疲れた。
一向に上向かない中で、その恐ろしく鉛のような身体を、動かしながら成すべき事を成し、思春期や症状のバイオリズムの動きに応対し、私は自分を見つめている暇すらない毎日。
身体が休めと言って悲鳴を上げていても、私には休む暇もなく、寝込んでなど居られない。
毎日、突然飛び起きて目覚める。
すぐに睡眠薬を飲んで眠りたいくらいの疲労感。
起きてからすぐには行動できず、ベッドの上に多分3時間くらい座って居るだろう。
その間に、 『朝』 飲む薬を薬箱から出し、他の包薬を数えて用意して、やっと飲み終わるのが1時間以上経ってからだ。
前の晩からメモ用紙に明日やる事を書いてベッドサイドに置いておく。
そのキャンセル出来ない用事を片付けるのに、どれ程の気合と集中力が必要なのか。
やり終えた後は、もう腑抜け。
毎日、四六時中が腑抜けなのに、これ以上動けない。
本当に疲れた。
しかも今は師走。
今年中に済ませておかなければいけない、手配しておかなければいけない用事や予定が、誰にでも当たり前にある。
それをこなすのに、もう身体がやっと、まるで息切れ、肺気腫の喘息で本当の息切れ、筋肉が息切れ。
要するにバッテリー切れだ。
疲れた。
何もかもに疲れた。
どうしよう。
もうすぐクリスマスに、冬休みに、年末年始、お正月がやってくる。
いつも皮肉っていた冗談も言えるようなエネルギーがない。
クリスマスのことを、 「もうバカじゃないの!?クリスチャンでもないのにクリスマスやるなんて、日本人ってただお祭りしたいだけじゃん(笑)。うちは関係ないからね~」 と皮肉っていた。
バレンタイン・デーのことを、 「嗚呼もうまた日本人はバカだねぇ~。チョコレート屋の戦略にまんまと引っ掛かって儲けの種にされてるだけなのに~(笑)」 と皮肉。
ホワイト・デーのことも同じように言っていた。
初詣のことを、 「あ!罰当たりの集まり。クックック。お賽銭いっぱい積んだってあの世に逝く時に、それは何にも意味がないんだよなぁ。しかもお願いだけして御礼に行かないっていうお馬鹿さん。一番誰が儲かってるのか判ってるくせにさ~(笑)」 と嘲笑していた。
そんな事も全部、私は凡人で煩悩ならではの人間らしさで良いと思っている。
だから娘たちが小さい時に、バカバカしいと思いつつもサンタさんをやってあげていた。
次女がクリスマスの日に目覚めて、枕元にプレゼントが置いてあって、本当に体中で身体を震わせて、 『お姉ちゃーん!サンタさん来たんだ!プレゼントある!ある!』 と喜んでいた姿を今でも覚えている。
純粋な子供心の小さくて大きな夢。
やってあげて良かったと思った。
一日中、私に 『お母さん!サンタさん居るんだねー!来たよ!アタシいい子だったからなの?』 と言っていて、その度に 「そうだよ~お利口さんだったんだねぇ。良かったねー!」 と受け答えしてあげていた。
ただ、今でも娘たちの喜ぶ顔が見たいだけ。
何か当たり前のことをしてあげているに過ぎないことにも、 『わあ、お母さんありがとう!』 と言ってくれ、私は 「親だから当たり前なだけだよ、いいって~」 と俯きながら言う。
それも次第に叶わないと思う娘の寂しそうな顔を見たくない。
逆に、情けを掛けられれば掛けられるほど不甲斐なさを感じていく。
そういったことにも疲れてしまった。
思いに答えてやれない。
喧嘩する度に、私の不甲斐なかった昔の事を引き合いに出し、弱みに付け込んで来られる事が多くなった。
もう、やめて。
何も望まないで。
優しさも、助けも、何もしてくれなくていいから、痛ぶるようになじるのはやめて。
所詮、生まれて来なければ良かったとしか思えない私自身の人生なんだから、もう放っておいて。
一人でずっと、孤独と病気と誰にも頼らず、絶望の中でやっとここまで思えるようになったんだから、お願いだからそっとしておいて。
私は一人でも寂しくないから。
もうそう遠くない将来には消えてしまうんだから、静かにさせて。
喧嘩する度に、もう待たずして終わってもいいと追い詰められる。
