今日ほど自分の症状や状態を話すのが嫌な日はなかった。
もう、今更 『一ヶ月の状態がどうだったのか』 業務報告のような事をするのが嫌だ。
さして何の浮き沈みもそれ程あらず、『相変わらず』 なのが症状だからだ。
主治医にしてみれば、微妙な良し悪しの変化をインタヴューし、経過を知りたいのは役目なのだが
私に大した差は、余程のことが良くも悪くもなければ起こらないのだ。
きっと、少しのことでも 「先生、こんな事が少しづつでも出来てますよ」 と期待したいのは理解できる。
しかし実際の私は、自分でも解らない緩やかな降下が起きており、自分に失望することばかりだ。
残念ながら、どんなに気持ちを奮い立たせてもどうしようもなく衰える機能は日々増えて行く一方なのだ。
私がどんなに今まで自分の状態について詳しく説明しても、あまりストレートには伝わっておらず、
また医師は 『臨床』 の元で建設的な対処が出来ない状態はひどくなるばかりだ。
私が本音をさらけ出しているとは、思っていないだろう。
逆にそうであるのか、そうでないのか、見抜けてはいないだろう。
私が本音を訴える訳がない。
それは、医者がどんなに出来る限りの手を尽くそうと努力しても、すべてが逆効果になってしまったのだから、もう何も建設的な手が打てなくなっているのだから
『双方、話に行き詰る』 のが当然だ。
予約なんか最大限引き伸ばせるだけ、引き伸ばしたい。
人は苦難の中にある時、一筋の光を求めて努力する。
しかし、その一筋の光が見えなくなった時、何を求めて努力するのか。
私は医者から、その可能性に賭けるだけの光を教えて欲しい。
打つ手なし、現状温存
温存もままならない、下降する私に医者は
『以前より一時に比べたら、元気になったねえ』 と2年前と比較されても納得が出来る訳がない。
どこをどう見て、比べて 『元気』 だと写るのだろうか。
もう、何も話したくない。
でも、通院しなければならない。
何のためですか?
落ちぶれる自分の能力を説明し、自白するためですか?
誰か教えて下さい。
この何の前向きでない通院をする必要性を。
解っています。真摯的にどうすることも、もはや不可能な私に、それでも大勢の患者を抱えつつ少しでも役に立てることはないかと暗中模索して下さっている事は。十分、解っています。
先生、悲観的になってごめんなさい。
そしてありがとう。
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