はどうなるのだろう。
無関心にされるCFSやFMSでありながら、この現実は大病ではないのだろうか?
医者は怖がって、命取りだからと必要なのを知りつつも薬が使えず、手の施しようがない状況を私に説明できない。
でも、生活の仕方や今後の人生設計のアドバイスくらいしてもらえなければ、私はどう生きたら良いのか解らない。
世間が騒ぐ、生きづらさって何?
自分の居場所がないとか、生きにくい世の中とか、対人関係の悩みとかって何?
何が起こるか解らない、この予測不可能な私の体の方が怖いんじゃないの?
これを絶望と言わず、何だと言うのか。
混乱するなって言う方が無理なんじゃないのか。
本当にこれから私はどうやって生きていくのだろう。
何を目標に、何のために、私はこの世の中に存在しているのか解らない。
CFS診断当初、精神科医に対して「どうして人は生きていなきゃいけないの?」と聞いた。
今はっきり思う。
どうして私はこんな絶望的な現実の中でも、まだ生きていなきゃいけないのか。
本当に手の施しようがない状態は、終末期だと思う。
末期がん患者と同じ人生でしょ?
悲しむな、悔やむな、うらやむな、うつになるなと言われても無理でしょ。
命の時計を見てみたい。
医者の解る範囲で良いから、それが主観的でも良いから、本当のことを教えてほしい。
それが無理なことだと解っていても、何か現実的な意見をはっきり言って欲しい。
そうでないと、どうしたら良いのか訳が解らないから。
あなたは、ありのままの自分を受け入れるとはどういう意味なのか解りますか?
2011年5月25日水曜日
障害者介護ヘルパーさんが去って行った
「毎朝、サンドイッチばかり食べる訳ではありません。」
「何かといえば、ポテトサラダとゆで卵ばかり。」
そう書き、
「自分まで仕事のように考えてしまいとても疲れてしまいました、しばらくお休みにして頂けませんでしょうか」
と連絡帳に書いておき、具合悪く寝ていたら何もせずに帰られた。
夕方、事務所に一報を入れたが、折り返し担当者と相談して電話するとの事だった。
一週間待っても連絡がないので、電話したら
「ヘルパーさんが、『もう心が折れちゃった』と言っているので、支援出来ません。」
「この前の分はキャンセル料を頂きます。」
という話。
こちらが一言、自分の意向を伝えただけなのに、『心が折れた』から支援できない、話し合う気もないとは一体どういうことなのか?
その上、キャンセル料を請求されるとは、考え難い。
もう、どうでもいい。
助けてもらうために、有料でご機嫌伺いしながら、恐る恐る自分の意向を、相手を傷付けないように伝えなければいけない。
そんな面倒臭い、しかも馬鹿馬鹿しいことを何故しなければいけないのか。
思うのも、考えるのも、何もかも面倒臭い。
そんな障害者支援事業所は私の方から願い下げだ。
たったの一文で心が折れて支援出来なくなるような感情的な人間に、何が助けられるのかと疑う。
福祉に携わる人間の心の中に、『私が助けてやってる』という恩に着せる気持ちがないと言ったら、それは嘘だ。
だから、こうして、意とも簡単に支援を打ち切って、早速のように金の話を持ち出すのだろう。
汚い人間の背中を見るのは、もう沢山だ。
「何かといえば、ポテトサラダとゆで卵ばかり。」
そう書き、
「自分まで仕事のように考えてしまいとても疲れてしまいました、しばらくお休みにして頂けませんでしょうか」
と連絡帳に書いておき、具合悪く寝ていたら何もせずに帰られた。
夕方、事務所に一報を入れたが、折り返し担当者と相談して電話するとの事だった。
一週間待っても連絡がないので、電話したら
「ヘルパーさんが、『もう心が折れちゃった』と言っているので、支援出来ません。」
「この前の分はキャンセル料を頂きます。」
という話。
こちらが一言、自分の意向を伝えただけなのに、『心が折れた』から支援できない、話し合う気もないとは一体どういうことなのか?
その上、キャンセル料を請求されるとは、考え難い。
もう、どうでもいい。
助けてもらうために、有料でご機嫌伺いしながら、恐る恐る自分の意向を、相手を傷付けないように伝えなければいけない。
そんな面倒臭い、しかも馬鹿馬鹿しいことを何故しなければいけないのか。
思うのも、考えるのも、何もかも面倒臭い。
そんな障害者支援事業所は私の方から願い下げだ。
たったの一文で心が折れて支援出来なくなるような感情的な人間に、何が助けられるのかと疑う。
福祉に携わる人間の心の中に、『私が助けてやってる』という恩に着せる気持ちがないと言ったら、それは嘘だ。
だから、こうして、意とも簡単に支援を打ち切って、早速のように金の話を持ち出すのだろう。
汚い人間の背中を見るのは、もう沢山だ。
2011年5月20日金曜日
これまでの思い
私はまだ日本で慢性疲労症候群や線維筋痛症が認知されていない時から、訳の解らない症状に悩まされてきた。
そして、誤解や偏見、差別もありとあらゆる人や場所でされてきた。
よくある 『怠け病』 や 『うつ病』 という偏見は一般人だけでなく、教師や医師から散々言われ、扱われてきた。
しかし、私自身はこの病名に確証を持っていた。
それ以外に思い当たる節がまったく見当たらなかったのと、他者の評価を否定出来るだけの自分に対する客観的な観察が確証だった。
今となって思うことは、『この病名だから何?』ということだ。
例え、診断されたからといって治りもせず、症状が改善されることもなく、嫌な思うようにならない体は何も変わらない。
私が感じるのはどんな病気だったとしても関係ないし、誰かに解ってもらった所で病気が楽になる訳でもなく、逃げようがないということだ。
よく見かける記事に 『私はCFS(FMS)だから何も出来ない』とか『気持ちを解ってくれる人と分かち合いたい』 という文章があるが、それが叶ったとして何が変わるのか?
たとえば 『がん』だったら、同情されて「がんばってね」と励まされて、『がん』が治るのか?
たとえば 『うつ病』だったら、「精神的につらいんだね」と慰められて、『うつ病』が治るのか?
言いたいのは、働けないことや人間関係が築けず孤立することの言い訳に心のどこかでしていないだろうかという疑問だ。
実態的にどんな病気だったとしても、働いて食べて生きていかなければ行けないのは皆同じ。
働くというのは、何も仕事をして金を得るだけが働くということではない。
食事の用意を人の何倍時間が掛かっても自分ですることも、部屋の掃除をすることも、ちょっとした日用品の買い物をしに出掛けることも、洗濯をすることも、誰もが当たり前に生活する上でやっていることも『働く』という意味だ。
それらのことをするのは、慢性疲労症候群や線維筋痛症の患者にはとてもキツイ問題なのは確かにある。
別に、この病名の人間だけに限らず、他の全身疾患の患者にとっても大変なのは同じだ。
しかし、だからといって『出来ない』ばかりを口にして、本当に何も出来ないか?と考えると、やらねば仕方がない状況になれば、健常者とペースは違ってもやれるものだ。
病気を口実に努力しない、誰かに助けてもらうことばかり考える、依頼心の強い病人や障害者が私は大嫌いだ。
掃除も洗濯も料理もせず、『気分転換』なんて理由で遊興に興じている体力があるなら、やって当たり前の事を自分できちんとしなければいけない。
もし本当に誰も自分に手を差し延べてくれなかったら、その人は即日死んでいるだろう。
そんなに人間は柔ではない。
本当に余命あと何年という闘病生活をしている人たちと、私はDIHSで自分も生死の境に居た入院中に何人も会話をした。
携帯番号やメールアドレスも交換して、喫煙所や談話室で待ち合わせたり交流をした。
しかし、退院する人が居ても、皆の表情は「これであの人ともお別れだ」だった。
退院する人が先か、自分が先かということだ。
私は初めて、自分もその一人なのだと実感するまでには相当な時間が掛かった。
その時改めて、人はどんな理由であれ死に向かっている現実と、今日一日を精一杯生きているという本当の現実を見た。
夜中3時頃、眠れずに外でぼーっとタバコを吸いながら星を見ていた。
「不思議だよなぁ、あれだけ死にたいと思ってたのに、いざ医者に多臓器不全でこのままでは死にますって言われたら、死んでたまるかってこうやって必死に毎日投薬治療受けているんだもんなぁ」
と、ふと思ったのは今でも忘れない。
その時から絶対に死のうと考えないと心に決めた。
あまりに人間の生命力の凄さを自分の体で体験したのと、人間のエゴをまざまざと実感したからだ。
簡単に「オーバードーズしちゃうんだ」とか「何薬飲んでるの?自分はこれ」などと軽く会話をするような人間も、「こういう病気だから勘弁してね」などと予め前置きをして防衛線を張るような人間も嫌いだ。
人の色々な悲しみは深いところにある。
自分のせいでなく、誰のせいにも、何のせいにも出来ず、苦しみながら『もっと生きたい』と思いながら亡くなる人が沢山居るのだから、どんなに不自由な体でも言い訳をしながら生きる人間になってはいけない。
慢性疲労症候群と線維筋痛症には、反応性うつ症状がある。
しかし、それは決して精神科域のうつ病ではない。
まだ解明できない問題は山積みだが、脳の器質障害と全身性疼痛などの症状から憂鬱がひどくなった状態なだけだと私は思う。
はっきり断言できるのは、体は病気でも心は病気じゃないということだ。
どんなに憂鬱でも、心を本当の病気にしてしまうのは病気から逃げているからだ。
私はそう確信している。
そして、誤解や偏見、差別もありとあらゆる人や場所でされてきた。
よくある 『怠け病』 や 『うつ病』 という偏見は一般人だけでなく、教師や医師から散々言われ、扱われてきた。
しかし、私自身はこの病名に確証を持っていた。
それ以外に思い当たる節がまったく見当たらなかったのと、他者の評価を否定出来るだけの自分に対する客観的な観察が確証だった。
今となって思うことは、『この病名だから何?』ということだ。
例え、診断されたからといって治りもせず、症状が改善されることもなく、嫌な思うようにならない体は何も変わらない。
私が感じるのはどんな病気だったとしても関係ないし、誰かに解ってもらった所で病気が楽になる訳でもなく、逃げようがないということだ。
よく見かける記事に 『私はCFS(FMS)だから何も出来ない』とか『気持ちを解ってくれる人と分かち合いたい』 という文章があるが、それが叶ったとして何が変わるのか?
たとえば 『がん』だったら、同情されて「がんばってね」と励まされて、『がん』が治るのか?
たとえば 『うつ病』だったら、「精神的につらいんだね」と慰められて、『うつ病』が治るのか?
