2011年3月1日火曜日

寂しさ

いつもの事だが一日の終わりに自分を振り返る。
ふと、今日の事を考えると寂しくなる。

それは私にはQ.O.Lなんて言葉は当てはまらないからだ。
生活の質の向上
そんなこと望んでも無理だ。
私の生活の質は、体の状態と正比例して悪化する一方。

なぜ体調と生活の質が正比例あるいは反比例してしまうのだろう。
一往に安定しない、何もかもが安定しない。

ただ、ひたすら安定を求めて誰だって生きている。
別に悲観的な訳でなくても、こんなに具合が悪く、こんなに思うようにならなければ
現実が悲観的状況だと感じるのはむしろ正常な心の反応だと思うが・・・

さて、明日は何をするの?
今日の薬はまだ飲みきっていないのに、もう明日がやって来た。

終わらない、闘病。
「つらい」と思えるのも正常な感情。


そして、そんな自分が寂しいと感じるのも正常な反応。
どこまで「これだけでもいいじゃないか」と自分を無理矢理納得させて、省いていけばいいのか。
いつまで、どれだけ

考えるのはそればかり。

わがままでも、ずるくても、自分さえ良くても、
私に取れば、どうでも良い。


問題は私がいつまで、こうして思いを書いたり、口を利いたり出来るかだ。
段々、うまく起承転結の文章も会話も出来なくなってきている。
言葉が単語的で、単発でしか伝えられなくなっている。

徐々に衰える機能は、他者からは解り辛いものだ。
故に、こちらの欲求も表現しにくいからコミュニケーションがスムースでないのが
解っているのは親だけだ。

あともう少し、待って欲しい。
まだ教えなきゃいけないこと、受け止めてあげなきゃいけないこと
沢山あるから、衰えるのはもう少し待って欲しい。
同時に今の私が『衰えている』現実を見逃さないで欲しい。

終わりたい、終われない
まだ・・・

2011年2月23日水曜日

正しさとは

ふと気付けば、確定診断されてからもう20年が過ぎようとしている。
未だに解明されない原因と症状、それとこれから先に起こり得るであろう症状。
私は発症から計算すれば、29年。現年齢の半生に等しい。

いい加減自分を受け入れられるようになり、何が必要で、何が大切なのか
そして何を省かなければいけないのか熟知していると言っても過言ではない。

しかし人生に於いてはまだ発展途上で未熟。
それは人並みだ。

児童心理学から社会学、哲学、発達学とヒトに関する問題を今もなお勉強しているが
それにも勝って薬学と医学は理論的に解釈しやすい。
昔、若い頃に『精神と体は連動している』と、よく言っていた。
やはりヒトがチンパンジーと違う所は、理屈や理論で物事を解釈したがる点だ。

『正しさ』を見つけようとするには、価値観の一理を見出すことだろう。
自己主義も利己主義も必ず、『それなり』の正しさを主張する。
子供を未熟だと思い込んではいけない。
大人を完全体だと思い上がってはいけない。

ヒトは死ぬまで未完成のまま、手探りで生きているのだから。

ある程度の年齢に達した時からヒトは大体の予測的観念で物事に応対する。
それは固体差無く、ある経験値から選択性になるからだ。
ただそれだけなのだ。

いくつになっても大人気ないのが性分と思う。

心理学や哲学などは未だに古き偉人が唱えた説を
論証しようと探しているが、時代と共にすべての価値観が変化している事を忘れてはいけない。
学問を学ぶ上で最も大切なのは鵜呑みにしないことだ。

一体、正しさをどう伝え、捉えるのか?
私にはまだ答えがわからない。

死にたくなるほど、殺してしまいたくなるほどの問題にぶつかった時
その選択肢を捨て、自分の良心に従えばいい。
私はそう思った。
ヒトは理屈では生きていない。

行き詰った時、ヒトは言葉を失う。
それが理屈では生きていない証拠だと私は感じたのだ。

2011年2月4日金曜日

遊んで暮らせるなら

『遊んで暮らせるなら』
世界中の誰もが、一生に一度は口にする台詞であり
それは永遠の欲望だろう。

そのために人は、宝くじを買い、博打で一攫千金を狙い、先物取引や甘い誘惑で破滅することもあるだろう。
中にはコツコツと貯蓄をして『悠々美的』な生活を送るための備えをする人もいる筈だ。

しかし、そんな暮らしが手に入ったとしても待っているのは『絵に描いた平和や安定』ではない。
誰かに付け狙われるのではないか?
もっと増やす方法はないのか?
ありとあらゆる疑心暗鬼に苛まれ、神経の休まることは無い。
揚げ句、政治情勢が悪化すれば、どこか安定できる島や国を探して彷徨うこともあるだろう。

