2012年9月30日日曜日

慢性疲労症候群、線維筋痛症における失神状態

私は日常的に失神を起こしている。
それは前駆症状として、自覚する激しい疲労感と全身の痛みが起きた後だ。
その自覚症状も自覚出来なくなるほど、鈍く何ともいえない感覚麻痺の後、 「うう、もうダメ」 と一言言ってから、ベッドやソファに横たわってぼんやりしだす。
そのすぐ後にストンと意識がなくなっている。

周りから見れば、その姿はまるで眠っているようにしか見えない。

しかし失神してたと解るのは、何時間後かにいきなり飛び起きるからだ。
突然の意識の覚醒で目覚める。
自分がいつ、そうなったのか、その時は理解出来ない。

犬がいつも心配して、私の手や顔をガリガリ前足で触ったり、クンクン匂いを嗅いだりしても目覚めない。
時々その刺激によって、朦朧とする事もある。

今日、娘が教えてくれた。
『お母さんが寝てる時、ウロウロしてて、お腹の所でグルグル回ったり、ガリガリしてて、それでお母さんが起きたんだよ』
そう言われたが、私にはそのゴソゴソされた記憶は全くない。
それで飛び起きた意識も全然ないのだ。

起きた後、不思議な感覚がある。
すーっと、何だかとても爽やかで安らいだ感覚なのだ。
それまでの強烈なだるさや痛みがなくなって、爽快なのだ。
でも動くことも話すことも最初は出来ない。
一時間くらいして、一気に喋りだし、考え出す。

私が 『失神状態』 を理解できるのは、母が心臓病のため小さい頃からよく突然発作で倒れて救急車に乗った経験があるからだ。
ICUでずっと付き添い、モニターを見ながら、医師や看護婦が心臓マッサージなど蘇生をし、その後母の意識が戻った時、母は何も覚えていないし、自分が何故ICUに居るのかもしばらく理解出来ないでいた。
その覚醒した時の母は、飛び起きるかのような状態で目覚め、まるで不眠不休の激務の後ぐっすり熟睡して目覚めたような表情をし、とても爽快な表情をしているが、物凄く疲れきったような具合の悪い身体つきでベッドの上に横たわっている。
やはり、意識が曖昧なのか訳の解らない様子で、一時間近くはうわ言のように何か言ったり、考えたりして、しばらくはパニックにも似た感じでいるが、落ちつきだしたら私がゆっくり経緯を説明すると記憶はないが何となくそうなのかと云う感じでいたのだ。


そんな状態と本当に良く似ている。
何故、失神するのかは解らないが、慢性疲労症候群や線維筋痛症の症状に耐えられなくなって、突然脳が強制的にシャットダウンして、身体をくたばらせるのかもしれないと感じる。
それは、頓服の麻薬を飲んでも痛みが治まらず、どうしようもない 「うう、もうダメ」 と倒れこむように横になる時や、薬も飲んでいなくても同じ状態が毎日のようにある。


失神と覚醒を日常的に繰り返していると、よく解らなくなる。
その眠っていたかの時間は2時間くらいの時もあれば、5時間くらいの時もある。
睡眠薬や麻薬の副作用なら眠気が差してと自覚できる。
しかし、目覚めてから何時間も経って、特に何かをして疲れたから仮眠したいとか、そう云う心境の思い当たる節がなく突然やってくる。

頑固な不眠と過眠は確かな症状だが、それとは違う。
一旦、きちんと目覚め、家事や何らかの行動をしたり日常生活の途中で突然襲ってくるものは、失神だったと、だいぶ後になって気付いた。
何より、普通に眠いなあという、あくびをしていない。

こんなことばかり、繰り返せば倦怠感や痛みが解消されないのも当然かと思った。
ビクとも動かず固まって眠って、ビックリして起きるのだから。
それは苦しい。

2012年9月27日木曜日

慢性疲労症候群と線維筋痛症の症状の伝え方

慢性疲労症候群の特徴は、全身の激しい疲労感とリンパ節の腫れ、微熱あるいは低体温、全身の筋肉痛であり、起き上がれない程のだるさが特徴だ。
線維筋痛症の特徴は、全身の激しい筋肉痛だが、痛みが毎日全身のどこかに移動している。その痛みによってだるさがひどいことが特徴だ。

