慢性疲労症候群は気圧の変化に左右されると云うが、それだけではないような気がする。
最近、忙しさや天候、生活の変化、様々なストレスが原因と言い訳をつけて来たことに矛盾を感じている。
呼吸がしづらく、胸が苦しくなったり、胸が痛んだり、起き上がって居られずに意識が遠退いてしまうことが毎日続いている。
血圧を測ると、心拍数が遅い。
血圧も低い。
心拍数:55p/min、血圧:85-56、体温:36.7℃
酸欠を感じる。
どうにも体中の酸素が足りないと自覚できる。
食事も水分補給も要らないと思うくらい、何も要らない。
ふと、これが心不全の症状なんだと感じた。
不思議なことに狭心症や心筋梗塞の前駆症状として、奇妙な不安感というのがあるが、私も死ぬかもしれないと、不安に駆られた。
訳の解らない症状に不安になるとも言われるが、はっきりとした不安感が襲ってくる。
その心臓の動きの悪さと、微かにしか触れない脈拍の時に怖くなる。
記憶力も思考力も判断力も、この所急激に悪くなり、判断力は特に悪すぎる。
自覚するのは長年安全運転で優良運転者だったのが、車線をはみ出してハンドルを切ったりフラフラした運転をしたり、ブレーキが遅く停車開始が遅くなったり、スピードが出せなくなった点だ。
助手席に乗る娘たちに、指示をされるようになった。
今まで、そんな注意力や判断力の鈍る運転をしたことは一度もない。
だから必要以外、自動車の運転をしないし、なるべく混雑する時間帯を避け、近くの短距離しか走らないようにしているし、また短距離しか運転出来なくなったのが事実だ。
疲れて仕方がない。
この前、信号待ちで停車していた時にブレーキに足をかけて踏んでいたにも関わらず、自分の意思に関係なくアクセルを踏み込んで前方車に追突しそうになったが、すぐに何故かブレーキを踏み込んでいた。
一体、何が起きたのか驚いた。娘も驚いていた。
ありえない。
その時の私の認識は、信号待ちで停止しているだった。
脳機能に異常があると思う、心機能が正常でないと感じると医師にどれだけ訴えても、解ってもらえない。
言われたのは、 『あなたは運が悪い人だから検査して、また悪い結果が出ても困るし、今、話を聞いていても問題はないと思うんですがね』 だ。
運、不運の問題で片付けられる。
そんな下らない診察なんか、どうでもいい。
私は何に困っているのか?
息が苦しい。
それだけだ。
死ぬことなんか怖くない。
動けないことなんか苦痛ではない。
痛みや疲労感なんか苦痛ではない。
息が苦しいことが苦痛なんだ。
心配しなくても煙草なんか吸っていられません。
喧嘩してまで禁煙を迫られなくても、吸える状態じゃありません。
左の肩甲骨辺りが胸痛と同時に傷んだことで、肺気腫になっていると思った。
狭心症のような強烈な胸痛や息苦しさではなかったが、その喘息の症状と意識が遠退くこと、奇妙な不安に襲われる症状が肺気腫だと自覚できた。
それと血圧や心拍数の問題は心臓に酸素が供給されていない状態だと考えれば、肺に異常があることくらい理解出来る。
ただし、肺が先なのか?心臓が先なのか?それはどちらにしろ酸欠なのだから何らかの対処をしなければ死んでしまう。
私の脳は何をしているのだろう?
今はとにかく、苦しいのと身体を起こしていると苦しくてつらくなって横にすぐになりたくなる。
無理だ。
動けない。
それだけだ。
歯が虫歯でボロボロになって、いま歯医者に通っている。
抜歯したのだが、今まで歯医者の麻酔で具合が悪くなったことはなかったのに、急激な動悸と意識が遠退いた後、治療をしたら、立てなかった。
そんなことは初めてだ。
もう何回も通っているが毎回倒れてしまい、治療後、30分くらいソファに横になって、意識が出来るようになってから帰宅して、寝込んでいる。
アドレナリン症候群という症状がよくあるそうだ。
しかし、私の場合はアドレナリンやドーパミンに過剰反応してしまうようだ。
当たり前だと思う。
心拍数が少ない処へ、いきなりアドレナリン(エピネフリン)なんか打たれたら強力な強心剤を使うようなものなのだから、倒れてしまう。
増強と衰退を繰り返して、何ともない訳がない。
苦しいのはこれが原因ではない。何故なら歯医者に行く前から起きていた症状だから。
慢性疲労症候群(CFS)線維筋痛症(FMS)ケース1としての実態。日々感じる出来事の日記のようなもの このブログは白色バックライトの視覚刺激に配慮し白黒反転のデザインを施しています
2013年10月25日金曜日
2013年9月14日土曜日
重症化と長期化した慢性疲労症候群
慢性疲労症候群は確定診断を下すのに、非常に細心の臨床と検査を必要とする。
