2021年9月22日水曜日

太陽のちから2020/4

 睡眠障害の私は、常に体内時計が狂っている。

単純に、昼夜逆転といった具合ではなく、クルクルと潮の満ち引きのように毎日少しづつズレて一定の時間に眠れない目覚められない。

医者も他人も信じないだろうが、それでも私は太陽と共に生きている。
陽が昇れば「ああ朝だ」と意識し、夕暮れになれば「もうすぐ夜になっちゃうから」と用事を済まそうと無意識に意識している。

太陽には明度、彩度がある。
光の加減が自然とあるお陰で、私たちは『何時頃』を意識出来る。
しかし、月には多少の明度があっても、残念ながら日没から夜明けまで約10時間 ”暗い” だけだ。
約14時間、”明るい” 時間が毎日ある。


その通りに、私は10時間睡眠を取ると割と充電出来て体調がましだ。
自分の中で『夜は寝る』習慣は残っている。


10年20年、睡眠訓練を実践しても…

起きる時間を決めるのではなく、寝る時間を決める訓練を自分で考えて実践した事がある。
1時間づつ早めて行く訓練。
スタートは夜中4時だった。
そこから1時間づつ早めるのに一週間掛けて、1ヶ月で夜12時に眠るところまで出来て、あと30分早めるのに更に一週間訓練をした。
結果夜11時30分には眠れるようになった。

それでも10時間も起きない私の身体は、朝9時過ぎまで眠ったきりだったが、世の中と同じリズムで生活出来るようにはなった。

その次の課題は、15時間起きていないと寝付けないという問題だった。

そうやって問題の1時間のズレで、次第にまた眠る時間と起きている時間の調整が難しくなって行って、無理なんだ…と悟った。

その時思ったのが「そもそも何のために睡眠訓練をする必要があると思うのか?」という疑問だった。
世の中が朝9時~夕方5時までの営業時間で動いて、皆がそうやって生活と仕事をしているから。
たった、それだけの理由で、自分も同じようにならなくてはいけない、漠然と思い込んで一生懸命、早く寝なきゃ早く起きなきゃと訓練していた。
持病があるのに、その根本的な事が治療出来ないのに、”寝ること” だけを治そうとしても無駄なのは当然だし、睡眠障害を良くすれば持病も良くなるという医者の言い分もおかしいと気付くまで20年も費やした。


眠ることの大切さは、臓器を休めさせ回復させることにある。
そう理解してからは、時間に拘らなくなった。


陽当たりの良い家

西向きの家に住んで居た。
昼過ぎにならないと窓から太陽の光が入って来ず、半日しか明るい部屋に居なかった。
でも西陽は強くて結局カーテンを閉めて部屋の照明を着けないと明るい家にはならなかったから、せっかくの太陽の明かりも役に立たない。

今居る家は、一日中陽の当たる家で、カーテンで遮光しないと眩しいくらい明るい。
逆に夜は街灯があっても真っ暗。
ちょっと暗いどころではなく、足元も見えないくらい「本当の暗闇って、こういう状態なんだ」と初めて感じ、怖いと思った。

お陰で、夜に何かをしようとしても暗くて見えないから…とやる気をなくして、コンビニがあっても真っ暗で歩けないし誰も歩いてなくて怖いから行きたくないと思うようになって、自然と「明るい内に」と行動するようになった。


昼間寝ていてしまって、起きたら夜になっててしまうと、勿体ないと感じる。

日中は煌々と太陽が当たるから、湿度の高い土地柄で部屋の中に湿気が籠りやすく、布団やラグを干すのに丁度良い。
あまり陽が高くなり過ぎたり、夕方前は陽射しが強過ぎて外に出られない。
だから自然と、朝の涼しい内に、夕方涼しくなってから、そういう生活が出来るようになった。