明日は寝ていよう。
明日は何をしよう。
それだけ。
慢性疲労症候群(CFS)線維筋痛症(FMS)ケース1としての実態。日々感じる出来事の日記のようなもの このブログは白色バックライトの視覚刺激に配慮し白黒反転のデザインを施しています
2012年12月19日水曜日
2012年12月13日木曜日
空と地上と
ぼーっと、空と同じ高さで空を眺める。
ぼーっと、空と同じ高さで自分を考える。
下をふと見下ろす。
そして、また、空と同じ高さの風景を見つめながら、考える。
その間、私に気付く人、私の後ろを通る人。
私は、ただ空と自分を見つめてた。
階段を登って行く時
階段を降りて行く時
何も変わらない。
写っている日付より、もっと前の夏に、初めて登った。
2011/04/13に、もう止めようと自分に決めて、忘れまいと写真を撮っておいた。
何処にも気持ちも身も置き所がなく、頭を冷やそうと先日行った。
あの時、自分は何を考えたのだろう。
あの時、何が自分を踏み止まらせたのだろう。
あの時、何を心に誓ったのだろう。
覚えている。
『生きるには理由は必要なく、死ぬには理由が必要だ』
もう力がなくて、登れなかった。
ただ、胸の高さまである塀に寄り掛かって、冷たい風に吹かれ、眺めていることしか出来なかった。
そこから落ちれば、何もかも終わる。
階段を降りれば、また何もかも相変わらず続く。
ぼーっと、その二つを考えていた。
引き返せば何が待っているのか。
引き返さなければ何が待っているのか。
私に聞こえた心の中の声、あの時聞こえた、その言葉
『やるべき事がまだ残っているから、お前はまだ生きていろ』
何が残されているのだろう。
死なないで。
私を必死で止める。
死なないで。
いくら止めても、生きてて欲しいと思っても、そんなにつらいなら、止める方が酷なんだと思った。
そんなに死にたければ、生きてるのが地獄なんだったら、死ねばいい。
何をどうやっても、何の役にも立たないのなら、もう何もしない。
抜け殻のような私。
生きる屍の私。
時間稼ぎをしてるだけの私。
それで時間潰しのように毎日、何か楽しいと思えるように、わざと楽しみを見つけて生きている私。
何のために・・・。
憂さ晴らしに、外へ勢いで出て行ける人はいいね。
帰ってきたくないと、家出できる人はいいね。
誰か気を紛らわしてくれる人と出かけられる人はいいね。
嫌だ、やりたくないと、放棄できる人はいいね。
私はもう何処へも行けない。
自分で死ぬ力すら、もうない。
このベッドの上から降りられないで、歩ける世界は家の中だけ。
痛みを取ってよ。
歩けるようにしてよ。
手が動くようにしてよ。
寝れば疲れがなくなるようにしてよ。
グズグズ言って、あれが嫌だ、これが嫌だ、持て余すそのエネルギーと身体を私に頂戴よ。
そうしたら、私は誰よりも頑張って生きるから。
誰よりも多くの仕事をするから。
やらなきゃいけないことも、やりたいことも、やってあげたいことも、どれだけでもやるから。
私と代わって・・・。
ぼーっと、空と同じ高さで自分を考える。
下をふと見下ろす。
そして、また、空と同じ高さの風景を見つめながら、考える。
その間、私に気付く人、私の後ろを通る人。
私は、ただ空と自分を見つめてた。
階段を登って行く時
階段を降りて行く時
何も変わらない。
写っている日付より、もっと前の夏に、初めて登った。
2011/04/13に、もう止めようと自分に決めて、忘れまいと写真を撮っておいた。
何処にも気持ちも身も置き所がなく、頭を冷やそうと先日行った。
あの時、自分は何を考えたのだろう。
あの時、何が自分を踏み止まらせたのだろう。
あの時、何を心に誓ったのだろう。
覚えている。
『生きるには理由は必要なく、死ぬには理由が必要だ』
もう力がなくて、登れなかった。
ただ、胸の高さまである塀に寄り掛かって、冷たい風に吹かれ、眺めていることしか出来なかった。
そこから落ちれば、何もかも終わる。
階段を降りれば、また何もかも相変わらず続く。
ぼーっと、その二つを考えていた。
