私が病院をたらい回しにされたり、義務教育時代に偏見と差別を受けて来たこと、そして現在の状況などは過去の記事に書いてきた。
しかし、今回の記事は私の長女の一件について書く。
長女は小学校5年生の時、突然全身の痛みとだるさに襲われた。
それまで元気一杯で天真爛漫、学校から帰ってくるや否やランドセルを放り投げ、 『遊んでくるー!』 と近所の公園へ行っては男の子たちと毎日野球をしたり、女の子たちと滑り台や鬼ごっこをして、夕暮れまで遊んでいた。
ある朝、目覚ましが鳴っても起きてこないので、 「おーい、起きろ~学校だぞぉ」 と起こしに行くと、 『お母さん、身体が痛くて動けない』 と言って、トイレにヨタヨタ歩いた。
私はじっと様子を母と二人で見ていて、その歩く姿に 「んん?ちょっとあの歩き方何かおかしくない?」 と驚いた。
それは、まさに私が大激痛で歩く時に 「痛い、痛い」 と言いながら爪先立ちで全身に走る電気のようなビリビリと伝わってくるのを堪えて歩く姿そのものだった。
娘はその日、欠席した。
その後も学校の体育で鉄棒をしたり、プールに入ったりして帰宅すると、 『痛いよー』 と言って寝てしまい、欠席する事が多くなった。
夕食も箸が持てなかったり、食べるのが疲れたと言って、途中でもう起き上がっていられず寝てしまう日が増えていった。
私の通院の時、その事を主治医に伝えると、 『家族内多発の疑いあり、小児線維筋痛症と小児慢性疲労症候群』 とメモを書いてくれ、ある病院の小児科の医師の名前を言い、すぐに行くようにと指示された。
主治医は、私にこう説明した。
『この病気は、女子が発症した場合、女子を出産すると80%の確立で遺伝することがアメリカリウマチ学会で言われているんだよ。だから、その可能性はあるから、もう一人の下の娘さんも注意して居て下さい。』
その後、紹介された病院へ連絡し、長女を受診させた。
診断は、症状が全部出揃っていないから、まだ(疑い)と云う事になるけど、治療して経過観察しましょう。となり、1年半通院した。
しかし、途中で私の病状が思わしくなくなり、寝込んで長女と次女の二人の面倒が見られなくなってしまったため、私は児童相談所に連絡をし、児童養護施設に入所させなければ仕方なくなった。
児童相談所に話したのは、 「食べる事と寝る事、それと学校に行かせて、必要な時に病院に行かせる。その最低限の事だけ与えてやって欲しい。それだけでいいのでお願いします。」 だった。
自分の病気によって、最低限の事が与えてやれない程の状況だったから、命の保障を懇願した。
しばらくは、長女の通院日に迎えに行って私が付き添い、医師と相談していたが、それも無理になったため、施設の職員に通院を頼む結果になった。
それから1年後、施設から娘たちは脱走し私の元へ帰って来ることになった。
脱走した理由は、長女が何を職員に訴えても無理矢理学校へ手を引っ張って連れて行かれ、施設内でも職員と入所児童が結託して娘を孤立させる、娘の行動や荷物を同室の児童に監視させチクらせる、荷物を隠すなどのいじめをされ、校舎の3階の窓から何度も飛び降りようとしたということだ。
その施設職員からの報告によって、私と娘たちは、児童相談所から 『児童との面会、通信、接触を制限する』 と半親権停止命令に近い決定所が一方的に説明もなく郵送で送られてきた。
私は断固抗議をしたが、半年間黙って受け入れる事より他なかった。
それは、協同防衛の思想や私の精神科通院歴によって到底勝ち目がないと判断したからだ。
その時、施設の職員は医師に 『この子は施設内でも何ら問題なく生活しているし、むしろお母さんとの生活の事が苦痛になっていて、どうも母親が一人で病気を苦にしているだけのように思う。』 と話した事で、私が病気の誘導(あたかも代理ミュンハウゼン症候群のような言い方)をしていることになり、診察も診断も歪められ、強度の精神病院への入院を 『娘が』 紹介された。
そこで通院をやめてしまった。
最終診断は、 『自律神経失調症、登校拒否症』
