2012年5月31日木曜日

慢性疲労症候群、線維筋痛症の結末その2 心不全の兆候



今年の2月に救急車で運ばれた。
その症状は、慢性疲労症候群、線維筋痛症とは別だ。
昨年2011年11月頃より続く、腹痛のために年が明けてから症状が悪くなり、消化器科に受診した。

何の前触れもなく、突然みぞおちから左背部へ、まるで刀で突き刺されたような激痛が2,3日おきに起きた。
兎に角、口も利けず、左側を下にしてうずくまって、その激痛に耐えること一時間あまり。
その後は、何事もなかったかのように痛みは消えてしまうが、意識が朦朧としてそのまま眠ってしまっていた。
そんな時、声も出せず誰かを呼ぶ事も出来ず、ある日は家人が誰も居ない時だったりして、ただ耐えるだけで誤魔化していた。

そんな時、娘と談笑していた所に、その症状が襲った。
娘は、『お母さん、病院に行って診てもらったほうがいいって。絶対何かおかしいよ。』と言っていた矢先の事だった。
すぐさま、娘が救急車を呼んでくれ、かかりつけの大学病院に運ばれた。

その一週間前に消化器科に受診し、胃カメラの予約の入っていた私の電子カルテを見て、
医師は 『んー、ちょっと様子見ましょうか』 と言って、声も出せずのた打ち回る私に、現状を問診してきた。
答えられるだけ答えたが、採血をしようにも血管が細くて針が通らない。
動脈血だけ採取し、血中酸素濃度だけ検査した。
その時の私の血圧や脈拍は、自動測定器が警告音を鳴らしてばかりいた。
最高血圧76、最低血圧45、脈拍48~50、SpO2ー99、体温36.8℃だったのを覚えている。

看護師が様子を診に来るが、娘に 『お母さんって、いつも血圧低め?』 と聞いて、娘は 「そうですね」と答えていた。
しかし結局6時間もの間、救急外来のベッドに横たわっていたにも関わらず、腹部CT、腹部・胸部レントゲンを撮影しても何の手立てもされずにいた。
その後、『どうする事も今は出来ない。主治医の直接診察がないと私たちでは何も出来ない』と言われ、帰宅する事になった。


どんなにバイタルサインが異常を示しても、ブドウ糖の点滴一つ打てなかった。
私はその日も、前の日も何も食べていなかった。


それから、自宅で度々起き上がれなかったり、腹痛が起きた時、血圧と体温を測って、写真に残すようにした。
それを公開しようと思った。













写真に写っている日付を見ても、わかるように低体温と低血圧を起こしている。
こんな時は何も出来ない。
そして上半身を枕やクッションなどで支え、起こしていると楽だが、しばらくすると頭を低くしたくなる。

みぞおちの辺りに何かしこりが触れるのだが、医師はこれといった説明はしてくれない。


私が、心不全の予兆を感じたのは、最後の写真2012年5月30日だ。
この一週間くらい前から非常な倦怠感と筋肉痛があり、激しい頭痛で喘息を起こす事が解っていながらアスピリンを飲まずには耐えられなくなっていた。
アイスノンや氷嚢を至る所にやって痛みを抑えようとしても増幅するばかり、その痛みで涙が勝手に出てきて、そのまま朦朧として眠りかかっては、ハッとするが目が閉じて行った。


この血圧計には、脈拍の鼓動が表示されるようになっている。
そのサインが何度も消え、不整脈が起きているのが解る。
元気なときには、計る時に腕を空気で圧迫するのもそんなに強くはないが、こういう数字や体調の時はいつも痛いくらい圧迫し続け、測定不能のエラーサインが何度も出る。
繰り返し自動で圧迫し測定しようとする。
それでやっと計れた数値がこのように現れる。


多分、こうやって心不全が寝ている時にも起きているのだろう。
人の臓器は筋肉で出来ているのだから、自覚症状もなく、ただ病的な 『痛み』 と 『だるさ』 の果てに何故心不全が起きたのかも解明出来ず、急性心不全で死ぬのだと思った。




私は最近になって、やっと気付いた。
医師たちが手の施しようがないと言ったのは、見殺しにされているのと同じ状態なのだと。
原因も対応も何も出来ず、わからないと言われた、あの2月の救急外来の対応が物語っていたのだと、思い出し、ようやく 『正当なる見殺し』 をされた事に気が付いた。