引き返せば何が待っているのか。
引き返さなければ何が待っているのか。
私に聞こえた心の中の声、あの時聞こえた、その言葉
『やるべき事がまだ残っているから、お前はまだ生きていろ』
何が残されているのだろう。
死なないで。
私を必死で止める。
死なないで。
いくら止めても、生きてて欲しいと思っても、そんなにつらいなら、止める方が酷なんだと思った。
そんなに死にたければ、生きてるのが地獄なんだったら、死ねばいい。
何をどうやっても、何の役にも立たないのなら、もう何もしない。
抜け殻のような私。
生きる屍の私。
時間稼ぎをしてるだけの私。
それで時間潰しのように毎日、何か楽しいと思えるように、わざと楽しみを見つけて生きている私。
何のために・・・。
憂さ晴らしに、外へ勢いで出て行ける人はいいね。
帰ってきたくないと、家出できる人はいいね。
誰か気を紛らわしてくれる人と出かけられる人はいいね。
嫌だ、やりたくないと、放棄できる人はいいね。
私はもう何処へも行けない。
自分で死ぬ力すら、もうない。
このベッドの上から降りられないで、歩ける世界は家の中だけ。
痛みを取ってよ。
歩けるようにしてよ。
手が動くようにしてよ。
寝れば疲れがなくなるようにしてよ。
グズグズ言って、あれが嫌だ、これが嫌だ、持て余すそのエネルギーと身体を私に頂戴よ。
そうしたら、私は誰よりも頑張って生きるから。
誰よりも多くの仕事をするから。
やらなきゃいけないことも、やりたいことも、やってあげたいことも、どれだけでもやるから。
私と代わって・・・。
私が自殺した時
2006年10月25日 23:43 私は自殺した。
この写真は、退院してきた時に撮影したものだ。
一週間かけて、どうやって死ぬかずっと計画を練っていた。
誰にも気付かれず、他人にも知られずに確実に死ぬ方法を考えた。
心臓を刺すまでの記憶はある。どのような格好と方法で実行したのか覚えている。
けれど、刺した後からの記憶は一切無い。
どうやって救急隊が運んだか、どのような形で包丁が胸に刺さっていたのか、
また手術もどのような方法で行われ、何故こういう傷跡が残る結果になったのか、何も知らない。
一度は退院後、全経過を知りたいと担当医師に手紙で申し出たが守秘義務があるとの事で聞けなかった。
その後、もう生き返ってしまったのだから何も知る必要はないと思った。
もちろん、退院する時に今後の弊害や生活指導など一切のインフォームド・コンセントは受けていない。
それから既に、6年が経過している。
私はこの6年何を考え、何をしてきたのだろう。
考えてみれば、もう10年くらい経っているかのような心境だが、まだたった6年未満しか経っていない。
その間に、子供は2007年12月に退寮して戻ってきたのだから私は自分の肉体も精神も何のケアもしていない。
本当に、この6年(正確には5年4ヶ月)何も無かったかのような生活で、ただ請求される事や起こる事象に対して対応に追われるだけだった。
2008年12月29日に重症薬疹で、死ぬ寸前にまでなった。
私の精神力、忍耐力、気力を誰もが過信してはいないだろうか。
耐え切れないこのCFS、FMSの上にこんな出来事が加わり、2008年9月に中絶に見舞われ、私はその報いを一人で今も尚受けている。
いま考えるのは、既に2006年の自殺の時点で私は死んだも同じだという事だ。
あの時、その時、本当に死んでいたら、今の苦しみは無かった。
あれから、私に何か、かけがえのない喜びや生きている素晴しさを感じる出来事はあっただろうか。
残念ながら、俗世が口にしたり、思い描く、幸せも安定も、平和もなかった。
だから、私は人間らしさがなく、何事に対しても事務的で、すべてに於いて興冷めしているのだ。
誰かが嘆く、不平不満を言う、努力しない、他力本願的発想、人を羨んだり、自分の置かれた状況を有難いと思えない、そんな姿を見聞きする度、「それは平和だから言えるんだ」と感じるし、心底では「平和ボケ」と思っている。
『修羅場』?
