2011年4月29日金曜日

何に絶望してるのか

一年前、とても大切な用事で相当な無理をした。
それをきっかけに、半年近く休めず、予定もキャンセルできない状態が続き
その結果、医者が言うには 『軽い躁転』 を起こしたそうだ。

私が思うには、誰でも非常事態になれば、ある一定の方針が決まるまでは
普段とは違う必死な思いを持つのは当たり前ではないだろうか。
その時の精神状態は、脳が過剰反応を起こし、すべての能力を選択的に開放しているのだから
アドレナリンやドーパミンが大放出されるのも交通事故の直後とよく似ていると思う。


しかし、私の場合一度走り出したその脳の状態は中々止めることが出来ない。
医者から 『軽躁』 と一言言われた時点で自覚していた。
そして、体調や精神状態、脳状態をコントロールしようと必死でしていた。

ある意味で、理屈的に自分に言い聞かせ、
「今はこういう状態だから、これが終わったら、何時間は何も考えない時間を作って休まなきゃ」
「この次は、何の予定だからそれに備えて、今は走らないようにぼーっとしていろ」
などと、事務的な感じで生活するしかなかった。


でも、生きた人間相手の問題は私一人の努力で仕事のように物事が運ぶ訳ではない。
それが病気だとしたら到底、方向性がさっさと決まる訳がない。


そんなこんなで、大体の見通しが付いたのは一年近く経ってからだった。


一度走り出した脳は中々止まってくれないが、次に襲ってきたのは予測通り
『ひどいうつ状態』 だった。
あまりに忙しすぎるスケジュールと即時対応のやり取りのツケは、今混乱という形になって
私の中に廃棄物となって溜まりに溜まった。
もう、どうしたら自分をコントロール出来るのか解らない。


必死で喜怒哀楽のバランスを考えながら調整してきたが、なるべく自然体でとも心掛けてきたが
何が正しくて、何が間違っているのかも解らない。

毎日、毎日、私はきっかけを心のどこかで探している。
相反して、生きようとするきっかけも探している。


本当のところ、もう何もかもから開放されたい。
私が絶望しているのは、自分だ。



今までの中で、私に付いた私の大好きなあだ名は
ままちゃん

苗字由来でもなく、名前由来でもなく、いじめ由来でもない
ぽわんとさせてくれる愛情溢れる、尊敬や愛情からの意味が伝わってくるあだ名。
ありがとう。
そんな風に私をやさしく和らげてくれて。

2011年4月20日水曜日

こんな筈じゃなかった

私は無意識に『やりたいと思う事はやれる内にやっておこう』と
時間を取り戻す様になのか、あるいは余生に思い残さない様になのか、毎日を過ごしている。
娘たちには『今しか出来ない事』をどんどん惜しまずやった方が良いと言い、どこかで自分の様にはなって欲しくない思いがあるのかもしれない。
 
これは140文字のTwitterでまとめた、今の自分の心境だ。
 
まだ、病気の確定診断もされず、それなりに元気だった頃の事を思い出す。
苦しい時に『成せば成る』と、いつも自分が元気だった頃どれくらいの事が出来ていたのか
考えて、ぐっと気力を持ち上げてきた。
 
仕事を見積もる時に、大体の作業内容と所要時間を照らし合わせて、目標を決めるのは当たり前だ。
何事にも締め切りや期限があるように、家事や育児にも段取りの取り方や見積もりが作業の効率化に繋がる。
私は、殆どのことを 『合理的』 に 『事務的』 に進める。
 
 
ただ、考慮すべきは対人関係がある。
人は計算通りには動けないし、生身である故、段取り通りには動かせないものだ。
しかし、私は自分に見積もりを立てなければいけなくなってしまった。
 
例えば、食品の買い物一つでも、行く体力があるかないか?
問題なのは行けたとして、果たして帰って来られるかが大変なのだ。
子供と話し合って 「お母さん、行けそう?」 と聞かれた時点で
「そうだねえ、帰って来られるか、どうか考えなきゃね。ちょっと待ってねえ」 と答える。
 