言いたいのは、働けないことや人間関係が築けず孤立することの言い訳に心のどこかでしていないだろうかという疑問だ。
実態的にどんな病気だったとしても、働いて食べて生きていかなければ行けないのは皆同じ。
働くというのは、何も仕事をして金を得るだけが働くということではない。
食事の用意を人の何倍時間が掛かっても自分ですることも、部屋の掃除をすることも、ちょっとした日用品の買い物をしに出掛けることも、洗濯をすることも、誰もが当たり前に生活する上でやっていることも『働く』という意味だ。
それらのことをするのは、慢性疲労症候群や線維筋痛症の患者にはとてもキツイ問題なのは確かにある。
別に、この病名の人間だけに限らず、他の全身疾患の患者にとっても大変なのは同じだ。
しかし、だからといって『出来ない』ばかりを口にして、本当に何も出来ないか?と考えると、やらねば仕方がない状況になれば、健常者とペースは違ってもやれるものだ。
病気を口実に努力しない、誰かに助けてもらうことばかり考える、依頼心の強い病人や障害者が私は大嫌いだ。
掃除も洗濯も料理もせず、『気分転換』なんて理由で遊興に興じている体力があるなら、やって当たり前の事を自分できちんとしなければいけない。
もし本当に誰も自分に手を差し延べてくれなかったら、その人は即日死んでいるだろう。
そんなに人間は柔ではない。
本当に余命あと何年という闘病生活をしている人たちと、私はDIHSで自分も生死の境に居た入院中に何人も会話をした。
携帯番号やメールアドレスも交換して、喫煙所や談話室で待ち合わせたり交流をした。
しかし、退院する人が居ても、皆の表情は「これであの人ともお別れだ」だった。
退院する人が先か、自分が先かということだ。
私は初めて、自分もその一人なのだと実感するまでには相当な時間が掛かった。
その時改めて、人はどんな理由であれ死に向かっている現実と、今日一日を精一杯生きているという本当の現実を見た。
夜中3時頃、眠れずに外でぼーっとタバコを吸いながら星を見ていた。
「不思議だよなぁ、あれだけ死にたいと思ってたのに、いざ医者に多臓器不全でこのままでは死にますって言われたら、死んでたまるかってこうやって必死に毎日投薬治療受けているんだもんなぁ」
と、ふと思ったのは今でも忘れない。
その時から絶対に死のうと考えないと心に決めた。
あまりに人間の生命力の凄さを自分の体で体験したのと、人間のエゴをまざまざと実感したからだ。
簡単に「オーバードーズしちゃうんだ」とか「何薬飲んでるの?自分はこれ」などと軽く会話をするような人間も、「こういう病気だから勘弁してね」などと予め前置きをして防衛線を張るような人間も嫌いだ。
人の色々な悲しみは深いところにある。
自分のせいでなく、誰のせいにも、何のせいにも出来ず、苦しみながら『もっと生きたい』と思いながら亡くなる人が沢山居るのだから、どんなに不自由な体でも言い訳をしながら生きる人間になってはいけない。
慢性疲労症候群と線維筋痛症には、反応性うつ症状がある。
しかし、それは決して精神科域のうつ病ではない。
まだ解明できない問題は山積みだが、脳の器質障害と全身性疼痛などの症状から憂鬱がひどくなった状態なだけだと私は思う。
はっきり断言できるのは、体は病気でも心は病気じゃないということだ。
どんなに憂鬱でも、心を本当の病気にしてしまうのは病気から逃げているからだ。
私はそう確信している。
2011年5月16日月曜日
今日一日を精一杯
毎日の忙しさや目の前の問題にばかり、自分の気持ちが捕らわれていると 『今日』 が見えなくなってしまう。
どんどん心の中は負の影ばかりが蓄積されて、何もかもが嫌になる。
でも、私は楽しいことも苦しいことも、今日一日を精一杯やる。
悩むのも真剣。
楽しむのも真剣。
今日を一生懸命生きていたら、必ず明日が何もしなくてもまたやって来る。
そうして、明日もまた一生懸命生きていたら、また次の日がやって来る。
だから、私は 『今日』 を楽しむ。
私にとって消せない、消しようのない過去は嫌っていうほどある。
でも昨日はもう過ぎた過去だ。
私に昨日は終わったことだ。
だって、一日を精一杯生きたのだから悔いても何もないのだし。
忘れてはいけないのは、過去の失敗を忘れない。
二度と同じ失敗をしないように忘れない。
それだけで十分だと思う。
夜の明けない朝は来ない、その朝からまた新しい今日が始まっていく。
そして、人はいつ訪れるか分からない寿命を迎える。
それでいいと心から思う。
多分ずっと、そうやっていままで生きてきた。
だから時には病気を恨むことがあっても、腐ることがあっても、まだ前を向いて頑張るんだと思う。
ほらね、今夜明けの会話をする鳥たちがチュンチュン鳴きだした。
朝が来た。今日が始まった。
私は寝たらあの世、目覚めたらこの世だと思ってる。
寝てる時は、体温が低体温になってある程度仮死状態なんだし、細胞は生きていても体も意識もないのと同じ状態だからだ。
まだ寝ていないから、私にとっては 『今日』 なんだが、世の中の時間は今日が始まっている。
今から寝て、何時間後に起きたら私の明日が始まる。
せめて鳥が鳴きだす前に寝たいと思って努力してる。
そうしないと私の今日と世の中の今日がズレてしまう。
それが嫌だから。
今日寝て、今日起きるのはやっぱり、スキじゃない。
どんどん心の中は負の影ばかりが蓄積されて、何もかもが嫌になる。
でも、私は楽しいことも苦しいことも、今日一日を精一杯やる。
悩むのも真剣。
楽しむのも真剣。
今日を一生懸命生きていたら、必ず明日が何もしなくてもまたやって来る。
そうして、明日もまた一生懸命生きていたら、また次の日がやって来る。
だから、私は 『今日』 を楽しむ。
私にとって消せない、消しようのない過去は嫌っていうほどある。
でも昨日はもう過ぎた過去だ。
私に昨日は終わったことだ。
だって、一日を精一杯生きたのだから悔いても何もないのだし。
忘れてはいけないのは、過去の失敗を忘れない。
二度と同じ失敗をしないように忘れない。
それだけで十分だと思う。
夜の明けない朝は来ない、その朝からまた新しい今日が始まっていく。
そして、人はいつ訪れるか分からない寿命を迎える。
それでいいと心から思う。
多分ずっと、そうやっていままで生きてきた。
だから時には病気を恨むことがあっても、腐ることがあっても、まだ前を向いて頑張るんだと思う。
ほらね、今夜明けの会話をする鳥たちがチュンチュン鳴きだした。
朝が来た。今日が始まった。
私は寝たらあの世、目覚めたらこの世だと思ってる。
寝てる時は、体温が低体温になってある程度仮死状態なんだし、細胞は生きていても体も意識もないのと同じ状態だからだ。
まだ寝ていないから、私にとっては 『今日』 なんだが、世の中の時間は今日が始まっている。
今から寝て、何時間後に起きたら私の明日が始まる。
せめて鳥が鳴きだす前に寝たいと思って努力してる。
そうしないと私の今日と世の中の今日がズレてしまう。
それが嫌だから。
今日寝て、今日起きるのはやっぱり、スキじゃない。
2011年5月7日土曜日
究境涅槃三世諸佛依
突き詰めた境地に至って見える事は、
過去、現在、未来のあらゆるものからすべては成り立ち、
自らも何故か知ることは死ぬ時になってもなく、
この世のすべてのものは、ただ在るものなのだ。
何故そこに樹が在り、何故そこに空が在り、
そんなことを問うても答えはなく
己に見えるから、聞こえるから、感じるから在ると思うだけで
それこそが五感なのだ。
これが私の般若心経から感じた事だ。
私は何の宗教家でもなければ、信者でもないがずっと子供の頃から写経を書いている。
これは私のベッドの枕元というのか、頭の上の壁に自分で書いたものだ。
74cm×154cmのダンボールにジェッソを塗り、書道の道具で一気に書き上げた作品。
私はずっと眺めて読んでみる。
毎日毎日、読んでは考え、自分に問うてみる。
答えは、『ただ在る』 それだけのことだ。
過去、現在、未来のあらゆるものからすべては成り立ち、
自らも何故か知ることは死ぬ時になってもなく、
この世のすべてのものは、ただ在るものなのだ。
何故そこに樹が在り、何故そこに空が在り、
そんなことを問うても答えはなく
己に見えるから、聞こえるから、感じるから在ると思うだけで
それこそが五感なのだ。
これが私の般若心経から感じた事だ。
私は何の宗教家でもなければ、信者でもないがずっと子供の頃から写経を書いている。
これは私のベッドの枕元というのか、頭の上の壁に自分で書いたものだ。
74cm×154cmのダンボールにジェッソを塗り、書道の道具で一気に書き上げた作品。
私はずっと眺めて読んでみる。
毎日毎日、読んでは考え、自分に問うてみる。
答えは、『ただ在る』 それだけのことだ。
2011年5月1日日曜日
生きる意味
私がただ生きているだけで、子供たちに 『家庭』 を与えてあげられる。
私がただ生きているだけで、子供たちに 『帰る自分の家』 を与えてあげられる。
私がただ生きているだけで、子供たちに 『たまにはぐうたらもいいじゃないか』 を与えてあげられる。