前者はだるさが主な強調的症状、後者は痛みの後からだるさに襲われる違いがある。

慢性疲労症候群の症状を伝える時、 『誰でも一回は、ひどいインフルエンザに罹るでしょ?そのインフルエンザがずーっと毎日続いている状態です。想像してみて下さい、その状態で起き上がって仕事やトイレに行けますか?』 そう伝える。

線維筋痛症の症状を伝える時、 『普段やったこともないような例えばフルマラソンや柔道とかいきなりやったら、すごい筋肉痛で動けなくなりますよね?それがずーっと毎日続いてる状態なんです。』 そう伝える。

相手に解り易く、想像させるのが一番だ。
それも日常的な、ごく簡単な問題を採り上げるのが効果的だ。
すると、誰でも 『嗚呼、なるほど』 とうなずく。


日常生活の細かな労作の問題の伝え方について、私は自分に 「嗚呼そうか!」 と感じた。
手がこわばって動きにくい状態は、健常者にとって 『トイレや汚物を掃除する時に使う分厚いゴム手袋を一日中はめて、字を書いたり、包丁を持ったり、髪の毛を洗ったりしているような状態』 だと思った。
それは、動きにくいだけでなく、水の冷たさや触っている物の触感がないことでもあり、握力の感覚もない状態だ。
全身は、ダンボールを被りロボットのように胴体も、腕も足も動かすような状態だ。
『全身コルセットさん』 になっているようなもの。
そう思った。

元々、両疾患は、慢性関節リウマチと症状が似ている。
そのリウマチの患者さんの動きは、だるさと痛み、こわばりがあり、日内変動も同じ様に起きている。
歩行困難や眩暈、吐き気なども日常的によく似ている。



私は、どんな病気かと聞かれる相手によって説明(病名)を考えている。
救急隊や警察、役所などの公的機関関係者には、実の病名を言って、前述のように説明を正直にするが、近所の人や他愛のない関係の人には、 「まあ、リウマチの中の病気です」 くらいにしか話さない。
可笑しなことに、リウマチや膠原病と言うと、誰でも 『まあ、それは大変ねえ』 とすぐに理解する。

私自身は、そのリウマチや膠原病の人の詳しい状態を殆ど知らないし、主治医が診察している患者さんはほぼ膠原病の患者さんで何十年も待合室で顔を合わせて来たが話したことはない。
シェーングレン症候群やリウマチの患者さんばかりで、診察室から先生の声と患者さんの訴えの会話を聞いてきたが、決定的に私とは違う。
指の関節が固まり変形したり、どこかに軽くぶつけて皮膚が破れるなどの症状はない。

どうして、一般の人は膠原病という病名だけで理解するのだろう?
リウマチの患者さんの症状や日常生活の困難なことを知っているのだろうか?
私には、解らない。


でも、興味本意で聞いて来る人には、それで話が済むのだからと思って、敢えて真実を語らない。
世間に認知させようと無理なことをしない。
それは、私が中学1年の時、 『怠け病だ!』 『お前は病気の振りをして登校拒否してるんだ!本当に病気なら学校でぶっ倒れてみろ、そうしたら救急車を呼んでやるから!』 そうやって担任や副担任に言われ、家にまで朝一番で押しかけて家の中にズカズカと無理矢理上がりこまれて殴られた事があったからだ。
その時の通知表には、 『怠学』 と書かれた。
結局、3年間ろくに登校できなかったが、高校進学して私は、怠け病のレッテルを貼った教師や当時の警官、教育委員会の関係者を見返してやろうと、必死で頑張った。

