2013年8月1日木曜日

慢性疲労症候群と認知機能障害について

これは認知機能障害について。

私は母や兄の看病と介護の為に通院予約をキャンセルした。
私の代わりに娘に病院へ薬を受け取りに行って貰った時の主治医の伝言によると、私は動きすぎているとのことだった。
私には認知症の周辺症状があるために、脳が休息せず症状の自覚が出来ないでいる。
だから私の脳を鎮静させる認知症の薬が必要である。
そして主治医はメモに薬剤名を書いて、私の娘に手渡した。

その薬剤は漢方薬で昔から人々が知っているものだった。
赤ちゃんが夜鳴きや癇癪を起こしたり、嗚咽しすぎてひきつけを起こした時に使用する薬剤だ。
赤ちゃんや幼い子どもは外部からの刺激に敏感で疲れやすく、過敏な子どもは昼間に受けた様々な刺激によって夜になっても寝付けなかったり、自我のコントロールが不完全な状態で脳が鎮静出来ない。
それらと同じく老年期になると、脳の速度が低下し周囲の呼びかけや応答に時間差が生じて自己嫌悪に陥る場合や言葉がスムーズに出ずに応答が遅れるために受けるストレスがある。
そのような症状は自らでは解決できない。

言葉が出てこない失語症、物事が思い出せない記憶障害、自身がどこに居るのか?何をしようとしていたのか?分からなくなる失行や失認、見当識障害。
それらは自身の疲労感すらも忘れてしまい、考え続けたり、歩き続けたり、休まることなく動き続ける脳障害を意味する。

医師や私が考えていた繰転ではなかったことが判明した。
前頭葉、前頭側頭葉が破壊される認知機能障害は、まさに慢性疲労症候群の症状だ。
それらは精神科医が思いつく、うつ病ではなく、またアスペルガー症候群のような発達障害でもない。
失われた脳機能は精神安定剤や鎮静剤で解決できるはずもない。症状は進行していくばかりだ。

私は非常に納得することが出来た。

今日私はグラスに水を注ごうと冷蔵庫を開け、牛乳を注ぐ間違いをおかした。
その時、私の頭の中ではコーヒーをドリップしようと考え、ミルクを入れる動きを考えていた。
習慣的にミルクが無くなるのをいつも気にしているからだ。


これでようやく、少しは辻褄が合う。

2013年7月30日火曜日

慢性疲労症候群の体質について 感染を繰り返すウィルスと繰り返さないウィルス

慢性疲労症候群の原因には諸説あるが、私が経験したウィルス感染について書きとめよう。


3歳頃から19歳頃まで皮膚病に悩まされてきた。
それは、両脚の膝からつま先(下肢)と両腕の肘から指先(上肢)にかけて、黒紫色に勃起した発疹が無数に出来るものだ。
最初は小さな蚊や虫刺されのような赤い湿疹が一箇所に出現し、徐々に腕や足に増えていく。
そして変形をし、大きく腫れ、水ぶくれになった後、それが破れジュクジュクになり、次第にかさぶたが出来、黒斑の蓋がいつまでも消えず、剥がすと内部は膿んだようになっている。
これを何ヶ月も何年も繰り返し、季節を問わず出現し、非常に強い痒みに襲われ、皮膚科で病理検査をしても原因は判明せず、どのような塗り薬も飲み薬も効果はない。

何が原因なのか医師も判らず、蚊なのか、ノミやダニなのか、あるいは動物からの共通感染症なのか未だに解明は出来ていない。
しかし各医療機関で最近になって、 『蚊アレルギー』 が取り上げられるようになった。
私が患った肉芽腫のような湿疹は、蚊に刺されたものだと自分自身で気がついた。今でも蚊に刺されると同じように、最初に刺された部分から刺されていない部分まで何箇所も黒斑になる。

ウィキペディア 『肉芽腫』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E8%8A%BD%E8%85%AB

この文中で私が思い当たるものは、ブルセラ症、猫ひっかき病、サイトメガロウィルス、EBウィルス、B型インフルエンザウィルス、ヒトプラズマ症、コクシエラ、Q熱、ペニシリン、ジアゼパム、硫酸バリウム、造影剤、脂肪肝。