私がただ生きているだけで、子供たちに 『困った時の大人の知恵』 を与えてあげられる。
そうやって答えを見つけたのは、
玄関に置いてある通学用の靴を見た時だ。
私がただ生きているだけで、子供たちに 『帰る自分の家』 を与えてあげられる。
私がただ生きているだけで、子供たちに 『たまにはぐうたらもいいじゃないか』 を与えてあげられる。
私がただ生きているだけで、子供たちに 『困った時の大人の知恵』 を与えてあげられる。
そうやって答えを見つけたのは、
玄関に置いてある通学用の靴を見た時だ。
2011年4月29日金曜日
何に絶望してるのか
一年前、とても大切な用事で相当な無理をした。
それをきっかけに、半年近く休めず、予定もキャンセルできない状態が続き
その結果、医者が言うには 『軽い躁転』 を起こしたそうだ。
私が思うには、誰でも非常事態になれば、ある一定の方針が決まるまでは
普段とは違う必死な思いを持つのは当たり前ではないだろうか。
その時の精神状態は、脳が過剰反応を起こし、すべての能力を選択的に開放しているのだから
アドレナリンやドーパミンが大放出されるのも交通事故の直後とよく似ていると思う。
しかし、私の場合一度走り出したその脳の状態は中々止めることが出来ない。
医者から 『軽躁』 と一言言われた時点で自覚していた。
そして、体調や精神状態、脳状態をコントロールしようと必死でしていた。
ある意味で、理屈的に自分に言い聞かせ、
「今はこういう状態だから、これが終わったら、何時間は何も考えない時間を作って休まなきゃ」
「この次は、何の予定だからそれに備えて、今は走らないようにぼーっとしていろ」
などと、事務的な感じで生活するしかなかった。
でも、生きた人間相手の問題は私一人の努力で仕事のように物事が運ぶ訳ではない。
それが病気だとしたら到底、方向性がさっさと決まる訳がない。
そんなこんなで、大体の見通しが付いたのは一年近く経ってからだった。
一度走り出した脳は中々止まってくれないが、次に襲ってきたのは予測通り
『ひどいうつ状態』 だった。
あまりに忙しすぎるスケジュールと即時対応のやり取りのツケは、今混乱という形になって
私の中に廃棄物となって溜まりに溜まった。
もう、どうしたら自分をコントロール出来るのか解らない。
必死で喜怒哀楽のバランスを考えながら調整してきたが、なるべく自然体でとも心掛けてきたが
何が正しくて、何が間違っているのかも解らない。
毎日、毎日、私はきっかけを心のどこかで探している。
相反して、生きようとするきっかけも探している。
本当のところ、もう何もかもから開放されたい。
私が絶望しているのは、自分だ。
今までの中で、私に付いた私の大好きなあだ名は
ままちゃん
苗字由来でもなく、名前由来でもなく、いじめ由来でもない
ぽわんとさせてくれる愛情溢れる、尊敬や愛情からの意味が伝わってくるあだ名。
ありがとう。
そんな風に私をやさしく和らげてくれて。
それをきっかけに、半年近く休めず、予定もキャンセルできない状態が続き
その結果、医者が言うには 『軽い躁転』 を起こしたそうだ。
私が思うには、誰でも非常事態になれば、ある一定の方針が決まるまでは
普段とは違う必死な思いを持つのは当たり前ではないだろうか。
その時の精神状態は、脳が過剰反応を起こし、すべての能力を選択的に開放しているのだから
アドレナリンやドーパミンが大放出されるのも交通事故の直後とよく似ていると思う。
しかし、私の場合一度走り出したその脳の状態は中々止めることが出来ない。
医者から 『軽躁』 と一言言われた時点で自覚していた。
そして、体調や精神状態、脳状態をコントロールしようと必死でしていた。
ある意味で、理屈的に自分に言い聞かせ、
「今はこういう状態だから、これが終わったら、何時間は何も考えない時間を作って休まなきゃ」
「この次は、何の予定だからそれに備えて、今は走らないようにぼーっとしていろ」
などと、事務的な感じで生活するしかなかった。
でも、生きた人間相手の問題は私一人の努力で仕事のように物事が運ぶ訳ではない。
それが病気だとしたら到底、方向性がさっさと決まる訳がない。
そんなこんなで、大体の見通しが付いたのは一年近く経ってからだった。
一度走り出した脳は中々止まってくれないが、次に襲ってきたのは予測通り
『ひどいうつ状態』 だった。
あまりに忙しすぎるスケジュールと即時対応のやり取りのツケは、今混乱という形になって
私の中に廃棄物となって溜まりに溜まった。
もう、どうしたら自分をコントロール出来るのか解らない。
必死で喜怒哀楽のバランスを考えながら調整してきたが、なるべく自然体でとも心掛けてきたが
何が正しくて、何が間違っているのかも解らない。
毎日、毎日、私はきっかけを心のどこかで探している。
相反して、生きようとするきっかけも探している。
本当のところ、もう何もかもから開放されたい。
私が絶望しているのは、自分だ。
今までの中で、私に付いた私の大好きなあだ名は
ままちゃん
苗字由来でもなく、名前由来でもなく、いじめ由来でもない
ぽわんとさせてくれる愛情溢れる、尊敬や愛情からの意味が伝わってくるあだ名。
ありがとう。
そんな風に私をやさしく和らげてくれて。
2011年4月20日水曜日
こんな筈じゃなかった
私は無意識に『やりたいと思う事はやれる内にやっておこう』と
時間を取り戻す様になのか、あるいは余生に思い残さない様になのか、毎日を過ごしている。
娘たちには『今しか出来ない事』をどんどん惜しまずやった方が良いと言い、どこかで自分の様にはなって欲しくない思いがあるのかもしれない。
これは140文字のTwitterでまとめた、今の自分の心境だ。
まだ、病気の確定診断もされず、それなりに元気だった頃の事を思い出す。
苦しい時に『成せば成る』と、いつも自分が元気だった頃どれくらいの事が出来ていたのか
考えて、ぐっと気力を持ち上げてきた。
仕事を見積もる時に、大体の作業内容と所要時間を照らし合わせて、目標を決めるのは当たり前だ。
何事にも締め切りや期限があるように、家事や育児にも段取りの取り方や見積もりが作業の効率化に繋がる。
私は、殆どのことを 『合理的』 に 『事務的』 に進める。
ただ、考慮すべきは対人関係がある。
人は計算通りには動けないし、生身である故、段取り通りには動かせないものだ。
しかし、私は自分に見積もりを立てなければいけなくなってしまった。
例えば、食品の買い物一つでも、行く体力があるかないか?
問題なのは行けたとして、果たして帰って来られるかが大変なのだ。
子供と話し合って 「お母さん、行けそう?」 と聞かれた時点で
「そうだねえ、帰って来られるか、どうか考えなきゃね。ちょっと待ってねえ」 と答える。
何か一つの事をやろうにも、最後まで出来るか考えなければいけないのは非常につらい。
「たった、これだけのことなのに」
そればかりに追い掛け回されている。
さすがに20年以上もこんなことばかりが続くと、いい加減自分に嫌気が差す。
それでも、大丈夫だと思ってやったことが、とんでもないしっぺ返しをどれだけ味わったか知れない。
大阪の友達の所へ泊りがけで遊びに行って、クラブで踊ったり、カラオケに行ったり、ショッピングをしたりして2泊3日で帰ってきた、その晩、アナフィラキシーショックで倒れた。
娘とコンサートに行ったら、公演中盤から体中が痛くなりだし、帰りは1時間くらいソファーで横になってから帰ってきた。
別の機会、娘をコンサートホールに送って行き、私はロビーで待っていた。
14年ぶりの公演は大幅に時間を延長して、3時間もあったが、私はその間中ソファーで全身の激痛にのた打ち回っていた。
歩いて買い物に行き、スーパーに到着するや否や大量の汗をかき、顔面蒼白で口も利けない。
ベンチに横になっていると、娘が保冷用の氷を沢山ビニル袋に詰めて持ってきてくれ、冷やしてくれた。
言えばキリがないが、そんなことになるなんて予測がつかない事態は日常茶飯事だ。
でも、私は諦めない。多少は懲りたが、まだ楽しめる事や本来なら気にもせず出来る事をやろうとする。
今、機会があればと心がけているのは、映画館で映画をタイムリーに観ることと、美術館で催される展覧会に極力行こうとすることだ。
その次が、特に海外からのアーティストのコンサートライブに行く事だ。
昔、通っていた高校のすぐ傍に博物館があって、何十年に一度のゴッホ展がやっていたのだが
体調が悪く、結局行けなかった。
その後、日本で大規模なゴッホ展はまだ開催されていない。
それを今でも後悔している。
そして、あの時よりもっと体調の悪くなってしまった今、後悔したくないという思いが強くなった。
例え、その場で倒れて救急車に乗るような結果になってもやりたいと思う。
家族や病院関係者や色んな人たちに迷惑をかけてしまうけど、それでもやっぱり私は活き活きと
私なりに毎日を過ごしたい。
誰にでもあるでしょ。
『死ぬまでに一度はやってみたいこと』
『叶わないかもしれないけど、一生に一度やれたらいいなと思うこと』
私は挑戦し続けることを決して諦めない。
2011年4月19日火曜日
障害者介護ヘルパーさんがやって来た!