それは精神的なものから来る疲労感なのか、生活上の問題点から来る慢性疲労なのか、また他の病気によって起きている症状なのか、定義付け可能な指標が曖昧であるからだ。
しかし除外診断を用いても、別の疾患後に引き起こされたであろう慢性疲労症候群を考える研究者も居る。
私がこの確定診断を受けるまでに辿った病状、確定され重症化と長期化した現在までの症状はまるで方程式の答えがすべて ”慢性疲労症候群” へと繋がっていることを知った。
サイトメガロウィルス感染症について調べていたところ、それは日本人のほぼ全員が抗体を持っているが初感染や活性化、再活性化することはあまりなく、初感染は胎内あるいは出産時の胎盤臍帯血などによって感染するものだということだった。
感染後の症状は、乳幼児では不顕性かもしくは日和見感染によって、難聴や発達障害などの症状によって発見される場合がある。
要するに、殆どの人が感染しキャリアーでありながら発症するのは特定の限られた条件下の人しか居らず、その所以はレトロウィルスであり、誰もがバランス的に持ち合わせている常在菌であるのと同じ意味だと解釈できる。
特に悪さをする物ではなく、共生しているバクテリアのようなもの。
しかし、一旦爆発的な活性化が起きると体のあらゆる機能を侵害してしまう。
慢性疲労症候群の確定診断を受けた時のカルテに、サイトメガロウィルス、HHV-6、HHV-7、EBVの高値が認められたと書いてあった。
幼児期から中耳炎を度々患い、外耳道炎になりやすかった私は5回も聴覚検査を受けたことがある。
結果は難聴ではないが、正常値と異常値を波打つようなラインで聞える音と聞えない音の狭間にあるということだった。
ジアノッティ様症状や皮膚病はずっと続き、今では安全と言われる赤ん坊や老人に使用可能な薬剤でも薬疹を起こし、今まで続いてきた症状に次々と上乗せをして行くかのようにあらゆる症状や機能障害が増えていく。
これを進行性と云わずして、何だと表現するのか考える。
バイオマーカーや検査法が確立されていない為に、何も立証や確証を得る術はないだろうが、私の生まれてから現在までの記憶を辿ると先天性や遺伝性は納得出来る材料が沢山ある。
今回、家族内遺伝性の慢性疲労症候群と診断された長女が、まさか薬疹になる筈もないと誰もが思う薬を一回使用しただけで、全身発赤と蕁麻疹、アナフィラキシー様ショックを起こし薬疹と判明した。
それは嫌気細菌感染を治療するための薬剤。クロラムフェニコールだった。
何故、こうも体質が似ているのだろう。
私は認知機能障害のために出されたヨクカンサンという漢方薬で薬疹を起こした。
いま、私には記憶していられない症状がかなりひどくある。
食事をした記憶や感覚がなく、食べたことを覚えていない。
話した内容や時間、場所などの記憶が前後して、教えて貰わなければ思い出せない。
感情もよく実感できず、瞬間的な時間の空間でしか喜怒哀楽が受け止められず、自己認識が非常に曖昧で、自分がどうしたいのか、どう感じているのかまったく分からない。
それが原因で疲れた、眠たい、痛い、嫌だ、そういった感覚がぼんやりとしか理解できないで居る。
若年性アルツハイマー型認知症や老人性の認知症の人たちの気持ちや感覚が、手に取るように理解出来る。
若年性アルハイマー型認知症の人は、突然記憶や行動が今までの自分のように出来ない、思うようにならないことなどで発見されるが、ゆっくりとしたスピードで日を追う毎に失われていく脳機能に言いようのない不安に襲われる。
昨日の自分は、もう今日にはない。明日は何を失っているのだろう、いつ自分が自分でなくなってしまうのか自覚することも出来ないまま何も認識出来なくなることへの恐怖感。
私も同じだ。
症状や薬剤、体調の予測がつかないまま、約束も守れず突然襲われる訳の分からない自分。
そんなことは、こどもの時からだったから何気なく適応できる術を考えながら生きてきたが、成人して親になると、無責任と思われてしまうから病気を隠し、忘れない為にメモをいつも持っている。
残念だが実の所、何も覚えていられなくなった。
何度も何度も手帳やスケジュールを確認し、日記を読み返し、自分の記憶を辿る作業は毎日、一日何回も行っている。
誰の目にも触れない処で。
安らげない神経は、これが原因だ。
人と関わるのが怖くなったのは、いつ、誰と、何処で、何を、どのように会話や行動をしたのか、印象があまりなく記憶が曖昧だからだ。
その人は何を伝えてきたのか?
何故そんなことを何気なく言ってきたのか?
自分はその時、何を感じたのか?
理解できるのは争うような会話や出来事だが、それも時が経ってしまうと忘れている。
だから敵や味方の見分けが着かない。
その何気ないと思われる向けられた優しさは真実なの?
その態度は私の目に映った姿に間違いはないの?