次に、私は水疱瘡(水痘)に3回感染したことがある。
幼児期に一般児と同様に感染し、出産した年子の娘二人が保育園で感染し、それが私に感染し、重症薬疹を患った時に水疱瘡になった。
一般的に幼児期に何らかの感染症を受けることやワクチンによって抗体が作られ、感染を繰り返さないと言われているが、私の場合は水疱瘡に一生涯何度でも感染すると医師に言われた。
季節性の風邪症候群には殆ど感染せず、長女がA型インフルエンザに感染し看病していても私は感染しなかった。
次女は幼児期から、おたふく風邪(流行性耳下腺炎)を何度も患っているが、私は発症しない。
不思議なことに母も娘も私も風邪をひくことはなく、SARSにも感染することはなかったが、何故か各々がある特定の風邪症候群の中のウィルスに何度も感染する。

私の兄は1400gの未熟児で産まれたが健康体であるのに、体力が低下していると、どのような風邪にも感染してしまい、そうなると38.5℃以上の発熱で直ぐに倒れて入院し、抵抗力がないのが特徴だ。

今回、母の自宅へ兄が帰省した際に風邪ぎみだったのだが、結局滞在中ずっと寝込んでしまい帰宅して病院へ行くと夏風邪と言われた。
兄が帰宅した翌日、母が肺炎を起こし入院し検査をした結果、プール熱(咽頭結膜熱)と判明し兄からの感染が原因だと判ったのは良いが、アデノウィルスの型が違っていた。

アデノウィルスは10種類以上のDNA型があり主に乳幼児が集団施設で感染するものだが、重症慢性閉塞性肺疾患(肺気腫、じん肺)の母は、幼児期から抗体を持っている型ではないものに感染した。
日本では学校感染症に指定され、殆どの人が一度は感染し出校停止になり休んだ覚えがある筈だ。

私は毎日、飲み物や食事の出来そうな物を作って病室へ行き、身体を清拭したり、寝たきりで動けない母をトイレまで連れて行ったり、オムツや衣服の交換など看病しに通った。
8日間の入院後、退院し更に10日間自宅で看病と介護をしていた。
風邪薬や鎮痛解熱剤で薬疹を起こす私は、いつ発症するか怖かったが、兄を5日間、母を18日間も連続で看病したのに私は感染しなかった。
恐らく幼児期にアデノウィルスに感染していたことで抗体が出来ていたのだろう。
思い出してみると、娘たちも保育園の時にプール熱に感染したが私は何ともなかった。

そして私も母の自宅から帰宅したら、今度は次女が上気道炎を起こし発熱と鼻水、鼻づまり、嘔吐をし、また看病している。
私の遺伝性だと言われ、小児慢性疲労症候群、小児線維筋痛症と診断された長女はケロっとしている。
私と長女は体質が似ているのか、皮膚病や感染症など同じような病気になりやすい。
以前、長女は疲労からジアノッティ症候群と言われ治療を受けたが、今でも時々疲れが溜まると指先にポツポツとした湿疹が現れチアノーゼを起こすことがある。
母はまだ微熱が続き、食欲もなく、殆ど起き上がることも話すこともつらく、カンジタ症を引き起こし、一向に回復していない。
入院中に抗生物質の点滴を何本も打たれ、退院後も抗生物質の錠剤を服用しているにも関わらず症状が改善されないのは何故なのか判らない。
兄の報告では一般的な対処療法の服薬で回復したそうだが、母は同じように対処しても変化しない。



このように普通では、抗体によって感染しても発症しない筈のものが何度も繰り返され、薬剤によって死滅されたり、改善される筈の症状や、消滅しないウィルスや細菌が同じ家族内でもそれぞれあり、医師でも原因が判らず対処しても適応されない病状がある。
私だけが慢性疲労症候群と診断され、主症状が強く重症化したが、主治医が言う通り、『家族内多発』の可能性は大いにあり得ると考えられる。
私の主治医は血液学、輸血が専門であり、元々膠原病の専門医であるため海外でも非常に有名な医師だ。
DNA解析には、まだ時間が必要だろうが家族間の血液内に似たようなDNA変異が見つかれば、きっと慢性疲労症候群の原因や要因が発見出来るのではないだろうか。

