主治医に入院が必要だと言われて、紹介状を書いてもらい病院に要約行った。
しかし、初診で問診を受けた医師は、とてもクールでスマートな人だった。
彼は、紹介状の内容は何一つ理解出来ないと言い、私が何を必要とし、与えるべきものは何か
それを会話の中から読み取ろうとしていた。
一問一答、即答をする私に、思考力も判断力も記憶力も鈍くないと、まず悟らせた。
その次、入院に関して自分が懸念している問題を説明した。
私が 「要するに言わんとしているのは外界のストレスから開放されて、入院環境に適応してしまうって事を心配されているんですね?」 と聞くと、『その通り』。
私は、「それは絶対にない。何故なら私はこの病院に長く入院するつもりで来ていない。絶対にない。」 と言い切った。
最後に医師が私を試した。
『じゃあ、個室○○円しか空いていないから、そこにまず一週間で、どうですか?』 と提案。
最初から一週間で幾ら掛かるのか計算し、それを払ってでも入院するメリットとデメリットを即座に考える事を医師は知っていた。
勿論、私は医師が何を狙っているのか見抜いていた。
自分の正直な気持ちに向き合い、「ならば、入院しません。」 少し考えてから答えた。
その時、ピンと気付いたのが
『この世は、外界のストレスと共に在って当たり前』 その一言だった。
とっくに、解っていた事だった。
どんなに環境を変えた所で、またその変わった環境によってストレスが増え、適応せざるを得ない。
この世の中に、自分にとって何もかも居心地の良い、ストレスのない世界など何処にも在る訳がない。
みんな勘違いをしている。
別に慢性疲労症候群や線維筋痛症に限らず、病人、障害者、健常者、すべて人間は何かしらのストレスに晒されている。
そのストレスに対する感受性の強弱や適応の仕方が、人と少し違い、日常生活を送れない程の病的な心身ともに疲労や痛みを引き起こしているに過ぎない。
避けられる嫌な問題(ストレッサー)があるなら、上手く避けていけばいい。
私の場合、自分では感じない無意識のストレッサーは、光、温度、音、動き、目に見えない電磁波に対して特に過敏だ。
外出する時は、10代の頃からサングラスをしていたし、何時寒気に襲われるか解らないから上着(カーディガンやパーカー)を持っていた。
カバンには、チョコレートと目薬、リップクリーム、頭痛薬が常備されていた。
記憶が悪くなりだした20代の時、母が小さなリングメモとボールペンを持っていると良いよと教えてくれ、カレンダー式の手帳をプレゼントしてくれた。
鬱が強くなった時に、『日記を書くといいよ、後で自分がどんな事を感じていたのか読み返して思い出せるからね。そこに自分の思いを全部吐き出しなさい。』 と教えてくれ、高校生の時から何十冊も日記を書いてきた。
そして、ある日、母が日記を書くのを止めなさいと言ってきた。
思いを今度は口で吐き出せと言うのだった。
今から思えば、母が指導してきた行動療法や心理療法、認知行動療法は本当に正しかった。
負けず嫌いの私の性格を利用して、『あなたはチキショーって思った時が伸びる時だから』 とわざと皮肉を言ったり、動けないと情けなくなっている私に無理矢理、畑仕事をさせてみたり、ガーデニングを教えたりと恨まれる事も嫌われる事も何ともいとわず、私を動かした。
事の発端は、自殺未遂で左腕(上腕下部)を剃刀で切り落としたことだった。
6時間の手術の後、一ヶ月入院していたが、退院しても指は動かないかもしれないと言われた。
そこで、母がリハビリのためにガーデニングをやらせたのだ。
初めて触る土の感触、草花の香り、流す汗に無我夢中で黙々と仕事のように従う私を覚えている。
動き出した、私の心と体。とても楽しくて、夢中になって世話をし、朝5:30に起きて、花と畑の世話をし、朝食を作り、子どもたちを保育園に送り、帰ってきてまた庭仕事の続きを半年続けた。
私の腕は、切り落とした部分の神経感覚はないが、普通に動くようになった。
しかし、後に掌を切り裂いた事で、今では左の薬指と小指は縫合のために引き攣れ、神経感覚は全くない。
どれほどの体中に切り傷が残っているかと言えば、『首』と名が付く箇所にためらいでない裂傷がある。
切れていないのは、左の足首だけだ。
胴体も、まるで刀で切られたのか、切腹でもしたのかといった大きな傷がある。心臓を刺して、理由は知らないが、手術で必要性があったからなのか、そんな自分ではやっていない傷もある。
それほどまでに、死にたいくらい耐え切れなかった。
死にたかった。
でも、命や人生を見つめて、CFSとFMSにどれほど追い詰められても、私は死なないと思った。
命は、人が考えて解るものではない。
入院を断って帰り道に考えた事は、病死であれ自殺であれ 『死』 に変わりはない。
それが寿命というものだ。
死因を問題視するのは、生きている人間だけなのだ。
病死は、病気によって臓器が蝕まれ死に至る。
自殺は、精神が蝕まれ死に至る。
病死と自殺は、どちらも肉体と精神が蝕まれた結果、もはやこれまでと生命力を失って死に至るものだ。
私にとって、もはや何が理由で死に至るのかなど、どうでも良い。
生きる屍で生きてゆく事も、温存療法をしながら怯えて生きる事もうんざりした。
やりたい事ができないと嘆いて一生を過ごし、訳の解らない内に死ぬのもうんざりだ。
だから、3泊4日の家族旅行に行く事にした。
子どもたちは、私の面倒を見切れないかもしれないと不安がったが、そんな心配は要らない。
自分が楽しむ、みんなで楽しむために行きたいか、行きたくないかだけ考えればいいよ。
そう言って、片道100kmの海へ行き、犬も連れて、何倍も時間が掛かったが帰ってきた。
コテージで20年ぶりに使ったパーコレーターで煎れた珈琲は、すっごく美味しかった。
月を眺めながら、ビールを飲んで娘の青春談話を語り合ったひと時がゆったりしていた。
海水浴場で犬を 『初めての体験』 をさせたのも楽しかった。
コインシャワーの使い方を教え、犬も洗ってさっぱり、自分の犬が何処の場所でもお風呂が平気な事が解り、これは助かると経験したのも私にとって良かった。
逆に、人間の方が適応力がないことに呆れた。
たかが、食事や、風呂や、施設の設備、シャワーの使い方くらいのことで、アタフタして 頭の中で 『大変だー!』 と慌てふためいている姿を見て、こりゃ、天災が起きて漏れなくPTSDに陥るのがオチだわと感じた。
気持ちがバタバタして、それに疲れて苛々して、楽しめなくなる。
知らない世界、知らない出来事を楽しむより、計算しようとする辺りがいかにも現代病の様に、私の目には映った。
それでも、私は人並みのライフイベントを送ったのだ。
『夏休み』
帰宅してから、私の両手足は激痛に襲われ、感覚もなくサポーターだらけで締め付け、身体を丸めて、ソファーに横たわって居るしかなかった。
トイレに目を覚まし、ヨタヨタ歩き、床に置いてある物に足を引っ掛け派手に転んだ。
行きも帰りも。
私は、「手首折れたかしら?」 と思いながらもイテテと這い蹲りながら、自分の姿に笑えて仕方がなかった。
まるで、90過ぎのおばあさんになったみたい。
笑えて、笑えて。
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