これが陽当たりの良い家の素晴らしい処だ。


太陽のちからの素晴らしさ

土地柄も影響力はあるだろう。
窓を開けて、良い空気と良い景色なら居心地の良い家になる。

ここは、銀座のど真ん中のような場所。
決して窓を開けて良い景色が見える訳でもなく、国道沿いにあるから車や大型トラックの通りが多い。

それでも多少の山や空が見える。

朝方寝ても、窓から射し込む太陽のキラキラした光と熱風が入って、目覚めるしかない。

睡眠障害の外来で言われているように、日光には脳覚醒リズムのリセットをする作用があるというのが、これだ。
否が応でも脳が起きる。

日中に太陽に当たれば、脳は昼と夜を認識する。


何年間も訓練しても治らない睡眠障害を多少でも改善させたのは、やっぱり日光だった。
15,000ルクスの朝陽の光を人工的に照射しなくても、陽当たりの良い家に居れば人間の身体はきちんと反応し、同じ時間に目覚めるようになれる。

ただし、そこには本人が日中に起きたいと思う意思と夜間は寝て居たいと思う気持ちがきちんとなければ無用の長物になってしまう。


私は、病気で生きていたくない。
だから、晴れた日に太陽をいっぱいかんじながら何が出来るも出来ないもなく、ベッドから出て、モーニングコーヒーを味わい、昼時のワイドショーを見て、夕方のニュースを見ながら人並みに夕食を食べて、11時のニュースの前には入浴をして、つまらない夜中のテレビショッピングが始まったらベッドで論文を眠くなるまで読んで、『寝落ち』したい、と思う。

熱中症の元になるから嫌がられる太陽だけど、すべての生物に欠かせないのが光合成。
そんなことを半世紀経って改めて実感した。

2020/9/13『止まれない脳』の、その後、過労死寸前を実体験した記録

 ※これは実際に起こった脳過労死しそうになった体験です※


この記事を公開することで、何の意味があるのか?

何の役に立つのか?
自分を暴露する事で何が得られて、何を失うのか?
何もよく理解は出来ていないが、過労死で家族を失った人や、自分が同じような体験をしたという誰かに、この告白のような記事で、『過労死』を招く実態の成り行きを少しでも知って頂けたら、救いになるのではないかと思った。


まず、これは間違いだった。これが間違いの元だった。

過労死を防ぐために

仕事以外の人間関係を作る方が良い。
無駄な用事を作った方が良い。
サボることをわざとした方が良い。
誰かに仕事するのを嫌がられた方が良い。

それがストッパーになる。

承認欲求よりも大切なのは、あなたと遊ぶと楽しいと思われる重要感だ。

止まれない脳の持ち主は、すべてに於いて全力投球してしまう。
遊ぶことすら暴飲暴食のようにしてしまう。

その気質を自覚しておくこと
それが一番、自分や周りの人間を守ることになるのを決して忘れてはいけないと感じた。


2020/9/13以降に起きた状態

恐らく自分でも過労死を予感していたから、その記事を書いたのだろうと思う。
第一段階9/20:パーンと脳がキレた。
決して感情がキレたのではない。
起こるべくして起きた『もう耐えきれない』事態が起きたのは確かだが、普段通りの思考なら行動の仕方が、まず違っていただろう。

全ての物事を排除したくて、でも排除出来ない社会的立場や体裁がある後先を考えて、じっと部屋に籠った。
何とか堪えよう、やり過ごそう、考えないようにしよう。
そう思って、思考停止させるために呑めなくなっていた酒を頑張って飲んだ。
煽るように飲もうとしても、今更入って行かず、たった3杯の焼酎の生(き:ストレート)しか飲めなかった。
飲んでも正気は狂わず、消えて行かない。
ドンドンと冴えてきて、余計に思考力が働く。

これは一種のアルコールによるアセトアルデヒド覚醒だ。

時間が経てば効いて来て眠くなるだろうと待っていた。
回って来た途端に、ふーーっと、
「よし、もう死んでしまおう!」と行動に出た。

ところが、思考の感覚が鈍って居らず、敏感になっていて、
「嗚呼これじゃ無理だ」
そう察して、1時間もすれば眠ってしまうから、もう寝てしまおうと布団に潜った。
眠れた。

そこへ家族の歩く物音がして、朝7時ガバッと突然目が覚めた。

そこでパーン!と、脳内破裂音がしたような感覚でキレた。
根本的解決
根元、動機を絶てば良いんだ。
それが引き金になって昨晩のような事にまでなったんだ。

そうして、根元を絶つ行動を起こした。
それはそれで、まあ良かろう。

問題は、ここから脳の過労死までの道のりが始まってしまった。

それから何故か、一つ断ち切った筈なのに、隙間を埋めるかのように、もう一方の継続的になっていた無理を上塗りする状態が更に倍増して、連日連夜、怒濤のような毎日が始まってしまった。