私の家族に共通しているのは、季節性や流行性の風邪症候群には強い抵抗力を持っているが幼児期に感染した経験のあるウィルス性の風邪様症候群を何度も繰り返す部分だ。
恐らくその主格は、レトロウィルス。
私の父親は殆ど風邪を引かなかったが、日本人の大多数が患っていると言われる、ちくのう症(慢性副鼻腔炎)があり、兄も、元夫も、長女も、ちくのう症がある。
母と私、次女にその症状はない。

慢性疲労症候群は、女子が羅患した場合に女児を出産すると80%以上の確立で遺伝すると言われた。
母子感染ではなく、遺伝する仕組みから兄が健康体で生活しているのと、風邪に弱い体質に何らかの因果関係はないのだろうか。
私は今回の出来事で、固体が持つ抗体や常在菌と発症の仕組みに疑いを抱いた。

2013年6月8日土曜日

初めて通院をさぼった

先日の通院先の医師との馬鹿げた言い争いから、どうすることも出来ないのなら通院する意味はどこにあるのだろうと考え込んでいた。

そして昨日通院の予約日だったが、どうしても医師の顔を見るのも話すのも嫌で行かなかった。

私に必要な治療とは一体何なのだろう?
私に必要な薬は今使用している物の中で何だろう?
それを考えていた。


恐らく治療や薬よりも当然のように体調不良で居ることではないだろうか。
原因も治療法も解らぬまま、あれやこれや試験的にアプローチすることは逆に悪化するだけではなかろうか?そう思った。
動けないほどの体調不良を持つ患者を無理矢理 ”元気” にさせようとすることは逆効果だと気付いた。

手の施しようがない病人に健常者と同じレベルにまで元気にさせようとするのは矛盾だ。

いくら現実を知っているからと言って医師が絶対に言ってはならない言葉を私は何度も何人もの医師から言われてきた。
それは、

  • 現代医学ではどうすることも出来ません。
  • 所詮対処療法しか出来ない。
  • 打つ手がもうありません。
”お手上げです”と言っているのだ。
だったら何故私は病院に行くのだ?
だったら何故薬を飲むのだ?
一体何の為に自分は何をしているのだろうか。


起き上がれなければ、ずっと寝ていれば良い。
寝ていることしか出来ないのだし、それを薬を使って無理矢理動けるようにして、また寝込むのは悪化して当然であり、そもそも何故そこまで酷使しなければならないのか疑問だ。
そういう行為によって過覚醒して自分が病人であることを忘れ、動き続け果てには寝込むことすら忘れてしまった。
症状が軽快や回復した訳でもないのに、まるで元気パリパリの人になっている自分を見た。


そしてすべてに疲れて命を終わりにしたいと思った。


通院をキャンセルしたことが、こんなにも気持ちを楽にさせるのだと感じた。
元々、無意味な病院に行くのが重荷で仕方がなかったから、尚更楽になれた。
命を止めてしまいたいなら服薬も通院も止めてしまえば良い。
その方が矛盾していない。
お手上げだと言われて使える薬も効果の薄い当たり障りのない限られた物ばかりで、絶対的に必要な鎮痛剤や脳神経に作用する物は禁忌なのだから、それこそ無意味だ。



何の可能性もない、効果のない、とりあえずの対処療法。
それでいて元気そうに動ける人に近づけようなど何の為に医師はするのだろう。
何が目的だ?
私には理解出来ない。



だから当たり前に元々の症状のままで居ようと思った。
動ければ動く、寝込むなら寝込む、痛むなら痛がる、誤魔化すのを止めようと思った。
プラセボ(似せ)の薬を飲んで、自分自身まで誤魔化しながら生きて苦しんで悩んで命まで捨ててしまいたくなるのは馬鹿げている。


私は今まで努力してきた通り、これからも当たり前のことを当たり前にやるし、人生を楽しむ。
余命宣告された患者に医師は何をしろと助言するのだろう?
”煙草をやめろ。寿命が縮んで、病気を悪化させるから、それはやめるように努力しろ。” ???
嗚呼、馬鹿馬鹿しい。
くだらない愚論を偉そうに指導している自分に気が付かない医師。

風邪を引けば風邪薬を飲むでしょう?
頭が痛くなれば鎮痛剤を飲むでしょう?
それが治療でしょう?