簡単に口に出来るほど、貴方たちは修羅場なんか歩んでいない。
それは、そうやって自分を慰めて、過去の辛い体験を箱に終うための作業。そうしなければ耐え切れない思いがあるから、それも仕方ない。
死の淵を歩んだ人間にしか理解できないものがある。
それは命と引き換えにしなければならないような出来事に比べたら、すべてが戯言にしか見えなくなる。
何を切り捨ててでも、湧き上がる日常生活の不平不満は、いとも容易く乗り越えられる問題だと解かる。
私が自殺して、重症薬疹から生き返った、この5年4ヶ月で悟ったのは、そういう事だ。
『歩む道 誰が為でなく己の道
右も左もすべて選ぶは 己なり』 2008年1月16日拝
『我抗うなかれ 世はすべて風の中
空、無、気、意 然しの時と共に在り』 2008年10月12日拝
『究境涅槃三世諸仏依』
これが私の辿り着いた境地だ。
2012/03/05 9時0分
2012年12月6日木曜日
救急車で病院へ 公言できぬ事実に悩む医師と私
4日程前、いつものように突然の腹痛が4時間も続き、いつまで経っても痛みは治まらなかった。
痛みの波はあるものの、その激痛は変わらない。
娘が何か対処しようと、傷の癒着が原因で腹痛が起きているのかもしれないと、腹部を揉み解してみたり、背中を摩ってみたりしたが一向に治まる気配がなかった。
私が、 「多分、詰まってるとかじゃない。違う。」 と言って、 「いいから、どうにも出来ないから放っておいていいから」 と言った。
心配する娘は何度も 『救急車呼ぼうか?』、『ねえ病院行こう?』 と言ったが、拒否した。
しかし、いい加減4時間も過ぎて痛みにのた打ち回り、意識も朦朧として、言葉も出なくなってきた私を見かねて、救急車を呼んでくれた。
かかりつけの大学病院まで搬送された。
今回は流石に、病院側も血液検査や大腸検査、腹部X線検査をして、点滴を打っていた。
やはり血圧は78-42、脈拍60、体温37.8℃となっていた。
もう、左足はびっこを引いて、殆ど動かず歩けなくなっていたのは、この3ヶ月ずっとだ。
一応、意識ははっきりしているから、救急隊や医師の声掛けにも質問にも答えてはいたが、私の頭の中は大混乱していた。
ただ、質問された事に対し、的確な答えを探して答えていただけだ。
自分の痛みや、いつ頃、どうして、など伝えたい言葉は何も出てこなかった。
レントゲンの結果は、腹部に何も詰まっておらず、むしろガスが充満している状態だと言われた。
医師が首をかしげていたのは、ガスが充満しているのに腹の張りが一切なく、下痢もしておらず、腹膜炎や虫垂炎に特徴的な細菌も見つからなかった状態だ。
みぞおちの変なしこりを、 『これは何だ?』 と触診し、エコーをするも何かあると思い当たりつつ、それが何かは不明とだけ言っていた。
次第に痛みが治まり、点滴も終わりに差し掛かった処で、 『医師がとりあえず様子を見ましょう、家に帰っても、また痛みが起きたら何度でも救急で来て下さいね。』 と言うので、私は質問し返した。
「何度でも?痛む原因が何も解らないのに、来る意味はありますか?」 と聞くと、医師は 『痛み方が前回とは違うし、何が原因になるのかはその時で違いますから、万が一、一刻を争うような場合だったりしたら困るからね。解りますか?』 と言った。
私は、ああそうか・・・盲腸だったりしたら放っておいたら死んじゃうもんねぇと理解した。
血液検査の結果をもらい、説明され、一般検査で解ったことは栄養失調を起こしているだった。
ビタミンB12欠乏、グルタミン酸濃度低下、肝機能低下。
私は結果を聞かずとも解っている。
食べても食べても、栄養が吸収されず、どんどん痩せて行っているのと、もう既に 『一日一度の楽しみ』 はなく、食べたいと思っても食べられないし、食事は2日に一度か3日に一度、一食くらいしか摂れなくなっている。
たまに、食べなきゃと思って一食食べようにも、体力がなくて噛めない、消化できない、何より入っていかない。
別に拒食症でも摂取障害でも何でもない。
兎に角、食べても体重は減るか増えない状態だから、検査結果は当然のものだ。
さあ、ここまで来て私はどうなっているのだろう。
1日3回の常用になった強壮剤は、相当強いものであり、その薬剤単体では通常使用も処方もされないものだ。
それを服用しても体力は落ちるばかり。
体力をつける薬も出され、心不全改善薬も出され、全身の働きを維持するような意味の薬剤を処方されて、少しは楽だが起き上がれない、この身体。
