慢性疲労症候群と線維筋痛症の結末が、どうなるのか誰にも解らない。
私に解る事は、日本だけでなく諸外国の研究者が発表してきた症例をもれなく辿るということだ。
幼稚園の頃、ひどい発疹で手足が包帯でグルグルになっていた。
それから19歳を過ぎるまで、今で言うまるでエイズのような膿漏性のアレルギー湿疹が手足にできた。
何度、大学病院の皮膚科に行っても原因は不明のままだった。
アレルギーだと、はっきり判ったのは、38歳の時重症薬疹を患った時だ。
その後、次々と襲う薬疹。
アレルギーの中に、サイトメガロウィルスが原因になっているのは、この疾患患者なら知っているだろう。
人畜共通感染症で、犬、猫から自然感染しても共生している、ありふれたウィルスだ。
私の、あの膿漏性湿疹が飼っていたペットからの感染だったことが解った。
原因不明のアナフィラキシーショックも3回起こしたことがある。
3回目の時、自分で原因が解った。
それは、友達と久しぶりに夜遊びをして、夕食にシメサバを食べて起こした。
その時の体調は、とても悪く、微熱、全身倦怠感、全身筋肉痛、起き上がっていられない状態だった。
結局、抵抗力が落ちていた訳だ。
私は、食物アレルギーはない。テストをしても、シメサバは陰性なのだ。
10歳の時、突然腎盂腎炎になった。
医師は、20歳までにゆっくり治しましょうと言って、12歳の時治った。
その頃、おてんばだった私が突然起き上がれなくなり、まるで鉛のようなだるさに襲われだした。
学校では、プールは見学、朝礼では貧血で倒れる、度々保健室で休むようになった。
遅刻や早退、欠席が増えだした。
13歳の時、あまりの症状の悪さに通院すると、医師から診断されたのは、
起立性循環調節障害、心筋障害だった。
手足は紫色になって、ひどく浮腫み、ほとんど寝たきりになって、通学も出来ない時が多くなった。
しかし、見た目にはどこも悪そうに見えず、学校では『怠け病』 『情緒不安定』 『家庭環境の問題』とレッテルを貼られ、具合悪くなって保健室に行って体温を測るが、何度計っても35.0℃まで目盛が行かず、『あなたってパーフェクトに病気になれる人ね』と嘲笑された。
当時は電子体温計がなく、水銀計だったため、私がわざと操作していると疑われたのだ。
血圧を計っても(こちらも同じく電子計はない)、80-45のように、低血圧だった。
今でも私の体温は、34.7℃だ。血圧も未だに、一番悪い時で、77-49、脈拍45だ。時に最高血圧が76より上がらない時もある。
中学はほとんど行けなかった。
『登校拒否』にされ、社会的にも戸塚ヨットスクールが注目されていた時代であり、また校内暴力、家庭内暴力が問題視されていたため、私も同類にされた。
19歳の時、ひどい下腹部痛に度々襲われた。
内科で胃カメラ、単純X線撮影、エコー、CT、血液検査を受けても原因が見当たらず、大腸造影検査を受けたが異常が見つからないため、残るは婦人科の病気だと言われた。
そして、婦人科で検査を受けた結果、子宮内膜症と判明し、2年掛かって治療をした。
20歳の時、ひどいインフルエンザに罹った。
当時はまだ、ペニシリン注射が使われており、時々風邪を引いてはお尻にペニシリンを打ってもらえば、2~3日で症状は良くなっていた。
しかし、この時は良くならず、一週間経っても起き上がれず、それから今の慢性疲労症候群、線維筋痛症の症状が出揃っていた。
あちこちの内科に行き、入院しても軽快せず、『自律神経失調症』と言われた。
私は、信じなかった。
一年が過ぎた頃、休職中にたまたま母と一緒に見たテレビで、慢性疲労症候群の特集がニュースでやっていたのを見て、『次の11項目中8項目以上、思い当たる場合可能性を疑って専門医の所へ受診しましょう』とキャスターが言っていた。
私は11項目すべてに当てはまったため、母に「私、これなんじゃない?」と言って、医師会に電話をして専門医を探し、訪ねた。
一ヶ月検査入院し、診断が確定した。
その専門医は、今も私の主治医だ。
25歳の時、出産後退院してきて、ほっとしたある日、朝いつも通りに夫の弁当と朝食を作ろうと台所に立ち、顔を洗うと目に水が入ってきて、口をすすぐと、左側の口から水がこぼれた。
鏡を見に行くと、左側の顔がまったく動いていなかった。
夫に見て貰うと、動いていないと言われ急いで脳神経外科に行くと、脳のCT、MRI検査をした結果、脳異常はなく、左顔面麻痺のベル麻痺と診断された。
今でもその感覚麻痺は少し残っており、左側の無表情や口の麻痺がある。
32歳の時、突然鼻が激痛に襲われ救急で行ったら、三叉神経痛だと言われ、神経ブロック麻酔を左目の下に2回打たれた。
その後、症状が治まったかと思ったら、急に天井や家の中がグルグル回る眩暈で立っていられなくなり、吐き気と嘔吐と頭が割れそうな頭痛が起きた。
病院に行くとメニエール病だと言われ、薬が出されたが、一ヶ月くらい症状が続いた。
小さい頃から未だに相変わらず続いているのは、外耳道炎だ。
