2022年6月3日金曜日

体調がひどく悪い

日曜日だったか3日間、頭痛が続いて起き上がるのも一苦労した。
そのせいか今日まで3日間ひどく体調が悪い。
ちょっと食事の用意で台所に立っただけで疲労困憊。
今日は、支払いのために外出して、足りない買い物を少しした1時間足らずで、帰ってきたら全身が傷んで疲労困憊してる。
横になっても起きても座っても、どうにもしていられないほどの全身倦怠感と全身痛。
両手首と両足首がひどい痛みで感覚もなくなる。

痛くて痛くて、疲れて疲れて、居ても立っても居られない。

気を紛らせたいが、それも疲れと痛みで何も出来ない。

テレビを観ても身体を一処に向けて居られず、苛々して和めない。

胸も腹も苦しい。

どうしようもない。
痛みが疲労を誘発して
判断力がない。
思考力もない。
忘れてしまう。
首が痛い。
背中が痛い。

たった一ヶ所の支払いのための外出
たった一ヶ所の買い物
それをしただけで、こんなにもへたばってしまうなんて。

これじゃ仕事なんて出来ない。
これが不能ならしめる者の身体というのか

2022年6月1日水曜日

未だに分からない

子どもの頃からずっと分からない。
何のために生きてるんだろう。
自分はどこに向かって生きているのだろう。

いつも、その時やらなければいけないことに脅迫されて生きてきただけだった。

やっと自分はこの道で生きていくぞと見つけたものは、あっけなく病気になったせいで失ってしまった。
病気が治るものだと思っていたから、良くなると思っていたから、そうしたらまた社会の一員として生きるぞと信じていた。

けれど『治らない』と言われて、もう既に30年以上。
そういう身体でも出来ることはある、成せば為ると思って無理も沢山した。
養わなければいけない家族が居たから。
支えなければいけない立場だったから。

その必要がなくなったいま、私は何のために生きてるのか理由が分からない。

生まれて来た意味すら分からない。

仕方がないから生きているだけ。
その仕方がない理由も不明確で、ただ生きている。
それだけ。

自分で死ぬことも、もうしない。
死にたかったのは耐え難い苦痛から逃げたかったから。
その苦痛すら、いまは堪える。

この先、私の人生に何があるのだろう。
この人生を終わりにしたい。

2022年5月7日土曜日

お母さん

私にとって、お母さんは今も一緒に生きている人。
お母さんが見たらどう思うか
お母さんが居たら何て言うか

お母さんが居なくなってから、自分で初めて挑戦していることがある。
お母さんは向いていないから止めといた方が良いと反対してた。
私が神経症になるから止めとけと言ってた。

それが一番向いていて、一番飽きなくて、
寝ても覚めてもずっと続けていることだった。

どうしてやらせなかったんだろう

神経症になったとしても、もう誰も困らない。
死にそうになったとしても、それは自己責任。
だから始めた。

いま見たら、お母さんは何て思うんだろう

お母さんが居たら、お互いに意見交換しながら、もっと有意義な一日を過ごして、もっともっと私に教えてくれる楽しい時間を送れたはずなのに…

どうしてやらせなかったんだろう

そればかり考える

お母さんは見抜いていることしか言わない。
神経症になるって?
確かに気が狂いそうな想いをしばがらやっている時もあるけれど。
確かに神経の糸が切れそうな思いはするけれど。

30年
続けて来たこの独学
お母さんは初めて見た時にすごく驚いてた。
この研究熱心な姿勢
探究心、向上心
何故、阻止したんだろう

解ってたはず

きっと誰とも交わらず、関わらず、一人きりで過ごされるのが怖かったのかもしれない。
他人と満遍なく関わって、他人と同じ生活リズムで社会生活を送ることを『社会適応』と思って居たから、黙々と自宅や作業場に籠もって作業するような生活は不適応になると怖かったんだろうと思う。