要するに、虚弱体質の高齢者に対して使用するものを何種類か出されているが、追いついていないのが現状。
私にはそれが何を意味しているのか解っている。
もう、そろそろ来るべき時が来る。
薬疹で命取りになるから、痛み止めが使えない事なんか取るに足らない問題。
人間、食べられなくなって来たらお終い。
それが病気のせいであっても、加齢のせいであっても。
慢性疲労症候群の死因が、癌、心不全、自殺とあるように、私にこの内の何が原因になっているのか私は知っている。
憶測でも想像でも妄想でもない。
はっきり、一言 『知っている』 とだけ書いておこう。
先日Twitterで、交流のない人から 『命がけで育ててくれたお母様に感謝して、受け入れましょう』 と、リプライされ、私が 『上っ面の同情を掛けるな』 と返信した事で相手と相手方のフォロワーが、このブログのある一面だけを見て、自分たちのTL上で、私の事をこう言っていた。
『自分が一番大変と思っているだけ』
『辛いんですアピールをしたいだけで、死にたいツイしたんでしょ(笑)』
『患者同士と痛みや辛さを分かち合う気がない、自己中心人間』
『キリストが身を削って、差し出したパンすらにも小さいだの、汚いだのとケチを付けるようなものだ』
『わずかな差し出された助けの手をも振り払って、俺の言う事に口出しするなって言う奴だな』
と、散々影で言いたい放題、叩き合って居たが、そんなに事実が知りたいのか?
無残で無情で、非情な現実を見たいのか?
それは誰のためだ?
私が返答した文章はこれだ。
【@・・・・歯の浮くような一般論で慰めようなど上っ面の優しさはただの自己満足で。あなたが、誰かを励ますことによって、自分が救われたい、そして自分が『あなたのお陰で気持ちが楽になった』とお礼されることによって得る優越感があるから、親への感謝なんかで説得しようとする。】
『ある病名の末期状態』 これによって手の施しようがない状態になっている。
こう、表明したら何か納得するのか。
納得したら何か得るものはあるのか。
これが、何かの役に立つのか。
こんな状況にいま、私が置かれていると知って、誰か何か励ましたり、慰めたり、同じ病名の患者同士仲良くして情報交換して、私の現状は改善され、延命に希望が持てるのか。
自己紹介文にも書いてあるように、誰かの為に役に立てるように書いている訳ではない。
ただ、経過をできるだけ詳細に書き残す事で、いつか慢性疲労症候群患者の参考になる筈だ、もっと本当の目的を言うならば、自分の娘に 『遺伝性』 が指摘されている事で何年後かに、この私の経過資料が必ず役に立つ時が来ると思って、書いているのだ。
はっきり言いましょう。
『当たり前のことを当たり前にやる』
『自分のことを、自分できちんと出来る人になりなさい』
散々、努力してどんなに訓練しても、どうにもならなくなって、頼らざるを得なくなっても、最低限自分の事を自分でやる努力をし続けることを決して忘れてはいけない。
それが唯一、自分を助けることに繋がる。
『死ぬまでにやりたいことリスト』 を作れと医者に言われた時には、私は既にもう、やり終えた後だった。
その時の答えは、
『当たり前のことを当たり前にやれる人になりたい』 だった。
遺言公正証書を作らなければならないようになった経験のある患者の気持ちなど、誰にも解るまい。
未成年の子どもと、老い先が短く何重もの病気を背負って生きる親を残して、逝く私の気持ちなど解って欲しいなんて誰にも思わない。
私の娘たちは、私の死期を知っている。
もう既に、遺言書や死んだらどうするのか、私たちは何年も前から話し合っている。
これが本当の現実と向き合う生き方であり、娘たちは必要以上に私を過保護にしないし、臨機応変に歩ける時、歩けない時の対処をしてくれ、一緒に洋服を見立ててやったり、映画に行ったり、美術館に行ったり、ライヴに行ったり、学校の懇談会に行ったり、何でも行動している。
病気であれ、健康であれ、人はいずれ死ぬのだから、生きている内に何でもやる。
成すべき事を成せ
痛みの波はあるものの、その激痛は変わらない。
娘が何か対処しようと、傷の癒着が原因で腹痛が起きているのかもしれないと、腹部を揉み解してみたり、背中を摩ってみたりしたが一向に治まる気配がなかった。
私が、 「多分、詰まってるとかじゃない。違う。」 と言って、 「いいから、どうにも出来ないから放っておいていいから」 と言った。