何も分からなくなっていく。
それは精神的なものから来る疲労感なのか、生活上の問題点から来る慢性疲労なのか、また他の病気によって起きている症状なのか、定義付け可能な指標が曖昧であるからだ。
しかし除外診断を用いても、別の疾患後に引き起こされたであろう慢性疲労症候群を考える研究者も居る。
私がこの確定診断を受けるまでに辿った病状、確定され重症化と長期化した現在までの症状はまるで方程式の答えがすべて ”慢性疲労症候群” へと繋がっていることを知った。
サイトメガロウィルス感染症について調べていたところ、それは日本人のほぼ全員が抗体を持っているが初感染や活性化、再活性化することはあまりなく、初感染は胎内あるいは出産時の胎盤臍帯血などによって感染するものだということだった。
感染後の症状は、乳幼児では不顕性かもしくは日和見感染によって、難聴や発達障害などの症状によって発見される場合がある。
要するに、殆どの人が感染しキャリアーでありながら発症するのは特定の限られた条件下の人しか居らず、その所以はレトロウィルスであり、誰もがバランス的に持ち合わせている常在菌であるのと同じ意味だと解釈できる。
特に悪さをする物ではなく、共生しているバクテリアのようなもの。
しかし、一旦爆発的な活性化が起きると体のあらゆる機能を侵害してしまう。
慢性疲労症候群の確定診断を受けた時のカルテに、サイトメガロウィルス、HHV-6、HHV-7、EBVの高値が認められたと書いてあった。
幼児期から中耳炎を度々患い、外耳道炎になりやすかった私は5回も聴覚検査を受けたことがある。
結果は難聴ではないが、正常値と異常値を波打つようなラインで聞える音と聞えない音の狭間にあるということだった。
ジアノッティ様症状や皮膚病はずっと続き、今では安全と言われる赤ん坊や老人に使用可能な薬剤でも薬疹を起こし、今まで続いてきた症状に次々と上乗せをして行くかのようにあらゆる症状や機能障害が増えていく。
これを進行性と云わずして、何だと表現するのか考える。
バイオマーカーや検査法が確立されていない為に、何も立証や確証を得る術はないだろうが、私の生まれてから現在までの記憶を辿ると先天性や遺伝性は納得出来る材料が沢山ある。
今回、家族内遺伝性の慢性疲労症候群と診断された長女が、まさか薬疹になる筈もないと誰もが思う薬を一回使用しただけで、全身発赤と蕁麻疹、アナフィラキシー様ショックを起こし薬疹と判明した。
それは嫌気細菌感染を治療するための薬剤。クロラムフェニコールだった。
何故、こうも体質が似ているのだろう。
私は認知機能障害のために出されたヨクカンサンという漢方薬で薬疹を起こした。
いま、私には記憶していられない症状がかなりひどくある。
食事をした記憶や感覚がなく、食べたことを覚えていない。
話した内容や時間、場所などの記憶が前後して、教えて貰わなければ思い出せない。
感情もよく実感できず、瞬間的な時間の空間でしか喜怒哀楽が受け止められず、自己認識が非常に曖昧で、自分がどうしたいのか、どう感じているのかまったく分からない。
それが原因で疲れた、眠たい、痛い、嫌だ、そういった感覚がぼんやりとしか理解できないで居る。
若年性アルツハイマー型認知症や老人性の認知症の人たちの気持ちや感覚が、手に取るように理解出来る。
若年性アルハイマー型認知症の人は、突然記憶や行動が今までの自分のように出来ない、思うようにならないことなどで発見されるが、ゆっくりとしたスピードで日を追う毎に失われていく脳機能に言いようのない不安に襲われる。
昨日の自分は、もう今日にはない。明日は何を失っているのだろう、いつ自分が自分でなくなってしまうのか自覚することも出来ないまま何も認識出来なくなることへの恐怖感。
私も同じだ。
症状や薬剤、体調の予測がつかないまま、約束も守れず突然襲われる訳の分からない自分。
そんなことは、こどもの時からだったから何気なく適応できる術を考えながら生きてきたが、成人して親になると、無責任と思われてしまうから病気を隠し、忘れない為にメモをいつも持っている。
残念だが実の所、何も覚えていられなくなった。
何度も何度も手帳やスケジュールを確認し、日記を読み返し、自分の記憶を辿る作業は毎日、一日何回も行っている。
誰の目にも触れない処で。
安らげない神経は、これが原因だ。
人と関わるのが怖くなったのは、いつ、誰と、何処で、何を、どのように会話や行動をしたのか、印象があまりなく記憶が曖昧だからだ。
その人は何を伝えてきたのか?
何故そんなことを何気なく言ってきたのか?
自分はその時、何を感じたのか?
理解できるのは争うような会話や出来事だが、それも時が経ってしまうと忘れている。
だから敵や味方の見分けが着かない。
その何気ないと思われる向けられた優しさは真実なの?
その態度は私の目に映った姿に間違いはないの?