だけど、陶芸家も画家も、職人と言われる人たちは一日中一人で作業をしている。
誰かと口をきいてる暇はない。
それの何がおかしいんだろう?と思ってた。

私を観る近所の人の目は、一日中家に籠もって一体何をしてるんだろう?
ひきこもり
それが印象。

放っておいて欲しい

無駄で無意味な愛想笑いをして、どうでもいい会話をする暇があるなら、一つでも技術を身に着けたい。
そうやって毎日過ごすことを理解される必要もない。

お母さんが見抜けなかった価値観。
わたし壊れてないよ?
こうしてる方が壊れないよ?
どう?アハハハ

2022年5月5日木曜日

とりとめのない日々

やっと平和な生活になってきた。
そう思った矢先に忘れてた問題の渦に巻き込まれた。

私にとっては、もうすべて終わったことだった。
それでも周りの人間にとっては終わってない、納められない出来事が今も尚、続いている状態だった。
20年も経っているというのに、今更そんなことを未だひきづっているのか?と驚いた。

皆は未だ終わってないんだ。
そう思った。

前を向いて、明日がどうなるのか分からなくても今日を精一杯生きようと心掛けて生活してたわたし。
記憶を巻き戻すのが面倒で、思い出すのも大変だった。

死んでしまった人のことを次々に悪く言うくち。
聞きたくない、その人の思い。
言わないでくれ、そう言って黙らせたくても聞くしかなかった。
それは私を誤解しているのが解るから。

私がどう思っているのか?誰も聞かない。
分からずに一方的に思いを打ち明けてきた。

もう沢山。

これから私は何を考えて、何を思って、生きていくのだろう。
こころに浮かぶ想いがない。

泡のように消えていく
それが起きなくなった。
何もわだかまりが残らなくなった。
こころに嫌な想いが留まらなくなった。

こうして毎日が終わっていく。

もう渦中には戻りたくない。

ここへ来た理由や意味が少しだけ解った気がする。

2021年9月22日水曜日

ハブに噛まれた毒の作用と類似する疾患症状:2017/3/30

 テレビでハブに噛まれた時の症状と、その毒性を観た。

ハブ毒は、血液や血管を破壊し、筋肉組織を破壊するそうだ。
実際に噛まれた人が言っていたのは、入院中、兎に角全身倦怠感と全身痛に苦しんで、その痛み方は『まるで火鉢の火箸を全身に刺されたような熱感と激痛だった』、『電気の光も痛い、話し声も痛い、窓から吹く風も痛い、廊下の靴音も痛く感じた』という事だった。

私は、ええ⁉と思った。
その痛み方は、ある疾患とよく似ているからだ。

末期癌患者の疼痛レベルと同等の痛み、とも言われているが、ハブ毒の症状の方がより近いと思った。

それを毎日、何十年と強いられて居たら、到底堪えられる筈がない。
それで精神的に正常で居られる訳がない。
悶絶する堪えがたい痛み。
通常の日常生活が送れる訳がなくて当然だ。

死ぬかもしれない程の痛みと苦痛。

原因なんか、どうでも良いから対処方法を見つけて欲しい。
そう思った。
私は、その病気を患っている。
ハブ毒にやられた症状と、自分の病気の症状が同じだなんて…
それは苦しむ訳だ。
それは堪えられない訳だ。
そう思って、自分の置かれている状況に驚いた。

そのハブに噛まれた事のある人は、こう言っていた。
『だから、誰かが噛まれたら自分は3日間は見舞いに行かない。解毒されるまで痛みで苦しんでいるし、何もかもが痛く感じるから』

神経毒と同じ作用を起こす病気って一体、何なのだろう。
自分がそんな最悪な病気を人生の半分以上、患ってきたとは。
この病気の怖さを知った。

そして、正月にうつされた風邪が未だに治らず、ずっと寝たきりの状態で居ることや何日かに1度は頭痛と全身痛や発熱で悶絶しているのが、異常な状況なのだ、と思うだけだ。

病気が苦しいとは思わない。
この状態で生きているのが、とてもとても苦しいと思うばかりで、生きているのが辛い。


ヘビに噛まれたのと一緒だなんて、信じられない。

一日の終わりに:2021/6/27

 

持病のために、ひどい不眠症の症状で長年、面倒な思いをさせられている。

ひどい不眠症と書いたが、ただの所謂 ”眠れないひと” ではない。
脳が起きっぱなしで、強制的に薬でも使って寝かせないと全く睡魔が来ない。
精神医学では、人間4日も不眠で居ると幻覚や妄想が起きてきて正常な状態では居られなくなると言われているが、困ったことにそういった症状もなく、ただただ目が覚めていて、難や勘弥と集中力が途切れてはくれない。