以前から家事支援の手帳は持っていたのだが、
2年前に一度頼んで懲りてしまって、使っていなかった。
しかし、私もようよう体が言う事を利かなくなり、
そろそろ頼み時かと観念して、思い切って頼む事にした。
先週からスタートしたのだが、
昼食と夕食、買い物、掃除を頼む事にしてやってもらっている。
とても有難い。
私は仕事柄、家でずっとこもって研究ばかりしているのと
外出は通院とたまに大学に資料を持って行き教授と話すか、後は役所に書類の手続きをしに行くか、子供の学校や支援関係者くらいしかない。
ごく限られた人間関係しかない環境に、この何年間も居るため視野が狭くなるのが嫌で仕方なかった。
実家に行けば、研究からも通院からも何もかもから離れられ、当たり前の日常生活に身を置く事が出来、近所付き合いや何気ない「おはようございます」や「こんにちは」の挨拶の暖かさを実感する。
そんな中、今回お願いしたヘルパーさんは、毎日私を人間らしくさせてくれる。
『今日は何が食べたい?』と聞かれ、最初は殆ど、ろくに食べていなかったために
食欲がなく、思い浮かばなかったのだが、日一日と家庭料理を食べるようになって、
何気ないおしゃべりをしながら、頂く昼食は本当にとても美味しい。
ずっと一日一食の夕食しか食べていなかったので、段々食べられるようになって
『お腹が空く』ようになり、会話をしたり、ちょっとした手伝いや補助をする事で
体の代謝が良くなってきたようだ。
私は元々、食べるのも好きで、料理が好きで何でも自分で作っていた。
作って食べるのが当たり前で、インスタントはよく解らない。
しかし、握力の低下や、体の筋力の低下で台所に立って居られなくなり、包丁も握れなくなって
料理の中盤くらいで、へばってしまって最後まで仕上げられなくなってしまった。
筋肉は固まる、次に力が抜ける、そして激痛(疼痛)が全身に走るのだ。
元気な人にとってはぜんぶ、当たり前に何も考えず出来る事ばかりだが、私は違う。
体力は健常者の3分の1あれば、まだマシ。
例えば、ボールペンを握って住所を書く時、最初の5文字程度で手が固まってしびれて感覚がなくなる。
勿論、箸もそんなような状態だし、スプーンもフォークも握るものはすべて同じだ。
ヘルパーさんは色んな性格の人が居て、最初のうちは意志の疎通がお互いぎこちないものだが、
私にとっては唯一の事務的でない人間関係であり、とても大切な存在だと思える。
人と触れ合う事は、本当に大切な心の栄養だ。
一食作る度に『味どうですかぁ?』と心配ばかりするが、私は作ってもらえるだけ有難い。
しかも、長年主婦をやって来られた、その人の家庭の味があるのだし、勝手の違う台所で調理するのは難しくて当然。
そして、掃除。
限られた時間内に作業を終えなければいけない条件で、手際良く一気に掃除している姿を見て、驚いた。
「元気な人って、掃除機もコタツも重くないんだぁ」
椅子もゴミ箱も何でも、さっさか動かして、20畳ある部屋をものの15分足らずで掃除機を掛けてしまう。
私なら、えっちらおっちら、やっとの思いで1時間は掛かってしまう。
拭き掃除は、こまめにトイレに行くついでや、お茶を注ぎに行くついでで何とかやっているが…。
一日2時間の訪問だが、少しは私も疲れつつ、動いたり話したりするので丁度良いリハビリになる。
パワフルなヘルパーさんと共に明るく、人間らしく、私も切り替えられたら今までよりもっと色んな事が見えてくるのではないだろうか。
そんな期待がある。
2年前に一度頼んで懲りてしまって、使っていなかった。
しかし、私もようよう体が言う事を利かなくなり、
そろそろ頼み時かと観念して、思い切って頼む事にした。
先週からスタートしたのだが、
昼食と夕食、買い物、掃除を頼む事にしてやってもらっている。
とても有難い。
私は仕事柄、家でずっとこもって研究ばかりしているのと
外出は通院とたまに大学に資料を持って行き教授と話すか、後は役所に書類の手続きをしに行くか、子供の学校や支援関係者くらいしかない。
ごく限られた人間関係しかない環境に、この何年間も居るため視野が狭くなるのが嫌で仕方なかった。
実家に行けば、研究からも通院からも何もかもから離れられ、当たり前の日常生活に身を置く事が出来、近所付き合いや何気ない「おはようございます」や「こんにちは」の挨拶の暖かさを実感する。
そんな中、今回お願いしたヘルパーさんは、毎日私を人間らしくさせてくれる。
『今日は何が食べたい?』と聞かれ、最初は殆ど、ろくに食べていなかったために
食欲がなく、思い浮かばなかったのだが、日一日と家庭料理を食べるようになって、
何気ないおしゃべりをしながら、頂く昼食は本当にとても美味しい。
ずっと一日一食の夕食しか食べていなかったので、段々食べられるようになって
『お腹が空く』ようになり、会話をしたり、ちょっとした手伝いや補助をする事で
体の代謝が良くなってきたようだ。
私は元々、食べるのも好きで、料理が好きで何でも自分で作っていた。
作って食べるのが当たり前で、インスタントはよく解らない。
しかし、握力の低下や、体の筋力の低下で台所に立って居られなくなり、包丁も握れなくなって
料理の中盤くらいで、へばってしまって最後まで仕上げられなくなってしまった。
筋肉は固まる、次に力が抜ける、そして激痛(疼痛)が全身に走るのだ。
元気な人にとってはぜんぶ、当たり前に何も考えず出来る事ばかりだが、私は違う。
体力は健常者の3分の1あれば、まだマシ。
例えば、ボールペンを握って住所を書く時、最初の5文字程度で手が固まってしびれて感覚がなくなる。
勿論、箸もそんなような状態だし、スプーンもフォークも握るものはすべて同じだ。
ヘルパーさんは色んな性格の人が居て、最初のうちは意志の疎通がお互いぎこちないものだが、
私にとっては唯一の事務的でない人間関係であり、とても大切な存在だと思える。
人と触れ合う事は、本当に大切な心の栄養だ。
一食作る度に『味どうですかぁ?』と心配ばかりするが、私は作ってもらえるだけ有難い。
しかも、長年主婦をやって来られた、その人の家庭の味があるのだし、勝手の違う台所で調理するのは難しくて当然。
そして、掃除。
限られた時間内に作業を終えなければいけない条件で、手際良く一気に掃除している姿を見て、驚いた。
「元気な人って、掃除機もコタツも重くないんだぁ」
椅子もゴミ箱も何でも、さっさか動かして、20畳ある部屋をものの15分足らずで掃除機を掛けてしまう。
私なら、えっちらおっちら、やっとの思いで1時間は掛かってしまう。
拭き掃除は、こまめにトイレに行くついでや、お茶を注ぎに行くついでで何とかやっているが…。
一日2時間の訪問だが、少しは私も疲れつつ、動いたり話したりするので丁度良いリハビリになる。
パワフルなヘルパーさんと共に明るく、人間らしく、私も切り替えられたら今までよりもっと色んな事が見えてくるのではないだろうか。
そんな期待がある。
2011年4月9日土曜日
もう何も知りたくない
私には解らないことが、まだまだ沢山ある。
そんな事はごく当たり前のことだし、誰でも何もかも解っている訳ではないことくらい解っている。
でも人は『わからない』という事が不安に繋がり、暗闇で光の在りかを手探りで右往左往している状態と同じだから、『知りたい』と思うのも自然な感覚だ。
今まで、一生懸命勉強してきたことがどれ程、自分や家族、困っている人の役に立ったか知れない。
無知は不幸なことだ。
これは、『知らぬが仏』とは違う。
『知る』ということは、生きる知恵であり、困難や苦境に直面した時にその重要性を初めて気付くことも多い。
しかし、もう私はこれ以上知りたくない。
どうにもならないことを堂々巡りして、まだ何とか少しでも、ほんの1ミリでも好転するようにしようと努力するが、それは逆に負荷を掛けているだけのデメリットでしかないのかもしれない。
結局私のしてきた勉強は、デメリットの方が多かったのかもしれない。
自分のことも、子供のことも、もう何も知りたくない。
考えたくない。
それが例え無責任であろうと、逃げであろうと。
知りたくない。
新しい出来事も何も要らない。
本当の生きる屍になってしまったら、なんてね。
既に私は何十年も生きる屍だったのだから、今更わざわざ、そんな事考えなくてもいい。
すべてが一瞬にして跡形もなく消し去れたらいいのに。
自分が生まれたことも、軌跡なんて要らない。
疲れた。
そんな事はごく当たり前のことだし、誰でも何もかも解っている訳ではないことくらい解っている。
でも人は『わからない』という事が不安に繋がり、暗闇で光の在りかを手探りで右往左往している状態と同じだから、『知りたい』と思うのも自然な感覚だ。
今まで、一生懸命勉強してきたことがどれ程、自分や家族、困っている人の役に立ったか知れない。
無知は不幸なことだ。
これは、『知らぬが仏』とは違う。
『知る』ということは、生きる知恵であり、困難や苦境に直面した時にその重要性を初めて気付くことも多い。
しかし、もう私はこれ以上知りたくない。
どうにもならないことを堂々巡りして、まだ何とか少しでも、ほんの1ミリでも好転するようにしようと努力するが、それは逆に負荷を掛けているだけのデメリットでしかないのかもしれない。
結局私のしてきた勉強は、デメリットの方が多かったのかもしれない。
自分のことも、子供のことも、もう何も知りたくない。
考えたくない。
それが例え無責任であろうと、逃げであろうと。
知りたくない。
新しい出来事も何も要らない。
本当の生きる屍になってしまったら、なんてね。
既に私は何十年も生きる屍だったのだから、今更わざわざ、そんな事考えなくてもいい。
すべてが一瞬にして跡形もなく消し去れたらいいのに。
自分が生まれたことも、軌跡なんて要らない。
疲れた。
2011年4月6日水曜日
定期通院日
今日ほど自分の症状や状態を話すのが嫌な日はなかった。
もう、今更 『一ヶ月の状態がどうだったのか』 業務報告のような事をするのが嫌だ。
さして何の浮き沈みもそれ程あらず、『相変わらず』 なのが症状だからだ。
主治医にしてみれば、微妙な良し悪しの変化をインタヴューし、経過を知りたいのは役目なのだが
私に大した差は、余程のことが良くも悪くもなければ起こらないのだ。
きっと、少しのことでも 「先生、こんな事が少しづつでも出来てますよ」 と期待したいのは理解できる。
しかし実際の私は、自分でも解らない緩やかな降下が起きており、自分に失望することばかりだ。
残念ながら、どんなに気持ちを奮い立たせてもどうしようもなく衰える機能は日々増えて行く一方なのだ。
私がどんなに今まで自分の状態について詳しく説明しても、あまりストレートには伝わっておらず、
また医師は 『臨床』 の元で建設的な対処が出来ない状態はひどくなるばかりだ。
私が本音をさらけ出しているとは、思っていないだろう。
逆にそうであるのか、そうでないのか、見抜けてはいないだろう。
私が本音を訴える訳がない。
それは、医者がどんなに出来る限りの手を尽くそうと努力しても、すべてが逆効果になってしまったのだから、もう何も建設的な手が打てなくなっているのだから
『双方、話に行き詰る』 のが当然だ。
予約なんか最大限引き伸ばせるだけ、引き伸ばしたい。
人は苦難の中にある時、一筋の光を求めて努力する。
しかし、その一筋の光が見えなくなった時、何を求めて努力するのか。
私は医者から、その可能性に賭けるだけの光を教えて欲しい。
打つ手なし、現状温存
温存もままならない、下降する私に医者は
『以前より一時に比べたら、元気になったねえ』 と2年前と比較されても納得が出来る訳がない。
どこをどう見て、比べて 『元気』 だと写るのだろうか。
もう、何も話したくない。
でも、通院しなければならない。
何のためですか?
落ちぶれる自分の能力を説明し、自白するためですか?
誰か教えて下さい。
この何の前向きでない通院をする必要性を。
解っています。真摯的にどうすることも、もはや不可能な私に、それでも大勢の患者を抱えつつ少しでも役に立てることはないかと暗中模索して下さっている事は。十分、解っています。
先生、悲観的になってごめんなさい。
そしてありがとう。
もう、今更 『一ヶ月の状態がどうだったのか』 業務報告のような事をするのが嫌だ。
さして何の浮き沈みもそれ程あらず、『相変わらず』 なのが症状だからだ。
主治医にしてみれば、微妙な良し悪しの変化をインタヴューし、経過を知りたいのは役目なのだが
私に大した差は、余程のことが良くも悪くもなければ起こらないのだ。
きっと、少しのことでも 「先生、こんな事が少しづつでも出来てますよ」 と期待したいのは理解できる。
しかし実際の私は、自分でも解らない緩やかな降下が起きており、自分に失望することばかりだ。
残念ながら、どんなに気持ちを奮い立たせてもどうしようもなく衰える機能は日々増えて行く一方なのだ。
私がどんなに今まで自分の状態について詳しく説明しても、あまりストレートには伝わっておらず、
また医師は 『臨床』 の元で建設的な対処が出来ない状態はひどくなるばかりだ。
私が本音をさらけ出しているとは、思っていないだろう。
逆にそうであるのか、そうでないのか、見抜けてはいないだろう。
私が本音を訴える訳がない。
それは、医者がどんなに出来る限りの手を尽くそうと努力しても、すべてが逆効果になってしまったのだから、もう何も建設的な手が打てなくなっているのだから
『双方、話に行き詰る』 のが当然だ。
予約なんか最大限引き伸ばせるだけ、引き伸ばしたい。
人は苦難の中にある時、一筋の光を求めて努力する。
しかし、その一筋の光が見えなくなった時、何を求めて努力するのか。
私は医者から、その可能性に賭けるだけの光を教えて欲しい。
打つ手なし、現状温存
温存もままならない、下降する私に医者は
『以前より一時に比べたら、元気になったねえ』 と2年前と比較されても納得が出来る訳がない。
どこをどう見て、比べて 『元気』 だと写るのだろうか。
もう、何も話したくない。
でも、通院しなければならない。
何のためですか?