高校1年の時、無遅刻、無欠席、無早退の皆勤賞を獲った。
成績はオール5だ。
2年生の3学期、後一ヶ月で終わる頃、3日間、まったく起き上がれず、死んだように寝たきりになって皆勤賞は獲れなかった。
自宅に担任が電話をくれ、 『何とか学校まで来れないか?来るだけでいいから、そうしたら皆勤賞が貰えるし、精勤賞もあるから』 と言ってくれたが、会話も朦朧としていたため、 「先生ありがとうね、でも無理だわ。病気で行けないだけで、病気じゃなければ皆勤賞なんだから、そうやって解ってくれるだけで十分だよ」 と言ったら、担任は私のために泣いてくれた。

卒業して就職した時に、ひどいインフルエンザに罹ったことで、今の状態になった。
何箇所も入院したり、受診をしたが自律神経失調症と言われ、会社も遅刻、早退、欠勤が多くなり、休職を何度か繰り返した。
その時、今の主治医に出会った。
会社でも同じ様に、色々な憶測や誹謗中傷は受けたが、それは社会人として仕方がないと思っていた。
2年半勤めたが、会社に迷惑が掛かると思い、社長と話し合って、退職した。
「私ひとりを雇っていて、来るのか来ないのか、復職出来るのか見込みがつかず当てにならない状態では、他の人に迷惑が掛かるし、社長も人員の補充に困ると思う」 と言って辞めた。
私は、仕事を多く任されていたし、期待されていたのも解っていたから、尚更潔く自分の不甲斐なさを詫びる方が誠実だと思った。
仕事に病気は関係ない。
やるか、やらないか、そのどちらかしか必要ない世界なのだから。


20年経って、その会社を尋ねた。
社長や上司に会って、身障者手帳を見せて、それまでの経過を話し、「あの時の病気がいま、こういう状態なんです。でも私を雇い、仕事を教えてくださり本当に有難うございました。」 とお礼を言った。
その当時は、誰もこの病名や状態が理解できなかったが、今では少しづつ世間にも病名が公表され、耳にしたことがあるお陰で、そうだったのかと思ってもらえる。
私は、それだけでいい。

会話をする相手に、「病気は早期発見、早期治療だからね。大丈夫なんて甘く考えないで、治せるならちゃんと治した方がいいよ。そうしないと私みたいになっちゃうからね。」 と声を掛ける。

2012年9月14日金曜日

包丁が思うように使えない

握力がないから仕方がない。
アスパラガスのベーコン巻きを作ろうと思い、アスパラガスの根を切ろうとした。
「何だ!?このアスパラ、すっごい硬い!切れないぞ」 と、ビックリした。
大きな文化包丁を使うのを止めて、ぺティナイフに変えてやってみた。
結果は切れなかった。

とうもろこしを茹でようと思い、半分に切ろうとした。
「はあ!?切れないぞ? あれ?もしかして、私の握力がないから切れないのか?」 と、手伝う娘に聞いてみた。
娘が 『ん?ちょっと貸して』 と言って切ってみるとあっさり切れた。
私は 「うーん、そう云う事か。こんな力もないのか」 と言って、娘が 『ちょいと切れ目を入れて、あとボキって折れば良いんじゃない?』 と言われて、「ああ、そっか」 と作業をした。


やきそばを作った。
材料を炒めて、やきそばを炒め味付けをして、お皿に盛り付けた時には、そばは伸びてた。
炒めている時にフライパンを返そうとしても持ち上がらない、盛り付けようと鍋敷きの所に持って来る時に手首に力が入らず、握っている感覚もなかった。

カルボナーラを作った時も同じだった。
パスタはアルデンテに茹でてあり、オリーブオイルも降って伸びないようにしてあるのに、伸びてた。


結局、作業に時間が掛かるから出来上がった時には料理も自分も伸びてる。


ミョウガを刻んだ。
千切りにしようとしても、一回づつ 「よいしょ」 と刻む具合でさっさと出来ない。
きゅうりを薄切りにして和えようと思い、切るが遅い。
まるで料理初心者のような手つきだ。

その時の特徴的な姿勢は、添え手が丸まり材料を抑え切れていない、体が硬くなって丸まっている。
立って作業が出来ないから、椅子に座ってテーブルの上でやるが、それでも何回も休憩をする。

