私は無意識に『やりたいと思う事はやれる内にやっておこう』と
時間を取り戻す様になのか、あるいは余生に思い残さない様になのか、毎日を過ごしている。
娘たちには『今しか出来ない事』をどんどん惜しまずやった方が良いと言い、どこかで自分の様にはなって欲しくない思いがあるのかもしれない。
これは140文字のTwitterでまとめた、今の自分の心境だ。
まだ、病気の確定診断もされず、それなりに元気だった頃の事を思い出す。
苦しい時に『成せば成る』と、いつも自分が元気だった頃どれくらいの事が出来ていたのか
考えて、ぐっと気力を持ち上げてきた。
仕事を見積もる時に、大体の作業内容と所要時間を照らし合わせて、目標を決めるのは当たり前だ。
何事にも締め切りや期限があるように、家事や育児にも段取りの取り方や見積もりが作業の効率化に繋がる。
私は、殆どのことを 『合理的』 に 『事務的』 に進める。
ただ、考慮すべきは対人関係がある。
人は計算通りには動けないし、生身である故、段取り通りには動かせないものだ。
しかし、私は自分に見積もりを立てなければいけなくなってしまった。
例えば、食品の買い物一つでも、行く体力があるかないか?
問題なのは行けたとして、果たして帰って来られるかが大変なのだ。
子供と話し合って 「お母さん、行けそう?」 と聞かれた時点で
「そうだねえ、帰って来られるか、どうか考えなきゃね。ちょっと待ってねえ」 と答える。
何か一つの事をやろうにも、最後まで出来るか考えなければいけないのは非常につらい。
「たった、これだけのことなのに」
そればかりに追い掛け回されている。
さすがに20年以上もこんなことばかりが続くと、いい加減自分に嫌気が差す。
それでも、大丈夫だと思ってやったことが、とんでもないしっぺ返しをどれだけ味わったか知れない。
大阪の友達の所へ泊りがけで遊びに行って、クラブで踊ったり、カラオケに行ったり、ショッピングをしたりして2泊3日で帰ってきた、その晩、アナフィラキシーショックで倒れた。
娘とコンサートに行ったら、公演中盤から体中が痛くなりだし、帰りは1時間くらいソファーで横になってから帰ってきた。
別の機会、娘をコンサートホールに送って行き、私はロビーで待っていた。
14年ぶりの公演は大幅に時間を延長して、3時間もあったが、私はその間中ソファーで全身の激痛にのた打ち回っていた。
歩いて買い物に行き、スーパーに到着するや否や大量の汗をかき、顔面蒼白で口も利けない。
ベンチに横になっていると、娘が保冷用の氷を沢山ビニル袋に詰めて持ってきてくれ、冷やしてくれた。
言えばキリがないが、そんなことになるなんて予測がつかない事態は日常茶飯事だ。
でも、私は諦めない。多少は懲りたが、まだ楽しめる事や本来なら気にもせず出来る事をやろうとする。
今、機会があればと心がけているのは、映画館で映画をタイムリーに観ることと、美術館で催される展覧会に極力行こうとすることだ。
その次が、特に海外からのアーティストのコンサートライブに行く事だ。
昔、通っていた高校のすぐ傍に博物館があって、何十年に一度のゴッホ展がやっていたのだが
体調が悪く、結局行けなかった。
その後、日本で大規模なゴッホ展はまだ開催されていない。
それを今でも後悔している。
そして、あの時よりもっと体調の悪くなってしまった今、後悔したくないという思いが強くなった。
例え、その場で倒れて救急車に乗るような結果になってもやりたいと思う。
家族や病院関係者や色んな人たちに迷惑をかけてしまうけど、それでもやっぱり私は活き活きと
私なりに毎日を過ごしたい。
誰にでもあるでしょ。
『死ぬまでに一度はやってみたいこと』
『叶わないかもしれないけど、一生に一度やれたらいいなと思うこと』
私は挑戦し続けることを決して諦めない。
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