脱走後、引き取ったが、娘の精神状態は人間不信と外出や人に会うことへの恐怖感がひどく、独り言をぶつぶつ言ったり、テレビをぼーっと観ていたり、相当な放心状態だった。
小学6年生の卒業式も出たくない、卒業文集も書きたくない、卒業アルバムも要らないと拒否していた。
卒業式当日の朝、私は 「行くだけ行こう、この次は中学の入学式になるんじゃん。だから終わりのけじめを着けにお母さんのために行って。お願い。1年生の入学式の時、お母さん嬉しかったんだよ、だからお願い。」 そう言って出席した。
中学に入学しても、やはりあまり登校出来ず、私は娘に 「義務教育だから無理矢理行かなくても単位を落とすとか、留年や退学はないんだから、行ったり行かなかったりしないでゆっくり休みなさい。療養に専念した方がいい。」 と何度も説得したが、やっぱり寂しかったり、友だちと会いたかったり、人並みの中学生で居たい思いが強く聞いてはくれなかったが、やる気があるのだから、あるがままにさせておこうと様子を見ていた。
2年生の3学期頃に症状は随分と悪化していて、このままではもっと悪くなると私は思い、自分の主治医に相談すると、今度は専門が熊本大学にあるからと教えられ、自分でインターネットで調べ、連絡をし、熊本まで行った。
経過を説明し、何十枚もの問診表や色々検査を受け、診断は確定された。
『小児慢性疲労症候群および小児型線維筋痛症(重症型)、睡眠障害、顎関節症』
通院は遠方のため不可能だから、かかりつけ医にてフォローをしていくということになった。
しかし、かかりつけ医は病気を見れないと言い、私の主治医に診療申し込みをしたが 『15歳未満の患者は診察できない』 と断られ、他の受け入れ先も探してくれようと手を尽くしてくれたが何処も無理だった。
そうこうしている内、処方されたパキシルを2週間服用した頃、娘は不穏状態がひどくなり、リストカットを自分の意思とは関係なくしてしまった。
かかりつけ医に連れて行き、すぐに児童精神科の予約が入り、受診した。
3ヶ月ほど通院したが、不穏状態は消えたもののもっと精神状態は悪化し、自傷行為が続いた。
その児童精神科医の専門は、広汎性発達障害であり、私がLDの可能性はないですか?と尋ねた事で娘の問題はもしかしたら、そこにあるかあもしれないとなり検査を受けた。
結果は、 『アスペルガー症候群、行為障害』
現在まで2年近く、通院をして何度か薬の副作用が認められ、調整が繰り返された。
児童相談所の通所はその診断を受ける以前から行われてきたが、学校側も児童相談所側もその診断に非常に驚いて、そんなことはないと完全に否定した。
熊大の医師に電話し、もう一度検査して欲しい、本当に小児慢性疲労症候群なのか薬はどうしたら良いのか指示を仰ぎ、再度熊大へ行った。
そこで、娘はアスペルガーではないと断定された。
高校進学について話があったが、私は反対した。
「入学しても行ける体力もないし、行けなくなって、また挫折感を味わって結局退学になるだけだから、行かなくていい!」 と、強く言った。
しかし残念ながら、担任と娘が話し合って、進学の方向で考えると報告されたので、それなら単位制の昼間定時制が合ってると思うよと提案し受験した。
このご時勢、不登校児童が多く殆どがフリースクール出身者が多かったために、その受験倍率は5倍だったが、娘は合格してしまった。
そうして、中学校からは体裁良く追い出され、案の定、4月最初の一ヶ月だけ通学したものの、それきり履修不認定になって1年生が終わった。
2年生に上がり最初から単位を取り直すことになったが、結果は同じく4月だけで終わり、2学期に入り 『全単位履修不認定により退学処分』 という結果になった。
私の通院日に帰りに美術館に行こうと誘い、娘を付き添いがてら連れて行き、どっちが病人で受診患者なんだかというくらい娘は顔面蒼白でぐったりし、一緒に診察室に入るもだるさで朦朧としていた。
主治医に、この娘が例の子なんですけど、どうしたらいいんでしょう?と尋ねると、こう言われた。
『ああ!もう経過観察なんてしている場合じゃないよ!ダメダメ、すぐ治療に入らないと。』