夏の定番料理のそうめんや冷麦なんて、伸びてしまうから、そんな手早い料理は難しい。
冬の定番料理の煮物なんて、焦げないよう、煮崩れないよう見張っていなければいけないから、そんな気長な料理は難しい。
煮物は煮上がる(煮汁がなくなる)寸前に照りが出るため、仕上げの最後が決め手になる。



どんな料理でも大抵の物は作れるが、一番出来ない事が 『材料を切る』 下ごしらえだ。


筋力低下と硬直は、全身の脱力感、倦怠感、筋肉痛、疲労感を起こす。
これが慢性疲労症候群と線維筋痛症の症状だ。
そして、一回夕食を(たったの一汁一菜)作っただけで一日中寝込んでしまう。
情けない限りだ。

卵かけばっかりになるのも当然。
食べるエネルギーがなくなれば、カロリーメイトゼリーになるのも当然。
その内、水しか飲めなくなって、その水を飲み込むのもつらくなって飲めなくなる。
脱水症状と栄養失調に気付かなくなって、やっと病院に行ったことも何回もあった。

一食を何回にも分けて、一日で食べる。
そのエネルギーは、基礎代謝量にも満たないのだから、痩せていくのは当然だ。
栄養失調で居れば、思考力も判断力もなくなって、体力もなくなって、あちこちおかしくなるのは当たり前だ。
でも、それが慢性疲労症候群や線維筋痛症が故に出来ないのだから、悪循環としか言いようがない。

こんな状態でも、入院の適用がされないこの病気の実態を書類だけで計ろうなんて無理だ。
一ヶ月に一度、何分間だけの受診で、何を知る事が出来て、お役所の基準を満たすデータが採れると思っているのだろう。
科学的根拠と立証がなければ、適応されないのなら、それは 『うつ病』 や 『新型(?)うつ病』 も同じだ。


昔あった田舎の診療所や療養所の制度をもう一度作ればいいのに。

2012年9月5日水曜日

この痛みを消して

2ヶ月前までは、慢性疲労症候群の全身倦怠感で 『鉛のようなだるさ』 がずっと続いていた。
そして今は、線維筋痛症の全身筋肉痛がひどくて、痛くて身動きが取れない。
何処に楽な姿勢で体を収めればいいのか、姿勢を変え動いてばかりいる。
お陰で、痛みで疲労感は追い討ちを掛ける様にひどくなる一方だ。


リリカが発売されてすぐ使った時、すごく痛みやだるさが軽くなった。
一週間も経たない内に、全身が真っ赤になって痒みが出だし、病院の婦長さんに電話をした。
折り返し、先生に確認してくれた結果、使用中止になった。

トラムセットが承認されてすぐ使った時も、今までの痛みが嘘のように消えた。
一週間後、発疹や蕁麻疹が体のあちこちに次々と現れ、大学の皮膚科に行ったら、薬疹だと言われ、また使用中止になった。
そして、このトラムセットの結果を先生に伝えると、含有薬のアセトアミノフェンが原因だから仕方がないと言われ、 『残っている分は全部破棄して下さい。どうしても辛くて我慢出来なくなると手を出してしまうからね。』 と注意された。


そうだろうな。
嘘みたいに痛くなくなって、効いたんだから、何と引き換えにしてでも使いたくなるよな。


メキシチールをもらった時、本当に嘘みたいに痛みもだるさも消えて、動けるようになって楽だった。
それがDIHSになったんだから、使えなくて当然だ。




今でも使いたいと思ってしまう。
これだけ連日、何ヶ月も同じ和らぐ事のない痛みで、居ても立っても居られないのをどう我慢すれば良いの。

この痛みを消して。
せめて、和らげるくらいして。

痛い、本当、痛い。
だるくて、だるくて、痛いからだるくて。
どうにもならない。

どうして、ある患者さんは麻酔科に行けて全身に痛み止めを打てるのか、その理由が解らない。
整形外科での治療を受けている人も居る。

私は歩くのがつらくなって、自分で 「杖があったら少しは歩ける、多分楽だろうなぁ」 と思い自費で医師の指導もなく、高齢者介護のお店で買った。
その杖も握力がなく、全身を支えるのも無理になって、杖すら重くて歩けなくなった。
それで、自分でまた車椅子を買った。
杖は、首や背筋の負担が大きいらしく、かえって具合を悪くするだけだからと整形外科で使わない方がいいと言われた。

