私には解らないことが、まだまだ沢山ある。
そんな事はごく当たり前のことだし、誰でも何もかも解っている訳ではないことくらい解っている。
でも人は『わからない』という事が不安に繋がり、暗闇で光の在りかを手探りで右往左往している状態と同じだから、『知りたい』と思うのも自然な感覚だ。
今まで、一生懸命勉強してきたことがどれ程、自分や家族、困っている人の役に立ったか知れない。
無知は不幸なことだ。
これは、『知らぬが仏』とは違う。
『知る』ということは、生きる知恵であり、困難や苦境に直面した時にその重要性を初めて気付くことも多い。
しかし、もう私はこれ以上知りたくない。
どうにもならないことを堂々巡りして、まだ何とか少しでも、ほんの1ミリでも好転するようにしようと努力するが、それは逆に負荷を掛けているだけのデメリットでしかないのかもしれない。
結局私のしてきた勉強は、デメリットの方が多かったのかもしれない。
自分のことも、子供のことも、もう何も知りたくない。
考えたくない。
それが例え無責任であろうと、逃げであろうと。
知りたくない。
新しい出来事も何も要らない。
本当の生きる屍になってしまったら、なんてね。
既に私は何十年も生きる屍だったのだから、今更わざわざ、そんな事考えなくてもいい。
すべてが一瞬にして跡形もなく消し去れたらいいのに。
自分が生まれたことも、軌跡なんて要らない。
疲れた。
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