それは、単なる 『疲れ』 や 『痛み』 のひどさではない。
病的な疲労感をどのように調べ、計測するのか?
やるべき事をだるさの中でも這いつくばってやり、やりたい事なんかはやっていられない程、すべてのエネルギーを仕事に費やさなければならない状態。
それでも、もはやこれまでと気持ちより何より先に、身体自身が動かなくなってしまう。
これが真実の 『病的な疲労感』 だ。
よく寝たきりでとか、起き上がれないほどのつらさと聞くが、病院に行けるか?
私は通院も度々キャンセルして、予約の取り直しをせざるを得ない。
その取り直した予約もまた、キャンセルして再予約することが多い。
そもそも、通院自体が最も優先しなければならない 『仕事』 であるのに、それすら出来ない。
やっとの思いで病院まで辿り着くが、病院の椅子で寝込んで、順番が来て呼ばれ診察室に入って医師と話す時には、経過と変化の報告をするのもやっとの思いだ。
沢山の慢性疲労症候群、線維筋痛症患者や膠原病の患者を見て来たが、その誰もが 『精気』 を失っている。
ぐったりとし、動かず、喋らず、おとなしく、ただ診察を待ち、終えれば、車椅子を押して貰っている人も自立歩行している人も、帰路の道のりを必死で考えているのがわかる。
この疾患の人の行動を表現するなら 『片道切符を握り締めているだけ』 だろう。
誰も晴れやかなほっとした表情などしていない。
故に、医師や世間などと戦う気力などある筈もない。
医師がどこを診ているのか?
それがこの身体的な 『精気』 があるかないかなのだ。
精神的な精気を失っているのは二次障害であって、だから反応性うつ病なのだ。
これだけの疲労感に襲われ、痛みに晒されれば、何も出来なくて当たり前だ。
- 誰かと話す
- 寝床から起き上がる
- 飲食をする
- 排泄をする
- 入浴をする
- 身支度を整える
- 家事や身の回りの片づけをする
- テレビを観る
- ドアやふすま、カーテンの開け閉めが難しい
そこへ支払いのための外出、生活用品や食物の買い物、日常生活に最低限必要な行動も苦しい。
介護認定を受けても、そのヘルパーさんに指示する会話すら出来ないほど、何も出来ない。
私はそれが疲れるから、頼まない。
『ゴミが溜まって、風呂に入らないで死んだ人間は居ない』
昔、母の循環器内科の医師が言った言葉だ。
そう思うから、やれるようになるまで放って置く。
やれるようになったら、一週間掛けて洗物をする。
掃除を一箇所づつやる。
お風呂?そんなの一ヶ月に一回。洗髪だけ月に二回出来れば良い方だ。
それでも、出来るのだから、私は寝たきりだとは思っていない。
しかし医師に状態を話すと、それは寝たきりの状態なのだと言われる。
だから、はっきり病的疲労感とはどういう状態なのか理解出来るし、また確定診断を慎重に行う医師の姿勢も理解出来る。
それは精神症状が優先して疲労感や行動を制限されているのか、身体症状が優先して制限(強制)されているのか非常に重要な問題点だからである。
誰にでもある、憂鬱感はバイオリズムの幅はあって当然。
生活上の問題、家庭環境、職場環境、人間関係、様々な問題によって、簡単に人は憂鬱に捉われ、ストレスに晒される。
しかし、慢性疲労症候群に言えるのは、その様な事を患者本人が苦にしておらず、一言目から 『動けないつらさ』 を訴える処に無意識のストレス(無自覚なストレッサー)が隠されていることだ。
PS(パフォーマンス・ステータス)値の差にもよるだろうが、一貫しているのは、この 『動けないつらさ』 や 『やりたい、やれない、やらなきゃいけないのに、出来ない』 だ。
以前の記事に書いた、『慢性疲労症候群と線維筋痛症の症状の伝え方』 にあるように、ひどいインフルエンザ状態で何が出来るのか?
是非とも想像してみて欲しい。
確定診断を受けたとしても、365日ずっと起き上がれない訳ではない。
365日何も出来ない訳ではない。
いまの自分は、ひどいインフルエンザの日なのか?
いまの自分は、ひどいインフルエンザの罹り始めなのか?治り始めなのか?
必ず、インフルエンザは一週間以内に軽快して、出勤や登校出来るようになる。
その7日間のうち、2~4日目が一番ひどい時期なのは、誰にでも思い当たるだろう。
いまの自分は、何日目なのか?
自分を知るひとつの大変良い目安になるだろう。
この、ひどいインフルエンザの7日間の中で365日を生きる私だからこそ提言する。
自分を弱らせるのは簡単なこと。
本当に自分は、慢性疲労症候群なのか?線維筋痛症なのか?
本当にずっと車椅子がなければ移動できないのか?
更に問いたい。
もし、いま大震災が来て自分は逃げられないと確信しているか?
私は、逃げられないと確信している。でも、絶対に逃げるとも確信している。
守るべき命があるからだ。
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