慢性疲労症候群と判って、もう四半世紀、私は何をして生きてきたんだろう。
口実とは関係なく、ただただ毎日、寝巻きのままソファに座り、横たわり、いつの間にか寝ていて、飛び起きて、具合の悪い一日を過ごしている。
口実とは、低気圧とか季節の変わり目とか忙しかったからとか、体調不良の原因を指しての表現。
座って出来ること。
具合がひどく悪い時には、療養すること。
それで?
私は毎日何をしているんだろう。
気を紛らわすために、好きな音楽のYouTubeをずっと観ているだけ、テレビを観ているだけ。
私の部屋は、まるで病院の個室。
ベッドがあって、サイドテーブルに薬箱が置いてあって、その隣にソファがあって、娘が欲しがったこたつがあって、その向こうに仕事の机や棚がある。
ベッドの上で食事をしたり、テレビを観たり、本を読んだりするのが嫌だから、目覚めたら座れる場所を作った。
極上の個室。
でも、何もしていない。
毎日、ベッドとソファを行ったり来たり。
これが療養なんだろうけど、私は仕事をしなくてはいけない。
だって親だから。
でも娘に食事も作ってやれず、逆に作ってもらうようになって、親としての役目は生きているだけ。
私はきちんと社会人だった。
必死で仕事を覚えて、勉強して、製品を作って、その仕事のプロだった。
将来的にも期待された人間だった。
その時、突然慢性疲労症候群と診断された。
既に重症だった。
今でも、もしその職場に居たら本物のクリエーターとして、デザイナーとして生きているのに。
慢性疲労症候群は私からすべてを奪った。
時間、キャリア、納めていたであろう税金。
法改正があるようだが、医療費の負担に注目が集まっているようだ。
生活上、大きな問題だが、私はそれをきちんと払える人間で居たい。
所得が低いから、納める税金も少ないし、保険料も少ないけれど、公正に国が定めた枠の中で生きたいと思う。
それが私の社会人としての責任であり、一員だと実感出来る唯一のものだからだ。
責任を果たす。
それこそが生きていると実感し、私に意味をもたらす。
こんな病人生活は空虚しかない。
虚しいだけの人生なんて、痛みより、失神より、ひどい疲労感より苦痛。
お金があっても、動けないんじゃ何も出来ない。
出掛けた先で倒れて、帰って来れなくなるんじゃ、お金なんてあっても、どうにもならない。
そう長くない、遠くない将来に待っているものがあるなら、今なのかその時なのか考える。
今の方がいい、でも今は出来ない。
それは子どもたちが、まだ未成年だから。
結局、往生際悪く、時間稼ぎと暇つぶしをして、消費するだけの最期。
医師が言った。
『時間稼ぎをしましょう』 ってね。
何の時間を稼ぐのか、私には意味がまったく解らない。
法改正されて、難病に指定されたら何かが変わるの?
研究の範囲が広がるとか書いてあっても、今更何の打つ手もない私には関係が無い。
ひどい現実を突きつけられて、今更、私には無意味なことだ。
そう毎日、考えているのは無意味なこの人生だ。
必死で働いて、必死で幼い子どもたちを育てて、必死で年頃の問題に向き合ってきた。
だけど、私の人生に生まれてきた意味すら無かったように思わせる今の生活は何の希望もない。
ただ、ただ、失望と絶望を味わうだけのこの人生。
私の毎日って、一体何の意味があるんだろう。
無意味。
その言葉ばかりが頭の中を走り回る。
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