私も必要なことしかしない。

2013年4月24日水曜日

思い出せない ”慢性疲労症候群による失認症状”

あまりに長過ぎる病歴は、私の認知機能を破壊して行く。

この頃ひどくなったのは、漢字や言葉が思い出せなくなったことだ。
出来事や考えたこと、言おうと思ったこと、日付や時間など認知症と同じように覚えていない問題は確かにある。
しかし、それは誰かに教えて貰ったり、言われれば 「ああ、そうか」 と思い出せる点で認知症とは違うと判断できる。

それでも同じように何もかも、頭の中で記憶が曖昧で混濁しているのは間違いない。


私がいま、思い出せないのは病気に罹り始めた頃の状態だ。
悪化しすぎて、 『寝込んで起き上がれなかった』 その時の状態が思い出せない。
ずっと寝たきりで、食事もできず、子どもの世話も何も出来なかった。
その風景は鮮明に覚えているのに、自分の具合の悪さがどれほどのものだったのか想像が着かない。
それは現在、軽快したり回復したり治ったからではない。

病気とうまく付き合う方法を身につけた私は、日常生活に対する見方を変えただけであって、決して体調が良くなったのではなく、むしろ年を追う毎に衰えて悪化する一方でしかない。

どのように日々を送っているのか?
これはずっと訓練してきたことだ。

  • 何時に寝ようとも毎日同じ時間に起床する。(一旦目を覚ます)
  • 今日やろうと計画したことは今日中に始末する。
  • 前日から翌日の予定を確認し、体調の様子によっては変更可能なように予定を組む。
  • 体調が悪いと感じたら、無理に実行せずキャンセルできる用事なら後日に予定を振り返る。
  • 3日以上予定を先延ばしにしない。
  • 世の中の動きと同じように、自分の生活も送る。(例え睡眠障害があっても考慮しない)
  • 他人に頼らず、当てにせず、すべて自分のやるべきことだと思う。
  • 自分の欠落した機能を理解し、どうすれば可能なのか作戦を立てる。
    (例えば、記憶できないものは手帳にすべてをメモしておく。カレンダーに書き込む。壁や目に付く場所にメモを貼っておく。誰かに話しておく。など)
  • 喜怒哀楽を忘れず、自分の思いに向き合い、自分に正直になる。
  • 他人から奇妙だと誤解されるかもしれないと思っても、自分が奇妙ではないと信じる。
  • 毎日欠かさずやる事を決める。
  • 体調がどんなに悪くても、一日ひとつだけは必ず仕事をする。
    (自分の薬を飲むグラスを洗うことだけでも、仕事のひとつとして実行する。)
  • 楽しいことをする。
  • 行きたいと思った所へ行き、やりたいと思ったことはやる。
要するに誰もが行っている当たり前の日常生活を送るだけのことだ。
毎日、食事は作るし、トイレにも行くし、ゴミを片付けるし、掃除もするし、洗濯もするし、食器の後片付けもする。
それは健常者であれ、病人であれ、障害者であれ、すべてやって当たり前のことだ。

でも、病人や障害者にとってそれらはとてもつらく、困難なことでもある。
だからといって嘆いて 『出来ない』 『無理だ』 と言い、どうにかなるものでもない。
大袈裟に物事を捉えて、自己暗示に掛けてしまえば精神的に楽になれる。
誰に対しても言い訳が成立出来る。
しかし、その真実は自分自身に対しての大義名分と言い訳で納得させる材料を揃えられたものであって、何の役にも立たない。