それが冒頭に間違ってると引用マーカーで記した部分のことだ。

全てが逆効果だった。
全てが裏目に出た。
全てが、過労死へと導いてしまう行動に繋がっていた。


9/29:一旦距離を置きたい

そう申し出て発展した悪循環を断ち切ろうとした。
……が、相手には歯止めが効かず、ドンドン押し迫られてしまった。
それは思い当たる節があれど、『何もそこまでしなくても』という、フツーの人、健康な人が考えることなのは理解できる。
相手には相手の思いやペースがあって、だった。

それに付き合える状態ではないくらいの異常事態が解っているのは自分だけだった。
それを説明して聞いて理解してもらえる余裕は、相手には無かった。


迫る過労死までのカウントダウン

一旦は、『分かりました』と返事が来たものの、納得がどうしても行かないのか、翌日から送られてくるメールのラッシュ。
相手して返信しても、しても、相手の言い分は押し付けて来る一方、キリが付かない。
いつまでも止まらない受信。

とうとう、相手の気に入るセリフで「分かったよ」の雰囲気を伝えたら、ようやく止まった。

そこで私の疲れ果てた脳は、逃れる準備へと向かった。


10/4:その時が来た日

朝から、いつも通りの習慣の時を過ごしつつ、日暮れどきを待っていた。

必要な最後の荷物をカバンに入れて、手紙を書いて、準備して、
「じゃあね。ちょっと出てくる」と家族に声を掛け、何事もないかのように犬と家を出た。


行きたい場所に真っ直ぐ向かった。
一人、犬とボーッと静かな誰の目にも止まらない場所で、空を眺めていた。

独り言で、ある人に向かって話しかけていた。

実行する手段は決まっている。


ただ、あの世とこの世
この世の未練
後先

色々と考えては居ても心は決まっていて、待っていた考えていたのは、自分を踏み留まらせる方法だった。


たった一言を待っていた。
もう良いんだよ
それが聞きたかっただけ。

でも逆の展開へ。
留まらせる処か、背中を押してしまう一言を投げ掛けられ、
それがトリガーになってしまった。

あれよあれよという間に、
一瞬にして、正に ”土壇場” に立たされた


その後

土壇場からの経緯は書かない。

人生で初めて『ドクターストップ』をされた。
一連の事情を淡々と説明し、兎に角仕事と実験だけでも時間が足りないくらいに、寝ても覚めても、ずっと3ヶ月間不眠不休だったこと。
そこへ親密に迫って来られた他人との問題、生活上のこと。
すべてが24時間、私を休ませてはくれない状況に押し迫られていたこと。

盆休みでありながら、取引先はカレンダー通りだから…と、自分が早く聞きたいだけでメールの返信をくれという催促。

盆明けから一体どれだけの他人の言い分に振り回されてしまったのか。

一言「オーバーワークなんです」
「兎に角、ラッシュ。それで脳が思考の疲労の果てに過労死を引き起こした」
「自分で、このままだと過労死する危機感を持っていたけど、周りが止まらせてはくれなかった」

それで、つじつまが合って、ドクターストップになった。
強制入院もなければ、処方もしない。
家でゆっくり休んで下さいね。
もし次にこういう事があったら、あなたが死んでしまうか、入院になりますから注意して下さい。
ご自分が一番よく解ってらっしゃる。
仰る通り、持病だけでも動くのが大変なのに、その持病が引き金で脳が疲れ果ててしまった結果ですから、精神科的問題ではありません。


そう言われた。


いつも疑われてきた。

躁鬱で躁転してるんじゃないか?

精神病気質があるんじゃないか?

パーソナリティー障害なんじゃないか?

自閉症スペクトラムの方向があるんじゃないか?
うつ病じゃないか?

