2011年12月11日日曜日

慢性疲労症候群と犬の飼育

12月8日 突然のことだったが、仔犬を買った。
娘に先日せがまれてハムスターを飼った。
そのハムスターにかじり棒を与えてやるためにペットショップへ行ったのがきっかけだ。

ハムスターを買う前に、私が「欲しいなら、いっそ犬を飼う?」と聞いたのだが、娘は『飼う自信が無い』と言って、ハムスターにした。
その時、私はインターネットで犬を飼うメリットとデメリットを調べた。
慢性疲労症候群と犬の飼育について書かれた記事が丁度見つかり、読むとそれは必ずしも今言われている『癒し』ばかりではない、その飼育の負担の大きさが書かれていた。

私は幼い頃から様々な動物に囲まれて育ち、特に犬に関しては多くの経験を持っている。
その記事を読んで、とても納得できるほど、毎日の世話がどれ程自分の病状に負担が掛かるか書かれており、一度は諦めた。
今までにも、子供たちが動物を飼いたがっても無理だと言ってきた。


自分がろくに食事の用意も買い物も入浴も日常生活が送れないほど困難な上に、私は子育てを抱え、そして私の立場は母子家庭という悪条件、そして何より障害者介護手帳を所有するほどの状態だからだ。
いま現在は生活環境の条件が障害者介護との折り合いが中々着けられないために、支援を受けてはいない。


そんな解りきった状態であるにも関わらず、何故長生きする犬を飼ったのか?
店で娘に店員が『宜しければ抱っこできますよ』のその一言で、どうしても欲しくなってしまった事と店員のどうしても売れるものなら売りたいの気持ちに根負けしてしまったのが理由だ。

私は親であり、大人なのだから結局最終的に自分が「いいよ」とさえ言わなければ良かったのだ。


とても後悔している。
すべて解っていたのに、ひとつの命を受け容れた責任の重さ。


今日で3日目になるが、子供と動物に待ったは効かない。
最初の躾が一生を左右するのは当たり前であり、生涯その生き物が死に逝くまでの責任があるのは子供を育てて一番よく解っている。


案の定、休む間もない。
体が痛んでも、横になりたいほど疲れても、やらなければいけない。

そして最大の問題はアレルギーである、この特異体質だ。
いつ、何で異変が起こるか解らない。

そもそもハムスターを飼った理由は、私の中で自分に何が起こるのか自分の体を使って人体実験をする覚悟で決断したことだ。

主治医には本当に診療拒否をされても仕方の無いことを敢えて起こしたのだ。
それは悪意ではなく、この埒の明かない状態に嫌気が差していたのと、何より誰もが普通にしている楽しいことがしたかったからだ。

子供たちの同級生の家でも、このペットブームで犬や猫、ハムスターが飼われている。
当然、欲しがるのも無理は無い。

この記事を誰かが読めば、単なる『軽率な行動』や『エゴ』と誰もが思う。


私は前回の通院時に認知行動療法として『楽しみを見つけるために、次の受診までに書いて来て下さい』と宿題を出されていた。
何回もリストを作ろうとしたが、やりたいことを考えても不可能なことばかりで答えは解っていた。
それでも無理やり書き出してみた。
答えは、『当たり前のことを当たり前に出来るようになりたい』だった。
そんな死ぬまでにやってみたいことリストを暴露的な思いの中で書き上げたとき、憂鬱な思いは更にどん底へとなった。

それを書き上げた翌日の出来事だったのだ。
はっきりとした思考力も決断力もない状態で、流された結果なのだ。

しかし、もう迎え入れてしまった以上、覚悟するしかない。
どんなに後悔しても、だから無理で不可能だったことが解っても、命を粗末にはしない。
一般的な可愛いと思って飼ってみたものの、無理だと放棄する人が沢山増える中、それが何故いけないのかを知っている。
人間の子供と同じように生まれてきた命を粗末に扱ってはいけない。


命は尊いもの。
生まれるべくしてこの世に生まれ、望まれ、そして預けられ、そこに在るのだから。


私は何もかもが不可能な状態で生きるのが嫌だ。
だから、これは賭けだ。
自分の命と引き換えにするほど愛し、育て、生かす。




娘に命の尊さ、その命を生かすも殺すもすべて自分次第なのだということを教えたい。
それも親の役目だと思う。

本当に残念だが、癒されるよりも苦痛の方が大きい。
遊んでやっても、躾の一環。
そんな気持ちしかない。

家族がバラバラの毎日で、私のせいでやりたいことも出来ない、やって欲しいことも思うようにしてもらえないと責める娘。





自分の気持ちを考えた。
私は破滅しようとしているのかもしれない。
きっと生きる屍の何十年の末に、自分の気づかない思いの中で破滅する方向に知らず知らず向かおうとした結果なのかもしれない。

本音を言えば、もうどうなっても構わないと心のどこかで思っているのだ。