何も分からなくなっていく。
2013年8月1日木曜日
慢性疲労症候群と認知機能障害について
これは認知機能障害について。
私は母や兄の看病と介護の為に通院予約をキャンセルした。
私の代わりに娘に病院へ薬を受け取りに行って貰った時の主治医の伝言によると、私は動きすぎているとのことだった。
私には認知症の周辺症状があるために、脳が休息せず症状の自覚が出来ないでいる。
だから私の脳を鎮静させる認知症の薬が必要である。
そして主治医はメモに薬剤名を書いて、私の娘に手渡した。
その薬剤は漢方薬で昔から人々が知っているものだった。
赤ちゃんが夜鳴きや癇癪を起こしたり、嗚咽しすぎてひきつけを起こした時に使用する薬剤だ。
赤ちゃんや幼い子どもは外部からの刺激に敏感で疲れやすく、過敏な子どもは昼間に受けた様々な刺激によって夜になっても寝付けなかったり、自我のコントロールが不完全な状態で脳が鎮静出来ない。
それらと同じく老年期になると、脳の速度が低下し周囲の呼びかけや応答に時間差が生じて自己嫌悪に陥る場合や言葉がスムーズに出ずに応答が遅れるために受けるストレスがある。
そのような症状は自らでは解決できない。
言葉が出てこない失語症、物事が思い出せない記憶障害、自身がどこに居るのか?何をしようとしていたのか?分からなくなる失行や失認、見当識障害。
それらは自身の疲労感すらも忘れてしまい、考え続けたり、歩き続けたり、休まることなく動き続ける脳障害を意味する。
医師や私が考えていた繰転ではなかったことが判明した。
前頭葉、前頭側頭葉が破壊される認知機能障害は、まさに慢性疲労症候群の症状だ。
それらは精神科医が思いつく、うつ病ではなく、またアスペルガー症候群のような発達障害でもない。
失われた脳機能は精神安定剤や鎮静剤で解決できるはずもない。症状は進行していくばかりだ。
私は非常に納得することが出来た。
今日私はグラスに水を注ごうと冷蔵庫を開け、牛乳を注ぐ間違いをおかした。
その時、私の頭の中ではコーヒーをドリップしようと考え、ミルクを入れる動きを考えていた。
習慣的にミルクが無くなるのをいつも気にしているからだ。
これでようやく、少しは辻褄が合う。
私は母や兄の看病と介護の為に通院予約をキャンセルした。
私の代わりに娘に病院へ薬を受け取りに行って貰った時の主治医の伝言によると、私は動きすぎているとのことだった。
私には認知症の周辺症状があるために、脳が休息せず症状の自覚が出来ないでいる。
だから私の脳を鎮静させる認知症の薬が必要である。
そして主治医はメモに薬剤名を書いて、私の娘に手渡した。
その薬剤は漢方薬で昔から人々が知っているものだった。
赤ちゃんが夜鳴きや癇癪を起こしたり、嗚咽しすぎてひきつけを起こした時に使用する薬剤だ。
赤ちゃんや幼い子どもは外部からの刺激に敏感で疲れやすく、過敏な子どもは昼間に受けた様々な刺激によって夜になっても寝付けなかったり、自我のコントロールが不完全な状態で脳が鎮静出来ない。
それらと同じく老年期になると、脳の速度が低下し周囲の呼びかけや応答に時間差が生じて自己嫌悪に陥る場合や言葉がスムーズに出ずに応答が遅れるために受けるストレスがある。
そのような症状は自らでは解決できない。
言葉が出てこない失語症、物事が思い出せない記憶障害、自身がどこに居るのか?何をしようとしていたのか?分からなくなる失行や失認、見当識障害。
それらは自身の疲労感すらも忘れてしまい、考え続けたり、歩き続けたり、休まることなく動き続ける脳障害を意味する。
医師や私が考えていた繰転ではなかったことが判明した。
前頭葉、前頭側頭葉が破壊される認知機能障害は、まさに慢性疲労症候群の症状だ。
それらは精神科医が思いつく、うつ病ではなく、またアスペルガー症候群のような発達障害でもない。
失われた脳機能は精神安定剤や鎮静剤で解決できるはずもない。症状は進行していくばかりだ。
私は非常に納得することが出来た。
今日私はグラスに水を注ごうと冷蔵庫を開け、牛乳を注ぐ間違いをおかした。
その時、私の頭の中ではコーヒーをドリップしようと考え、ミルクを入れる動きを考えていた。
習慣的にミルクが無くなるのをいつも気にしているからだ。
これでようやく、少しは辻褄が合う。
2013年7月30日火曜日
慢性疲労症候群の体質について 感染を繰り返すウィルスと繰り返さないウィルス
慢性疲労症候群の原因には諸説あるが、私が経験したウィルス感染について書きとめよう。
3歳頃から19歳頃まで皮膚病に悩まされてきた。
それは、両脚の膝からつま先(下肢)と両腕の肘から指先(上肢)にかけて、黒紫色に勃起した発疹が無数に出来るものだ。
最初は小さな蚊や虫刺されのような赤い湿疹が一箇所に出現し、徐々に腕や足に増えていく。
そして変形をし、大きく腫れ、水ぶくれになった後、それが破れジュクジュクになり、次第にかさぶたが出来、黒斑の蓋がいつまでも消えず、剥がすと内部は膿んだようになっている。
これを何ヶ月も何年も繰り返し、季節を問わず出現し、非常に強い痒みに襲われ、皮膚科で病理検査をしても原因は判明せず、どのような塗り薬も飲み薬も効果はない。
何が原因なのか医師も判らず、蚊なのか、ノミやダニなのか、あるいは動物からの共通感染症なのか未だに解明は出来ていない。
しかし各医療機関で最近になって、 『蚊アレルギー』 が取り上げられるようになった。
私が患った肉芽腫のような湿疹は、蚊に刺されたものだと自分自身で気がついた。今でも蚊に刺されると同じように、最初に刺された部分から刺されていない部分まで何箇所も黒斑になる。
ウィキペディア 『肉芽腫』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E8%8A%BD%E8%85%AB