落ちぶれる自分の能力を説明し、自白するためですか?
誰か教えて下さい。
この何の前向きでない通院をする必要性を。
解っています。真摯的にどうすることも、もはや不可能な私に、それでも大勢の患者を抱えつつ少しでも役に立てることはないかと暗中模索して下さっている事は。十分、解っています。
先生、悲観的になってごめんなさい。
そしてありがとう。
2011年4月3日日曜日
コントロールされる覚醒
現在の私には、昨日の事なのか一昨日の事なのか解らないが
全身の痛みを和らげるために使った麻薬パッチと内服薬のせいで、20時間くらい昏睡していたようだ。
覚醒して、何時の出来事なのか混乱することは日常茶飯事だが、現在と過去を辿るのは非常に面倒臭い。
記憶が曖昧なことも度々起こるから、常に手帳に記録をしている。
自分がどんなスケジュールをこなし、何を思い、誰と何時、何処で、何について会話したのか?
はっきり言ってしまえば、よく覚えていない。
これは自分の許容範囲を超えるようなハードスケジュールの後だけに起きる状態だ。
私は人が一日で行う行動を、恐らく2週間くらい掛けて処理していると思う。
となると、私の一日は健常者の何分の一に相当するのか?と考えるが、多分3時間程度の活動にしかならないのではないかと思う。
そんな私が健常者と同じスケジュールを行えば、充電は何時間、何日掛かるのか?
わかんない。
経験上、1ヶ月か、どうか。
回らない頭で今、何を考えても無駄だ。
薬で眠り、作用が切れたら覚醒する。
その間の記憶は何もない。
「そんなの嫌だ」 と思っても、仕方がない。
こんなことを20年以上続けていながら、私は健常者と共に生活しているのだ。
全身の痛みを和らげるために使った麻薬パッチと内服薬のせいで、20時間くらい昏睡していたようだ。
覚醒して、何時の出来事なのか混乱することは日常茶飯事だが、現在と過去を辿るのは非常に面倒臭い。
記憶が曖昧なことも度々起こるから、常に手帳に記録をしている。
自分がどんなスケジュールをこなし、何を思い、誰と何時、何処で、何について会話したのか?
はっきり言ってしまえば、よく覚えていない。
これは自分の許容範囲を超えるようなハードスケジュールの後だけに起きる状態だ。
私は人が一日で行う行動を、恐らく2週間くらい掛けて処理していると思う。
となると、私の一日は健常者の何分の一に相当するのか?と考えるが、多分3時間程度の活動にしかならないのではないかと思う。
そんな私が健常者と同じスケジュールを行えば、充電は何時間、何日掛かるのか?
わかんない。
経験上、1ヶ月か、どうか。
回らない頭で今、何を考えても無駄だ。
薬で眠り、作用が切れたら覚醒する。
その間の記憶は何もない。
「そんなの嫌だ」 と思っても、仕方がない。
こんなことを20年以上続けていながら、私は健常者と共に生活しているのだ。
2011年4月1日金曜日
2011年3月23日水曜日
慢性疲労症候群と線維筋痛症の始まり 1~2
まず始めにお断りをしておきます。
この手記は、あくまで28年以上に及ぶ私個人が辿った経過であり、誰もが同じ状態とは限りません。
また、
1. 10歳の時の異変
私は幼少期から母や近所の人から『ゴキちょろちゃん』というあだ名を付けられるくらい、じっとしていない、おてんばで、底抜けに明るい性格だった。
しかし小学3年生の時、小学校の体育の授業で鉄棒があった。
何故だか解らないが、手に力が入らず前回りも逆上がりも出来なかった。
夏になるとプールの授業が始まり、やる気満々だったが5メートルしか泳げなかった。
学校から帰ると、母に「お母さん、だるい」とその度に言っていた。
そして私があまりに体育の授業がある毎に「だるい」と言って家の手伝いも宿題も出来ずに、ゴロンと横になっている姿を見て、母からどんな風にだるいのか質問された。
私は「スポンジあるでしょ、あれを水に浸けてそのまま水が抜けていかない感じ」と答えた。
母はこれは何かおかしいとホームドクターの所へ私を連れて行った。
医師は『腎盂炎起こしてるね、ちょっと大変だけど20歳までには治そう』と言って、投薬と通院が始まった。
その治療は小学5年生まで続いたが、完治したようだった。
しかし時折、当時では『子どもが神経性胃炎を起こすなんてありえない』、『子どもが頭痛?』と言われていたが私は胃が痛く、また慢性頭痛もあり治療を受けていた。
私本人は何も『病気』という自覚はなく、小さい頃と同じように休み時間や学校が終わると走り回って、友だちと遊んでいたが帰宅するとぐったりしていた。
2. 12歳の時
小学6年生になり2学期後半になった頃、週2回くらいのペースで遅刻や欠席が極端に増えだした。
しかし早退はほとんどなかったが保健室で寝かせてもらうことも度重なっていた。
保健医や担任は『情緒不安定』だと思っていた。
なぜなら私の家庭は当時、珍しくて、偏見が横行する母子家庭だったからだ。
それまでは成績も二重丸だったのが、体調が悪くなりだしてから丸や三角が多くなった。
体育の授業は相変わらず、やる気はあっても全然できず、特にマット運動や跳び箱は腕の力が入らず転び、指や腰を骨折するほど予測のつかない怪我ばかりだった。
プールはドクターストップのままで見学していた。
今でも理解できないのは、学校で集団予防接種があったのに私はいつも受けさせてもらえなかった。
担任と保健医が相談しているのを見ていたが『どうでしょうねぇ、止めといた方がいいですね』の結果論しか言われなかった。
そうしている内に膀胱炎を起こした。
医師は『貧血を起こしてるから鉄剤が必要だね』と母に説明し、一週間に一回ビタミン注射に通うよう言われた。
気持ちとは裏腹に「だるさ」、「頭痛」、「勉強がわからない」が毎日続き、家ではボーっとしていることや
飼っていた猫や犬と遊ぶことが多くなり、友だちと遊ぶ元気はなくなっていた。
特に月曜日と金曜日が起き上がれなかったことを今でも覚えている。
私は小さい頃から、夜8:00が就寝時間で朝6:00が起床時間という躾が身に付いていたので、不規則な生活はなく、唯一土曜日だけ『8時だよ!全員集合』を観るために夜9:00が就寝時間だった。
3歳年上の兄が居り、朝ごはんは兄と二人できちんと食べ、夕食の支度を母と一緒に作るのも習慣だった。
誤解を招きたくないのは、母子家庭=貧しいというイメージだ。
あまり私生活や生い立ちを語るのは病気と何ら関係のないことなので好まないが、母は何より食育を最も大切にしており、母自身が「美食小食」の人だった。
体調の話に戻るが、この頃から体重も急激に増えだした。
そして卒業式を迎えた。
次項目から『慢性疲労症候群発症の兆候』を書きます。
この手記は、あくまで28年以上に及ぶ私個人が辿った経過であり、誰もが同じ状態とは限りません。
また、
1. 10歳の時の異変
私は幼少期から母や近所の人から『ゴキちょろちゃん』というあだ名を付けられるくらい、じっとしていない、おてんばで、底抜けに明るい性格だった。
しかし小学3年生の時、小学校の体育の授業で鉄棒があった。
何故だか解らないが、手に力が入らず前回りも逆上がりも出来なかった。
夏になるとプールの授業が始まり、やる気満々だったが5メートルしか泳げなかった。
学校から帰ると、母に「お母さん、だるい」とその度に言っていた。
そして私があまりに体育の授業がある毎に「だるい」と言って家の手伝いも宿題も出来ずに、ゴロンと横になっている姿を見て、母からどんな風にだるいのか質問された。
私は「スポンジあるでしょ、あれを水に浸けてそのまま水が抜けていかない感じ」と答えた。
母はこれは何かおかしいとホームドクターの所へ私を連れて行った。
医師は『腎盂炎起こしてるね、ちょっと大変だけど20歳までには治そう』と言って、投薬と通院が始まった。
その治療は小学5年生まで続いたが、完治したようだった。
しかし時折、当時では『子どもが神経性胃炎を起こすなんてありえない』、『子どもが頭痛?』と言われていたが私は胃が痛く、また慢性頭痛もあり治療を受けていた。
私本人は何も『病気』という自覚はなく、小さい頃と同じように休み時間や学校が終わると走り回って、友だちと遊んでいたが帰宅するとぐったりしていた。
2. 12歳の時
小学6年生になり2学期後半になった頃、週2回くらいのペースで遅刻や欠席が極端に増えだした。
しかし早退はほとんどなかったが保健室で寝かせてもらうことも度重なっていた。
保健医や担任は『情緒不安定』だと思っていた。
なぜなら私の家庭は当時、珍しくて、偏見が横行する母子家庭だったからだ。
それまでは成績も二重丸だったのが、体調が悪くなりだしてから丸や三角が多くなった。
体育の授業は相変わらず、やる気はあっても全然できず、特にマット運動や跳び箱は腕の力が入らず転び、指や腰を骨折するほど予測のつかない怪我ばかりだった。
プールはドクターストップのままで見学していた。
今でも理解できないのは、学校で集団予防接種があったのに私はいつも受けさせてもらえなかった。
担任と保健医が相談しているのを見ていたが『どうでしょうねぇ、止めといた方がいいですね』の結果論しか言われなかった。
そうしている内に膀胱炎を起こした。
医師は『貧血を起こしてるから鉄剤が必要だね』と母に説明し、一週間に一回ビタミン注射に通うよう言われた。
気持ちとは裏腹に「だるさ」、「頭痛」、「勉強がわからない」が毎日続き、家ではボーっとしていることや
飼っていた猫や犬と遊ぶことが多くなり、友だちと遊ぶ元気はなくなっていた。
特に月曜日と金曜日が起き上がれなかったことを今でも覚えている。
私は小さい頃から、夜8:00が就寝時間で朝6:00が起床時間という躾が身に付いていたので、不規則な生活はなく、唯一土曜日だけ『8時だよ!全員集合』を観るために夜9:00が就寝時間だった。
3歳年上の兄が居り、朝ごはんは兄と二人できちんと食べ、夕食の支度を母と一緒に作るのも習慣だった。
誤解を招きたくないのは、母子家庭=貧しいというイメージだ。
あまり私生活や生い立ちを語るのは病気と何ら関係のないことなので好まないが、母は何より食育を最も大切にしており、母自身が「美食小食」の人だった。
体調の話に戻るが、この頃から体重も急激に増えだした。
そして卒業式を迎えた。
次項目から『慢性疲労症候群発症の兆候』を書きます。
2011年3月18日金曜日
買占め問題
各地でこの災害の影響による『買占め』が問題視されている。
政府も 「被災地以外の買いだめを控えて欲しい」 と声明を出しているが
この問題、賛否両論はあるだろうが、果たして買いだめする事は本当に悪いと言えるだろうか。
私の居住地には、いわゆる『世界の〇〇』と言われる大企業の本社や工場が沢山ある産業都市だ。
トイレットペーパーなどの製紙業王子製紙、食パンを製造するフジパン、敷島パン、brother、TOYOTA、大同特殊鋼、パロマ、トヨトミ、バッファロー・・・などなど。
今、福島原発事故のために節電が呼びかけられる中、この全国へ様々な物資を製造提供してきた企業は工場の稼動停止をしている。
そうなると、これから経済状況が更なる悪化をし株価暴落の影響を受け、確実に運営が困難な状況になるのは目に見えている。
ただでさえ、震災前まで会社再生法で倒産や援助を受けなければならない程、悪化していたのだから、この先は言うまでもない事態が待っている。
今はまだ、備蓄材料で製造できるだろうが、果たしてそれがいつまで持ち応えられるかが分からない。
ならば、個人で今の内に備えようとするのは 『間違いではない』 のではないだろうか?