初対面の医者が、私を決めつけ、間違った診断や間違った処方をどれだけして来ただろう。
でも、この時の初対面の医者が、私は『精神病ではない』事を全員の前でハッキリと証明してくれた。


解放された疑いの目

私のしている勉強や研究、仕事は高い専門性のある物で、少しかじった程度では語れない。
ましてや説明しても、相手に理解するだけの知識がなければ通じない。
それは専門用語も業界用語も一切使わなかったとしても、まず”理屈”が解らず、仕組みも全く分からないくらいに、ほとんどの人にはチンプンカンプンなのは、私自身が解っている。

ともすれば『妄想と虚言』と受け取られたりもする。

要するに、肩書きと名刺がモノを言う社会だからだ。

でも、この時の医者には、私の説明する理論立った ”プレゼン” のような会話が理解出来たようだった。
全く根拠のない絵空事ではない、『志』それを理解してもらえたのだろう。


周りが ”信じる” 色眼鏡に変わった。


でも、身体と脳、精神がボロボロ。
かろうじて救いは、精神が崩壊しなかったことだ。


だからこそ、尚更まだ止まれない脳を止めようと自分でコントロールする訓練をしている。
『止まれない脳』の持ち主は、一人で居るのが良い。
一切を遮断してしまっている、世間で言うなれば ”変人” で居る方が身のためだ。

視覚から入ってくる情報が、聴覚と連動して、3D、4D映画館のように360℃方向、すべてのものが頭に入って来てしまう。
疎かに出来ない、取捨選択が出来ない。


記憶の神殿

それを何かしらで見聞きした事がある人も居るだろう。
私の脳には、それがある。

すべての記憶が蓄積、積算型で消せない。
短期記憶障害があっても、何故か長期記憶は必要なときに引き出して来れてしまう。まるで整然とファイリングされた辞書のように。
短期記憶障害もぜんぶという訳ではない。
それを取捨選択しているだけで、振り分けて適度に消去したかのようにして、誰か他者やデバイス、メモに記憶(メモリー)しておく事でそれを ”しおり” の代わりにしているに過ぎない。

そうやって脳過労死を防止して来た。

何も特殊能力な訳ではなく、これは誰でも持っている脳だと私は思う。
よく『その事は私の辞書にはない』と言うでしょう。


過労死し掛かったら、通常の活動に戻るには相当な時間が掛かる

それを忘れない方が良い。

薬で鎮静化させるのも良いだろう。
しかし、それも逆効果だと経験上アドバイスしておく。

鎮静剤は、もっと『考えたい衝動』を呼び起こし、悪化する。

脳過労死の治療は、

何もしないこと。
それに限る。

テレビも消す。
電気も不快感を感じたら消す。
生活雑音を減らす。

そして、家族との会話すら減らしてしまう。
家族の何気ない声や会話すら、記憶して分析しなければいけない物事のように過敏・過剰反応してしまう。

要するに、死にそうになった脳は、そういう反応をしてしまう。


沈黙の世界を適度に、外界のストレスと共存しながら保持する訓練しか解決する手立てはない。

犬と私の生活その後

 今うちのトイプードルのコロンは10歳になりました。

この記事の前の6歳の時に、ヒヅメをかじっていて歯が折れてしまいました。

それがきっかけで獣医さんに行ったら、この田舎には1件しかないというのに抜歯は大学病院に行って下さいと紹介され、行ったこともない60km以上離れた高速道路を使わないと行けない獣医大学附属病院まで飛ばされてしまいました。

多分、先生の出身大学で、別の民間獣医との連携や親交がないから、そんな所に行かされたんでしょうね。

全身麻酔をしないと抜歯出来ないので、血液検査をしてから検討しましょう とのこと。

この血液検査で、脾臓腫瘍と胆泥症が見つかりました。

脾腫はまだ最近出来たばかりのものかもしれない。

ということで、抜歯どころではなく、脾腫の摘出手術をしないと命が危険な状況になると言われ、呆然としました。

『犬の脾腫と胆泥症』については検索して調べてみて下さい。


説明があやふやで、危険だの、様子見をしても良いかもしれないだの、すぐに手術した方が良いだのとはっきりしませんでした。

悪性であろうと良性であろうと摘出しなきゃいけなかったのが解ったのは、元々のかかりつけの獣医さんの所に行って理解したことでした。

肝障害を起こしていたので食事療法も薦められ、療法食の高価なドッグフードに変更しました。

元々、ずっと食べてきたドッグフードは体質にも合わず、よく吐き戻しや嘔吐をしたりしていて、あまり好んではいませんでした。

このドッグフードの蓄積が原因とも考えられるといった感想。

そんなに悪いメーカーのものではありません。

ごく普通のよくある”良い”メーカーの物を与えていたんですがね…


先生の計らいで、シニアになると子宮蓄膿症という病気にもなりやすいから避妊手術を併せてやりましょう、そうすれば医療点数が避妊手術代のついでという形で全部の手術が出来るから。という訳で避妊手術もすることに。