この文中で私が思い当たるものは、ブルセラ症、猫ひっかき病、サイトメガロウィルス、EBウィルス、B型インフルエンザウィルス、ヒトプラズマ症、コクシエラ、Q熱、ペニシリン、ジアゼパム、硫酸バリウム、造影剤、脂肪肝。
次に、私は水疱瘡(水痘)に3回感染したことがある。
幼児期に一般児と同様に感染し、出産した年子の娘二人が保育園で感染し、それが私に感染し、重症薬疹を患った時に水疱瘡になった。
一般的に幼児期に何らかの感染症を受けることやワクチンによって抗体が作られ、感染を繰り返さないと言われているが、私の場合は水疱瘡に一生涯何度でも感染すると医師に言われた。
季節性の風邪症候群には殆ど感染せず、長女がA型インフルエンザに感染し看病していても私は感染しなかった。
次女は幼児期から、おたふく風邪(流行性耳下腺炎)を何度も患っているが、私は発症しない。
不思議なことに母も娘も私も風邪をひくことはなく、SARSにも感染することはなかったが、何故か各々がある特定の風邪症候群の中のウィルスに何度も感染する。
私の兄は1400gの未熟児で産まれたが健康体であるのに、体力が低下していると、どのような風邪にも感染してしまい、そうなると38.5℃以上の発熱で直ぐに倒れて入院し、抵抗力がないのが特徴だ。
今回、母の自宅へ兄が帰省した際に風邪ぎみだったのだが、結局滞在中ずっと寝込んでしまい帰宅して病院へ行くと夏風邪と言われた。
兄が帰宅した翌日、母が肺炎を起こし入院し検査をした結果、プール熱(咽頭結膜熱)と判明し兄からの感染が原因だと判ったのは良いが、アデノウィルスの型が違っていた。
アデノウィルスは10種類以上のDNA型があり主に乳幼児が集団施設で感染するものだが、重症慢性閉塞性肺疾患(肺気腫、じん肺)の母は、幼児期から抗体を持っている型ではないものに感染した。
日本では学校感染症に指定され、殆どの人が一度は感染し出校停止になり休んだ覚えがある筈だ。
私は毎日、飲み物や食事の出来そうな物を作って病室へ行き、身体を清拭したり、寝たきりで動けない母をトイレまで連れて行ったり、オムツや衣服の交換など看病しに通った。
8日間の入院後、退院し更に10日間自宅で看病と介護をしていた。
風邪薬や鎮痛解熱剤で薬疹を起こす私は、いつ発症するか怖かったが、兄を5日間、母を18日間も連続で看病したのに私は感染しなかった。
恐らく幼児期にアデノウィルスに感染していたことで抗体が出来ていたのだろう。
思い出してみると、娘たちも保育園の時にプール熱に感染したが私は何ともなかった。
そして私も母の自宅から帰宅したら、今度は次女が上気道炎を起こし発熱と鼻水、鼻づまり、嘔吐をし、また看病している。
私の遺伝性だと言われ、小児慢性疲労症候群、小児線維筋痛症と診断された長女はケロっとしている。
私と長女は体質が似ているのか、皮膚病や感染症など同じような病気になりやすい。
以前、長女は疲労からジアノッティ症候群と言われ治療を受けたが、今でも時々疲れが溜まると指先にポツポツとした湿疹が現れチアノーゼを起こすことがある。
母はまだ微熱が続き、食欲もなく、殆ど起き上がることも話すこともつらく、カンジタ症を引き起こし、一向に回復していない。
入院中に抗生物質の点滴を何本も打たれ、退院後も抗生物質の錠剤を服用しているにも関わらず症状が改善されないのは何故なのか判らない。
兄の報告では一般的な対処療法の服薬で回復したそうだが、母は同じように対処しても変化しない。
このように普通では、抗体によって感染しても発症しない筈のものが何度も繰り返され、薬剤によって死滅されたり、改善される筈の症状や、消滅しないウィルスや細菌が同じ家族内でもそれぞれあり、医師でも原因が判らず対処しても適応されない病状がある。
私だけが慢性疲労症候群と診断され、主症状が強く重症化したが、主治医が言う通り、『家族内多発』の可能性は大いにあり得ると考えられる。
私の主治医は血液学、輸血が専門であり、元々膠原病の専門医であるため海外でも非常に有名な医師だ。
DNA解析には、まだ時間が必要だろうが家族間の血液内に似たようなDNA変異が見つかれば、きっと慢性疲労症候群の原因や要因が発見出来るのではないだろうか。
私の家族に共通しているのは、季節性や流行性の風邪症候群には強い抵抗力を持っているが幼児期に感染した経験のあるウィルス性の風邪様症候群を何度も繰り返す部分だ。
恐らくその主格は、レトロウィルス。
私の父親は殆ど風邪を引かなかったが、日本人の大多数が患っていると言われる、ちくのう症(慢性副鼻腔炎)があり、兄も、元夫も、長女も、ちくのう症がある。
母と私、次女にその症状はない。
慢性疲労症候群は、女子が羅患した場合に女児を出産すると80%以上の確立で遺伝すると言われた。
母子感染ではなく、遺伝する仕組みから兄が健康体で生活しているのと、風邪に弱い体質に何らかの因果関係はないのだろうか。
私は今回の出来事で、固体が持つ抗体や常在菌と発症の仕組みに疑いを抱いた。
3歳頃から19歳頃まで皮膚病に悩まされてきた。
それは、両脚の膝からつま先(下肢)と両腕の肘から指先(上肢)にかけて、黒紫色に勃起した発疹が無数に出来るものだ。
最初は小さな蚊や虫刺されのような赤い湿疹が一箇所に出現し、徐々に腕や足に増えていく。
そして変形をし、大きく腫れ、水ぶくれになった後、それが破れジュクジュクになり、次第にかさぶたが出来、黒斑の蓋がいつまでも消えず、剥がすと内部は膿んだようになっている。
これを何ヶ月も何年も繰り返し、季節を問わず出現し、非常に強い痒みに襲われ、皮膚科で病理検査をしても原因は判明せず、どのような塗り薬も飲み薬も効果はない。
何が原因なのか医師も判らず、蚊なのか、ノミやダニなのか、あるいは動物からの共通感染症なのか未だに解明は出来ていない。