そして以前と同じように、病院名と医師名をメモに書き、ここに行きなさいと指示された。
注意されたのは、必ず確定診断をした熊本大学の医師に連絡してから行くようにとの事だった。
すぐ、連絡し事情を話すと、そこの病院に行くことは大賛成だが、自分が経過観察をしていないから紹介状は今診ている精神科に頼むのが筋道だからと同意と指示を得た。
これが現在の最終章になる。
完全紹介予約制の病院だったため、通院している児童精神科医に紹介状を書いてもらうより他なく、事情を説明した。
すると、医師は 『そんなものは行っても意味がない。所詮対処療法しか出来ないんだし治らないんだから。』 と言い、私は反論した。
「そうは言っても、対処療法は苦痛の症状を和らげて、動けない問題を解消するために必要なものだし、この病気は内科には内科の役目があり、精神症状に対しては精神科の役割があるから両科で分担しながら治療する必要があるんじゃないですか」
「何も精神科の通院を否定なんか全くしていませんよ、私自身がこうやって長年薬の調整もしつつ、やっとここ2,3年で精神科の方は合う薬が続けられるようになって安定している訳ですし、対処療法も大切な治療の一環じゃないですか」
そう言うと、 『じゃあ、アスペルガーって話はどこに行っちゃったの?』 と問われたので、
「いや、それは私に聞かれても解りませんよ。でも結局は両方とも原因は不明なんだし、同じような脳の場所が誤作動をしているんでしょうから、病名とか診断名に何の意味もないし、必要な治療と処置をしなければというだけの事じゃないんですか?」
と言ったら、娘がその大人のくだらない押し問答に業を煮やして一言。
「私はアスペルガーじゃない!学校に行けないのもバイトに行けなかったのも対人関係がうまくいかなくなったからじゃなくて、身体がだるくて仕方がなかったのと、歩くと足が痛くて歩けなかったり、トレイを持っている腕が筋肉痛で痛くなって、手首に力が入らなくなったりして出来なくなったのが原因だもん。精神的に憂鬱だからダメになったんじゃないし、勉強だってやれば解るもん!」
その一言で、紹介状と予約連携を手配された。
遂に、指示された 『若年性線維筋痛症』 を診察している医師を尋ねた。
その紹介状の内容は次のように書かれてあった。(抜粋)
母親が慢性疲労症候群と線維筋痛症を長年患っており、主治医から患児を受診させるようにとの依頼があったということだが、詳細は不詳。
患児14歳:太い眉と大きな目だが、視線は節目がちで気だるそうに椅子に腰掛け、時折視線を合わせるが言葉はたどたどしく、会話の噛み合わないところが特徴的。
(苛々した様子で机の淵を爪で引っ掻く、鼻くそなどお構いなしにほじるなどあり)
母親は幼児期に発達障害の様相が見られ、近親者に特異なエピソードを持つ人が居り、結婚した夫からのDVにより、離婚。そのDVが原因と思われるが、患児に対し厳罰な体罰、殴る蹴るなどの度重なる虐待があり、児童相談所が母子分離の目的を持って、何度も児童養護施設に預けられるなど、養育困難な状況があった。虐待や母親の精神不安定などから養育不能な状況と判断できる。
母親の話はまだ断片的でつながらない、錯誤など解り難い状況。
患児もまた、母親と同じCFS,FMSと熊大などで診断されたとの事だが、広汎性発達障害と考えるに妥当な状況と判断できる。
線維筋痛症と広汎性発達障害では同じように、易刺激性、感覚過敏、対人関係の不安定性などの適応障害は重なる部分があり、否定しえない。
この内容だけに重点が置かれ、これまでの経緯の資料を全てコピーして私が持参したものにも話にも耳は傾けられず、むしろ何故年齢的な問題からして私の主治医が有名な専門医であるのに診察しないのか、そちらの方が理解できないし、私は専門じゃないから、やっぱり精神科の方で治療を受ける方が良いと思う。
私では使える薬が見つけにくいし、治せるとは言えないから、一応返事だけ書きましょうか。
と言われ、それか痛み外来なら他にもあるから、○○大学に行かれますか?