緊急事態に備えておくのと、必要以上の混乱的物欲からの買いだめとは意味が違う。
全国の都道府県に対して被災者の一時受け入れが始まったようだが、その時に隣人が被災者だったとしたら、備えておいた物をお裾分けすることも出来る。
被災者自身に預金を少しでも吐き出させず、復興できるようになった時のために残しておける様にするのも役に立てる手段だと思うのは私だけだろうか?
大都市では人情が薄らいでしまっている。
私は東京の池袋で育った。
昔、向こう三軒両隣とよく言っては、米、味噌、しょうゆをちょっと隣近所に借りるような話をよく聞いた。
それを今、それぞれの人が行っては時代にそぐわない行為なのだろうか。
引越しをすると消耗品は特にゼロから揃えなければならず、引越し代金の出費に加えてとてもお金が必要になる。
その日から必要な物が沢山あるのだ。
被災者は家財道具の全てを失っており、とりあえずの身の回りの物かあるいは着の身着のままで非難している人が大多数だろう。
そう考えると、自分のためだけでなく引っ越してきた隣人が被災者であった場合にも、この買いだめの備えは大いに役立つと思う。
それこそ実質的な「小さな力の支援」になる。
私がこのような考え方をするには理由がある。
10年前のこの時期に私の実家が全焼した。
そこには母と兄家族が同居していたが全員着の身着のままで脱出したため怪我もなく無事だった。
私は何軒か離れた所で生活をしており、近所の人がうちの玄関を叩いて『火事だよ!あんたの家火事だよ!』と知らせてくれ駆けつけると既に火の海だった。
そこに呆然と立ち尽くした母と兄が居た。
そして兄の子供たちは、近所の人のガレージで借りた毛布に包まり座り込んで居た。
私の家にはたまたま、お米が沢山備蓄してあった。
母と二人で「これで何とか食いしのげるし、必要な物が私の所にだけでも分散してあって良かったよ」 と話した。
しかし、母の貴重品はすべて灰の中に埋もれてしまったため、私は必死で翌日から一週間かけて、焼け跡から掘り返したが大半は燃えてしまった。
そして、この日から売れる物を売って、『竹の子生活』 が始まった。
その時、役所からの援助は災害毛布と一万円の見舞金が支給されただけで、町内自治会からの見舞金と知人からの見舞金が少しあった。
このような経験をした私は、その時、どのような支援があったら助かったのかを知っている。
同時に世間の厳しさや何としても生き抜こうとする根性も知っている。
だからこそ
政府も 「被災地以外の買いだめを控えて欲しい」 と声明を出しているが
この問題、賛否両論はあるだろうが、果たして買いだめする事は本当に悪いと言えるだろうか。
私の居住地には、いわゆる『世界の〇〇』と言われる大企業の本社や工場が沢山ある産業都市だ。
トイレットペーパーなどの製紙業王子製紙、食パンを製造するフジパン、敷島パン、brother、TOYOTA、大同特殊鋼、パロマ、トヨトミ、バッファロー・・・などなど。
今、福島原発事故のために節電が呼びかけられる中、この全国へ様々な物資を製造提供してきた企業は工場の稼動停止をしている。
そうなると、これから経済状況が更なる悪化をし株価暴落の影響を受け、確実に運営が困難な状況になるのは目に見えている。
ただでさえ、震災前まで会社再生法で倒産や援助を受けなければならない程、悪化していたのだから、この先は言うまでもない事態が待っている。
今はまだ、備蓄材料で製造できるだろうが、果たしてそれがいつまで持ち応えられるかが分からない。
ならば、個人で今の内に備えようとするのは 『間違いではない』 のではないだろうか?
緊急事態に備えておくのと、必要以上の混乱的物欲からの買いだめとは意味が違う。
全国の都道府県に対して被災者の一時受け入れが始まったようだが、その時に隣人が被災者だったとしたら、備えておいた物をお裾分けすることも出来る。
被災者自身に預金を少しでも吐き出させず、復興できるようになった時のために残しておける様にするのも役に立てる手段だと思うのは私だけだろうか?
大都市では人情が薄らいでしまっている。
私は東京の池袋で育った。
昔、向こう三軒両隣とよく言っては、米、味噌、しょうゆをちょっと隣近所に借りるような話をよく聞いた。
それを今、それぞれの人が行っては時代にそぐわない行為なのだろうか。
引越しをすると消耗品は特にゼロから揃えなければならず、引越し代金の出費に加えてとてもお金が必要になる。
その日から必要な物が沢山あるのだ。
被災者は家財道具の全てを失っており、とりあえずの身の回りの物かあるいは着の身着のままで非難している人が大多数だろう。
そう考えると、自分のためだけでなく引っ越してきた隣人が被災者であった場合にも、この買いだめの備えは大いに役立つと思う。
それこそ実質的な「小さな力の支援」になる。
私がこのような考え方をするには理由がある。
10年前のこの時期に私の実家が全焼した。
そこには母と兄家族が同居していたが全員着の身着のままで脱出したため怪我もなく無事だった。
私は何軒か離れた所で生活をしており、近所の人がうちの玄関を叩いて『火事だよ!あんたの家火事だよ!』と知らせてくれ駆けつけると既に火の海だった。
そこに呆然と立ち尽くした母と兄が居た。
そして兄の子供たちは、近所の人のガレージで借りた毛布に包まり座り込んで居た。
私の家にはたまたま、お米が沢山備蓄してあった。
母と二人で「これで何とか食いしのげるし、必要な物が私の所にだけでも分散してあって良かったよ」 と話した。
しかし、母の貴重品はすべて灰の中に埋もれてしまったため、私は必死で翌日から一週間かけて、焼け跡から掘り返したが大半は燃えてしまった。
そして、この日から売れる物を売って、『竹の子生活』 が始まった。
その時、役所からの援助は災害毛布と一万円の見舞金が支給されただけで、町内自治会からの見舞金と知人からの見舞金が少しあった。
このような経験をした私は、その時、どのような支援があったら助かったのかを知っている。
同時に世間の厳しさや何としても生き抜こうとする根性も知っている。
だからこそ
2011年3月16日水曜日
何をもって不謹慎と騒ぐのか
不謹慎について
11日以来、現況誰もが人ごととは思っていないだろう。
しかし次々に報道される死者数や惨劇映像、止まない地震速報等に困惑し心理的に萎縮している。
そして理性を保とうとする余り否定的な考えばかりが錯綜して何もかもを不謹慎と思い込んでいる。
ではNZ地震の被災者は未だ見つかっていない事は人事なのだろうか?
宮崎県や九州地方に於ける、霧島連山噴火の被災者や鳥インフルエンザ養鶏被害農家、こうてい疫被害農家は人事なのだろうか?
災害の規模や被害者数が人々の関心指数なのだろうか?
どんな悲惨な災害も事件も日常茶飯事、世界中で起きている。
例えば、直近の事件ではエジプトやリビア中東諸国の独立解放デモや各国の内乱や戦争は
いつまでも治まらない。
その上、軍事国家から逃げ惑い難民キャンプや瓦礫の中で食べる物もなく、貧困や飢餓に苦しむ人々は未だに後を絶たない。
ある国では内戦が治まらず、人道支援のために先進国から軍隊を派遣し、治安統治が行われている。
そこでは産業も何もないためにお金を稼ぐ手段がない。
そして大人たちは戦争に明け暮れ、大量のストリートチルドレン(浮浪児や孤児)が国中に放り出されている。
ある子供は先進国の人々にお金を集り、ある子供は残された母親や小さな妹弟のために先進国の人々が排出したゴミ処分場に残飯を漁りに行く。
今も彼らは同じ毎日を過ごしている。
日本人はそう云う立場に置かれた世界の人々をどれくらい知っているんだろう。
それこそ、今ネット上でスローガンのように皆が書き込んでいる
「私たちには何も出来ない、小さな力」
だから、対岸の出来事と思っていないだろうか?
今回の大地震と同じく、ハイチ地震の災害規模は世界レベルの非常事態だった。
しかし、実際その時周りで見聞きしたのは「ハイチって何処の国?」や「どんな国なの?」だった。
隣のドミニカ共和国はサッカーで知られていたが、島を二分したハイチについては知られていなかった。
その時、この日本では誰か『不謹慎だから自粛しろ』と騒いだだろうか。
私は被災していない地域の人々が健全に生活出来るにも関わらず、何もかもを混同して『不謹慎』の一言で不健全な精神状態になってしまうのは最悪の事態だと思う。
それよりももっと前向きな言葉を真剣に一人一人が今一度考え直してはどうだろう。
健全、優しさ、思いやり、真剣、真面目など。
あるいは喜怒哀楽。
喜ぶとは何か?
怒るとは何か?
哀しむとは何か?
楽しむとは何か?
