そして、つい先日、そのとんでもない状態が襲った。
腹痛に苦しんで7年だったが、いつものように突然七転八倒するような激痛の腹痛に襲われた。
ベッドの上でのた打ち回り、その内に嘔吐をしだし、私はトイレの前でうずくまっていた。
娘が、どうしたら良いのか呆然としながら背中をさすって、「お母さん救急車呼ぼう?」と言うものの、以前からの原因不明の腹痛で救急外来に行っては何も出来ず、分からずの状況を考えると、またどうせ、そうなんだろうと思い、3時間も我慢して様子を見ていた。
結局、痛みはひどくなり、嘔吐も激しくなり、冷や汗や朦朧として話すことも出来なくなって、娘が救急車を呼んだ。
大学の救急外来で、レントゲン、CT、腹部エコー、採血、尿検査を次々としていっても、はっきりとした問題が中々判らない。
そうこうしている間にも、体温は下がり、バイタルサインは異常になっていく。
そして最終的に再度造影CTをして、消化器科の医師が呼ばれ、検査結果を待っていた。
腸捻転だった。
既に壊死が始まっているかもしれず、癒着しているのは画像から判ったから、緊急手術をしないと腹膜炎を起こしだしていたら命に関わる、と言われた。
医師からは、痛み止めや色々な薬剤の薬疹があるから、非常に限定された状況で手術をしなくてはならない事と術後の対処も難しい事を説明された。
救急外来の看護師は準備をしながら、「こんなに大変なことになっているとは思わなかったわね」と言われ、やはり以前同様はっきりとした症状が確認できず、どこか大袈裟で演技的か、あるいは身体表現性の症状なのかと疑われていたのを、その言葉から察した。
慢性疲労症候群という病名が、いつも訳の分からない状況に惑わす。
そう思えて、腹が立つような感覚と、やっと今回は原因がはっきりして何とか対処して貰えるんだという何とも言えない気持ちだった。
そして、すぐに手術の準備が始まり、説明と同意書の手続きを進め、私は手術室へ運ばれた。
手術は無事終わり、壊死も始まっておらず、腸の癒着を取り除き、切除することなく、腹膜の嫌な状態を修復するだけで済んだ。
術後の痛み止めの対処も限定的な対処しか出来ず、我慢するしかなかったが、痛みに慣れてしまった私の感覚は、痛みなのか何なのかの認識も鈍かった。
やっと、あの何度も救急外来に来た苦痛から開放された。
それでも、こんな大変なことになってしまうとは思いも寄らず、また命に関わる待ったなしの状況に自分がなるなんて。
通院するのが嫌で、行っても埒の明かない仕方のない、解決策のない病院と思っていた、その病院に手術を受けて、命を助けられて、入院するなんて思っていなかった。
全身麻酔の影響と痛み止めの鎮静剤の影響で、ぼんやりしている中で考えていた。
この病院にまさか入院しているなんて。
何故か、心が安らいでいた。
術後の回復期の発熱や咳や寝返りの苦しさはあっても、意識がはっきりしだしてからは安らいで、規則正しい生活と外界からの遮断に静かな気持ちがあった。
とても疲れていた生活。
静養と安静のために入院を何度も薦められた意味が理解できた。
一日毎に回復していく状態だったが、一週間ほど経過した時、急に具合が悪くなった。
腹痛と全身のだるさや痛さ、ぐったりとして、表情も何も気が回らない、何とも言えない嫌な具合悪さ。
また造影CTを受けた。
腸はきれいで、他の臓器の異常もなかった。
多分、術後の持病からくる症状だったのかもしれないと言われた。
そんな状態から回復して12日間で退院した。
私は帰りたくなかった。
もう、あと一週間くらい病院で静かに寝て居たかった。
入院生活を退屈と感じず、不自由とも思わず、制限が嫌だと思わず、規則正しい何も考えなくていい生活がどれ程、安堵するのか実感した。
私は疲れているんだ。そう思った。
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