後味悪く残るものは、自己嫌悪だけしかない。


私はこうして訓練した結果、決して満足のいくような日常生活が送れている訳ではないが更に身体的、精神的双方にかなりの負担を強いながら生きている。
それは解っている。
どんどん薄れていく自己感覚や自己認識が私を破壊しているのも解っている。

両腕、両脚にゲートルを巻き、退化した筋肉を補いながら自分の足で歩き、自分の手で物を動かす。
ベッドの上で座る生活ばかりしているしかない程の動けない身体は、胴体(体幹)の筋肉を衰えさせ、全身を支えるのが難しくなった。
だから歩くと背中が痛む。


自分が具合悪いことさえ鈍感になって、何でも出来るかのように錯覚し、何の防御もしない。
ただ不自由や苦痛に対して対処しているだけだ。

言いたいことはたった一つ。
それは自分がどれくらい具合が悪くて、病人だという自覚が殆ど理解出来なくなった。
もう、身体や精神的なものが悲鳴を挙げているその感覚すらも解らなくなった。
それだけだ。


だから私は泣かない。嘆かない。頼らない。助けを求めない。甘えない。
だって、その理由が解らないから。
だって、今まで 『つらい』、『出来ない』 そう思って助けて欲しいと願った時に誰も居なかったから。
すべて、誰にも教えて貰えず、自分で考えて乗り越えてやるしかなかったから。

悲劇のヒロインに堕ちるのが嫌だから、私は戦う。
誰かに同情されて、自分から媚びて、助けて貰わなければ生きていけない様な人生は、いつか捨てられて一瞬にしてすべてを失い、世の中の一員として生きていけなくなることを知っていた。




この揺るがない強さを手に入れた代わりに、払った代償はすべての機能を失っていく矛盾だった。
失認、失行、失語。
錯誤と錯覚だらけの中で、私は意識を失わないようにまだ努力し続ける。

2013年4月4日木曜日

慢性疲労症候群における精神症状

慢性疲労症候群の症状の中で、あらゆる精神症状が文献に書かれてある。
次の症状

2013年1月18日金曜日

海外の慢性疲労症候群患者からのチャット

私はグーグル+でコミュニティを作っている。
そのグループメンバーから突然チャットが来て、非常に驚いた。

意外と外国では予め何度か交流を経て、チャットやメールに移行するというスタイルではなく、突然アクセスされるものだ。
しかも会話の最初から単刀直入。
相手の様子を伺ったり、ご機嫌を伺うなんてものは日本固有のスタイル。

今回も、
『私は○○からCFSと診断され、今も非常に痛みに苦しんでいる。あなたは、どの様にして痛みを取り除いているの?』
と云った具合だ。

私はちょっとした会話ならそのまま英語を打ち込むが、大体翻訳機を使いながら会話をするので時間が掛かる。

それでも今回の結果は実に画期的だったのかもしれない。

私が説明したのは、
自分は痛み止めのすべてにアレルギーがあるため氷枕で冷やすしか方法がない。
日本では薬の認証に非常に時間が掛かる為、使用することは難しく、唯一服用できるのがノイロトロピンだけです。

ここからの説明に相手は非常に驚いていた。
私は痛みに耐えるためと殺すために体中にゲートルを巻いています。
その姿はミイラかフランケンシュタインのように非常に痛々しいものです。
と、書いたら相手が 『ゲートル?ゲートルって何か?意味は知ってるの?』 とビックリし、ウィキペディアのURLを貼ってきた。

その通り。(Yes,Yes)
CFSは筋肉低下と筋肉痛を伴うため圧迫して痛みを止める。そして全身の筋肉を衰えさせるために布製のゲートルを巻いて固定し、筋肉の代わりに使用する。
医療用の包帯では伸縮性があり血流の悪化を招くため、使用できない。

あらゆるサポーターやゲートルを使用する方法を私は自分自身で発見した。
驚きましたか?