身体が起き上がっていられない、と反応して、
身体中の筋肉が次々につりだす。
脚がつる。
背中がつる。
指が、顔が、首が…と、兎に角猛烈に引きちぎれそうなくらいにつる。

そうまでなっても尚、一旦横になっても、目を瞑っても眠りはしない。


これが夢中になって何かをやっている、やっていないに限らずだから始末が悪い。

非24時間睡眠覚醒症候群 というものがあるらしい。
この文章中に、慢性疲労症候群と書かれた部分がある。
同一ではないと書かれてるが、私の場合どちらかと言えば、毎日時間がズレて行って挙げ句には夕方になったら入眠する事態まで狂って行くのを繰り返している。
それはまるで、月が出る沈む周期のようだと感じてきた。


この先、何が起こるのか

待っているのは、脳過労死状態。

身体が悲鳴を挙げても脳は(あくまで脳機能)狂ったままで、自分の身に起きていることを正常に認識出来ず、脳がどうなっているかなんて解りもしない訳で、脳自体が過労死に陥って行く。


脳が壊れてしまうことは、精神を崩壊させることよりも最悪な事態になる。
それは、言うなれば脳の破滅を防ぐために精神崩壊を敢えて肉体(脳神経)がさせているもので、逆に精神崩壊が起こらなければ脳と肉体の両方が一遍に壊れてしまう仕組みがある。

故に精神的不調や肉体的不調は脳が悲鳴を挙げている状態だから、その時点で強制的に安静にするよう自制や周囲が対処すべきなくらい危険が迫っていると考えた方が良い。


現に私は何回も過労死寸前を経験してきた。

だから薬で強制的にシャットダウンさせるのも仕方ないと、よく理解している。


何故そうなるのか?

中枢神経に神経障害を引き起こす持病は、正にこれだ。
睡眠訓練をいくらしても、朝陽を浴びるような高度照射療法を訓練しても、何をしても無駄だった。

非24h睡眠覚醒症候群に書いてある通り、何時間周期の睡眠覚醒リズムの体内時計なのか全く分からない。
48hを超えて覚醒したままなのは異常だ。

15h寝て、15h起きていると多少体調は良いこともある。
よく自覚しているのは、15h起きていないと、いくら睡眠薬を飲んでも眠くはならないという点。

30h周期ということか?

だとしたら、6時間もオーバーして1日を生きている。
この辺の計算を昔、徹底的にして頭がパンクしそうになった。

それでも最低6時間は寝て、最低15時間は起きているのは間違いない。


有り難いのは、犬の存在

うちの犬は2回食で育てた。
朝5時と夕方5時がゴハン。
夜中2時か3時に小腹が空いて、ボーロのオヤツ。
元々オヤツをどのタイミングであげれば良いのか分からず、胆泥症の薬のウルソをあげるのに、苦くて飲むのが辛そうだったから口直しに『褒美』と言ってあげだした。
私が忘れるから、寝る前に。そうしたのがきっかけだった。


12時間
それが私のひとつの覚醒リズムを作っている。

ただ、朝5時にゴハンをあげてから私は寝る。
夕方は自然と目が覚められるからゴハンをあげられる。

ゴハンをあげてからじゃないと眠れない、薬を飲めない。
それが本当はつらい。

疲れて眠りたいと思っても、それが夜の2時や3時となると、2時間後には起きなければならず、薬を飲んでしまっては中途覚醒でまた眠れなくなって朦朧としてしまう。

本当なら10時頃に薬を飲んで眠れたら、ちょうど良いのにと思うが、どうやっても ”今日中に” は寝られない。

結局、今日眠って、今日起きる。
この生活がずっと続いてる。

周りからの批難を浴びないように、朝起きている。
そして夕方も起きている。
その途中で12時間寝ているのに、私を知らない人間は「なんだ、昼間起きてるんだ」と思い込んで、無意味な安心感と妙な納得をしている。


馬鹿げた工作をしてまで欺くような睡眠の仕方を何故しなきゃいけないんだろう。

それだけ世の中と同じリズムで生きられない事を批難されてきた証拠。

誰に心配される訳でもなく、誰かの邪魔になるでもなく、この世に存在していることすら無意味な生活をしているのに、外面を気にしなければならないのがもっと無意味だと思う。