何か一つの事をやろうにも、最後まで出来るか考えなければいけないのは非常につらい。
「たった、これだけのことなのに」
そればかりに追い掛け回されている。
 
 
さすがに20年以上もこんなことばかりが続くと、いい加減自分に嫌気が差す。
それでも、大丈夫だと思ってやったことが、とんでもないしっぺ返しをどれだけ味わったか知れない。
 
大阪の友達の所へ泊りがけで遊びに行って、クラブで踊ったり、カラオケに行ったり、ショッピングをしたりして2泊3日で帰ってきた、その晩、アナフィラキシーショックで倒れた。
 
娘とコンサートに行ったら、公演中盤から体中が痛くなりだし、帰りは1時間くらいソファーで横になってから帰ってきた。
 
別の機会、娘をコンサートホールに送って行き、私はロビーで待っていた。
14年ぶりの公演は大幅に時間を延長して、3時間もあったが、私はその間中ソファーで全身の激痛にのた打ち回っていた。
 
歩いて買い物に行き、スーパーに到着するや否や大量の汗をかき、顔面蒼白で口も利けない。
ベンチに横になっていると、娘が保冷用の氷を沢山ビニル袋に詰めて持ってきてくれ、冷やしてくれた。
 
言えばキリがないが、そんなことになるなんて予測がつかない事態は日常茶飯事だ。
 
 
でも、私は諦めない。多少は懲りたが、まだ楽しめる事や本来なら気にもせず出来る事をやろうとする。
今、機会があればと心がけているのは、映画館で映画をタイムリーに観ることと、美術館で催される展覧会に極力行こうとすることだ。
その次が、特に海外からのアーティストのコンサートライブに行く事だ。
 
昔、通っていた高校のすぐ傍に博物館があって、何十年に一度のゴッホ展がやっていたのだが
体調が悪く、結局行けなかった。
その後、日本で大規模なゴッホ展はまだ開催されていない。
それを今でも後悔している。
 
そして、あの時よりもっと体調の悪くなってしまった今、後悔したくないという思いが強くなった。
例え、その場で倒れて救急車に乗るような結果になってもやりたいと思う。
家族や病院関係者や色んな人たちに迷惑をかけてしまうけど、それでもやっぱり私は活き活きと
私なりに毎日を過ごしたい。
 
 
誰にでもあるでしょ。
『死ぬまでに一度はやってみたいこと』
『叶わないかもしれないけど、一生に一度やれたらいいなと思うこと』
 
 
私は挑戦し続けることを決して諦めない。
 

2011年4月19日火曜日

障害者介護ヘルパーさんがやって来た!

以前から家事支援の手帳は持っていたのだが、
2年前に一度頼んで懲りてしまって、使っていなかった。

しかし、私もようよう体が言う事を利かなくなり、
そろそろ頼み時かと観念して、思い切って頼む事にした。

先週からスタートしたのだが、
昼食と夕食、買い物、掃除を頼む事にしてやってもらっている。
とても有難い。


私は仕事柄、家でずっとこもって研究ばかりしているのと
外出は通院とたまに大学に資料を持って行き教授と話すか、後は役所に書類の手続きをしに行くか、子供の学校や支援関係者くらいしかない。
ごく限られた人間関係しかない環境に、この何年間も居るため視野が狭くなるのが嫌で仕方なかった。

実家に行けば、研究からも通院からも何もかもから離れられ、当たり前の日常生活に身を置く事が出来、近所付き合いや何気ない「おはようございます」や「こんにちは」の挨拶の暖かさを実感する。