と返信すると、相手は
『私は知らなかった。そして、その方法を試すことになると思う。患者会のみんなに伝えなければいけないと強く感じた。情報をありがとう。』
と返信された。



そして改めて送ってくれたゲートルのウィキペディアを読み返した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%9A%E7%B5%86

最初に書いてある文章を紹介しよう。


脚絆(きゃはん)とは、脛の部分に巻く布や革でできた被服。ゲートルともいう。
活動時や長期歩行時に、ズボンの裾が障害物にからまったりしないよう裾を押さえ、脛を保護し、足首を圧迫しうっ血を防いで血流を良くする等の目的がある。日本では江戸時代からひろく使用され、終戦までは西洋型脚絆が軍装の一部を構成した。現在でも裾を引っ掛けることに起因する事故を防いだり、足首や足の甲への受傷を防ぐ目的で着用を義務付けている職場があり、作業服などを扱う店で販売されている。

このマーカーをした文章の通り、実にこの病気の理に叶っている物だった、そう思った。
市販されているサポーターも沢山試してきた。
でも、どれも一定の圧迫や固定で、微妙な調整が中々出来ない。
私は、洋服などの圧迫感によって全身の大激痛がものの1~2時間で起きたり、呼吸困難になった経験が何回もある。
今、流行のヒートテック素材のものは使えない。
同じく、部分的なサポーター類も中々合わなくなってしまい、サイズも骸骨のように痩せたせいか緩くて合わない。

そこで、まず左足の付け根からの痛みが随分前からあり、膝から下をもういっそのこと切り落としてくれと云うほど痛みがひどかったのでDITHで入院した時に巻かれたゲートルを巻いたのだ。

これなら強く締めたい部分と弱く覆うだけで良い部分と自分で調節が出来る。
特に膝関節と足首の痛みがひどく、次にふくらはぎがつってばかりいたので、固定した。
足を引き釣りながらも歩いているが、固定されると余計な筋肉活動が要らず、軽くなったように感じ楽になった。
腕にも巻くようになった。
上腕二等筋(二の腕)もふくらはぎ同様、肘から指先まで脚と同じ理屈で痛んでいた。
特に手首の痛みと指の付け根の関節の痛みが激しく、肢体とはよく言ったもので連動しているんだなぁと感じた。


女性のボディメイクで矯正下着がある。
単純なものでは、ガードルやボディスーツがあるが、弛んだ肉を一定の圧力で締め、固定すると余計な筋肉や脂肪が揺れない為に体が軽くなり動き易くなる。
これとよく似ている。

病気が発症してからの年月が長くなるにつれ、疲労感による運動不足ではなく、筋弛緩と筋硬直を繰り返し続けた結果として、健常者の何倍もの運動量を消費する為に次第に筋機能が衰えてしまう。
むずむず脚症候群のような症状が寝ている間にも全身で起こっていれば、熟睡できないのも当然だし、目覚めてから直後のひどい倦怠感があるのも当然だと思う。


いま、また私は左足が痛みや動きの悪さから上手く歩けず、杖をたまに使っている。
多分、車椅子に乗れば、乗らなければ、もう動けない状態なのかもしれないが、押してくれる付添人が居なければ、歩くしかないでしょ。
電動車いすを買う?
ストレッチャー式の車椅子は魅力的。
でも、それを使ってまで動かなければいけない状態なら、そもそも寝たきりなのだから、そこまでして動かなくてもいいのではないかと考えている。

だって、寝たきりの高齢者を道具使用させてまで自力で行動しろっていう理屈なんて変じゃない?
だから私は、自分で動くことしか考えていない。

動けない時は、本当に何も出来ず、食事をベッドで食べさせて貰っている最中でも昏睡状態で、大きな声で 『ほら、口動かして!喉に詰まって死ぬよ!』 と声掛けされながら、あっと一瞬気付くものの、またふーっと意識が遠のいて、 『おーい!起きろー!』 と言われたのを覚えている。
なんか、娘がその時のことを 『お母さん、次の日起きて、昨日ありがとうね、本当ありがとうねって何回も言ってたんだよ。』 と教えてくれた。
お礼を言ったのは全然覚えていないが、自分が危機迫っていた状況と会話だけは鮮明に覚えている。


