2010年12月12日日曜日

人は何かに迫られていないとダメ

何気なく、当たり前に生活している人間は無駄なことばかりしている。

「時間がなかったから」や「後でやろうと思った」
こんな言い訳ばかりして、出来事を後回しにしている。
そして、物事は後手後手に回っていることに気付かない。

日本にはイイことわざがある。
塵も積もれば山となる

この文章をそのまま素直に読めばいい。

金が貯まるとか、人生は小さな事の積み重ねがやがて大きなものになる
なーんて、手前勝手な好都合な捉え方をするな。

塵、ゴミ、ほこりは、知らずのうちに自分がサボれば山のように溜まる。

面倒だと思って後回しにして、自分の好きなことばかり優先させていたら
その次に待っているのは、自分がほったらかした問題のケツぬぐいに決まってるだろ。
それが物事の道理って奴だ。

今じゃ、そのケツぬぐいも
赤ん坊のようにいつまでも親にやってもらう奴らばっかだ。
いつになれば、自分の事を自分できちんと出来るようになるんだ?


自分にとって都合のいい事だけきちんと出来れば、『大人』だと言うなら
そんな人間はいない。

ムカつくよ。
上っ面の体裁だけ大人ぶってる奴らばかりだ。
子供も同じように、親の揺り篭でタダメシ食らってるくせに
「ちゃんと勉強してるんだから文句言うな」
なんて顔しやがって。

だったら、自分の骨の後始末も考えてから行動しやがれってんだ。

面倒なのは、自分にも誰にもどうすることも出来ない問題だけさ。
後は行動すりゃどうにか出来る問題だけしかない。

要するに命はどうすることも出来ないけど
他の作業的なことはやれば、すべて片付く。
人間関係だって、嫌な人間関係に縛られてるのは自分が道を選ばないからだ。

嫌なことや飽きたことは、すぐ「ああ、やーめた」って片付けるくせに
何で人間関係で悩んで自殺までするんだよ。
嫌な人間なら捨てりゃいいじゃん。



結局、なんだかんだ言って未練たらしく寂しがって、甘ったれてるから嫌な思いをするんだよ。
人はいずれ死ぬ
なんて解ったようなこと言って、自分で死ぬ奴は意気地なしだ。

思いっきり、やれることもやれないことも一生懸命努力しろ。
努力しても報われないとか、簡単に諦めるな。

私は、自己防衛と正当化して生きているだけの言い訳がましい奴なのかもしれない。
そう思った。

2010年12月7日火曜日

不安の謎

血液と皮膚生検の結果が明らかになった。

血液検査は薬剤リンパ球刺激試験(DLST)というものだ。
患者自身の血液リンパ球と対象薬剤のリンパ刺激性をテストする。
私は自分の体から採取された、患部皮膚と血液の精密検査から
再度『薬疹』がより詳しく確認された。

以前からいわゆる痛み止めという薬は、薬疹反応を起こしていたが
そんなに重症なものではなかった。
しかし、病気の経過と共に原因薬剤が徐々に増えていった。

今回の理解できない体調不良の原因は、『薬疹』だったのだが
その主成分が非常に一般的な アセトアミノフェン だった。
これは市販の風邪薬にも栄養剤にも含まれており、効果は『解熱』なのだが
鎮痛解熱剤とは全く違う、まして炎症を抑える消炎効果は極少しか含まれて居ない。

私は消炎鎮痛剤に薬疹反応が今まであったのだが
解熱剤に反応したことになる。

慢性疲労症候群は全身倦怠感と関節痛、そして微熱を伴う。
線維筋痛症は全身の関節痛と筋肉痛を伴う。
そして両疾患は
思考力、記憶力、集中力、筋力の低下、頭痛が明らかに共通している。



このような状況で医師は全員、私に言った。
「体調を整えて、絶対に風邪を引かない、熱を出さないように注意してね」


易感染性のこの体質で、いつ、どこで、何を感染するのかも解らず
いざ何らかのウィルスや菌に感染すれば重症化しやすい状態で、
一体どうやって防御できるのだ?
本来、熱が出るのは体に入ってきた異物と敵対するための生体反応であり
それが自然治癒力であるのに、その自然治癒力が私を攻撃し、重症する。
熱は42℃を超えると、体内細胞を破壊しだし、脳炎を起こすため命が危なくなるために、抗生物質や消炎鎮痛剤、解熱剤を使ってコントロールする。

私はこれらの薬が使えない。
病気のために病気になりやすい体で、その持病自身も治せず、治そうとし防御しようとする薬が使えないのなら
待っているのは『不明死』だけだ。


イギリスで亡くなった慢性疲労症候群の42歳女性の死亡原因は、脊髄炎だった。
アセトアミノフェン中毒症状に脊髄炎がある。
何年も前から私の首が痛いのはこれが原因なのだろうか?
左半身ばかりおかしくなったり、右半身が激痛に襲われるのは脊髄炎ではないのか?