すると、眼力すごし!

子宮蓄膿症にもなり始めて居たところでした。


そんなこんなの大手術と2年間の治療をして今では、胆泥症の症状も和らぎ健康なおばちゃん犬で、のんびり過ごしています。


生まれた時から沢山の動物と犬と過ごして来ましたが、コロンは本当に病気をしない丈夫な犬です。

耳が垂れている犬種によくある『あめ耳』の外耳炎やただれ、垢などの症状もなく、トイプードルにある膝関節の弱さと目ヤニくらいでしょうか。

皮膚病もなく、風邪も引かず元気です。

最近はシニア犬特有の乳頭腫といういわゆる”年いぼ”が胴体にボチボチ出来ています。


最近、私が寝ている時にやたらとバタバタと音を立てて一定の時間に私を起こします。

何でだろう?と思って居たのですが、どうも私は寝ている時に呼吸が止まったり、仮死気味になっているみたいです。

体温がすごく下がって34.5℃くらいになって、真夏なのに寒さで布団にグルグル包まったり、びっしょり汗をかいて飛び起きたり、かなり乱高下しながら失神しています。

血圧も低血圧と高血圧の158以上など乱高下。

脈も飛ぶ、弱い、遅い、少ない

そんな状況なので、おちおち寝て居られないのでしょうね。


多分、毎晩死にそうな状態の中で寝ているのかもしれません。

大抵、目覚めるタイミングは頭痛の大激痛が起きて覚醒といった具合です。

それがなければ覚醒しないのかもしれないなあと気付きました。


コロンが看病しているようなもので、可哀相な思いをさせています。

私が起きると、飛んで跳ねてコロンは喜びます。

「お母さんおきたー!!!」という感じで、横になったまましばらく居ると、顔の上だろうが胸の上だろうがドカーンと体ごと乗っかって来て、ゴロンゴロンして本当に喜びます。

その後は、私が起き上がって具合悪そうじゃないか確認したら、適当に自分のお気に入りの場所で、私の近くに寝転がっています。


犬は勘が良いと言います。

飼い主に危険が迫るとジタバタして、騒ぎます。

それが毎晩毎朝のことですから、気が休まらないでしょう。


それでも、これが私との生活。

私との生き方。

それ以外の世界を知らないから、隣の芝生が青くは見えない。


こんな私との生活が嫌で離れていった家族や人たち。

今は、犬と二人暮らしの平和と平凡と孤独な生活を満喫しています。


慢性疲労症候群の神経障害の怖さ:2018/6/24

 私がこの病気が判明した時、細菌学に最も詳しい母は、とても驚いていた。

すぐ様に、この慢性疲労症候群に関する本を私に買ってきてくれた。
それから数十年、私がWHOの研究成果で読んだシガテラ毒の事を話したら、
うっ、と一瞬黙り込んだ母の姿を覚えている。

料理人の人なら、フグのシガテラ毒といえば、どれ程恐ろしい物なのか理解出来るのだろう。

母は料理人でもあった。
中枢神経が障害されるものの中に、シガテラ毒に類似したものが神経障害を引き起こしている可能性があるんだってよ?
と、何気なく言うと、
『 アンタ!もしそれが本当なら、とんでもない事だよ!?』と言われたが、何もピンと来なかった。