海外の相手がヨーロッパの人だったようで、ゲートルの用途が 『軍人&戦争』 のイメージだったせいか驚いたのも無理もないかと思った。
今時の日本でも自衛官ぐらいしかゲートルなんて必要ないのかもしれないし、一般人も知らないかもな。

列記とした医療用品なんだけどなぁ。
日常生活でゲートル巻いて歩いてたら気持ちが悪いし、見場が悪すぎるからね。
あとは利便性の悪さから、締める靴下とかタイツが沢山売ってるから需要がないのも仕方ない。


でも病人には効果あり。
私が見つけ、私の身体が要求したのだから、それでいい。
しかも、私は看護師になりたかったから包帯巻くのは得意だしね。

何でもいい。
とにかく痛みと疲れが少しでも楽になる効果が、薬よりもあるのならそれでいい。
自力で動けたら、それはもっといい。
たったそれだけのことだ。

で・も、主治医は体験者じゃないから奇妙な事をするといった目で見てたし、その理屈が理解出来ない上に、現代医学の最先端と第一線で研究しても対処不能という固定観念から、この合理性が理解出来ない。
こっちにしてみれば、苦肉の策なのに…。
だって私は親だから。
「動けないの、痛いの、だから出来ないの」 なんて言ってられないのが現実。
死活問題なんです。
私から親がやるべき事の執念を奪えば、子どもたちは自動的に施設保護か親権の移送になってしまう。


死ぬまで親なんて、這いつくばってでも子どもを育てるもの。
自分の何を削り、削ぎ落としてでも、育てるのが親心。
食べられない時に、自分の分を子どもに優先して食べさせてきたから。
もう食べられなくなった今では、私の食費が子どもたちに分配できて満足。

私が窮地の時、いつでも惜しみなく介護や看病してくれたこどもたちへの感謝だ。
もっと沢山小遣いをあげたい。
もっと沢山遊ばせてやりたい。
そのためにお金を稼がなければ、そう思うから目標が見つかった。

恐らく、私に子どもや親が居なければ、こんな風に力強く生きようとは思わなかったかもしれない。


ゲートル作戦万歳!


2013年1月10日木曜日

私に課せられたもの

この与えられた身体を最大限に活かす方法を探し続ける。

この与えられた精神を最大限に伸ばす方法を探し続ける。


そんな大層なことを考えようなどとしなくてもいい。
ただ、当たり前に楽しめばいい。
自分なりに動ける範囲で、考えられる範囲で、自分には何が出来るのか考え、答えが見つかれば実行すれば、それだけで十分だ。

私は考えた。
一度目標を見つけてしまったら、もう前に進むしかない。
それを諦めても、何も今までと変わらぬ日々が続くだけで可もなく不可もない毎日が待っているだけに過ぎない。
でも、その目標を達成しても、活かそうが活かすまいがどちらでも構わない。
そうなると諦めた場合、この一年何をして生きるのか?と考える。
挑戦し続け、実行出来るようになったら、新たに出来なくなる問題が浮上して、また出来ることを探す毎日。
必然的に見つけた目標に向かわざるを得なくなった訳だ。


何となく感じる。
特に慢性疲労症候群だから、線維筋痛症だから、癌だから、目標に向かう訳ではないような気がする。
誰でも、どんな立場の人でも、どんな境遇だったとしても、それは皆同じだ。

それは、一生涯 『挑戦し続ける事』 をやめてはいけない。
諦めた時、自分を甘やかした時、自分を見つめず、誤魔化し、言い訳をするようになったら、そこで道は途絶えるだろう。
人生は、これで善しということがない。
人間の欲も、これで善しということがない。
ただ諦めることに限っては、これで善しと出来てしまう。

困難や苦難を嫌い、快楽に溺れ易いのが人の性なのだから仕方がない。
それを理解できるのなら、挑戦しなければいけない。

私の潮時も、引き際もまだ来ていない。
それが私に課せられた可能性だ。



自分の描く自己理想像がまだ、そこに残されているのなら挑戦する価値があると云う事だ。