考えても無駄だ。
原因が判ったところで薬が使えなければ治療ができない。
ましてモルヒネ類の麻酔薬にも中毒を起こすのだから、歯科治療もできない。


私が感じていた奇妙な不安感は確かなことだった。
科学的実証を目の当たりにして、受け入れがたいのは当たり前。
それは対処すれば良い『原因』がどこにも見つけられないからだ。
主治医全員が「すごく心配そうな顔」をしていたのは、これだった。

私は近いうちに死ぬのだろう。

2010年12月5日日曜日

何とも言えぬ不安感

どうしたんだろう

私は常に新しいことやまだ知らないことを探求している。
人は皆、寿命など考えずにそうして好奇心を持って毎日生きているではないか。
たとえ何気ない一日だったとしても、ワイドショーやニュースを見て
少なからず新しい出来事や刺激を求め、どんな情報であっても「わくわく」しながら生きている。

しかし私は20年前、30年前を振り返ることが何気なく多くなってきた。
新しさと古さの歴史を行ったり来たりしながら、何かを確認するかのように
また頭に刻み焼き付けるように一日を過ごしているようで仕方ない。

そんな毎日の中でざわつく胸中が気になる。
何だ、この何とも表現できない不安感は…

本当に取り留めのない一日。

そんな中、私は眠れず起きていたから、体が動いたから娘の弁当を久々に作った。
次の次の日、夕食を作った。
娘は『お母さんのお弁当、ほんと感動したよ』、『涙出そうになった』と、
帰ってきて言ってくれた。
嬉しさよりも「済まない」気持ちで一杯になった。


そして
私は伝えられるうちに誰かに「ありがとう」を言おうとしている。

口が次第に利けなくなって、意思表示が上手く出来なくなってきて
その思いはより強くなった。

私の頭の中にあなたとの思い出は良いことも悪いことも全部記憶として残っているからね。

そう伝えたい。

活動できていた、輝いていたあの頃の記憶が走馬灯のようにめぐっている。
正比例して、消し去りたい記憶は寝ようと目を閉じると走馬灯のようにめぐってくる。


一体、私の中で何が起きているの?
それでも 「ああ、いいよ。それでいいよ。」と時間がゆっくり流れる。
私は…一体なに?

死ぬのは怖くない。来るべき時はいつかやって来る。
でも意味が理解できない、この状態が一番不安なのかもしれない。

そう思う。

2010年12月2日木曜日

混乱する記憶

私はPCを扱うようになって、20年になる。
なのにここ2年くらいで急激に、操作の仕方が解らなくなったり
初心者でも簡単に設定を忘れないようなことを忘れてしまったりしている。

不思議なのは、古い記憶と新しい記憶が入り混じって
とんでもなく難しいようなPCプログラムを覚えていたり、また解釈できたりする一方で
単なるWindowsの初期設定など、どこを設定するのか全く理解できないような状態がある。
たとえば、スクリーンセーバーの解除方法など。

同じように一昨日の出来事や会話を覚えているのに、今話したことや考えたことを忘れてしまう。
こうしてブログを書いている今、私は既に15時間起きているが
一体この15時間で何をどれだけ行動したのか?
私の頭では、まだ4~5時間しか経っていないように感じている。
多分、健常者が普通に生活している中で、それくらいの時間数でやっていることしか
出来ていないように思う。

脳の回転が爽快で、体力も程ほどある時の私は、人の何倍もの仕事をこなす。
それが証拠にそう云う時のスケジュール帳や手帳には、段取りがびっしり書かれてあり
それを終えた『OK』の赤字が列をなしている。

非常に忙しかったページを見直すと、とんでもなく様々な仕事内容が記録されている。
それに比べると、この何ヶ月かは何もしていないと思っているが
そうでもなさそうな、そうでもありそうな…。

今は病院に行くのが精一杯だ。
その病院ですら起き上がれずに予約をキャンセルし、改めて体調が恐らく良いであろう日程で
予約を取り直して「何としても今日は行かねば」と相当な気合と気力で
文字通り、這ってでも行っている。

主治医と会話をするのも、まるで伸びたテープレコーダーか蓄音機のようではなかろうか。
30分以上の診察時間で、どれくらいの内容を話せているのか
実は自分では見当が付いていない。

気がかりなのは、どうして私の主治医3人は『すごく心配そうな表情と声』で診察しているのだろうと云うこと。
一体、私の身に何が起こっているのだろうか?
自分では見当も付かなければ、実感もない。

今の私に解るのは、「とても具合が悪いということしか認識できない」ということだ。