しかし各医療機関で最近になって、 『蚊アレルギー』 が取り上げられるようになった。
私が患った肉芽腫のような湿疹は、蚊に刺されたものだと自分自身で気がついた。今でも蚊に刺されると同じように、最初に刺された部分から刺されていない部分まで何箇所も黒斑になる。
ウィキペディア 『肉芽腫』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89%E8%8A%BD%E8%85%AB
この文中で私が思い当たるものは、ブルセラ症、猫ひっかき病、サイトメガロウィルス、EBウィルス、B型インフルエンザウィルス、ヒトプラズマ症、コクシエラ、Q熱、ペニシリン、ジアゼパム、硫酸バリウム、造影剤、脂肪肝。
次に、私は水疱瘡(水痘)に3回感染したことがある。
幼児期に一般児と同様に感染し、出産した年子の娘二人が保育園で感染し、それが私に感染し、重症薬疹を患った時に水疱瘡になった。
一般的に幼児期に何らかの感染症を受けることやワクチンによって抗体が作られ、感染を繰り返さないと言われているが、私の場合は水疱瘡に一生涯何度でも感染すると医師に言われた。
季節性の風邪症候群には殆ど感染せず、長女がA型インフルエンザに感染し看病していても私は感染しなかった。
次女は幼児期から、おたふく風邪(流行性耳下腺炎)を何度も患っているが、私は発症しない。
不思議なことに母も娘も私も風邪をひくことはなく、SARSにも感染することはなかったが、何故か各々がある特定の風邪症候群の中のウィルスに何度も感染する。
私の兄は1400gの未熟児で産まれたが健康体であるのに、体力が低下していると、どのような風邪にも感染してしまい、そうなると38.5℃以上の発熱で直ぐに倒れて入院し、抵抗力がないのが特徴だ。
今回、母の自宅へ兄が帰省した際に風邪ぎみだったのだが、結局滞在中ずっと寝込んでしまい帰宅して病院へ行くと夏風邪と言われた。
兄が帰宅した翌日、母が肺炎を起こし入院し検査をした結果、プール熱(咽頭結膜熱)と判明し兄からの感染が原因だと判ったのは良いが、アデノウィルスの型が違っていた。
アデノウィルスは10種類以上のDNA型があり主に乳幼児が集団施設で感染するものだが、重症慢性閉塞性肺疾患(肺気腫、じん肺)の母は、幼児期から抗体を持っている型ではないものに感染した。
日本では学校感染症に指定され、殆どの人が一度は感染し出校停止になり休んだ覚えがある筈だ。
私は毎日、飲み物や食事の出来そうな物を作って病室へ行き、身体を清拭したり、寝たきりで動けない母をトイレまで連れて行ったり、オムツや衣服の交換など看病しに通った。
8日間の入院後、退院し更に10日間自宅で看病と介護をしていた。
風邪薬や鎮痛解熱剤で薬疹を起こす私は、いつ発症するか怖かったが、兄を5日間、母を18日間も連続で看病したのに私は感染しなかった。
恐らく幼児期にアデノウィルスに感染していたことで抗体が出来ていたのだろう。
思い出してみると、娘たちも保育園の時にプール熱に感染したが私は何ともなかった。
そして私も母の自宅から帰宅したら、今度は次女が上気道炎を起こし発熱と鼻水、鼻づまり、嘔吐をし、また看病している。
私の遺伝性だと言われ、小児慢性疲労症候群、小児線維筋痛症と診断された長女はケロっとしている。
私と長女は体質が似ているのか、皮膚病や感染症など同じような病気になりやすい。
以前、長女は疲労からジアノッティ症候群と言われ治療を受けたが、今でも時々疲れが溜まると指先にポツポツとした湿疹が現れチアノーゼを起こすことがある。
母はまだ微熱が続き、食欲もなく、殆ど起き上がることも話すこともつらく、カンジタ症を引き起こし、一向に回復していない。
入院中に抗生物質の点滴を何本も打たれ、退院後も抗生物質の錠剤を服用しているにも関わらず症状が改善されないのは何故なのか判らない。
兄の報告では一般的な対処療法の服薬で回復したそうだが、母は同じように対処しても変化しない。
このように普通では、抗体によって感染しても発症しない筈のものが何度も繰り返され、薬剤によって死滅されたり、改善される筈の症状や、消滅しないウィルスや細菌が同じ家族内でもそれぞれあり、医師でも原因が判らず対処しても適応されない病状がある。
私だけが慢性疲労症候群と診断され、主症状が強く重症化したが、主治医が言う通り、『家族内多発』の可能性は大いにあり得ると考えられる。
私の主治医は血液学、輸血が専門であり、元々膠原病の専門医であるため海外でも非常に有名な医師だ。
DNA解析には、まだ時間が必要だろうが家族間の血液内に似たようなDNA変異が見つかれば、きっと慢性疲労症候群の原因や要因が発見出来るのではないだろうか。
私の家族に共通しているのは、季節性や流行性の風邪症候群には強い抵抗力を持っているが幼児期に感染した経験のあるウィルス性の風邪様症候群を何度も繰り返す部分だ。
恐らくその主格は、レトロウィルス。
私の父親は殆ど風邪を引かなかったが、日本人の大多数が患っていると言われる、ちくのう症(慢性副鼻腔炎)があり、兄も、元夫も、長女も、ちくのう症がある。
母と私、次女にその症状はない。
慢性疲労症候群は、女子が羅患した場合に女児を出産すると80%以上の確立で遺伝すると言われた。
母子感染ではなく、遺伝する仕組みから兄が健康体で生活しているのと、風邪に弱い体質に何らかの因果関係はないのだろうか。
私は今回の出来事で、固体が持つ抗体や常在菌と発症の仕組みに疑いを抱いた。
2013年6月8日土曜日
初めて通院をさぼった
先日の通院先の医師との馬鹿げた言い争いから、どうすることも出来ないのなら通院する意味はどこにあるのだろうと考え込んでいた。
そして昨日通院の予約日だったが、どうしても医師の顔を見るのも話すのも嫌で行かなかった。
私に必要な治療とは一体何なのだろう?