それから更にいま9年近く経って、理論生物学が解ってきた私には、その時の母の反応がどういう事を意味しているのか理解出来るような気がする。

『 どうしようもないから、病気と上手く付き合う事を勉強しなさい』
『 あなたには何も出来ないから諦めなさい』
『 医者にもどうする事も出来ないよ』

そう言って、私が悲しむから言わなかったということばかりだった。

菌は、抗菌剤や殺菌剤で死滅させて排除する事が出来る。
毒は、抜き取るか解毒剤で排泄させて、全身に回らないように対処すれば助かる。
ウィルスは、ワクチンで予防出来るが、基本的には抗ウィルス剤がないために自然と体内から排泄されるか高熱で自分自身の身体で死滅させるしか対処法はない。

大抵の場合、猛毒には全身に回るスピードが早い物が多くて、発見や対処が遅れると死に至るのは並の知識でも分かる。
神経毒となれば、真っ先に侵されるのは脳だ。
脳が侵された場合には、全身と精神の機能に相当なダメージを受け、そこから回復するのは、かなり難しく何かしらの後遺障害を発症するのも当たり前だ。
脳は再生できない。

毒を排除出来たとしても、一度損傷を受けた脳機能が再生する方法がなく、次々と起こる後遺症に対処療法で対処していくしかないのは、水俣病などの神経障害の記録から理解することが出来る。

化学的な神経毒は、排除できない。
身体に沈殿して生涯その毒素を体内で排出し続けてしまうからだ。
水銀、ヒ素、アルキル酸化合物、六価クロム……
私は子供の頃から、それらの環境基準を大幅に超えた物質に触れて、曝露され続けて来た。

ある種の公害病だ。

私が化学物質過敏症なのも、シックハウス症候群が強烈な反応をするのも、薬剤過敏ですぐに重症化したり重症薬疹で死にかけてしまうのも、すべて脳が長年をかけて学習した生体防御反応なのだ。

猛毒の残存と共存しながら生きる

だから、母が『 もうおしまいだ』そんな顔をして、今日一日を精一杯生きることを考えなさい、そんな事ばかりを私に言って、好奇心と向上心の強い私に「よしなさい、やめときなさい」しか言わず、何もさせようとしなかったんだ。
人一倍、あーしろ、こーしろとうるさかった母なのに、何もやろう!と思うな、ばかり。
医者にも他人にも「分かって貰おうと思うな」ばかり。


初めから無理だったんだ。
生きているだけでも、不思議なくらいの状態なんだ。

実感がまったくない私には、へえ~そうなんだ……くらいにしか分からない。
それくらい、この神経障害は脳を麻痺させてしまい、疼痛緩和の薬は鈍感にさせてしまうんだ。

毒と麻薬
毒を盛って毒が制さず、毒を増殖させるだけの悪循環

そうやってしか僅かな平穏な日常生活が送れない。
まるで他人事みたいな感覚だ。
正に、これが神経毒による神経障害だろう、と思う。
慢性疲労症候群の神経障害の怖さは、身体的な問題だけではないのが、
少しだけ解ったような気がした。

癌性疼痛の緩和ケアを勉強した:2017/4

 事の発端は、自分に処方された薬の飲み方がよく理解出来ないことから始まった。

国立がんセンターのホームページをじっくり読んだ。
主にモルヒネの投与に関して書かれてあったが、そもそも癌性疼痛とはどういう状態なのか?と思い、次にそれを調べて読んだ。
そして、その治療薬にも段階があり、投与する薬剤の性質や種類、併用する種類など組み合わせ等々をじっくり読んだ。
最後に自分が処方された薬剤そのものを読んだ。

文献なので、とても難しい部分もあるが、理屈と理論がきちんと整理されて書かれてあるので、私には、その疼痛緩和ケアの実践テクがよく理解出来た。
しかし肝心な処方薬の飲み方や扱い方が、どうにも府に落ちず、いまの私にどう使用するべきなのか解らなかった。

それは、その薬の使用承認が厚生労働省から中々降りずに来たことであったり、長年痛みを我慢するしかなかった状況下で、痛みに対して鈍感(マヒ)になっていたからだ。

主治医は文献通りに定期的服用をきちんと説明している。

痛みがない時でも飲むの?
そこが引っ掛かっていた。

丸二日間、文献を読んで、やっと理解出来た。

それは『日常茶飯事、四六時中痛みがあって動けないで苦しんでいるのに何故痛み止の使用をためらうのですか?』という文章と、その痛み止は1日に4回使用しなければ疼痛緩和ケアにならない薬剤という文章だった。