そんな中、今回お願いしたヘルパーさんは、毎日私を人間らしくさせてくれる。
『今日は何が食べたい?』と聞かれ、最初は殆ど、ろくに食べていなかったために
食欲がなく、思い浮かばなかったのだが、日一日と家庭料理を食べるようになって、
何気ないおしゃべりをしながら、頂く昼食は本当にとても美味しい。
ずっと一日一食の夕食しか食べていなかったので、段々食べられるようになって
『お腹が空く』ようになり、会話をしたり、ちょっとした手伝いや補助をする事で
体の代謝が良くなってきたようだ。


私は元々、食べるのも好きで、料理が好きで何でも自分で作っていた。
作って食べるのが当たり前で、インスタントはよく解らない。
しかし、握力の低下や、体の筋力の低下で台所に立って居られなくなり、包丁も握れなくなって
料理の中盤くらいで、へばってしまって最後まで仕上げられなくなってしまった。
筋肉は固まる、次に力が抜ける、そして激痛(疼痛)が全身に走るのだ。


元気な人にとってはぜんぶ、当たり前に何も考えず出来る事ばかりだが、私は違う。
体力は健常者の3分の1あれば、まだマシ。
例えば、ボールペンを握って住所を書く時、最初の5文字程度で手が固まってしびれて感覚がなくなる。
勿論、箸もそんなような状態だし、スプーンもフォークも握るものはすべて同じだ。

ヘルパーさんは色んな性格の人が居て、最初のうちは意志の疎通がお互いぎこちないものだが、
私にとっては唯一の事務的でない人間関係であり、とても大切な存在だと思える。
人と触れ合う事は、本当に大切な心の栄養だ。

一食作る度に『味どうですかぁ?』と心配ばかりするが、私は作ってもらえるだけ有難い。
しかも、長年主婦をやって来られた、その人の家庭の味があるのだし、勝手の違う台所で調理するのは難しくて当然。

そして、掃除。
限られた時間内に作業を終えなければいけない条件で、手際良く一気に掃除している姿を見て、驚いた。
「元気な人って、掃除機もコタツも重くないんだぁ」
椅子もゴミ箱も何でも、さっさか動かして、20畳ある部屋をものの15分足らずで掃除機を掛けてしまう。
私なら、えっちらおっちら、やっとの思いで1時間は掛かってしまう。
拭き掃除は、こまめにトイレに行くついでや、お茶を注ぎに行くついでで何とかやっているが…。




一日2時間の訪問だが、少しは私も疲れつつ、動いたり話したりするので丁度良いリハビリになる。
パワフルなヘルパーさんと共に明るく、人間らしく、私も切り替えられたら今までよりもっと色んな事が見えてくるのではないだろうか。
そんな期待がある。

2011年4月9日土曜日

もう何も知りたくない

私には解らないことが、まだまだ沢山ある。
そんな事はごく当たり前のことだし、誰でも何もかも解っている訳ではないことくらい解っている。

でも人は『わからない』という事が不安に繋がり、暗闇で光の在りかを手探りで右往左往している状態と同じだから、『知りたい』と思うのも自然な感覚だ。

今まで、一生懸命勉強してきたことがどれ程、自分や家族、困っている人の役に立ったか知れない。
無知は不幸なことだ。
これは、『知らぬが仏』とは違う。

『知る』ということは、生きる知恵であり、困難や苦境に直面した時にその重要性を初めて気付くことも多い。


しかし、もう私はこれ以上知りたくない。
どうにもならないことを堂々巡りして、まだ何とか少しでも、ほんの1ミリでも好転するようにしようと努力するが、それは逆に負荷を掛けているだけのデメリットでしかないのかもしれない。


