今年の2月に救急車で運ばれた。
その症状は、慢性疲労症候群、線維筋痛症とは別だ。
昨年2011年11月頃より続く、腹痛のために年が明けてから症状が悪くなり、消化器科に受診した。
何の前触れもなく、突然みぞおちから左背部へ、まるで刀で突き刺されたような激痛が2,3日おきに起きた。
兎に角、口も利けず、左側を下にしてうずくまって、その激痛に耐えること一時間あまり。
その後は、何事もなかったかのように痛みは消えてしまうが、意識が朦朧としてそのまま眠ってしまっていた。
そんな時、声も出せず誰かを呼ぶ事も出来ず、ある日は家人が誰も居ない時だったりして、ただ耐えるだけで誤魔化していた。
そんな時、娘と談笑していた所に、その症状が襲った。
娘は、『お母さん、病院に行って診てもらったほうがいいって。絶対何かおかしいよ。』と言っていた矢先の事だった。
すぐさま、娘が救急車を呼んでくれ、かかりつけの大学病院に運ばれた。
その一週間前に消化器科に受診し、胃カメラの予約の入っていた私の電子カルテを見て、
医師は 『んー、ちょっと様子見ましょうか』 と言って、声も出せずのた打ち回る私に、現状を問診してきた。
答えられるだけ答えたが、採血をしようにも血管が細くて針が通らない。
動脈血だけ採取し、血中酸素濃度だけ検査した。
その時の私の血圧や脈拍は、自動測定器が警告音を鳴らしてばかりいた。
最高血圧76、最低血圧45、脈拍48~50、SpO2ー99、体温36.8℃だったのを覚えている。
看護師が様子を診に来るが、娘に 『お母さんって、いつも血圧低め?』 と聞いて、娘は 「そうですね」と答えていた。
しかし結局6時間もの間、救急外来のベッドに横たわっていたにも関わらず、腹部CT、腹部・胸部レントゲンを撮影しても何の手立てもされずにいた。
その後、『どうする事も今は出来ない。主治医の直接診察がないと私たちでは何も出来ない』と言われ、帰宅する事になった。
どんなにバイタルサインが異常を示しても、ブドウ糖の点滴一つ打てなかった。
私はその日も、前の日も何も食べていなかった。
それから、自宅で度々起き上がれなかったり、腹痛が起きた時、血圧と体温を測って、写真に残すようにした。
それを公開しようと思った。
写真に写っている日付を見ても、わかるように低体温と低血圧を起こしている。
こんな時は何も出来ない。
そして上半身を枕やクッションなどで支え、起こしていると楽だが、しばらくすると頭を低くしたくなる。
みぞおちの辺りに何かしこりが触れるのだが、医師はこれといった説明はしてくれない。
私が、心不全の予兆を感じたのは、最後の写真2012年5月30日だ。
この一週間くらい前から非常な倦怠感と筋肉痛があり、激しい頭痛で喘息を起こす事が解っていながらアスピリンを飲まずには耐えられなくなっていた。
アイスノンや氷嚢を至る所にやって痛みを抑えようとしても増幅するばかり、その痛みで涙が勝手に出てきて、そのまま朦朧として眠りかかっては、ハッとするが目が閉じて行った。
この血圧計には、脈拍の鼓動が表示されるようになっている。
そのサインが何度も消え、不整脈が起きているのが解る。
元気なときには、計る時に腕を空気で圧迫するのもそんなに強くはないが、こういう数字や体調の時はいつも痛いくらい圧迫し続け、測定不能のエラーサインが何度も出る。
繰り返し自動で圧迫し測定しようとする。
それでやっと計れた数値がこのように現れる。
多分、こうやって心不全が寝ている時にも起きているのだろう。
人の臓器は筋肉で出来ているのだから、自覚症状もなく、ただ病的な 『痛み』 と 『だるさ』 の果てに何故心不全が起きたのかも解明出来ず、急性心不全で死ぬのだと思った。
私は最近になって、やっと気付いた。
医師たちが手の施しようがないと言ったのは、見殺しにされているのと同じ状態なのだと。
原因も対応も何も出来ず、わからないと言われた、あの2月の救急外来の対応が物語っていたのだと、思い出し、ようやく 『正当なる見殺し』 をされた事に気が付いた。
そして、私は今毎日を精一杯生きている。
明日死んだとしても何も後悔はない。
ただ、当たり前に、ありのままの今日の自分と生き、言い残す事がないよう、やり残す事がないよう、伝えられるうちに伝え、やれるうちにやれる事をやり、当たり前の日常生活を過ごしている。
すべて、ありのままの私なりに。
不安も何も消え、「これが最後の賭けだから」と思った日から怖いものがなくなった。
何だろう、この晴々とした感覚は。
自分なりに自分らしく思いっきり、毎日を生きているような気がする。
そして今まで自分の病状をネット上で公開しようとは絶対に思わなかった私が、こうして書き残そうと考え出した。









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