人間の欲は無限だ。

先進国の人間に限って、これで十分といえない。
そして、躍起になり我を忘れる大人を見て育つ子供たちも同じ様に
『わがまま大王』と化し、気に入らないことや我慢できないこと、思い通りにならないことが増えてくるとニートや引きこもりになり、病気に逃げ込む結果になっている。

働かざる者食うべからず
忘れたのだろうか
それともこれはもはや『死語』なのだろうか。

私は嫌気が差す。

2010年12月12日日曜日

人は何かに迫られていないとダメ

何気なく、当たり前に生活している人間は無駄なことばかりしている。

「時間がなかったから」や「後でやろうと思った」
こんな言い訳ばかりして、出来事を後回しにしている。
そして、物事は後手後手に回っていることに気付かない。

日本にはイイことわざがある。
塵も積もれば山となる

この文章をそのまま素直に読めばいい。

金が貯まるとか、人生は小さな事の積み重ねがやがて大きなものになる
なーんて、手前勝手な好都合な捉え方をするな。

塵、ゴミ、ほこりは、知らずのうちに自分がサボれば山のように溜まる。

面倒だと思って後回しにして、自分の好きなことばかり優先させていたら
その次に待っているのは、自分がほったらかした問題のケツぬぐいに決まってるだろ。
それが物事の道理って奴だ。

今じゃ、そのケツぬぐいも
赤ん坊のようにいつまでも親にやってもらう奴らばっかだ。
いつになれば、自分の事を自分できちんと出来るようになるんだ?


自分にとって都合のいい事だけきちんと出来れば、『大人』だと言うなら
そんな人間はいない。

ムカつくよ。
上っ面の体裁だけ大人ぶってる奴らばかりだ。
子供も同じように、親の揺り篭でタダメシ食らってるくせに
「ちゃんと勉強してるんだから文句言うな」
なんて顔しやがって。

だったら、自分の骨の後始末も考えてから行動しやがれってんだ。

面倒なのは、自分にも誰にもどうすることも出来ない問題だけさ。
後は行動すりゃどうにか出来る問題だけしかない。

要するに命はどうすることも出来ないけど
他の作業的なことはやれば、すべて片付く。
人間関係だって、嫌な人間関係に縛られてるのは自分が道を選ばないからだ。

嫌なことや飽きたことは、すぐ「ああ、やーめた」って片付けるくせに
何で人間関係で悩んで自殺までするんだよ。
嫌な人間なら捨てりゃいいじゃん。



結局、なんだかんだ言って未練たらしく寂しがって、甘ったれてるから嫌な思いをするんだよ。
人はいずれ死ぬ
なんて解ったようなこと言って、自分で死ぬ奴は意気地なしだ。

思いっきり、やれることもやれないことも一生懸命努力しろ。
努力しても報われないとか、簡単に諦めるな。

私は、自己防衛と正当化して生きているだけの言い訳がましい奴なのかもしれない。
そう思った。

2010年12月7日火曜日

不安の謎

血液と皮膚生検の結果が明らかになった。

血液検査は薬剤リンパ球刺激試験(DLST)というものだ。
患者自身の血液リンパ球と対象薬剤のリンパ刺激性をテストする。
私は自分の体から採取された、患部皮膚と血液の精密検査から
再度『薬疹』がより詳しく確認された。

以前からいわゆる痛み止めという薬は、薬疹反応を起こしていたが
そんなに重症なものではなかった。
しかし、病気の経過と共に原因薬剤が徐々に増えていった。

今回の理解できない体調不良の原因は、『薬疹』だったのだが
その主成分が非常に一般的な アセトアミノフェン だった。
これは市販の風邪薬にも栄養剤にも含まれており、効果は『解熱』なのだが
鎮痛解熱剤とは全く違う、まして炎症を抑える消炎効果は極少しか含まれて居ない。

私は消炎鎮痛剤に薬疹反応が今まであったのだが
解熱剤に反応したことになる。

慢性疲労症候群は全身倦怠感と関節痛、そして微熱を伴う。
線維筋痛症は全身の関節痛と筋肉痛を伴う。
そして両疾患は
思考力、記憶力、集中力、筋力の低下、頭痛が明らかに共通している。



このような状況で医師は全員、私に言った。
「体調を整えて、絶対に風邪を引かない、熱を出さないように注意してね」


易感染性のこの体質で、いつ、どこで、何を感染するのかも解らず
いざ何らかのウィルスや菌に感染すれば重症化しやすい状態で、
一体どうやって防御できるのだ?
本来、熱が出るのは体に入ってきた異物と敵対するための生体反応であり
それが自然治癒力であるのに、その自然治癒力が私を攻撃し、重症する。
熱は42℃を超えると、体内細胞を破壊しだし、脳炎を起こすため命が危なくなるために、抗生物質や消炎鎮痛剤、解熱剤を使ってコントロールする。

私はこれらの薬が使えない。
病気のために病気になりやすい体で、その持病自身も治せず、治そうとし防御しようとする薬が使えないのなら
待っているのは『不明死』だけだ。


イギリスで亡くなった慢性疲労症候群の42歳女性の死亡原因は、脊髄炎だった。
アセトアミノフェン中毒症状に脊髄炎がある。
何年も前から私の首が痛いのはこれが原因なのだろうか?
左半身ばかりおかしくなったり、右半身が激痛に襲われるのは脊髄炎ではないのか?