私は日常的に絶対に使ってはいけないと子供たちに教えている言葉がある。
それは3つの言葉
「ウザイ」 「キモイ」 「死ね」
ほんの軽いノリで他愛なく、相槌の様に使っているのかもしれない。
しかし決していい意味の言葉ではないことも皆、知っている筈だ。
そんな人(自他共に)を攻撃するような言葉を使うことこそ、『不謹慎』だと思う。
それを今まで誰も疑問に思わず、日常会話として吐いていたことを考え直して欲しい。
もう一つ、私がいつも本当に『不謹慎だ』と感じていたこと。
お葬式の参列者について
私は仕事上の取引先だけでなく、近所や知り合いの人のお葬式に出席する機会が子供の頃から多かった。
親族はどうにもやり切れず涙が止まらないのだが、それを出棺まで待っている人たちや受付をやっている人たちはヒソヒソと世間話をしたり、井戸端会議を笑いながらしている光景を毎回目にする。
時に周囲の反応を気にしながらキョロキョロと様子を伺いつつ私語を慎まない。
あくまでその現場は人が亡くなり、目の前で遺体が棺桶に安置されている真っ只中。
亡くなった方や残された親族とは生前からの交流があり、これからも多少なり付き合いがあるであろう。
相手の身になれば、お葬式の最中は笑える心境でない筈だ。
そのような不謹慎な人は、どんな気持ちでご焼香をしているのだろうと、私は顔を見る。
そして「所詮自分の事じゃないから、とりあえず形式的に」してるだけだと感じた。
せめて出棺を見送って、その場から離れるまでは静かにして居なさい。
それが退屈で出来ないのなら、居る事の義理を立てずにご焼香だけ済ませて、さっさと帰りなさい。
死者と遺族に対しての冒涜だと分からない人間は、そもそも参列をやめなさい。
いつも私は心の中で、この社交辞令と建前の光景に情けなさを抱く。
学校行事参加の保護者について
入学式や卒業式に参列する保護者は、非常にうるさい。
式典は時間が長いが、始まる前は勿論、式の最中にもおしゃべりが一向に絶えない。
子供たちは練習の時や日常的に『静かにしなさい』、『場をわきまえて私語を慎みなさい』と言われている。
しかし、その保護者たちも自分が子供だった時や社会に出てから『私語を慎め』と教わってきた筈だ。
いつから場をわきまえ、私語を慎まなければいけない道徳を忘れてしまったのか。
子供たちはそういう大人を見て育つ。
さて何をもって不謹慎と騒ぐのか?ということだが
重要な場にそぐわない言動、行動を慎まないこと と思う。
あまりに過剰反応をし過ぎて、何がどうなのか判断が付かなくなっている。
それは普段から自分がどの様な事が適切で、どの様な時に不適切なのかを深く考えず
曖昧な社会的風潮に流され、それが『普通』であり、自分は人並みに沿って生きていると過信してきた結果ではないだろうか。
社会学に於いてそれをステレオタイプと説いているが、人は先入観や固定観念も存在し、
そして群集心理や間違った集団的結束は非常事態時に起こりやすい。
この災害で生存した人々にこれからやってくる苦難は計り知れない。
実務的な問題は目に見える再建、例えば住まいや実質的な生活費用の工面から失業からの復帰と分かりやすいが、精神的な問題は喪が明けるにも時間が掛かる。
PTSD心的外傷ストレス障害は簡単には治らず、和らぐことはない。
現地被災者も災害援助者も死者の数より大幅に上回る人々が、真の意味でのうつ状態に陥ることが何よりも大変なことだ。
そして、実質の体験者でない非被災地の人々も間接的に同じ様な状態に陥る可能性はある。
だからこそ、今見守っている私たちはこれからやってくる不安事態に備えて心身共に健全に
そして喜怒哀楽の五感を鈍らせず、あらゆるエネルギーを蓄えておこう。
一人でも多く健康であれば、一人でも多くの傷を負った人を助けられるのだから。
自分が元気でなければ、何も出来ないことを忘れてはいけない。
本当に必要なのは、気休めも口先だけの慰めでもなく
しっかり心の手を繋ぐことだ。
その繋いだ手が震えていたら、こちらはぎゅっと強く握り返すことだ。
色々な事を不謹慎と思い込んでいる人へのメッセージ
私たちが泣いてしまったら、相手は泣けなくなる。
私たちが笑うことや楽しむことを止めてしまったら、相手は元気でも病気になってしまう。
私たちが混乱してしまったら、相手は何も助けを求められなくなる。
それは「自分のせいで相手にまで辛い思いをさせてしまった」と罪悪感に駆られてしまうから。
私たちは負けないと強く思うなら、些細な書き込みや周りの出来事で余計な争いをしてはいけない。
地面や建物が崩れたからといって、人間関係まで地震を起こして崩してはいけない。
人のために役に立てる人間になるには、まず、自分の事を自分できちんと出来る人でなければならない。
それは自分さえ良ければ良いということではない。
誰かが 「これは不謹慎じゃない」 って言ってたからと人のせいにしないで、やって良い事と悪い事の判断を自分の責任できちんとすることが大切だ。
11日以来、現況誰もが人ごととは思っていないだろう。
しかし次々に報道される死者数や惨劇映像、止まない地震速報等に困惑し心理的に萎縮している。
そして理性を保とうとする余り否定的な考えばかりが錯綜して何もかもを不謹慎と思い込んでいる。
ではNZ地震の被災者は未だ見つかっていない事は人事なのだろうか?
宮崎県や九州地方に於ける、霧島連山噴火の被災者や鳥インフルエンザ養鶏被害農家、こうてい疫被害農家は人事なのだろうか?
災害の規模や被害者数が人々の関心指数なのだろうか?
どんな悲惨な災害も事件も日常茶飯事、世界中で起きている。
例えば、直近の事件ではエジプトやリビア中東諸国の独立解放デモや各国の内乱や戦争は
いつまでも治まらない。
その上、軍事国家から逃げ惑い難民キャンプや瓦礫の中で食べる物もなく、貧困や飢餓に苦しむ人々は未だに後を絶たない。
ある国では内戦が治まらず、人道支援のために先進国から軍隊を派遣し、治安統治が行われている。
そこでは産業も何もないためにお金を稼ぐ手段がない。
そして大人たちは戦争に明け暮れ、大量のストリートチルドレン(浮浪児や孤児)が国中に放り出されている。
ある子供は先進国の人々にお金を集り、ある子供は残された母親や小さな妹弟のために先進国の人々が排出したゴミ処分場に残飯を漁りに行く。
今も彼らは同じ毎日を過ごしている。
日本人はそう云う立場に置かれた世界の人々をどれくらい知っているんだろう。
それこそ、今ネット上でスローガンのように皆が書き込んでいる
「私たちには何も出来ない、小さな力」
だから、対岸の出来事と思っていないだろうか?
今回の大地震と同じく、ハイチ地震の災害規模は世界レベルの非常事態だった。
しかし、実際その時周りで見聞きしたのは「ハイチって何処の国?」や「どんな国なの?」だった。
隣のドミニカ共和国はサッカーで知られていたが、島を二分したハイチについては知られていなかった。
その時、この日本では誰か『不謹慎だから自粛しろ』と騒いだだろうか。
私は被災していない地域の人々が健全に生活出来るにも関わらず、何もかもを混同して『不謹慎』の一言で不健全な精神状態になってしまうのは最悪の事態だと思う。
それよりももっと前向きな言葉を真剣に一人一人が今一度考え直してはどうだろう。
健全、優しさ、思いやり、真剣、真面目など。
あるいは喜怒哀楽。
喜ぶとは何か?
怒るとは何か?
哀しむとは何か?
楽しむとは何か?
私は日常的に絶対に使ってはいけないと子供たちに教えている言葉がある。
それは3つの言葉
「ウザイ」 「キモイ」 「死ね」
ほんの軽いノリで他愛なく、相槌の様に使っているのかもしれない。
しかし決していい意味の言葉ではないことも皆、知っている筈だ。
そんな人(自他共に)を攻撃するような言葉を使うことこそ、『不謹慎』だと思う。
それを今まで誰も疑問に思わず、日常会話として吐いていたことを考え直して欲しい。
もう一つ、私がいつも本当に『不謹慎だ』と感じていたこと。
お葬式の参列者について
私は仕事上の取引先だけでなく、近所や知り合いの人のお葬式に出席する機会が子供の頃から多かった。
親族はどうにもやり切れず涙が止まらないのだが、それを出棺まで待っている人たちや受付をやっている人たちはヒソヒソと世間話をしたり、井戸端会議を笑いながらしている光景を毎回目にする。
時に周囲の反応を気にしながらキョロキョロと様子を伺いつつ私語を慎まない。
あくまでその現場は人が亡くなり、目の前で遺体が棺桶に安置されている真っ只中。
亡くなった方や残された親族とは生前からの交流があり、これからも多少なり付き合いがあるであろう。
相手の身になれば、お葬式の最中は笑える心境でない筈だ。
そのような不謹慎な人は、どんな気持ちでご焼香をしているのだろうと、私は顔を見る。
そして「所詮自分の事じゃないから、とりあえず形式的に」してるだけだと感じた。
せめて出棺を見送って、その場から離れるまでは静かにして居なさい。
それが退屈で出来ないのなら、居る事の義理を立てずにご焼香だけ済ませて、さっさと帰りなさい。
死者と遺族に対しての冒涜だと分からない人間は、そもそも参列をやめなさい。
いつも私は心の中で、この社交辞令と建前の光景に情けなさを抱く。
学校行事参加の保護者について
入学式や卒業式に参列する保護者は、非常にうるさい。
式典は時間が長いが、始まる前は勿論、式の最中にもおしゃべりが一向に絶えない。
子供たちは練習の時や日常的に『静かにしなさい』、『場をわきまえて私語を慎みなさい』と言われている。
しかし、その保護者たちも自分が子供だった時や社会に出てから『私語を慎め』と教わってきた筈だ。
いつから場をわきまえ、私語を慎まなければいけない道徳を忘れてしまったのか。
子供たちはそういう大人を見て育つ。
さて何をもって不謹慎と騒ぐのか?ということだが
重要な場にそぐわない言動、行動を慎まないこと と思う。
あまりに過剰反応をし過ぎて、何がどうなのか判断が付かなくなっている。
それは普段から自分がどの様な事が適切で、どの様な時に不適切なのかを深く考えず
曖昧な社会的風潮に流され、それが『普通』であり、自分は人並みに沿って生きていると過信してきた結果ではないだろうか。
社会学に於いてそれをステレオタイプと説いているが、人は先入観や固定観念も存在し、
そして群集心理や間違った集団的結束は非常事態時に起こりやすい。
この災害で生存した人々にこれからやってくる苦難は計り知れない。
実務的な問題は目に見える再建、例えば住まいや実質的な生活費用の工面から失業からの復帰と分かりやすいが、精神的な問題は喪が明けるにも時間が掛かる。
PTSD心的外傷ストレス障害は簡単には治らず、和らぐことはない。
現地被災者も災害援助者も死者の数より大幅に上回る人々が、真の意味でのうつ状態に陥ることが何よりも大変なことだ。
そして、実質の体験者でない非被災地の人々も間接的に同じ様な状態に陥る可能性はある。
だからこそ、今見守っている私たちはこれからやってくる不安事態に備えて心身共に健全に
そして喜怒哀楽の五感を鈍らせず、あらゆるエネルギーを蓄えておこう。
一人でも多く健康であれば、一人でも多くの傷を負った人を助けられるのだから。
自分が元気でなければ、何も出来ないことを忘れてはいけない。
本当に必要なのは、気休めも口先だけの慰めでもなく
しっかり心の手を繋ぐことだ。
その繋いだ手が震えていたら、こちらはぎゅっと強く握り返すことだ。
色々な事を不謹慎と思い込んでいる人へのメッセージ
私たちが泣いてしまったら、相手は泣けなくなる。
私たちが笑うことや楽しむことを止めてしまったら、相手は元気でも病気になってしまう。
私たちが混乱してしまったら、相手は何も助けを求められなくなる。
それは「自分のせいで相手にまで辛い思いをさせてしまった」と罪悪感に駆られてしまうから。
私たちは負けないと強く思うなら、些細な書き込みや周りの出来事で余計な争いをしてはいけない。
地面や建物が崩れたからといって、人間関係まで地震を起こして崩してはいけない。
人のために役に立てる人間になるには、まず、自分の事を自分できちんと出来る人でなければならない。
それは自分さえ良ければ良いということではない。
誰かが 「これは不謹慎じゃない」 って言ってたからと人のせいにしないで、やって良い事と悪い事の判断を自分の責任できちんとすることが大切だ。
2011年3月1日火曜日
寂しさ
いつもの事だが一日の終わりに自分を振り返る。
ふと、今日の事を考えると寂しくなる。
それは私にはQ.O.Lなんて言葉は当てはまらないからだ。
生活の質の向上
そんなこと望んでも無理だ。
私の生活の質は、体の状態と正比例して悪化する一方。
なぜ体調と生活の質が正比例あるいは反比例してしまうのだろう。
一往に安定しない、何もかもが安定しない。
ただ、ひたすら安定を求めて誰だって生きている。
別に悲観的な訳でなくても、こんなに具合が悪く、こんなに思うようにならなければ
現実が悲観的状況だと感じるのはむしろ正常な心の反応だと思うが・・・
さて、明日は何をするの?