私に必要な薬は今使用している物の中で何だろう?
それを考えていた。
恐らく治療や薬よりも当然のように体調不良で居ることではないだろうか。
原因も治療法も解らぬまま、あれやこれや試験的にアプローチすることは逆に悪化するだけではなかろうか?そう思った。
動けないほどの体調不良を持つ患者を無理矢理 ”元気” にさせようとすることは逆効果だと気付いた。
手の施しようがない病人に健常者と同じレベルにまで元気にさせようとするのは矛盾だ。
いくら現実を知っているからと言って医師が絶対に言ってはならない言葉を私は何度も何人もの医師から言われてきた。
それは、
そして昨日通院の予約日だったが、どうしても医師の顔を見るのも話すのも嫌で行かなかった。
私に必要な治療とは一体何なのだろう?
私に必要な薬は今使用している物の中で何だろう?
それを考えていた。
恐らく治療や薬よりも当然のように体調不良で居ることではないだろうか。
原因も治療法も解らぬまま、あれやこれや試験的にアプローチすることは逆に悪化するだけではなかろうか?そう思った。
動けないほどの体調不良を持つ患者を無理矢理 ”元気” にさせようとすることは逆効果だと気付いた。
手の施しようがない病人に健常者と同じレベルにまで元気にさせようとするのは矛盾だ。
いくら現実を知っているからと言って医師が絶対に言ってはならない言葉を私は何度も何人もの医師から言われてきた。
それは、
- 現代医学ではどうすることも出来ません。
- 所詮対処療法しか出来ない。
- 打つ手がもうありません。
”お手上げです”と言っているのだ。
だったら何故私は病院に行くのだ?
だったら何故薬を飲むのだ?
一体何の為に自分は何をしているのだろうか。
起き上がれなければ、ずっと寝ていれば良い。
寝ていることしか出来ないのだし、それを薬を使って無理矢理動けるようにして、また寝込むのは悪化して当然であり、そもそも何故そこまで酷使しなければならないのか疑問だ。
そういう行為によって過覚醒して自分が病人であることを忘れ、動き続け果てには寝込むことすら忘れてしまった。
症状が軽快や回復した訳でもないのに、まるで元気パリパリの人になっている自分を見た。
そしてすべてに疲れて命を終わりにしたいと思った。
通院をキャンセルしたことが、こんなにも気持ちを楽にさせるのだと感じた。
元々、無意味な病院に行くのが重荷で仕方がなかったから、尚更楽になれた。
命を止めてしまいたいなら服薬も通院も止めてしまえば良い。
その方が矛盾していない。
お手上げだと言われて使える薬も効果の薄い当たり障りのない限られた物ばかりで、絶対的に必要な鎮痛剤や脳神経に作用する物は禁忌なのだから、それこそ無意味だ。
何の可能性もない、効果のない、とりあえずの対処療法。
それでいて元気そうに動ける人に近づけようなど何の為に医師はするのだろう。
何が目的だ?
私には理解出来ない。
だから当たり前に元々の症状のままで居ようと思った。
動ければ動く、寝込むなら寝込む、痛むなら痛がる、誤魔化すのを止めようと思った。
プラセボ(似せ)の薬を飲んで、自分自身まで誤魔化しながら生きて苦しんで悩んで命まで捨ててしまいたくなるのは馬鹿げている。
私は今まで努力してきた通り、これからも当たり前のことを当たり前にやるし、人生を楽しむ。
余命宣告された患者に医師は何をしろと助言するのだろう?
”煙草をやめろ。寿命が縮んで、病気を悪化させるから、それはやめるように努力しろ。” ???
嗚呼、馬鹿馬鹿しい。
くだらない愚論を偉そうに指導している自分に気が付かない医師。
風邪を引けば風邪薬を飲むでしょう?
頭が痛くなれば鎮痛剤を飲むでしょう?
それが治療でしょう?
私も必要なことしかしない。
2013年4月24日水曜日
思い出せない ”慢性疲労症候群による失認症状”
あまりに長過ぎる病歴は、私の認知機能を破壊して行く。
この頃ひどくなったのは、漢字や言葉が思い出せなくなったことだ。
出来事や考えたこと、言おうと思ったこと、日付や時間など認知症と同じように覚えていない問題は確かにある。
しかし、それは誰かに教えて貰ったり、言われれば 「ああ、そうか」 と思い出せる点で認知症とは違うと判断できる。
それでも同じように何もかも、頭の中で記憶が曖昧で混濁しているのは間違いない。
私がいま、思い出せないのは病気に罹り始めた頃の状態だ。
悪化しすぎて、 『寝込んで起き上がれなかった』 その時の状態が思い出せない。
ずっと寝たきりで、食事もできず、子どもの世話も何も出来なかった。
その風景は鮮明に覚えているのに、自分の具合の悪さがどれほどのものだったのか想像が着かない。
それは現在、軽快したり回復したり治ったからではない。
病気とうまく付き合う方法を身につけた私は、日常生活に対する見方を変えただけであって、決して体調が良くなったのではなく、むしろ年を追う毎に衰えて悪化する一方でしかない。
どのように日々を送っているのか?