全身の筋肉痛と脱力や力がないため、自力では動かせない。
どうしても外出しなければいけない時に、娘に押してもらうしか方法がない。
障害者支援でも、通院介助は出来ないと言われ、何度も相談しているが付き添いは出来ないと断れている。
介護の等級は決して軽いレベルの認定ではない。
身障者手帳の等級は、一度却下され再申請をしてやっと降りたが、もう8年経過しても等級の見直し申請をすれば、認定されなくなる可能性の方が高いと医師から言われ、この地方自治体では慢性疲労症候群も線維筋痛症も却下されているそうだ。

結局のところ、介助や援助を受けなければ身動きが取れない状態がどんどんひどくなっていても、財政難や引き締め政策で、何も受けられない。

現実は、どうにもならない。
少し手を貸してくれたら、少し支えてくれたら、何とか一つくらいは出来るのに。
食事の用意なんて、半日掛りでやっと。
掃除なんて、掃除機を掛けるだけで2時間。
お風呂なんて、一ヶ月に2回くらい。



娘に助けてもらうといっても、娘たちにも学校や勉強、部活、アルバイトと色々忙しい用事がある。
そんな頼ってばかり居る訳にもいかない。
夕食を作ってくれるが、自分の分だけ適当に作って食べなさい。
そう言って、私の事に構わなくていいから、自分のことを一生懸命やりなさい、余裕がある時だけで十分だからね。そして私は食べなくなった。

娘たちは、生まれた時から私が病気だったのもあるし、一緒に手伝うままごとから始まって、今では殆どの料理が出来る。
それは、私の介護を将来(現在)させるために教えてきた訳じゃない。
『自分で自分のことをきちんと出来る人になりなさい』
それが私の教えだからだ。
食事の用意は、自分たちの食べる物を作るのだから、家族全員で用意する。それが我が家の教えだ。

もし結婚して、ある日突然旦那さんが病気になったり、事故で亡くなったり、離婚したりしたとしても、自立して生きる知恵があれば戸惑う事が少なくて済む。
もし、何事もなく安定して夫婦ともに生活できるなら、互いが自立しつつ協調しあって、持ちつ持たれつやれれば、それはとても助かるからだ。
互いが自立し、それでいて共に力を合わせ、万が一どちらかに何かがあったとしても慌てず支えあえる。
そうやって、いまの自分の力や知恵で出来る事を一生懸命やればいいんだよ。と、教えてきた。


お陰で、娘たちは私を助けたり、緊急時に援助してくれたりしても、普段は甘やかさない。
身動きも出来ず、ソファに伸びきっていると私の動かない指に、楊枝を挟んだり、赤鉛筆を挟まして 『はい、煙草だよ~、いいねぇ赤いよ?この煙草』 などとおちょくって笑う。
「寄って鷹って、動けない親の体で遊びやがって!コノヤロー」 冗談で言うと、口しか利けない私をまた笑う。
それでも痛がる私に何もしてやれないと、心配しながら傍でスマホをいじっている。


『私、無敵だよ。だってお母さんの面倒見てきたから、車椅子押せるし、ご飯も食べさせてあげられるし、介護とかわかるもん。それに障害者の人の気持ちわかるもん。』
と、長女がある時言った。
「そうだねぇ、滅多に障害者と共に生きるなんて経験できることじゃないし、勉強して解るもんじゃない事も沢山あるしねぇ。実践で怒られながらやってきてるから、強いよね」

でも、寂しい思い、一緒に出掛けられない思い、不安な思いをさせている。


だから、この痛みだけでも消して。