具合が悪くて寝込んでいたとしても誰も知らない。
激痛で苦しんで15時間を七転八倒していても、単に寝るタイミングがズレただけであっても、カーテンが閉まっている理由を誰も聞きはしないのに、素知らぬ振りで生活する。


一日の終わりに思うこと

犬とベッドに横になる。
添い寝をしてくれる犬に、
「嗚呼、今日も何もない平和な一日で良かったねぇ」
そう言う。

本当に私にとって何もない一日というのは、
痛みで苦しまなかった日という意味。


それだけしかない。

痛いか、痛くないか

ただ、それだけで一日が終わってしまう。

それがなければ平和な何もない一日。


生きにくさ
人間関係
仕事
家庭


そのどれも私にとっては大したことではない。
病気の苦痛
それだけが私の人生を縛り付けている。


起きたのは昨日の夕方5時頃
今は朝の9時半頃

一体、何時間起きているのだろう
一体、昨日起きてから何をして今の時間まで起きていたのだろう

この人生いつまで続くのだろう…

私は決して可能性を諦めない:2021/4/21

 低気圧や寒暖差、季節の変わり目があると、ぐうっと体調がかなり落ち込む。

まだ、もう少し若かった10年くらい前まで、つい最近までは抗って
「何とかしよう」と、今考えれば無駄な抵抗をしていた。


この三年くらいになって

ようやく、コテンパンな思いをさせられたせいか、”調子に合わせて”その時やれることを少しだけやるようにして、随分と自分を大切にいたわる方法を習得出来るようになってきた。


元々やる気満々、人一倍の努力、これでもか!という挑戦者気質と貧乏性だったから、果てるまで加減をしなかった。

それがダメなんだよねぇ。

勉強も仕事も好きだから苦にならない。
そのコントロールが難しかった。

やる気があるから動いてしまう。


だけど、工夫することを覚えた。


ベッドの上に居ても出来ること
それを探して、編み物をしていた。


そして出会った編み機の挑戦

以前から、いつかはやってみたいという、その気持ちを忘れなかった。

いま記事をマガジンにして書き始めているが、これが結構、頭を使う。

一工程できては、写真を録り、また次の工程をする。

あれ?どこまで、いま何をやってたんだっけ?
記憶を辿る。
短期記憶障害もどこへやら……

ゆっくりと辿れば思い出して、編みながら
「この工程が出来たら写真撮るの忘れないようにしなきゃ」


編んでいるだけでも記憶しつつ、やって行かなきゃならないのに、あれもこれも忘れちゃいけない。

お陰で頭の使い方までリハビリになっている。


疲れたら、キリの良いところで休む

ここで無理をして深追いすると必ず記憶が混乱して失敗する。


一種の作業療法と認知行動療法を自分で実践している訳だ。


長年の自分を思うように動かせない悔しさから習得した実績とも言える。


やりたい!と思う好奇心や思いから、やれるようにするための知恵と工夫だ。
こういう事を本来なら、報酬を得ている ”専門家” が指導や支援をしてするものなのに、未だに解っていない医者と療法士が多い。


だから決して可能性を自分で諦めないことが大切

よく『自分で限界を決めるな』なんて聞くけれど、それは、訓練を宛がおうとする他者が言うものじゃなくて、自分が望んで課すことば。


どんなに苦しくてもツラくても、必ず自分が諦めなければ

道は開ける。


頑張らんで良い、やれることだけやって寝てろ

そう言った医者は、私のQOLを阻害し、可能性を否定や不可能にしてきただけ。


どんな人でも、頑張らなきゃ何も得られない。


鉛のようにのし掛かる激痛と全身の疲労困憊があっても、
頑張って歩いて、わざわざ犬とお散歩バッグを持って毎週行くゴミ捨てでも、夜空の星がキラキラ見れたり、暑さ寒さの風で世の中の空気に触れられる。

「楽しいねぇ~」
「ゴミぽいぽい、行けたねぇ」
と、世間一般の行動が味わえるのだから、ガンバる価値がある。


編み機の挑戦
毎日毎日、寝ても覚めても、夢も見て、コツコツと楽しい。


自分が挑戦者で良かった
そう改めて、また実感出来た。


握力低下、全身筋肉痛、全身倦怠感、硬直、頭痛の激痛、、、
手が震えて動かせない

そんな 『不定愁訴』も相変わらず。


それでも、いまの私は多少なり

時間稼ぎの生きる屍ではない