1回飲めば痛みがなくなって、嘘のように動けるようになった。
だから、前のように一日中悶絶する痛みに襲われなくて済んだ。
それなのに、1日に3回とレスキューで1回飲みなさい、と言われても「そんなに飲む必要あるの?」と疑問があった。

子どもの頃から、この身体で生きてきた私には自分の置かれた状況を今更ながら理解出来ない。
これが当たり前、仕方がないと言い聞かせて諦めて、もう抗う想いも消え失せた。

有難いことに、私の主治医は専門医だ。
日本で初めて研究が始まった時に出会った先生。
その時に残念だが私は既に手遅れだったのだが、時代と共に新薬も進み、それなりの段階的な治療を受けて来た。
しかし、ある投薬がきっかけで次々と使えない薬剤が出てきてしまい、治療の限界と現代医学の限界に陥ってしまっていた。
それから9年経って、この薬剤の緩和ケアが始まった。

恐らく、これが最後の有効手段になるだろう。
それも現状維持を苦しまずに出来るようにするためのもの。

癌性疼痛の緩和ケアを勉強して、主治医が施したい本来の緩和ケアを知った。
それさえ出来たら、もっと改善されて社会復帰も可能かもしれないのに。
それが主治医の憂うつそうな表情の理由だったのだ、と理解出来た。

納得出来るまで勉強してみて、沢山の事が理解出来て良かった、と本当に思った。

痛み止を使っても:2017/4/17

 使ってみて、とても楽になった。

今日は一日、起きてから色々と動けた。

それでもベッドに入った時、
嗚呼、やっぱり楽だ。
そう感じた。

こんなにも横になっている方が楽だと感じるなんて。

改めて、自分の具合の悪さや重症度を認識した。
そういうものなんだ。


今まで病気の存在すら知らなかった時代があった。
治療法すら判らなかった時代があった。
薬すら無かった時代があった。

35年以上、こんな我慢ばかりをして生きてきて、もう治らない、良くならないと言われてきた中で、新型の治療法を試しても所詮この程度の回復率しかない。

仕方がない。
悶絶しないで済むだけマシ。
そう思うより外なく、どこまで、何が出来るようになるか?なんて目標を立てるのは止めようと思った。

散々、誰にも教えられず自分で勉強して実践してきた認知行動療法も効果はそれほど、もうないのだし、新たな課題にチャレンジするのは酷だと思う。

何にもなく、無事に苦しまずに一日が終われば、それだけで十分だ。

嗚呼、楽。

疼痛管理を一週間実行して:2017/4/17

面倒だなあと思いつつも、服薬記録を付けて、効果と服薬時間をメモとグラフにして一週間やってみた。

薬の効果は確実にあるようで、身の回りの細々とした家事が少しこなせた。
昨日、就寝前に寝床で「これなら少しは働けるのではないかなあ」と思い寝付いた。
今日、目覚めて、それは無理だと感じた。

よく寝たはずなのに、疲れ果てたような状態。
まだ起き上がるのもしんどい状態。
いつも通りだった。

2回の服薬を1回でも足りるのではないだろうか?
2回飲めば、働けるようになるのではないだろうか?

その想いは勘違いの期待だった。

昨日、洗髪をしたから疲れてしまったんだ。
洗っている最中から、何度も休み休み、疲れと痛みがあった。
終わるとどっと疲れ果てていた。
そして目覚めると、全身倦怠感のベールにまとわりつかれている。

医者の言う通りにしてみよう。
最低限、不快症状を取り除けるよう生活しよう。

ありのまま
と、記事を書く私自身が抗って、何か不可能が可能になるのではないか?という期待感を抱いて、ありのままの自分を分かっているつもりに、たった一週間でなってしまっていた。

やっぱり、ほんの少しだけでも誰もがしている生活を当たり前にしたいと思う。
仕事をするのが元々好きだから、どんな仕事でも良い、やりたい、稼ぎたい、そう思う。
こんな身体になっても、私はまだ諦めてなんか居ない。
それに気が付いた。

こんな生活や人生のままで良いなんて、ちっとも思わない。
やる気を失っていない自分が此処に生きている。