結局私のしてきた勉強は、デメリットの方が多かったのかもしれない。


自分のことも、子供のことも、もう何も知りたくない。
考えたくない。
それが例え無責任であろうと、逃げであろうと。
知りたくない。

新しい出来事も何も要らない。

本当の生きる屍になってしまったら、なんてね。
既に私は何十年も生きる屍だったのだから、今更わざわざ、そんな事考えなくてもいい。

すべてが一瞬にして跡形もなく消し去れたらいいのに。
自分が生まれたことも、軌跡なんて要らない。

疲れた。

2011年4月6日水曜日

定期通院日

今日ほど自分の症状や状態を話すのが嫌な日はなかった。
もう、今更 『一ヶ月の状態がどうだったのか』 業務報告のような事をするのが嫌だ。

さして何の浮き沈みもそれ程あらず、『相変わらず』 なのが症状だからだ。
主治医にしてみれば、微妙な良し悪しの変化をインタヴューし、経過を知りたいのは役目なのだが
私に大した差は、余程のことが良くも悪くもなければ起こらないのだ。

きっと、少しのことでも 「先生、こんな事が少しづつでも出来てますよ」 と期待したいのは理解できる。

しかし実際の私は、自分でも解らない緩やかな降下が起きており、自分に失望することばかりだ。
残念ながら、どんなに気持ちを奮い立たせてもどうしようもなく衰える機能は日々増えて行く一方なのだ。

私がどんなに今まで自分の状態について詳しく説明しても、あまりストレートには伝わっておらず、
また医師は 『臨床』 の元で建設的な対処が出来ない状態はひどくなるばかりだ。

私が本音をさらけ出しているとは、思っていないだろう。
逆にそうであるのか、そうでないのか、見抜けてはいないだろう。
私が本音を訴える訳がない。
それは、医者がどんなに出来る限りの手を尽くそうと努力しても、すべてが逆効果になってしまったのだから、もう何も建設的な手が打てなくなっているのだから
『双方、話に行き詰る』 のが当然だ。

予約なんか最大限引き伸ばせるだけ、引き伸ばしたい。

人は苦難の中にある時、一筋の光を求めて努力する。
しかし、その一筋の光が見えなくなった時、何を求めて努力するのか。
私は医者から、その可能性に賭けるだけの光を教えて欲しい。


打つ手なし、現状温存
温存もままならない、下降する私に医者は
『以前より一時に比べたら、元気になったねえ』 と2年前と比較されても納得が出来る訳がない。
どこをどう見て、比べて 『元気』 だと写るのだろうか。


もう、何も話したくない。
でも、通院しなければならない。
何のためですか?

落ちぶれる自分の能力を説明し、自白するためですか?
誰か教えて下さい。
この何の前向きでない通院をする必要性を。

解っています。真摯的にどうすることも、もはや不可能な私に、それでも大勢の患者を抱えつつ少しでも役に立てることはないかと暗中模索して下さっている事は。十分、解っています。
先生、悲観的になってごめんなさい。
そしてありがとう。

2011年4月3日日曜日

コントロールされる覚醒

現在の私には、昨日の事なのか一昨日の事なのか解らないが
全身の痛みを和らげるために使った麻薬パッチと内服薬のせいで、20時間くらい昏睡していたようだ。

覚醒して、何時の出来事なのか混乱することは日常茶飯事だが、現在と過去を辿るのは非常に面倒臭い。

記憶が曖昧なことも度々起こるから、常に手帳に記録をしている。

自分がどんなスケジュールをこなし、何を思い、誰と何時、何処で、何について会話したのか?
はっきり言ってしまえば、よく覚えていない。
これは自分の許容範囲を超えるようなハードスケジュールの後だけに起きる状態だ。


私は人が一日で行う行動を、恐らく2週間くらい掛けて処理していると思う。
となると、私の一日は健常者の何分の一に相当するのか?と考えるが、多分3時間程度の活動にしかならないのではないかと思う。


そんな私が健常者と同じスケジュールを行えば、充電は何時間、何日掛かるのか?
わかんない。
経験上、1ヶ月か、どうか。


回らない頭で今、何を考えても無駄だ。


薬で眠り、作用が切れたら覚醒する。
その間の記憶は何もない。
「そんなの嫌だ」 と思っても、仕方がない。
こんなことを20年以上続けていながら、私は健常者と共に生活しているのだ。