2013年6月8日土曜日

初めて通院をさぼった

先日の通院先の医師との馬鹿げた言い争いから、どうすることも出来ないのなら通院する意味はどこにあるのだろうと考え込んでいた。

そして昨日通院の予約日だったが、どうしても医師の顔を見るのも話すのも嫌で行かなかった。

私に必要な治療とは一体何なのだろう?
私に必要な薬は今使用している物の中で何だろう?
それを考えていた。


恐らく治療や薬よりも当然のように体調不良で居ることではないだろうか。
原因も治療法も解らぬまま、あれやこれや試験的にアプローチすることは逆に悪化するだけではなかろうか?そう思った。
動けないほどの体調不良を持つ患者を無理矢理 ”元気” にさせようとすることは逆効果だと気付いた。

手の施しようがない病人に健常者と同じレベルにまで元気にさせようとするのは矛盾だ。

いくら現実を知っているからと言って医師が絶対に言ってはならない言葉を私は何度も何人もの医師から言われてきた。
それは、

  • 現代医学ではどうすることも出来ません。
  • 所詮対処療法しか出来ない。
  • 打つ手がもうありません。
”お手上げです”と言っているのだ。
だったら何故私は病院に行くのだ?
だったら何故薬を飲むのだ?
一体何の為に自分は何をしているのだろうか。


起き上がれなければ、ずっと寝ていれば良い。
寝ていることしか出来ないのだし、それを薬を使って無理矢理動けるようにして、また寝込むのは悪化して当然であり、そもそも何故そこまで酷使しなければならないのか疑問だ。
そういう行為によって過覚醒して自分が病人であることを忘れ、動き続け果てには寝込むことすら忘れてしまった。
症状が軽快や回復した訳でもないのに、まるで元気パリパリの人になっている自分を見た。


そしてすべてに疲れて命を終わりにしたいと思った。


通院をキャンセルしたことが、こんなにも気持ちを楽にさせるのだと感じた。
元々、無意味な病院に行くのが重荷で仕方がなかったから、尚更楽になれた。
命を止めてしまいたいなら服薬も通院も止めてしまえば良い。
その方が矛盾していない。
お手上げだと言われて使える薬も効果の薄い当たり障りのない限られた物ばかりで、絶対的に必要な鎮痛剤や脳神経に作用する物は禁忌なのだから、それこそ無意味だ。



何の可能性もない、効果のない、とりあえずの対処療法。
それでいて元気そうに動ける人に近づけようなど何の為に医師はするのだろう。
何が目的だ?
私には理解出来ない。



だから当たり前に元々の症状のままで居ようと思った。
動ければ動く、寝込むなら寝込む、痛むなら痛がる、誤魔化すのを止めようと思った。
プラセボ(似せ)の薬を飲んで、自分自身まで誤魔化しながら生きて苦しんで悩んで命まで捨ててしまいたくなるのは馬鹿げている。


私は今まで努力してきた通り、これからも当たり前のことを当たり前にやるし、人生を楽しむ。
余命宣告された患者に医師は何をしろと助言するのだろう?
”煙草をやめろ。寿命が縮んで、病気を悪化させるから、それはやめるように努力しろ。” ???
嗚呼、馬鹿馬鹿しい。
くだらない愚論を偉そうに指導している自分に気が付かない医師。

風邪を引けば風邪薬を飲むでしょう?
頭が痛くなれば鎮痛剤を飲むでしょう?
それが治療でしょう?


私も必要なことしかしない。