考えても無駄だ。
原因が判ったところで薬が使えなければ治療ができない。
ましてモルヒネ類の麻酔薬にも中毒を起こすのだから、歯科治療もできない。


私が感じていた奇妙な不安感は確かなことだった。
科学的実証を目の当たりにして、受け入れがたいのは当たり前。
それは対処すれば良い『原因』がどこにも見つけられないからだ。
主治医全員が「すごく心配そうな顔」をしていたのは、これだった。

私は近いうちに死ぬのだろう。

2010年12月5日日曜日

何とも言えぬ不安感

どうしたんだろう

私は常に新しいことやまだ知らないことを探求している。
人は皆、寿命など考えずにそうして好奇心を持って毎日生きているではないか。
たとえ何気ない一日だったとしても、ワイドショーやニュースを見て
少なからず新しい出来事や刺激を求め、どんな情報であっても「わくわく」しながら生きている。

しかし私は20年前、30年前を振り返ることが何気なく多くなってきた。
新しさと古さの歴史を行ったり来たりしながら、何かを確認するかのように
また頭に刻み焼き付けるように一日を過ごしているようで仕方ない。

そんな毎日の中でざわつく胸中が気になる。
何だ、この何とも表現できない不安感は…

本当に取り留めのない一日。

そんな中、私は眠れず起きていたから、体が動いたから娘の弁当を久々に作った。
次の次の日、夕食を作った。
娘は『お母さんのお弁当、ほんと感動したよ』、『涙出そうになった』と、
帰ってきて言ってくれた。
嬉しさよりも「済まない」気持ちで一杯になった。


そして
私は伝えられるうちに誰かに「ありがとう」を言おうとしている。

口が次第に利けなくなって、意思表示が上手く出来なくなってきて
その思いはより強くなった。

私の頭の中にあなたとの思い出は良いことも悪いことも全部記憶として残っているからね。

そう伝えたい。

活動できていた、輝いていたあの頃の記憶が走馬灯のようにめぐっている。
正比例して、消し去りたい記憶は寝ようと目を閉じると走馬灯のようにめぐってくる。


一体、私の中で何が起きているの?
それでも 「ああ、いいよ。それでいいよ。」と時間がゆっくり流れる。
私は…一体なに?

死ぬのは怖くない。来るべき時はいつかやって来る。
でも意味が理解できない、この状態が一番不安なのかもしれない。

そう思う。

2010年12月2日木曜日

混乱する記憶

私はPCを扱うようになって、20年になる。
なのにここ2年くらいで急激に、操作の仕方が解らなくなったり
初心者でも簡単に設定を忘れないようなことを忘れてしまったりしている。

不思議なのは、古い記憶と新しい記憶が入り混じって
とんでもなく難しいようなPCプログラムを覚えていたり、また解釈できたりする一方で
単なるWindowsの初期設定など、どこを設定するのか全く理解できないような状態がある。
たとえば、スクリーンセーバーの解除方法など。

同じように一昨日の出来事や会話を覚えているのに、今話したことや考えたことを忘れてしまう。
こうしてブログを書いている今、私は既に15時間起きているが
一体この15時間で何をどれだけ行動したのか?
私の頭では、まだ4~5時間しか経っていないように感じている。
多分、健常者が普通に生活している中で、それくらいの時間数でやっていることしか
出来ていないように思う。

脳の回転が爽快で、体力も程ほどある時の私は、人の何倍もの仕事をこなす。
それが証拠にそう云う時のスケジュール帳や手帳には、段取りがびっしり書かれてあり
それを終えた『OK』の赤字が列をなしている。

非常に忙しかったページを見直すと、とんでもなく様々な仕事内容が記録されている。
それに比べると、この何ヶ月かは何もしていないと思っているが
そうでもなさそうな、そうでもありそうな…。

今は病院に行くのが精一杯だ。
その病院ですら起き上がれずに予約をキャンセルし、改めて体調が恐らく良いであろう日程で
予約を取り直して「何としても今日は行かねば」と相当な気合と気力で
文字通り、這ってでも行っている。

主治医と会話をするのも、まるで伸びたテープレコーダーか蓄音機のようではなかろうか。
30分以上の診察時間で、どれくらいの内容を話せているのか
実は自分では見当が付いていない。

気がかりなのは、どうして私の主治医3人は『すごく心配そうな表情と声』で診察しているのだろうと云うこと。
一体、私の身に何が起こっているのだろうか?
自分では見当も付かなければ、実感もない。

今の私に解るのは、「とても具合が悪いということしか認識できない」ということだ。