今日の薬はまだ飲みきっていないのに、もう明日がやって来た。
終わらない、闘病。
「つらい」と思えるのも正常な感情。
そして、そんな自分が寂しいと感じるのも正常な反応。
どこまで「これだけでもいいじゃないか」と自分を無理矢理納得させて、省いていけばいいのか。
いつまで、どれだけ
考えるのはそればかり。
わがままでも、ずるくても、自分さえ良くても、
私に取れば、どうでも良い。
問題は私がいつまで、こうして思いを書いたり、口を利いたり出来るかだ。
段々、うまく起承転結の文章も会話も出来なくなってきている。
言葉が単語的で、単発でしか伝えられなくなっている。
徐々に衰える機能は、他者からは解り辛いものだ。
故に、こちらの欲求も表現しにくいからコミュニケーションがスムースでないのが
解っているのは親だけだ。
あともう少し、待って欲しい。
まだ教えなきゃいけないこと、受け止めてあげなきゃいけないこと
沢山あるから、衰えるのはもう少し待って欲しい。
同時に今の私が『衰えている』現実を見逃さないで欲しい。
終わりたい、終われない
まだ・・・
ふと、今日の事を考えると寂しくなる。
それは私にはQ.O.Lなんて言葉は当てはまらないからだ。
生活の質の向上
そんなこと望んでも無理だ。
私の生活の質は、体の状態と正比例して悪化する一方。
なぜ体調と生活の質が正比例あるいは反比例してしまうのだろう。
一往に安定しない、何もかもが安定しない。
ただ、ひたすら安定を求めて誰だって生きている。
別に悲観的な訳でなくても、こんなに具合が悪く、こんなに思うようにならなければ
現実が悲観的状況だと感じるのはむしろ正常な心の反応だと思うが・・・
さて、明日は何をするの?
今日の薬はまだ飲みきっていないのに、もう明日がやって来た。
終わらない、闘病。
「つらい」と思えるのも正常な感情。
そして、そんな自分が寂しいと感じるのも正常な反応。
どこまで「これだけでもいいじゃないか」と自分を無理矢理納得させて、省いていけばいいのか。
いつまで、どれだけ
考えるのはそればかり。
わがままでも、ずるくても、自分さえ良くても、
私に取れば、どうでも良い。
問題は私がいつまで、こうして思いを書いたり、口を利いたり出来るかだ。
段々、うまく起承転結の文章も会話も出来なくなってきている。
言葉が単語的で、単発でしか伝えられなくなっている。
徐々に衰える機能は、他者からは解り辛いものだ。
故に、こちらの欲求も表現しにくいからコミュニケーションがスムースでないのが
解っているのは親だけだ。
あともう少し、待って欲しい。
まだ教えなきゃいけないこと、受け止めてあげなきゃいけないこと
沢山あるから、衰えるのはもう少し待って欲しい。
同時に今の私が『衰えている』現実を見逃さないで欲しい。
終わりたい、終われない
まだ・・・
2011年2月23日水曜日
正しさとは
ふと気付けば、確定診断されてからもう20年が過ぎようとしている。
未だに解明されない原因と症状、それとこれから先に起こり得るであろう症状。
私は発症から計算すれば、29年。現年齢の半生に等しい。
いい加減自分を受け入れられるようになり、何が必要で、何が大切なのか
そして何を省かなければいけないのか熟知していると言っても過言ではない。
しかし人生に於いてはまだ発展途上で未熟。
それは人並みだ。
児童心理学から社会学、哲学、発達学とヒトに関する問題を今もなお勉強しているが
それにも勝って薬学と医学は理論的に解釈しやすい。
昔、若い頃に『精神と体は連動している』と、よく言っていた。
やはりヒトがチンパンジーと違う所は、理屈や理論で物事を解釈したがる点だ。
『正しさ』を見つけようとするには、価値観の一理を見出すことだろう。
自己主義も利己主義も必ず、『それなり』の正しさを主張する。
子供を未熟だと思い込んではいけない。
大人を完全体だと思い上がってはいけない。
ヒトは死ぬまで未完成のまま、手探りで生きているのだから。
ある程度の年齢に達した時からヒトは大体の予測的観念で物事に応対する。
それは固体差無く、ある経験値から選択性になるからだ。
ただそれだけなのだ。
いくつになっても大人気ないのが性分と思う。
心理学や哲学などは未だに古き偉人が唱えた説を
論証しようと探しているが、時代と共にすべての価値観が変化している事を忘れてはいけない。
学問を学ぶ上で最も大切なのは鵜呑みにしないことだ。
一体、正しさをどう伝え、捉えるのか?
私にはまだ答えがわからない。
死にたくなるほど、殺してしまいたくなるほどの問題にぶつかった時
その選択肢を捨て、自分の良心に従えばいい。
私はそう思った。
ヒトは理屈では生きていない。
行き詰った時、ヒトは言葉を失う。
それが理屈では生きていない証拠だと私は感じたのだ。
未だに解明されない原因と症状、それとこれから先に起こり得るであろう症状。
私は発症から計算すれば、29年。現年齢の半生に等しい。
いい加減自分を受け入れられるようになり、何が必要で、何が大切なのか
そして何を省かなければいけないのか熟知していると言っても過言ではない。
しかし人生に於いてはまだ発展途上で未熟。
それは人並みだ。
児童心理学から社会学、哲学、発達学とヒトに関する問題を今もなお勉強しているが
それにも勝って薬学と医学は理論的に解釈しやすい。
昔、若い頃に『精神と体は連動している』と、よく言っていた。
やはりヒトがチンパンジーと違う所は、理屈や理論で物事を解釈したがる点だ。
『正しさ』を見つけようとするには、価値観の一理を見出すことだろう。
自己主義も利己主義も必ず、『それなり』の正しさを主張する。
子供を未熟だと思い込んではいけない。
大人を完全体だと思い上がってはいけない。
ヒトは死ぬまで未完成のまま、手探りで生きているのだから。
ある程度の年齢に達した時からヒトは大体の予測的観念で物事に応対する。
それは固体差無く、ある経験値から選択性になるからだ。
ただそれだけなのだ。
いくつになっても大人気ないのが性分と思う。
心理学や哲学などは未だに古き偉人が唱えた説を
論証しようと探しているが、時代と共にすべての価値観が変化している事を忘れてはいけない。
学問を学ぶ上で最も大切なのは鵜呑みにしないことだ。
一体、正しさをどう伝え、捉えるのか?
私にはまだ答えがわからない。
死にたくなるほど、殺してしまいたくなるほどの問題にぶつかった時
その選択肢を捨て、自分の良心に従えばいい。
私はそう思った。
ヒトは理屈では生きていない。
行き詰った時、ヒトは言葉を失う。
それが理屈では生きていない証拠だと私は感じたのだ。
2011年2月4日金曜日
遊んで暮らせるなら
『遊んで暮らせるなら』
世界中の誰もが、一生に一度は口にする台詞であり
それは永遠の欲望だろう。
そのために人は、宝くじを買い、博打で一攫千金を狙い、先物取引や甘い誘惑で破滅することもあるだろう。
中にはコツコツと貯蓄をして『悠々美的』な生活を送るための備えをする人もいる筈だ。
しかし、そんな暮らしが手に入ったとしても待っているのは『絵に描いた平和や安定』ではない。
誰かに付け狙われるのではないか?
もっと増やす方法はないのか?
ありとあらゆる疑心暗鬼に苛まれ、神経の休まることは無い。
揚げ句、政治情勢が悪化すれば、どこか安定できる島や国を探して彷徨うこともあるだろう。
人間の欲は無限だ。
先進国の人間に限って、これで十分といえない。
そして、躍起になり我を忘れる大人を見て育つ子供たちも同じ様に
『わがまま大王』と化し、気に入らないことや我慢できないこと、思い通りにならないことが増えてくるとニートや引きこもりになり、病気に逃げ込む結果になっている。
働かざる者食うべからず
忘れたのだろうか
それともこれはもはや『死語』なのだろうか。
私は嫌気が差す。
世界中の誰もが、一生に一度は口にする台詞であり
それは永遠の欲望だろう。
そのために人は、宝くじを買い、博打で一攫千金を狙い、先物取引や甘い誘惑で破滅することもあるだろう。
中にはコツコツと貯蓄をして『悠々美的』な生活を送るための備えをする人もいる筈だ。
しかし、そんな暮らしが手に入ったとしても待っているのは『絵に描いた平和や安定』ではない。
誰かに付け狙われるのではないか?
もっと増やす方法はないのか?
ありとあらゆる疑心暗鬼に苛まれ、神経の休まることは無い。
揚げ句、政治情勢が悪化すれば、どこか安定できる島や国を探して彷徨うこともあるだろう。
人間の欲は無限だ。
先進国の人間に限って、これで十分といえない。
そして、躍起になり我を忘れる大人を見て育つ子供たちも同じ様に
『わがまま大王』と化し、気に入らないことや我慢できないこと、思い通りにならないことが増えてくるとニートや引きこもりになり、病気に逃げ込む結果になっている。
働かざる者食うべからず
忘れたのだろうか
それともこれはもはや『死語』なのだろうか。
私は嫌気が差す。
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