そして、私は今毎日を精一杯生きている。
明日死んだとしても何も後悔はない。
ただ、当たり前に、ありのままの今日の自分と生き、言い残す事がないよう、やり残す事がないよう、伝えられるうちに伝え、やれるうちにやれる事をやり、当たり前の日常生活を過ごしている。
すべて、ありのままの私なりに。
不安も何も消え、「これが最後の賭けだから」と思った日から怖いものがなくなった。

何だろう、この晴々とした感覚は。
自分なりに自分らしく思いっきり、毎日を生きているような気がする。
そして今まで自分の病状をネット上で公開しようとは絶対に思わなかった私が、こうして書き残そうと考え出した。


2012年5月18日金曜日

CFS,FMSの抑うつと躁転

慢性疲労症候群と線維筋痛症には、抑うつ状態と軽躁状態が存在する。
生活の中で、年度替りや何か忙しい状況になった時、今まで眠っていた脳が目覚めだす。
それは誰しも同じなのだが、この疾患の場合、過剰反応が起きてしまう。

忙しさに着いて行くのがやっとの思いで、最初は動くのだが、一旦動き出した脳は過覚醒を起こし、止まってはくれない。
それが、軽繰状態や繰転と言われる状態だ。

どうなってしまうかというと、

  • 疲れを感じなくなる。
  • 次のスケジュールを一日中追いかける。
  • 普段の思考力や判断力、集中力の悪さが、一気になくなり聡明になる。
  • 休みたいと思いながらも、休まない。
こんな感じなのだが、過労死と言われる状況が自覚出来ていても自分では止められない。


私は、この繰転を逆に利用する。
元々、仕事柄忙しい事にも慣れていたし、段取りもきっちり取って不手際の無いように働いていたこともあって、身体で覚えているため、動ける自分に不自由を感じなくて済むからだ。


動くだけ動いて、やりこなすだけやった後、予定が入らなくなりだす。
その時は、まだ頭も身体も神経は鎮まらない。
その後だ。
いつも同じように、突然起き上がれなくなる日が来る。

「とうとう、来たな」
ただ、そう思うだけで、何も感じない。

それからは、トイレに行くのもやっと、水を注ぎに行くのもやっとになる。
歩けない、動けない、口も利けない、手も動きが悪い。寝たきりになる。


元々、食欲が無かった所へもってきて、食事を考えたり、何かを買いに行こうと考えるだけで
一気に食欲は失せて、何も食べなくなる。
そうなるまでは、一日一食は食べていたのが、何も食べなくても平気になる。
これが摂取障害と言われる特徴だ。

度重なる薬疹のせいで、ステロイドによる脂肪沈着の後、こんな経過で食事を摂らなくなって
食べても痩せて行き、更に食べなくなって痩せた身体を診察して、
医師は、『丁度いい体型と体重でいいね~』なんて言う。
私は何も言い返さない。
それを誤診と言い、ドクター・ハラスメントって言うんですよと思うだけだ。

摂取障害の体型は、異常な痩せ方をしている。
気味が悪いほど、骨が浮き出て、静脈が青白く浮き上がっている。
どこが、何が丁度いいのか理解できない。



以前は繰転の後、怖いくらいの鬱が痛みとともに襲ってきていたが、もう鬱に襲われなくなった。
それは、自分との付き合い方を会得したからだ。
病気である事を考えない。
痛みは感じても、病気である事自体をそうでないことにしてしまう。

要するに、事実を全部否定してしまえば、何も異常は起きていないことにしてしまえる。

そうして、感情は浮き沈みしなくなるのだ。
どんな耐え難い痛みに襲われても、寝返りが打てなくても、眠れなくても、薬が使えない私は
そうやって、生き延びるしかない憂鬱な夜を毎晩、何十年も味わってきたのだから、仕方が無い。


麻薬で痛みが消え、ステロイドで繰転し、当たり前のことを当たり前に出来るのなら、
本来の私の能力通りに生きられるのなら、いくらでも利用してやりたいと何度も思った。

でも、上手くしたもので、何にも使えない私はじっとして、感情的にならない方法を得た。
間違っているかもしれない。
それでも、誰にも理解できず、誰からも教えて貰えない私が考え出した
『前向きに生きる方法』なのだ。


事実を否定する。
しかし、真実は決して誤魔化さない。