時々症状が悪化した時は、顎も動かせない、口も開けられない程、腫れ上がる。
頭痛と併せて三叉神経痛の発作も相変わらずだ。
38歳の時、メキシチールという薬剤によって、重症薬疹(DIHS:薬剤性過敏性症候群)に罹った。
その前から、度々『薬疹』はあったのを思い出した。
36歳頃、両足の膝に膿漏性発疹が出て、もしかすると飲んでいる薬の副作用かもしれないと、自分で感じ、常時飲んでいるセデスG(SG顆粒)を止めてみたら、進行が治まり、皮膚科に行って、事情を話したら、間違いないと言われた。
重症薬疹後、すべての消炎鎮痛剤にアレルギーと薬疹を起こすようになった。
薬疹:カロナール(アセトアミノフェン)、アスピリン、バファリン、リリカ、トラムセット、モーラステープ、他湿布薬、セデスG、メキシチレン、アモバン
呼吸器障害:主に喘息、アナフィラキシー:アスピリン、ロキソニン、モーラステープ等湿布薬
それ以来、脂漏性皮膚炎もずっと続き、アルコール含有の化粧水などには、ひどく反応して火傷のような赤みと痛みを引き起こし、皮膚過敏症、化学物質過敏症、機械性蕁麻疹は日常的だ。
40歳頃から、月経愁訴が出現し始め、42歳の時、はっきりと自覚した。
身体症状は、頭痛があるくらいで、つらいのは精神的症状。
不穏、イライラ、不安、混乱、焦燥感、衝動的言動、行動が目立つようになった。
過敏性腸症候群が起こると言われているが、私は便秘症の方がひどい。
30歳代から度々、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、逆流性食堂炎、原因不明の腹膜炎を何度も起こしている。
検査をしても、ヘリコバクター・ピロリ菌は陰性、腹膜炎も原因細菌は検出されず。
嚥下障害は、油断をしていると水を一口含んでゆっくり飲み込んでも日常的に起こすほどで、呼吸困難を起こしながらむせている。
食欲はほとんどない。一日一食の楽しみと言っていた、その量も幼稚園児以下に減りつつ、今では、もう食べる事自体が疲れて、食べたくない。
食材の買い物に行って、食品を見た途端に、食欲が失せてしまうようになったのは、恐らく10年近く前からだ。
ある時には、お米を食べていて、「まるでプラスチックの粒を食べているような感覚」や、うどんなどの麺類も「まるで紐を飲み込んでいる感覚」と思ったことがあった。
流動食のような物なら何とか食べようと思ったり出来るが、最近では大好きだったおかゆも食べたくなくなった。
私は決まって、一日の始めに口にしてきたのは、ベーコンエッグとトーストかマフィンとカフェオレが長く習慣になっていたが、それも今ではカフェオレだけで十分になった。
卵とジャガイモ、コーン、お米、チョコレートが大好きだったのだが、チョコレートはほとんど食べなくなり、他の物もあまり食べたいと思わない。
私に好き嫌いの偏食は一切ない。
長過ぎる病歴を、思い出せるだけ書き出してみたが、まだ細かい部分も残っているかもしれない。
しかし、結末をどんな状態で迎えるのか、本当に研究者が発表している経過通りを辿っているこの状況だとしたら、私は死ぬのだろう。
それの原因になるのは、何かは解らない。
きっと、ありふれた菌やウィルスに抵抗できず、ある日突然、爆発的な発症をして手遅れで死ぬのは解っている。
ここまで来て関わるすべての医師から言われている言葉
『稀な重症化した状態』
『一生、治りません』
『現代医学では、手の施しようがありません』
『何もできません』
この言葉が意味する事は何なのか、私には理解できない。
手の施しようも、成す術もない、起きている異常の原因も解らない とは、どういうことなんだろう。
低体温、低血圧、徐脈、低血糖、薄れる意識、混乱、記憶がなくなる、感情が鈍くなる、何もかもが非現実的に感じる、痛みや耐え切れない倦怠感にうなされながら寝る、体の左側だけの痛みや感覚麻痺
こんな事がここ最近特に、ひどくなった。
一体、いま私の身体で何がどう起こっているのか、何も知る術がない。
すべて行き着く理由は、自律神経の乱れ。そうとしか説明されない。
いい加減決着を着けて欲しい。
死因に、癌、心不全、自殺とあるが、死因が特定できたのは何故なのか知りたい。
癌になるのを待つのか?
心不全の兆しはあるのか?
いま私は、どこを辿っているのか教えて欲しい。
何も解らないまま、こんな混乱の中で、ある日突然死ぬのは嫌だ。
結末が解っているなら、知っている事すべて教えて欲しい。
そうでないと、こどもたちも覚悟できないまま、ずっと不安の淵に立たされて行く。
そうでないと、他の家族が信じない。
そうでないと、私は死ぬに死ねず、生きるに生きられず、準備しておいてやれなくなってしまう。
前の記事に書いてあった。
『命の時計を見てみたい』
いま、その命の時計を見せて欲しい。
私が、「これが最後の賭けだから」と、ふと覚悟したのは何故なんだろう。
何かがあった訳でもなく、体調がいつも以上に悪かった訳でもなく、何気なく、そう思ったのは何故だろう。