2012年9月5日水曜日

この痛みを消して

2ヶ月前までは、慢性疲労症候群の全身倦怠感で 『鉛のようなだるさ』 がずっと続いていた。
そして今は、線維筋痛症の全身筋肉痛がひどくて、痛くて身動きが取れない。
何処に楽な姿勢で体を収めればいいのか、姿勢を変え動いてばかりいる。
お陰で、痛みで疲労感は追い討ちを掛ける様にひどくなる一方だ。


リリカが発売されてすぐ使った時、すごく痛みやだるさが軽くなった。
一週間も経たない内に、全身が真っ赤になって痒みが出だし、病院の婦長さんに電話をした。
折り返し、先生に確認してくれた結果、使用中止になった。

トラムセットが承認されてすぐ使った時も、今までの痛みが嘘のように消えた。
一週間後、発疹や蕁麻疹が体のあちこちに次々と現れ、大学の皮膚科に行ったら、薬疹だと言われ、また使用中止になった。
そして、このトラムセットの結果を先生に伝えると、含有薬のアセトアミノフェンが原因だから仕方がないと言われ、 『残っている分は全部破棄して下さい。どうしても辛くて我慢出来なくなると手を出してしまうからね。』 と注意された。


そうだろうな。
嘘みたいに痛くなくなって、効いたんだから、何と引き換えにしてでも使いたくなるよな。


メキシチールをもらった時、本当に嘘みたいに痛みもだるさも消えて、動けるようになって楽だった。
それがDIHSになったんだから、使えなくて当然だ。




今でも使いたいと思ってしまう。
これだけ連日、何ヶ月も同じ和らぐ事のない痛みで、居ても立っても居られないのをどう我慢すれば良いの。

この痛みを消して。
せめて、和らげるくらいして。

痛い、本当、痛い。
だるくて、だるくて、痛いからだるくて。
どうにもならない。

どうして、ある患者さんは麻酔科に行けて全身に痛み止めを打てるのか、その理由が解らない。
整形外科での治療を受けている人も居る。

私は歩くのがつらくなって、自分で 「杖があったら少しは歩ける、多分楽だろうなぁ」 と思い自費で医師の指導もなく、高齢者介護のお店で買った。
その杖も握力がなく、全身を支えるのも無理になって、杖すら重くて歩けなくなった。
それで、自分でまた車椅子を買った。
杖は、首や背筋の負担が大きいらしく、かえって具合を悪くするだけだからと整形外科で使わない方がいいと言われた。

全身の筋肉痛と脱力や力がないため、自力では動かせない。
どうしても外出しなければいけない時に、娘に押してもらうしか方法がない。
障害者支援でも、通院介助は出来ないと言われ、何度も相談しているが付き添いは出来ないと断れている。
介護の等級は決して軽いレベルの認定ではない。
身障者手帳の等級は、一度却下され再申請をしてやっと降りたが、もう8年経過しても等級の見直し申請をすれば、認定されなくなる可能性の方が高いと医師から言われ、この地方自治体では慢性疲労症候群も線維筋痛症も却下されているそうだ。

結局のところ、介助や援助を受けなければ身動きが取れない状態がどんどんひどくなっていても、財政難や引き締め政策で、何も受けられない。

現実は、どうにもならない。
少し手を貸してくれたら、少し支えてくれたら、何とか一つくらいは出来るのに。
食事の用意なんて、半日掛りでやっと。
掃除なんて、掃除機を掛けるだけで2時間。
お風呂なんて、一ヶ月に2回くらい。



娘に助けてもらうといっても、娘たちにも学校や勉強、部活、アルバイトと色々忙しい用事がある。
そんな頼ってばかり居る訳にもいかない。
夕食を作ってくれるが、自分の分だけ適当に作って食べなさい。
そう言って、私の事に構わなくていいから、自分のことを一生懸命やりなさい、余裕がある時だけで十分だからね。そして私は食べなくなった。

娘たちは、生まれた時から私が病気だったのもあるし、一緒に手伝うままごとから始まって、今では殆どの料理が出来る。
それは、私の介護を将来(現在)させるために教えてきた訳じゃない。
『自分で自分のことをきちんと出来る人になりなさい』
それが私の教えだからだ。
食事の用意は、自分たちの食べる物を作るのだから、家族全員で用意する。それが我が家の教えだ。

もし結婚して、ある日突然旦那さんが病気になったり、事故で亡くなったり、離婚したりしたとしても、自立して生きる知恵があれば戸惑う事が少なくて済む。
もし、何事もなく安定して夫婦ともに生活できるなら、互いが自立しつつ協調しあって、持ちつ持たれつやれれば、それはとても助かるからだ。
互いが自立し、それでいて共に力を合わせ、万が一どちらかに何かがあったとしても慌てず支えあえる。
そうやって、いまの自分の力や知恵で出来る事を一生懸命やればいいんだよ。と、教えてきた。


お陰で、娘たちは私を助けたり、緊急時に援助してくれたりしても、普段は甘やかさない。
身動きも出来ず、ソファに伸びきっていると私の動かない指に、楊枝を挟んだり、赤鉛筆を挟まして 『はい、煙草だよ~、いいねぇ赤いよ?この煙草』 などとおちょくって笑う。
「寄って鷹って、動けない親の体で遊びやがって!コノヤロー」 冗談で言うと、口しか利けない私をまた笑う。
それでも痛がる私に何もしてやれないと、心配しながら傍でスマホをいじっている。


『私、無敵だよ。だってお母さんの面倒見てきたから、車椅子押せるし、ご飯も食べさせてあげられるし、介護とかわかるもん。それに障害者の人の気持ちわかるもん。』
と、長女がある時言った。
「そうだねぇ、滅多に障害者と共に生きるなんて経験できることじゃないし、勉強して解るもんじゃない事も沢山あるしねぇ。実践で怒られながらやってきてるから、強いよね」

でも、寂しい思い、一緒に出掛けられない思い、不安な思いをさせている。


だから、この痛みだけでも消して。



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