これはずっと訓練してきたことだ。
この頃ひどくなったのは、漢字や言葉が思い出せなくなったことだ。
出来事や考えたこと、言おうと思ったこと、日付や時間など認知症と同じように覚えていない問題は確かにある。
しかし、それは誰かに教えて貰ったり、言われれば 「ああ、そうか」 と思い出せる点で認知症とは違うと判断できる。
それでも同じように何もかも、頭の中で記憶が曖昧で混濁しているのは間違いない。
私がいま、思い出せないのは病気に罹り始めた頃の状態だ。
悪化しすぎて、 『寝込んで起き上がれなかった』 その時の状態が思い出せない。
ずっと寝たきりで、食事もできず、子どもの世話も何も出来なかった。
その風景は鮮明に覚えているのに、自分の具合の悪さがどれほどのものだったのか想像が着かない。
それは現在、軽快したり回復したり治ったからではない。
病気とうまく付き合う方法を身につけた私は、日常生活に対する見方を変えただけであって、決して体調が良くなったのではなく、むしろ年を追う毎に衰えて悪化する一方でしかない。
どのように日々を送っているのか?
これはずっと訓練してきたことだ。
- 何時に寝ようとも毎日同じ時間に起床する。(一旦目を覚ます)
- 今日やろうと計画したことは今日中に始末する。
- 前日から翌日の予定を確認し、体調の様子によっては変更可能なように予定を組む。
- 体調が悪いと感じたら、無理に実行せずキャンセルできる用事なら後日に予定を振り返る。
- 3日以上予定を先延ばしにしない。
- 世の中の動きと同じように、自分の生活も送る。(例え睡眠障害があっても考慮しない)
- 他人に頼らず、当てにせず、すべて自分のやるべきことだと思う。
- 自分の欠落した機能を理解し、どうすれば可能なのか作戦を立てる。
(例えば、記憶できないものは手帳にすべてをメモしておく。カレンダーに書き込む。壁や目に付く場所にメモを貼っておく。誰かに話しておく。など) - 喜怒哀楽を忘れず、自分の思いに向き合い、自分に正直になる。
- 他人から奇妙だと誤解されるかもしれないと思っても、自分が奇妙ではないと信じる。
- 毎日欠かさずやる事を決める。
- 体調がどんなに悪くても、一日ひとつだけは必ず仕事をする。
(自分の薬を飲むグラスを洗うことだけでも、仕事のひとつとして実行する。) - 楽しいことをする。
- 行きたいと思った所へ行き、やりたいと思ったことはやる。
要するに誰もが行っている当たり前の日常生活を送るだけのことだ。
毎日、食事は作るし、トイレにも行くし、ゴミを片付けるし、掃除もするし、洗濯もするし、食器の後片付けもする。
それは健常者であれ、病人であれ、障害者であれ、すべてやって当たり前のことだ。
でも、病人や障害者にとってそれらはとてもつらく、困難なことでもある。
だからといって嘆いて 『出来ない』 『無理だ』 と言い、どうにかなるものでもない。
大袈裟に物事を捉えて、自己暗示に掛けてしまえば精神的に楽になれる。
誰に対しても言い訳が成立出来る。
しかし、その真実は自分自身に対しての大義名分と言い訳で納得させる材料を揃えられたものであって、何の役にも立たない。
後味悪く残るものは、自己嫌悪だけしかない。
私はこうして訓練した結果、決して満足のいくような日常生活が送れている訳ではないが更に身体的、精神的双方にかなりの負担を強いながら生きている。
それは解っている。
どんどん薄れていく自己感覚や自己認識が私を破壊しているのも解っている。
両腕、両脚にゲートルを巻き、退化した筋肉を補いながら自分の足で歩き、自分の手で物を動かす。
ベッドの上で座る生活ばかりしているしかない程の動けない身体は、胴体(体幹)の筋肉を衰えさせ、全身を支えるのが難しくなった。
だから歩くと背中が痛む。
自分が具合悪いことさえ鈍感になって、何でも出来るかのように錯覚し、何の防御もしない。
ただ不自由や苦痛に対して対処しているだけだ。
言いたいことはたった一つ。
それは自分がどれくらい具合が悪くて、病人だという自覚が殆ど理解出来なくなった。
もう、身体や精神的なものが悲鳴を挙げているその感覚すらも解らなくなった。
それだけだ。
だから私は泣かない。嘆かない。頼らない。助けを求めない。甘えない。
だって、その理由が解らないから。
だって、今まで 『つらい』、『出来ない』 そう思って助けて欲しいと願った時に誰も居なかったから。
すべて、誰にも教えて貰えず、自分で考えて乗り越えてやるしかなかったから。
悲劇のヒロインに堕ちるのが嫌だから、私は戦う。
誰かに同情されて、自分から媚びて、助けて貰わなければ生きていけない様な人生は、いつか捨てられて一瞬にしてすべてを失い、世の中の一員として生きていけなくなることを知っていた。
この揺るがない強さを手に入れた代わりに、払った代償はすべての機能を失っていく矛盾だった。
失認、失行、失語。
錯誤と錯覚だらけの中で、私は意識を失わないようにまだ努力し続ける。
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