各地でこの災害の影響による『買占め』が問題視されている。
政府も 「被災地以外の買いだめを控えて欲しい」 と声明を出しているが
この問題、賛否両論はあるだろうが、果たして買いだめする事は本当に悪いと言えるだろうか。
私の居住地には、いわゆる『世界の〇〇』と言われる大企業の本社や工場が沢山ある産業都市だ。
トイレットペーパーなどの製紙業王子製紙、食パンを製造するフジパン、敷島パン、brother、TOYOTA、大同特殊鋼、パロマ、トヨトミ、バッファロー・・・などなど。
今、福島原発事故のために節電が呼びかけられる中、この全国へ様々な物資を製造提供してきた企業は工場の稼動停止をしている。
そうなると、これから経済状況が更なる悪化をし株価暴落の影響を受け、確実に運営が困難な状況になるのは目に見えている。
ただでさえ、震災前まで会社再生法で倒産や援助を受けなければならない程、悪化していたのだから、この先は言うまでもない事態が待っている。
今はまだ、備蓄材料で製造できるだろうが、果たしてそれがいつまで持ち応えられるかが分からない。
ならば、個人で今の内に備えようとするのは 『間違いではない』 のではないだろうか?
緊急事態に備えておくのと、必要以上の混乱的物欲からの買いだめとは意味が違う。
全国の都道府県に対して被災者の一時受け入れが始まったようだが、その時に隣人が被災者だったとしたら、備えておいた物をお裾分けすることも出来る。
被災者自身に預金を少しでも吐き出させず、復興できるようになった時のために残しておける様にするのも役に立てる手段だと思うのは私だけだろうか?
大都市では人情が薄らいでしまっている。
私は東京の池袋で育った。
昔、向こう三軒両隣とよく言っては、米、味噌、しょうゆをちょっと隣近所に借りるような話をよく聞いた。
それを今、それぞれの人が行っては時代にそぐわない行為なのだろうか。
引越しをすると消耗品は特にゼロから揃えなければならず、引越し代金の出費に加えてとてもお金が必要になる。
その日から必要な物が沢山あるのだ。
被災者は家財道具の全てを失っており、とりあえずの身の回りの物かあるいは着の身着のままで非難している人が大多数だろう。
そう考えると、自分のためだけでなく引っ越してきた隣人が被災者であった場合にも、この買いだめの備えは大いに役立つと思う。
それこそ実質的な「小さな力の支援」になる。
私がこのような考え方をするには理由がある。
10年前のこの時期に私の実家が全焼した。
そこには母と兄家族が同居していたが全員着の身着のままで脱出したため怪我もなく無事だった。
私は何軒か離れた所で生活をしており、近所の人がうちの玄関を叩いて『火事だよ!あんたの家火事だよ!』と知らせてくれ駆けつけると既に火の海だった。
そこに呆然と立ち尽くした母と兄が居た。
そして兄の子供たちは、近所の人のガレージで借りた毛布に包まり座り込んで居た。
私の家にはたまたま、お米が沢山備蓄してあった。
母と二人で「これで何とか食いしのげるし、必要な物が私の所にだけでも分散してあって良かったよ」 と話した。
しかし、母の貴重品はすべて灰の中に埋もれてしまったため、私は必死で翌日から一週間かけて、焼け跡から掘り返したが大半は燃えてしまった。
そして、この日から売れる物を売って、『竹の子生活』 が始まった。
その時、役所からの援助は災害毛布と一万円の見舞金が支給されただけで、町内自治会からの見舞金と知人からの見舞金が少しあった。
このような経験をした私は、その時、どのような支援があったら助かったのかを知っている。
同時に世間の厳しさや何としても生き抜こうとする根性も知っている。
だからこそ
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