との話になったので、私が
「いや、それは行っても無駄だと思いますよ。出来れば先生に3ヶ月なり一定期間経過観察して頂いた後に紹介とかは出来ませんか?」 と頼むと、しぶしぶ3週間後に一応の予約を入れた。
触診だけで、血液検査も、処方箋も何もなしだった。
この診察に1時間も掛けた結果が、これで、そして医療費だけはきっちり請求された。
帰り道、娘に
「まさに、この状況をドクターショッピングって言うんだよ。こうやって、あっちにやられ、こっちにやられ、みんな擦り合いをして、診断名だけはきっちり着けるものの受診はそれとなくお断りして拒否するのね。で、患者は医師の言う通りに行動しているだけなのに、自分で勝手に判断して、病院巡りを繰り返しているって次々に思われて、身体表現性障害とか自律神経失調症とかうつ病とか、バンバン、レッテル貼りされて、挙句の果てに誤診されて、面倒な患者だと思われて受診拒否って結果よ。お母さんが、まだCFSもFMSも解らなかった時代にやられてきたことが、これで解った?」
と言うと、娘は
『もう、お母さんいいよ。これ以上お母さんが一生懸命先生の言う通りに動けば動くほど、どんどん、お母さんが嫌な思いをするだけだし、所詮誰も私の状態なんか聞いても、診ても、解ってもくれないってよく解ったから。もう、どこの病院にも行きたくない。20歳になれば、大人だからってことで診てくれる医者は居るんでしょ?だったら、それまで待つし、学校も仕事もダメになったから我慢するよ。もういい!!』 そう答えた。
これまでの間、娘は何度もリストカットやグラスを割ったり、ふすまにナイフやフォークなどのサーバーを刺したり、私と言い争いになって家庭内暴力を繰り返してきた。
その度に、私と次女がビジネスホテルに避難することや警察を呼ぶ事も何度となくあった。
その次女は通学は出来ているものの、やはり小学生の頃から全身の筋肉痛や倦怠感で一年に一度は寝込むことを繰り返している。
もう、私に出来る事は何もない。
親子の間で、過去の虐待といわれる問題についてはもう既に納得し、お互いに箱に閉まって 『終わった出来事』 に出来ているにも関わらず、娘の状態が悪くなる度に、その経緯を詳しく何も知らない他者、しかも有識者で権力者からまた持ち出され、そこに原因があると紹介状に書かれ、名誉毀損にも等しい扱いを私は受ける。
すべての責任が、この私一人にあるとされ、私が過去に受けた虐待や差別、そしてその影響を大きく与えた父親との離婚から11年が経とうとしても、その父親は養育費も慰謝料も何の請求もされずに責任も取っておらず、私ばかりが責めを負わされる。
虐待の連鎖については別として、私が慢性疲労症候群と線維筋痛症であることに、何の責任問題があるのか、何故それを責められなければいけないのか、そして、それが故に養育不能とまで何故誹謗中傷されなければいけないのか、わからない。
だから、あの時本気で死のうと、心臓を刺したのに。
今更、殴ったことや養育不能が原因と言われるならその時、児童相談所で事情を全部告白していたのだから、私を告訴して刑務所に入れれば良かったでしょう。
私を面倒見る病気の母にも、子どもにも私が原因で負担になる。
だから、私が死ねば、私もこの病気の苦しみと果たせない責任から自由になれる、そうすれば、母も子どもたちもみんな解放されて自由になれる。
そう思ったから心臓を刺して失血性ショックを起こしていたのに、母に気付かれて病院に運ばれて生き返らされた。
それしか、いまの私の頭には、思うことはない。
原因不明で対処療法しか出来ず、それもろくな手立ても打てないくせに、虐待が原因だって科学的根拠が証明されたような言い方をして、それでも結局、何にも出来ないって言いつつ、研究費だけは国から支給されて、最終的にはあんたが悪いって責任転嫁して、研究のお株だけは挙げて、名医って名声だけ持って行って、あんたら 『専門医』 って看板掲げてるくせに何にも患者を助けていないでしょうが。
親子共々、振り回してドクターショッピングさせてるのは、あんたら 『専門の名医様』 だろうが。
いい加減にしろ。
医者はボランティアじゃなく、きっちり診療報酬と給料と売り上げ上げてる有料だ。
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