2006年10月25日 23:43 私は自殺した。
この写真は、退院してきた時に撮影したものだ。
一週間かけて、どうやって死ぬかずっと計画を練っていた。
誰にも気付かれず、他人にも知られずに確実に死ぬ方法を考えた。
心臓を刺すまでの記憶はある。どのような格好と方法で実行したのか覚えている。
けれど、刺した後からの記憶は一切無い。
どうやって救急隊が運んだか、どのような形で包丁が胸に刺さっていたのか、
また手術もどのような方法で行われ、何故こういう傷跡が残る結果になったのか、何も知らない。
一度は退院後、全経過を知りたいと担当医師に手紙で申し出たが守秘義務があるとの事で聞けなかった。
その後、もう生き返ってしまったのだから何も知る必要はないと思った。
もちろん、退院する時に今後の弊害や生活指導など一切のインフォームド・コンセントは受けていない。
それから既に、6年が経過している。
私はこの6年何を考え、何をしてきたのだろう。
考えてみれば、もう10年くらい経っているかのような心境だが、まだたった6年未満しか経っていない。
その間に、子供は2007年12月に退寮して戻ってきたのだから私は自分の肉体も精神も何のケアもしていない。
本当に、この6年(正確には5年4ヶ月)何も無かったかのような生活で、ただ請求される事や起こる事象に対して対応に追われるだけだった。
2008年12月29日に重症薬疹で、死ぬ寸前にまでなった。
私の精神力、忍耐力、気力を誰もが過信してはいないだろうか。
耐え切れないこのCFS、FMSの上にこんな出来事が加わり、2008年9月に中絶に見舞われ、私はその報いを一人で今も尚受けている。
いま考えるのは、既に2006年の自殺の時点で私は死んだも同じだという事だ。
あの時、その時、本当に死んでいたら、今の苦しみは無かった。
あれから、私に何か、かけがえのない喜びや生きている素晴しさを感じる出来事はあっただろうか。
残念ながら、俗世が口にしたり、思い描く、幸せも安定も、平和もなかった。
だから、私は人間らしさがなく、何事に対しても事務的で、すべてに於いて興冷めしているのだ。
誰かが嘆く、不平不満を言う、努力しない、他力本願的発想、人を羨んだり、自分の置かれた状況を有難いと思えない、そんな姿を見聞きする度、「それは平和だから言えるんだ」と感じるし、心底では「平和ボケ」と思っている。
『修羅場』?
簡単に口に出来るほど、貴方たちは修羅場なんか歩んでいない。
それは、そうやって自分を慰めて、過去の辛い体験を箱に終うための作業。そうしなければ耐え切れない思いがあるから、それも仕方ない。
死の淵を歩んだ人間にしか理解できないものがある。
それは命と引き換えにしなければならないような出来事に比べたら、すべてが戯言にしか見えなくなる。
何を切り捨ててでも、湧き上がる日常生活の不平不満は、いとも容易く乗り越えられる問題だと解かる。
私が自殺して、重症薬疹から生き返った、この5年4ヶ月で悟ったのは、そういう事だ。
『歩む道 誰が為でなく己の道
右も左もすべて選ぶは 己なり』 2008年1月16日拝
『我抗うなかれ 世はすべて風の中
空、無、気、意 然しの時と共に在り』 2008年10月12日拝
『究境涅槃三世諸仏依』
これが私の辿り着いた境地だ。
2012/03/05 9時0分
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