ふっと頭を過る。
毎日、目覚めてから一日中ずっと考え事ばかりしている。
これと言えるような考え事ではないが、人生について考えずには居られない。
色々な事が頭の中で、ふとした瞬間にすっと言葉が過る。
あと何年経てば、自分の年が幾つになって、
あと何年経ったら、それは父や母や祖母の年までになって、
私に残された時間が、あとどれくらいなのかを考える。
ある時を境に、自分にはもうあまり時間が残されてはいないことを知った。
その時から、死について考え、今を生きることについて考え、今日をどう過ごすのかを深く考えるようになり、自分の人生の責任をきちんと果たして、取るには何をすべきかを考えながら生きて来た。
死期が近い、と感じたある日のこと、私はひどい混乱を起こした。
けれど、自分の身に起こる筈の事が、まるで身代わりのようにとても身近な者に起きた。
あの時、確かに自分は危なかった。
それを今でも忘れてはいない。
その時は命拾いをしただけのようなものであって、決して根本から問題が消え失せなくなった訳ではない。
だから、あの時救われた、この時間を今までよりもっと大切に、より考えて使うようになった。
ふと過った、『あとちょっとしかない』それは何を教えようと、何をさせようと、何を気付かせようとしているのだろう。
確かに、もう20年や30年という時間は残っていない。
良くて10年、恐らく15年は無理だろう。
あと10年だとしても、賞味8年が何かを出来る時間であって、もう今、行動に移さなければ時間はどんどんと過ぎて行ってしまう。
砂時計
自ら断つにしても、自然に訪れるにしても、すべては寿命。
私は、自分から断つようなことはしない。
与えられたもの、救われたもの、守るもの、それがある限り捨てはしない。
何もない、何も出来ない、
たとえ、そうでしかない一日だったとしても、生きていることで心を救われる者が居る。
それを誰よりも実感しているのは、私自身なのだ。
この、空しいと感じる毎日の中で、ただ生きているだけに耐えているのは、多分強いのかもしれない。
孤独も葛藤も、すべて過去のこと。
もう何とも戦っては居ない。
何もかもが過去の出来事で、いまは、どんなに空しいと感じても、生きる価値を教えられた私には、こうして無駄に思えるような一日を生きているだけで、十分なのだからと理解している。
耐える
それだけでしかなかった私の人生。
いまも変わらない。
喜びも悲しみも、楽しさも、嬉しさも、
もうない。
犬と寝る。
犬と起きる。
犬と喧嘩する。
犬と寝る。
普通、耐えたら耐えた分だけ、何かが報われるものだよねえ?
頑張ったら頑張った分だけ、何かが得られるものでしょう?
私は、ただ擦り減っていくだけ。
何もかもがボロボロに、摩耗して、何も宛がうことも出来ないまま、空しく擦り減る。
こんな想いを抱えて、まだ生きなければならない。
怒りと悲しみはセットだと言うが、その通りだ。
けれど、その思いを持った処で、どうすることも出来ない。
どうしたら、残りわずかな時間を有意義だと感じて生きられるのだろう。
最後くらい、生きてて良かった、生まれてきて良かった、そう思いたい欲がある。
だから苦しんでいる。
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