慢性疲労症候群と線維筋痛症のために、使用してきた薬が殆ど薬疹を起こし鎮痛剤も新薬も使用出来ない。
この疾病患者なら服用していたり、薬剤名を知っていたりするだろう。
最初の薬疹が、頭痛を抑えるために服用したセデスG(SG顆粒)だった。
次に起きたDIHS(薬剤性過敏性症候群)が、メキシチールだった。
これを期に、消炎鎮痛剤は全滅し、リリカ、トラムセットもダメだった。
強度の不眠と過眠を繰り返す私は睡眠薬を使わざるを得ず、色々試してきて、アモバンという薬を3年位前に初めて飲んだ。
組み合わせで、アモバンとロヒプノールとレボトミンを最小限の単位一錠づつ試しに飲んでみようと処方された。
簡単な話、アモバンは睡眠時の素早い入眠作用、ロヒプノールは持続的睡眠作用、レボトミンは中途覚醒や浅い眠りを抑制し、完全に脳を鎮静させる作用という仕組みだ。
妙な事に、そのアモバンが薬疹を起こした。
筋萎縮が目覚めからすぐに起きて、一日中歯を食いしばってしまうと話したら、筋弛緩剤は使った事があるか?と尋ねられ、いや知らない、飲んだ事ないと言うと、レキソタンという薬を頓服で使ってみようと言われた。
楽になった。
それも何故か薬疹が起きた。
結局、安全と思われるロヒプノールとレボトミンだけになったのだが、そのレボトミンも効き過ぎるために、半分に自分で割って一ヶ月試したら十分だったと報告し、今でもその飲み方で効果はある。
抑うつを和らげるために、ソラナックスという薬を一日3回飲んでいる。
私は、SSRI,SNRI に対し不穏状態があるため、飲んではいけない。
最初から、SSRI は嫌だった。
飲むと動悸や不安感、焦燥感があって、自分についていけないから嫌だと医師に話して、止めることになったのだが、尽く薬疹が起きるために、中止と再開を繰り返した結果、不穏状態が大きくなった。
その不穏状態を改善するために、頓服用にレボトミン一錠を使うようにと言われ飲んでいたが、凄い効き目で、何も話せなくなる(口がきけない)、動かない、要するに言動も行動も思考もすべて強制停止させられる状態だった。
だから、目覚めた時、1時間くらいは何も口がきけない、動けない、考えられなくなっていた。
それが、半錠になってからは、服薬していない人と同じようにぼーっとしていながらも、出勤の準備をするような状態になった。
ところが、このレボトミンを頓服で飲む状況が次第に増えて行った。(現在は滅多に飲まない)
それは、どうにもならない出来事や怒れて当然の問題であるのに、私が折れて我慢するしかない状況になった時、薬を飲んでわざと自分を抑え込むしかなかった。
殆どが、娘や母との言い争いで、どちらの意見にも一理ある状況で、私が拒否する事が不可能と最初から答えが出ているような状況の時ばかり。
私は何度も 「こうやって自分の言い分や解って欲しい事を聞かずに押し付けられて、自分の逃げ場がないからって、薬を飲むのよ。そんな事のために出されてる薬じゃないのに。」 と言いながら飲んだ。
どうしても納得の行かない理不尽な問題や不条理な扱いを受けた時、人は怒るのは当たり前だ。
誰にでも自己防衛の本能や自己正当化する心理は、あって当たり前なのに、私は争いを避けるために仕方なく飲んできた。
怒りのコントロールが出来ない訳ではない。
普段、私はあまり必要以外口をきかない。
何か仕事上や生活上でトラブルが起きたり、必要な関わりのあるような他人と話をする時は極めて事務的に用件のみ済ますような会話しかしない。
団欒の時に下らない冗談や、楽しい会話の共有はするが、どちらかと言えば娘や母の今日の出来事を聞いたり、愚痴の相手だったり、意見を求められれば、相手の立場になって解決の糸口を見つけるような会話の方が多い。
雑談が嫌いなのかと言えば、そう云った他愛のない会話の方が好きだ。
それは何も考えず、お気楽だから心地好いのは当たり前だ。
いま、目覚めると先日の娘のドクターショッピングの事が頭から離れず、まあいいかと収める気持ちにはどうしてもなれない。
散々、色んな事を押し殺して 『仕方ない』 と無理矢理自分に言い聞かせて、それでもどうしようもない時に薬で抑え込んできた。
本当は、こんな時だからこそ、自分を守るために薬を飲んだ方がいいと解っている。そのための薬なのだから。
でも、飲みたくない。
せっかく、飲まずに色んなことに折り合いを着けて、自分やいさかい、納得の行かない問題にも無理矢理でなく 『いた仕方のないことなのだ』 世の中にはそうやって白黒はっきりさせられない問題が山のようにあるのだから、と穏やかに静かに生活すること、生きる方法を見出したのだから、もう同じ事を繰り返したくない。
それと薬で自分の確かな感情、しかも正当な主張を誤魔化したくない思いがある。
私は、精神病患者ではないのだから、そんな手段を取るのは逆に可笑しい話だ。
どんなに納得がいかない出来事でも、どんなに耐え難い屈辱であっても、人権蹂躙に晒されている状態であっても、私は何も事を起こそうとは思わない。
何を考えているか?
それは、沈黙を守ることだ。
時期が来れば、間違いだった事を気付かせるために、何も動かない。
何より、ずっと 『これが最後の賭けだから』 とある日ふと心に浮かんだところから、一年の過ごし方をお正月に目標を立てて、それに従って生活してきた。
一年の計は元旦にあり
それを淡々と実行し、努力してきた。
・当たり前のことを当たり前にやる。
・やりたいと思ったことは、絶対に実行する。
・好きな事だけしか労力を使わず、他の事はただの仕事だと淡々とやる。
それが私自身が考えた、認知行動療法だ。
だから、何か腹が立っても忘れる努力をした、泣きたい時には泣いた。
自分の取るべき責任をしっかりとやる事と、面倒臭いと思ってやりたくない時はサボることに専念した。
自分の中だけに、喜怒哀楽をしっかり感じて、決して表面には出さないように努力した。
そして、薬を飲まなくていいように、コントロールしてきた。
今更になって、そんな本来の私の姿に、驚き、後ろめたい感情を持って罪悪感を感じている人間を見て、 「嗚呼、本当に私の事をお人好しの馬鹿だと甘くあしらっていたんだ」 と思うだけだ。
最悪な事に、もうこれしか使える最終的な薬がないと言って、頓服に出されたガバペン。
痛みが楽になるが、怖いくらいに眠気がひどく、強制的に眠らされてしまう。
そのガバペンが薬疹を起こし、服用中止になってしまった。
もう痛みや強烈なだるさ、リンパ節の腫れ、首の痛み、微熱を抑えられる薬は、すべて使えなくなり、ひたすら耐えるしかない。
私は、終わりを待っている。
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