心配する娘は何度も 『救急車呼ぼうか?』、『ねえ病院行こう?』 と言ったが、拒否した。
しかし、いい加減4時間も過ぎて痛みにのた打ち回り、意識も朦朧として、言葉も出なくなってきた私を見かねて、救急車を呼んでくれた。
かかりつけの大学病院まで搬送された。
今回は流石に、病院側も血液検査や大腸検査、腹部X線検査をして、点滴を打っていた。
やはり血圧は78-42、脈拍60、体温37.8℃となっていた。
もう、左足はびっこを引いて、殆ど動かず歩けなくなっていたのは、この3ヶ月ずっとだ。
一応、意識ははっきりしているから、救急隊や医師の声掛けにも質問にも答えてはいたが、私の頭の中は大混乱していた。
ただ、質問された事に対し、的確な答えを探して答えていただけだ。
自分の痛みや、いつ頃、どうして、など伝えたい言葉は何も出てこなかった。
レントゲンの結果は、腹部に何も詰まっておらず、むしろガスが充満している状態だと言われた。
医師が首をかしげていたのは、ガスが充満しているのに腹の張りが一切なく、下痢もしておらず、腹膜炎や虫垂炎に特徴的な細菌も見つからなかった状態だ。
みぞおちの変なしこりを、 『これは何だ?』 と触診し、エコーをするも何かあると思い当たりつつ、それが何かは不明とだけ言っていた。
次第に痛みが治まり、点滴も終わりに差し掛かった処で、 『医師がとりあえず様子を見ましょう、家に帰っても、また痛みが起きたら何度でも救急で来て下さいね。』 と言うので、私は質問し返した。
「何度でも?痛む原因が何も解らないのに、来る意味はありますか?」 と聞くと、医師は 『痛み方が前回とは違うし、何が原因になるのかはその時で違いますから、万が一、一刻を争うような場合だったりしたら困るからね。解りますか?』 と言った。
私は、ああそうか・・・盲腸だったりしたら放っておいたら死んじゃうもんねぇと理解した。
血液検査の結果をもらい、説明され、一般検査で解ったことは栄養失調を起こしているだった。
ビタミンB12欠乏、グルタミン酸濃度低下、肝機能低下。
私は結果を聞かずとも解っている。
食べても食べても、栄養が吸収されず、どんどん痩せて行っているのと、もう既に 『一日一度の楽しみ』 はなく、食べたいと思っても食べられないし、食事は2日に一度か3日に一度、一食くらいしか摂れなくなっている。
たまに、食べなきゃと思って一食食べようにも、体力がなくて噛めない、消化できない、何より入っていかない。
別に拒食症でも摂取障害でも何でもない。
兎に角、食べても体重は減るか増えない状態だから、検査結果は当然のものだ。
さあ、ここまで来て私はどうなっているのだろう。
1日3回の常用になった強壮剤は、相当強いものであり、その薬剤単体では通常使用も処方もされないものだ。
それを服用しても体力は落ちるばかり。
体力をつける薬も出され、心不全改善薬も出され、全身の働きを維持するような意味の薬剤を処方されて、少しは楽だが起き上がれない、この身体。
要するに、虚弱体質の高齢者に対して使用するものを何種類か出されているが、追いついていないのが現状。
私にはそれが何を意味しているのか解っている。
もう、そろそろ来るべき時が来る。
薬疹で命取りになるから、痛み止めが使えない事なんか取るに足らない問題。
人間、食べられなくなって来たらお終い。
それが病気のせいであっても、加齢のせいであっても。
慢性疲労症候群の死因が、癌、心不全、自殺とあるように、私にこの内の何が原因になっているのか私は知っている。
憶測でも想像でも妄想でもない。
はっきり、一言 『知っている』 とだけ書いておこう。
先日Twitterで、交流のない人から 『命がけで育ててくれたお母様に感謝して、受け入れましょう』 と、リプライされ、私が 『上っ面の同情を掛けるな』 と返信した事で相手と相手方のフォロワーが、このブログのある一面だけを見て、自分たちのTL上で、私の事をこう言っていた。
『自分が一番大変と思っているだけ』
『辛いんですアピールをしたいだけで、死にたいツイしたんでしょ(笑)』
『患者同士と痛みや辛さを分かち合う気がない、自己中心人間』
『キリストが身を削って、差し出したパンすらにも小さいだの、汚いだのとケチを付けるようなものだ』
『わずかな差し出された助けの手をも振り払って、俺の言う事に口出しするなって言う奴だな』
と、散々影で言いたい放題、叩き合って居たが、そんなに事実が知りたいのか?
無残で無情で、非情な現実を見たいのか?
それは誰のためだ?
私が返答した文章はこれだ。
【@・・・・歯の浮くような一般論で慰めようなど上っ面の優しさはただの自己満足で。あなたが、誰かを励ますことによって、自分が救われたい、そして自分が『あなたのお陰で気持ちが楽になった』とお礼されることによって得る優越感があるから、親への感謝なんかで説得しようとする。】
『ある病名の末期状態』 これによって手の施しようがない状態になっている。
こう、表明したら何か納得するのか。
納得したら何か得るものはあるのか。
これが、何かの役に立つのか。
こんな状況にいま、私が置かれていると知って、誰か何か励ましたり、慰めたり、同じ病名の患者同士仲良くして情報交換して、私の現状は改善され、延命に希望が持てるのか。
自己紹介文にも書いてあるように、誰かの為に役に立てるように書いている訳ではない。
ただ、経過をできるだけ詳細に書き残す事で、いつか慢性疲労症候群患者の参考になる筈だ、もっと本当の目的を言うならば、自分の娘に 『遺伝性』 が指摘されている事で何年後かに、この私の経過資料が必ず役に立つ時が来ると思って、書いているのだ。
はっきり言いましょう。
- 甘えるのをやめなさい。
- 泣き言を言っている暇があるなら、身の回りのゴミのひとつでも拾う努力をしなさい。
- どんなに動けなくても、つらくても、トイレに行った帰りに足元のゴミくらい拾って捨てなさい。
- 精神科でもらう精神安定剤の量を最小限に減らして、憂鬱と向き合って戦いなさい。
- 人々が当たり前にしている日常生活を送るように、当たり前のことを自分でやりなさい。
- 人を宛てにして、頼るのをやめなさい。
- 働こうとする意欲を 『うつになるから、症状がひどくなるから』 と病気のせいにして自分から捨てるのをやめなさい。
- 患者会のシンポジウムに参加したり、準備に費やせる労力があるなら、自分のことを自分できちんとやりなさい。
そんなエネルギーがあるなら、週に1回3時間でも、働こうと努力しなさい。 - 障害者手帳の取得や、介護手帳の取得に頭をひねる暇があるなら、どうやったら自分で稼げるのか考える事に頭を使いなさい。
- 患者会の会費を払えるなら、それを医療費に充てなさい。
- 生活保護の条件に該当するのかどうか、病名を利用できるのかなどと、考えるのをやめなさい。
- 自堕落に、病気を言い訳にして、自分を甘やかす事をやめなければ、何も改善されない。
- 医者やカウンセラーに寄り掛かることばかり考えず、病気の資料や診断基準の知識ばかり頭に入れて自己暗示に掛けている事に気付かなければ、病状は思い通りに悪化するだけだと思い知りなさい。
『当たり前のことを当たり前にやる』
『自分のことを、自分できちんと出来る人になりなさい』
散々、努力してどんなに訓練しても、どうにもならなくなって、頼らざるを得なくなっても、最低限自分の事を自分でやる努力をし続けることを決して忘れてはいけない。
それが唯一、自分を助けることに繋がる。
『死ぬまでにやりたいことリスト』 を作れと医者に言われた時には、私は既にもう、やり終えた後だった。
その時の答えは、
『当たり前のことを当たり前にやれる人になりたい』 だった。
遺言公正証書を作らなければならないようになった経験のある患者の気持ちなど、誰にも解るまい。
未成年の子どもと、老い先が短く何重もの病気を背負って生きる親を残して、逝く私の気持ちなど解って欲しいなんて誰にも思わない。
私の娘たちは、私の死期を知っている。
もう既に、遺言書や死んだらどうするのか、私たちは何年も前から話し合っている。
これが本当の現実と向き合う生き方であり、娘たちは必要以上に私を過保護にしないし、臨機応変に歩ける時、歩けない時の対処をしてくれ、一緒に洋服を見立ててやったり、映画に行ったり、美術館に行ったり、ライヴに行ったり、学校の懇談会に行ったり、何でも行動している。
病気であれ、健康であれ、人はいずれ死ぬのだから、生きている内に何でもやる。
成すべき事を成せ
2012年12月1日土曜日
果てしない自分
この果てしないものは、いつまで続くのだろう。
体中を襲う、この痛み。
痛む場所によっては、もう切り落としてしまいたいくらいの痛み。
それが続くだけじゃない。
どんどん増していく一方。
どこまで耐えればいい?
いつまで耐えればいい?
苦痛はいつかは、時が経てば和らぎ、やがて消える筈なのに。
今まであったものが更にひどくなり、更に新しい痛みが襲う。
一体、何をどう耐えればいいのか、わからない。
例えるなら、歯医者で抜歯した後の激痛を痛み止めなしで耐えられるのか?
32本ある歯の1本づつ、麻酔なしでペンチで抜き、痛みが治まりかかるのを見計らっては、また抜かれるような、そんな痛みに耐えられるのだろうか。
身体を引き裂かれる思いを背負いながら、精神だけは正常・健全で居られるのだろうか。
それで日常生活の問題を解決し、また一難去って、また一難と次々に起こる問題。
私の身体の戦いは永遠に続き、この果てしない生活の問題や痛みはいつになれば終わるのだろう。
病気と共存しろと言われても、こんな拷問に耐えられない自分は、それでもただ、ただ我慢するしかない。
薬も使えず、誤魔化す事も出来ず、何も施しようがないこととしか共存出来ない。
もう、お願いだから終わらせて。
痛む箇所をナイフで刺したら、楽になれるかもしれない。
痛まない箇所はサーベルで貫かれるように痛む、この矛盾。
痛みを消すには、更に強い痛みで消せば楽になる。
果てしないこの何もかもを、いつ終わるともはっきり解らず、いつかは楽になる、いつかは終わると何の保障もなく、信じることは出来ない。
終わらない、果てしない私のこの人生は、夕凪に難破した幽霊船のようなものだ。
最後の魂の叫びを受け止めるかのように、毎日を生きている。
ただ、それだけだ。
体中を襲う、この痛み。
痛む場所によっては、もう切り落としてしまいたいくらいの痛み。
それが続くだけじゃない。
どんどん増していく一方。
どこまで耐えればいい?
いつまで耐えればいい?
苦痛はいつかは、時が経てば和らぎ、やがて消える筈なのに。
今まであったものが更にひどくなり、更に新しい痛みが襲う。
一体、何をどう耐えればいいのか、わからない。
例えるなら、歯医者で抜歯した後の激痛を痛み止めなしで耐えられるのか?
32本ある歯の1本づつ、麻酔なしでペンチで抜き、痛みが治まりかかるのを見計らっては、また抜かれるような、そんな痛みに耐えられるのだろうか。
身体を引き裂かれる思いを背負いながら、精神だけは正常・健全で居られるのだろうか。
それで日常生活の問題を解決し、また一難去って、また一難と次々に起こる問題。
私の身体の戦いは永遠に続き、この果てしない生活の問題や痛みはいつになれば終わるのだろう。
病気と共存しろと言われても、こんな拷問に耐えられない自分は、それでもただ、ただ我慢するしかない。
薬も使えず、誤魔化す事も出来ず、何も施しようがないこととしか共存出来ない。
もう、お願いだから終わらせて。
痛む箇所をナイフで刺したら、楽になれるかもしれない。
痛まない箇所はサーベルで貫かれるように痛む、この矛盾。
痛みを消すには、更に強い痛みで消せば楽になる。
果てしないこの何もかもを、いつ終わるともはっきり解らず、いつかは楽になる、いつかは終わると何の保障もなく、信じることは出来ない。
終わらない、果てしない私のこの人生は、夕凪に難破した幽霊船のようなものだ。
最後の魂の叫びを受け止めるかのように、毎日を生きている。
ただ、それだけだ。
自分の日記からNo.3
『I'm Fighter』
誰よりも真面目に素直に
生きようとすると
葛藤が多くなります。
それでも前を向いて一生懸命
毎日を思いっきり生きようとする。
もう少し、適当に
もう少し、いい加減に
なれたら
楽になれるかもしれない。
でも現実は、ずっとついてまわる。
どんなに誤魔化しても、逃げても
いつかはどうしようもない現実と
向き合わなくてはならなくなる。
それが私の病気。
なら、真っ直ぐに見つめて
勇気を持った方がずっとずっと楽だ。
どんなに苦しい葛藤があっても
誤魔化すより、得る事が多い。
だから私は決して諦めない。
2010/7/9
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